第50話 追放
鬼木の山──。
その中では、さっきまで緑が生い茂っていたとは思えない場所があった。
焦げついた匂いが辺りを漂うと、湯気のように煙りを節々に上げている。地にある土は大きく穴を作ると、それを塞ぐように倒れた木々がミシミシと音を立てる。そして、今にも倒れそうな大木にもたれると座る亜羽流の姿があった。
「……うっ」
亜羽流は呻き声を出した。手には笛を握ってはいたが、動かす事は出来ず術を出す事も出来なかった。
そんな亜羽流にゆっくりと近づくのは護羅无である。
亜羽流のような半端な鬼ではなく、山の鬼たちの誰よりも大きかった。
滑りのある青の肉体をギラギラと光らせると、四肢は太く、そのどれも鋼のように硬い。頭は太くて立派な角が二本あると、魂を抜き取ってしまいそうな赤い目玉。里に居る鬼たちからも怖れられている青鬼だった。
護羅无は、その大きな体格に似合わないほど静かな足音で歩くと、亜羽流の前で足を止めた。
「……言ったはずだ次はないとな。あの女が山に入った時と今では意味も内容も違うのだからな」
山に入って来た人間は好きにして良い。それが、山の鬼たちの決まりだった。裂いて喰らうも自由である。そしてそれは亜羽流も同じだった。
例え鬼たちに思いの違いがあったとしても、対決をして勝てば亜羽流が千里を助けても許される。その行為は、他の鬼たちの怒りを買う事であったが許されていた。ただしそれは、人間が自ら山に入って来た場合の時だけである。
今度は違っていた。
亜羽流は、千里を助ける為に「自ら」山を降りると言っている。
それは許されない行動だった。里の長である童羅の許可をなしに、人間の争いに加担する事は認められていない。決まりと言う事だけでなく、それは人間と鬼の間で争いを生む、直接的な火種になりかねない行為だったからである。
護羅无自身、里の鬼たちを束ねる者として、亜羽流の勝手を許す訳にはいかなかった。
「……」
護羅无は、亜羽流を少しだけ眺めると戦闘能力を失ったであろう事を把握して言った。
「……諦めて大人しくしておくんだな」
そして、身体を反転させると向きを変えて里へ戻ろうと歩き出す。その背中は、鬼の中でも類を見ないほど隆々として大きかった。
だが亜羽流は、戦いを続ける意思を見せた。背をズズズと木に滑らせると、立ち上がろうとする。
護羅无は、その動きを感じ取るとピタリと足を止めた。
「……愚かものが。そうまでして消えたいか」
そして、亜羽流へと向き直ると、恐ろしい表情を見せた。
護羅无の吐く息でも倒れそうな亜羽流が、滅されようとしたその時だった。
突然、山の風景がグニャリと曲がった。
「──」
歪んだ空間から別の風景が重なるように見えると、里の中から童羅が姿を現す。
側には阿修羅、阿杜、里を束ねる二匹の鬼も一緒であった。
「……なかなか派手にやったものだな」
童羅は、辺りを少しだけ眺めると呆れたように言った。
「ざまあねえな亜羽流! お前が護羅无兄に勝てるものか! ははははははっ!」
阿修羅は、四本ある腕と目玉を動かすと、嬉々として悪態をついた。
護羅无は、その様子を黙って聞いていたが、突然、姿を見せた童羅たちに聞いた。
「……どうした?」
童羅たちが、戦いの様子を見に来ただけとは思えなかったからである。
すると、童羅は護羅无の方を少しだけ見るも、質問に答える事なく亜羽流へと視線を向けた。そして、静かに口を開く。
「……亜羽流よ。どうしても山を降りるつもりか?」
「──ッ!」
童羅の言葉を聞いて驚いたのは、亜羽流だけではない。他の鬼たちも耳を疑うと、それまで黙っていた阿杜が口を開いた。
「どっ、童羅さま、まさか……」
童羅は、阿杜の言葉を手で遮る仕草を見せて黙らせると、亜羽流の返事を待つ。
辺りに緊張の空気が流れた。
「……」
亜羽流は、童羅の質問の意図がわからず少し考えたが、次には小さく頷いた。
「……それは山から追放となってもか?」
童羅が突き放すように言った。衰えてきたとは言え、その声には冷たい圧力がある。
「どっ、童羅さま、それは……」
阿杜が驚いたのには訳がある。
追放は山に戻る事を許さないと言う意味だったが、それだけではない。同族と認めないと言う事である。戻ろうものなら敵──。例え亜羽流が人間に近い姿を持っているとは言え、人間と暮らせるはずはなく、山から追放されると行き場を失う事になる。場合に寄れば人と鬼の両方から追われる鬼となる。それは孤独を意味すると消滅の宣告だった。身体を鞭で打つよりも酷な罰である。
だが、亜羽流はそれを聞いても頷いた。
「……そうかわかった。では好きにするがよい……」
童羅は、亜羽流の覚悟を知ると一つ呼吸を置いて、護羅无たちにも聞かせるように言い放った。
「いまこの瞬間から亜羽流を追放とするっ!」
「──!」
護羅无たちは、それを大きく目を開いて聞いた。
こうして、亜羽流は山から追放されると千里たちの居る場所へ向かう事が出来た。
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