第51話 浮かぶ紫月

 庭の上空では強い風が吹くと、亜羽流の髪を揺らした。跳んでいる亜羽流から見える蘭国の景色は壮大で広く、地平線の向こうから空が向かって来るように迫る。紅くなった空の明かりは、蘭国の建造物を照らすとキラキラと輝かせている。視界の端には山が見えると、それは綺麗な色を見せていた。

「……」

 亜羽流は、その風景を美しいと感じると、すぐに兵士たちに視線を戻す。そして、ふわりと着地した。

 青い髪と袴の袖が、身体を追うようにして落ちると足元から微かに土煙が舞う。

 何かを言う訳でもなく、静かに佇む亜羽流の姿を見て兵士たちは声を失っていた。

 さっきまでとは違い、袴を急に赤く染めている亜羽流に、兵士たちは更に強く恐怖を覚えると怯える仕草を見せている。

 兵士たちは、前に立つ存在を受け入れようと、自身の頭を説得させていた。だが、いくら考えてみても真っ白になるばかりで、ただ呆然と亜羽流の姿を見る事しか出来なかった。

 そんな兵士たちとの間合いを、亜羽流は一瞬で詰める。

 ヒュウッと風が巻くとドスリと音が鳴った。

 瞬きも許されなかった。

「うっ……」

 兵士から微かに呻き声が上がる。

 亜羽流の青い髪がサラリと流れた。右手から突き出された笛は、左手を優しく添えられて兵士の腹に当たっていた。

 もう一人の兵士は、亜羽流の背中と白目を向く仲間の様子を見ると小さく息を洩らす。

「あっ──」

 そして、すぐ目の前に現れた亜羽流の姿を最後に、意識を失わせた。兵士は、その直前まで柔らかそうな青い髪が揺れるのを見ていた。

 止まったように固まった兵士たちの身体は、ゆっくりと倒れていくと地に落ちてドサリと音を出した。

 風が止んだ──。

 庭に静寂が訪れる。辺りは随分と暗くなっていた。

 庭では、喃国の兵士たちと菊の紋様が施された刀が二本、亜羽流の足元に転がっていた。

 家の中からその戦いを見ていた千里たちは、そうやって佇んだ亜羽流の姿に目を奪われていた。だがすぐに我に返ると庭へと飛び出した。

「亜羽流っ!」

 二人は、亜羽流の元へと駆け寄った。

 騎助は、嬉しそうに亜羽流の袴の袖を掴んでいる。

 腫れている頬が痛々しいがその表情は明るい。

「やっ、やっぱり亜羽流は凄げえやっ! なあどうやったんだ──っ!?」

 騎助は、手にぬるりとした感触を覚えると驚いて口を閉じた。

「あ……亜羽流?」

 千里は、亜羽流の側まで来ると足を止めて、その姿を確かめるように見ていた。

「……千里」

 亜羽流は、千里を見ると少しだけ微笑んだ。その微笑みは輝きを失わせようとする角のように弱い。

 そして──角はフッと輝きを失くすと、その瞬間、亜羽流は力が抜けたように地面へと倒れた。

 千里の首飾りも輝きを失くした。

「──亜羽流っ!!」

 千里は、突然倒れた亜羽流に驚いて近づこうとすると、側に居た騎助が振り返った。

「えっ……」

 千里は、騎助の表情に戸惑った。

「ねっ、姉ちゃんこれ……」

 騎助は、真っ青な表情で両手を千里に開いて見せた。そこには大量の血がべっとりと付いていた。

「──っ! あっ、亜羽流っ!!」

 千里は、倒れている亜羽流の側へと駆け寄った。そして、その袴に滲んだ血の量を見て形相を変える。

「きっ、騎助っ! お医者さん! お医者さんを呼んで来てっ!!」

「えっ……お、おう、うん」

 騎助は、千里の声に圧されるように返事をする。そして、倒れている亜羽流の姿を見て少しだけ後ずさると、身体の向きを変えて走った。もちろん医者の居場所など知ってなかったが、とにかく助けを求めようと外へと出ていった。

「……」

 千里は、騎助を見送るとそっと亜羽流の首を抱え込んだ。目には涙が溢れている。抱える亜羽流の袴から血がジワリと侵食して染みると、千里の着物はすぐに赤く濡れていった。

「亜羽流っ! 亜羽流! なんでこんな──」

 千里は周りを見渡したが、そこには意識を失わせた兵士たちが横たわるだけである。声だけが虚しく庭に響き渡っていた。

 亜羽流は、そうやって側で心配そうにする千里の泣き顔と声を聞いて、眠るように意識を失った。

 その表情は、どこか安心したように穏やかだった。

「──!? 亜羽流っ!」

 千里は名前を呼び続けていた。

 日は落ちていく──。

 鬼たちに寄る喃国の支配。亜羽流の追放。

 次梟と灯馬たちは、姿を消した清次郎たちの分まで兵士たちの説得を続けている。

 蘭国と喃国の戦いは、両国に取って思わぬ形と方向で幕を閉じる事となっていった。

 ひらりと、庭の片隅でひっそりと伸びていた小さな木の葉は、その色を変えて秋の訪れを告げようとしていた。

 その日の夜であった──。

 浮かんだ月は紫色の輝きを放っていた。それはまだ落ち着いていない蘭国を照らすと、雲は月の明かりで淡く光って龍が泳ぎそうな光景だった。綺麗で不気味な妖しい月明かりである。まるで、見えないこの先と忍び寄る影の存在を暗示しているようだった。

 リーリーリィーと。

 虫の声と静けさが包む森の奥底では、木の枝から枝へと飛び移る影が、妙な笑い声を上げていた。

「──あっはっはははハハはっ!!」

 その場所は、戦いから離脱した清次郎と霧島、二人の後を追うと馬を走らせている兵士が向かっている方角だった。

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