第128話 関ケ原の島津と現代日本(後編)
関ケ原の島津は一部(島津義弘)が西軍に参加していたのをのぞき、中立の立場をとりました。
実はこれは関ケ原の徳川と石田の争いとは関係のない地元での反乱が大きな要因でした。
人間万事塞翁が馬というべきかこの反乱のおかげで島津本隊は九州の自分の領地から兵を出すことができませんでした。
そしてこの反乱勢力は関ケ原前の為東軍ではなかったこともあり、あくまで島津の内乱という形となりました。
もしこの反乱軍が関ケ原の東軍であり、薩摩の島津本体が西軍となっていたらさすがに徳川も見逃さなかったでしょう。
とにかく、島津本隊は中立を建前として、徳川と交渉することとなります
もしこの時島津が弱ければ簡単に徳川につぶされたでしょうが、本隊は残り徳川が戦おうとすると、全力であがく姿勢を示し、一方で粘り強く謝らずに交渉を進めていきました。
結局徳川は根負けして島津の現状維持という破格の条件で和議をむすぶこととなります。
以前も指摘しましたが中立を示した弱小大名の多くは関ケ原後にお取り潰し(改易)の憂き目にあっています。
このことを現代の日本に当てはめるとどうでしょうか。
まず、相手に侮られないような国力を付けることが肝要です。
それは軍事力だけではなく経済力、外交力、また現代であれば情報力も重要でしょう。
また、敵の分断工作に乗せられないように国内を一致する必要があります。
もし、世界が乱れそのすきに日本国内で暴動が起きた場合には速やかに処理する必要があります。
もし暴動や混乱が続けば、外国にとっては思うつぼです。
ここで肝要なのは、意見が違うからと言って対立するのは愚策ということです。
再三考えたように情勢は変化していきます。
どちらが勝つかは状況が見えてから判断しても遅くはありません。
むしろ、国内を混乱する目的の勢力(つまり島津領内での反乱)を未然に防ぐか速やかに抑えることが重要です。
率直に申し上げて今の日本は平和でこうした点で実感がわかないかもしれません。
ですがあのアメリカで現在起きている暴動や世論の分裂は形を変えて日本に影響を与えると考えるのが自然ではないでしょうか。
何も起きないことを筆者は望んでいます。
ですが、一方で歴史は常に平和だったわけではなく、栄枯衰退は世の中の常です。
もし、今後世界情勢が大きく動いた時さらにかつての関ケ原前後の出来事と重なったときにはこの一連の出来事をご一考いただければと思います。
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