第52話 鬼の里にて

 山にある鬼の里では護羅无たちが戻ると、空間の歪みが消えて通常の風景を取り戻した。

 童羅はそのまま住み家に向かって姿を消した。その後を追うように意気揚々とした阿修羅が姿を消すと、他の鬼たちも続くように童羅の家へと向かう。

 童羅から次の話があると伝えられたからだ。

 その様子を黙って眺めていた護羅无と阿杜は、足を止めて静かに佇んでいた。すると護羅无の隣に立つ阿杜が、突然に声を張った。

「っ……童羅様は甘いっ! どうして亜羽流に勝手を許すのか!」

「……ふ、お前はいつもそれだな」

「護羅无兄だってわかってるでしょう!?」

 阿杜は、護羅无の方を向いた。阿杜のそれは、他の鬼たちにはあまり見られない人間臭い感情のようである。単純な阿修羅とは違い、阿杜には童羅の狙いが読めていた。

「……」

 護羅无は、阿杜のそれには返事をしなかったが、興奮する阿杜を落ち着かせるように言った。

「……長の命令だ。仕方あるまい」

「っ……護羅无兄っ!」

 阿杜はそうやって不服そうに叫んだが、護羅无はそれを気にする事もなく歩いていく。だがそれは童羅の居る家へとは違う方向だった。

「……護羅无兄?」

「お前は先に行け……」

 護羅无は、そのまま何処かへと姿を消していった。

「……」

 阿杜は、護羅无の背中を黙って見送ると、納得の行かないまま童羅の家へと向かった。

 ──それから少しの事であった。

「……」

 護羅无は、他の鬼たちが童羅の元へと集まる中、緩やかな曲線をした岩山の前に居た。そこは、前に亜羽流が童羅から出された罰で吊し上げられた場所である。

 丸太がまるで敷居のように二本立てられている。護羅无は、それを眺めながら阿杜の言った言葉を思い出していた。

『童羅様は甘いっ! どうして亜羽流に勝手を許すのか!』

 実際その通りだった。今度の追放にしても阿修羅や阿杜、里の鬼たちを納得させる建前である。童羅は、時期を見て何かしらの理由を付けて追放を解くと、亜羽流を山へ戻そうと言う考えなのだ。

 しかし、阿杜にはそれがわかっていた。だからこその言葉だった。

 だが──。

「ガアァッ……」

 護羅无は、呻き声を出すとドスンと膝をついた。土煙が上がると全身から白い蒸気が昇る。青の肉体はギシギシと悲鳴を上げて大量の汗でジットリと湿った。

 亜羽流と同様に、護羅无もまた深い傷を負っていた。

 護羅无は、その姿を他の鬼たちの前で見せる事が出来なかった。

「……ハァ……ハアァ」

 護羅无は、息を吐いて身体を休めている。そして、荒くなった息を整え終わると呟いた。

「……ふ、まさかあの時の小鬼がここまで力をつけているとはな」

 それは石の力ではない。あれは人間の女の元である。

 護羅无は、そうやって昔を思い出すと、これが亜羽流の本当の力なのだと知る。そして、山の鬼たちを束ねると君臨し続けていた『亜朱の血』を受け継いだ鬼の力なのだと思い知らされていた。

 すると、近くでガサリと音が鳴った。

「──」

 護羅无が向けた視線の先には、草ムラからひょっこりと現れた白の兎が前足を上げて立つと、鼻をヒクヒクと動かして護羅无をジッと見つめていた。

「……」

 護羅无は、側にある苗木を太い指先でズッと引き抜くと、兎の前へとポンと投げる。

 兎はそれにビクリと距離を取った。

「……」

 護羅无は、そのままゆっくりと立ち上がると、童羅の家へと戻って行く。その背中は、威厳と風格を漂わせるいつもの護羅无だった。

 その姿を見送った兎は、目の前にある苗木にゆっくりと近づくと、樹皮の匂いを嗅いでパクリと食べた。

 すると、その子供であろう小さい兎がソロソロと姿を見せると、兎たちは仲良く並んで食事を楽しんだ。まだ成熟はしていない赤い実が、兎たちの空腹を満たしていった。



「──である」

 家の中は洞穴のような作りになっていた。篝火が点々とあると、鬼たちが童羅の話を聞いていた。その入り口側に護羅无が姿を見せると、童羅の隣に立っていた阿杜が小さく頷いた。

「人間たちが争っているのは、もうお前たちも知っておるだろう。だが問題はそれではない。我々のする事は東山で効果を失わせようとしている結界の修復、そこから再び姿を現すであろう黒鬼たちの問題である。そして先ほど骸から報告があった」

 童羅はそう言うと、天井に張り付いていたむくろに合図を送った。

 すると骸は、カサカサと蜘蛛のように手足を動かして説明を始める。辺りでユラリと揺れている青の火が、骸の顔を不気味に照らした。

「……喃国から多くの黒鬼が姿を見せたでげす。鬼たちは人間を喰らうと国を支配──。そこを拠点にして根城を築こうとしてると思われるでげす」

「──ッ! 鬼の出る場所は喃国と言う事か!?」

「とっ、東山ではなかったのか?」

 鬼たちから動揺の声が上がると、骸は怖れるように天井を少し歩きながら下がる。

「そっ、それはわからないでげす。ただ鬼たちは喃国を支配すると何か、ち、力を付けようとしてると思われるでげす。このまま放って置いても、ここまでやって来るのは時間の問題でげす」

「──!」

「どっ、どうするんだ?」

「どうするって……」

 鬼たちがザワザワと騒ぎ出す。

「うるせえっ! どうするもねえだろ! あっちが戦りたいって言うのならやってやるだけだ!」

 阿修羅が、大声でそれを黙らせた。

「……ふむ。喃国から鬼が姿を現したのなら人間たちがそれに力を貸しているのかも知れぬ。その方法はまだわからないがな」

 童羅が少し考える様子を見せると、阿杜が横から口を挟んだ。

「……人間の術では?」

「……おそらくはな。だがその原因がまだわからない以上は、下手に動く訳にはいくまい。まだこちらにも石はないのだからな。まずは石を取り戻す。骸、お前はそのまま動向を探れ」

「はいでげす」

「それから……東山の結界の方だが。これは阿修羅と阿杜、お前たちに行ってもらおう」

「──!?」

 阿修羅と阿杜は一瞬驚いた表情を見せると、それに不満を持った阿修羅が言った。

「じゃっ、じゃあ女の……あの石の方はどうするんだ!?」

「……それはこっちの方で何とかする」

「っ──なっ、じょ、冗談じゃねえ! アイツ、あの狼野郎だけは生かしちゃおけねえっ!」

 阿修羅は、自分の角を折った灯馬を思い出すと、その怒りで身体を震えさせた。

「阿修羅っ! 命令だ!」

「──っ!」

 阿杜の言葉に阿修羅はグゥと言葉を飲み込んだ。

 阿杜は、そうやって阿修羅の行動を抑えると、今度は入り口で黙って聞いている護羅无へと視線を向けた。

「……」

 護羅无にその視線の意味は、口に出さずともわかっていた。

『これでいいのでしょう?』

 そう言っているのだと──。

 だが阿杜は知らない。阿杜だけではない。ここにいる鬼たちの全員が知らなかった。

『黒鬼』の存在を知ってはいても、その力と本当の恐ろしさを──。

 今よりも遥か昔、山の鬼と人間たちが手を組むと、黒い鬼たちと戦いが繰り広げられていた。

 それが『鬼人大戦』である。

 今の里の中でそれを知るのは、童羅と護羅无の二匹だけだった。まだ生まれてから年月の浅い他の鬼は、その話を詳しく知らないでいた。

 そして、童羅が亜羽流に甘い理由は、亜朱と言う存在があったからである。それがわからない阿修羅や阿杜たちには、亜羽流が優遇されている不満だけが残るのも無理がない話だった。

 だが、護羅无は一つだけ報告してない事があった。

 それは亜羽流が救おうとする人間の女の事である。護羅无は、初めそれを見た時に身体を震わせると言葉を失った。

 その理由は女の姿だった。何故ならその姿は、山の長として君臨し続けていた亜羽流の母親『亜朱』の姿と瓜二つだったからだ。しかしあれは亜朱ではない。

 女からは妖気と言う力が発せられる事は微塵もなく、弱い人間の姿そのものだった。

 しかし、心鬼光の魔石──。

 今現在、それを持つ者が女であると言う事が、護羅无に何かを感じさせている。

 亜羽流は、それすらも知らずに女を助けたのだろう。

「……」

 護羅无は、この事を童羅に報告するかどうか、またそれに寄って童羅がどう動くのか。それがわからないでいた。だが、亜羽流の追放の事にしろ、予定ではない方向に進んでいく話に、護羅无は漠然とその不安を感じ取っていた。

 集まっている鬼たちに説明をする童羅の頭に、亜朱の最後の言葉と表情が過る。

『童羅、私の子供を頼むわね──』

 青い篝火がユラリと瞬くと、一際強く炎を燃やした。

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