第49話 理由

「なっ、なんなんだよ……こいつは……」

 兵士は、乱れた息を整えようと休んでいた。そして、亜羽流へと攻撃を続けている仲間の姿を眺めながら、人とは思えない動きをする亜羽流に少しずつ怖れを抱き始めていた。

 庭では、消えたトンボの帰りを待つように立つ案山子が、夕焼けに照らされて寂しそうである。

 畑は踏み荒らされると、兵士たちと亜羽流の戦いが続いている。

 空はゆっくりと明かりを失くそうとしている。それはまるで、争いから目を背けると瞼を閉じるように静かだった。

 少し前の事であった。

 息を整えている兵士は、亜羽流の視界から外れようとして足を動かした。ジリッと音が鳴った。

 亜羽流の背後から刀を降り下ろすと、背中を斬ろうと攻撃を仕掛けた。しかし、その刀は空を斬るとその瞬間、刀が大きく弾かれて兵士の身体ごと間合いの外に押し出された。

「くっ……」

 刀は、それを交わした亜羽流が脚で蹴っていた。

 一見、華奢に見える亜羽流だったが、その蹴りの力は強く、大きく間合いから外された兵士は驚いて動きを止めた。

 もう一人は、亜羽流を斬ろうと攻撃を続けている。だが、その刀はことごとく宙を斬ると、踊るように交わす亜羽流の姿。それは思わず見とれてしまうほど美しい舞いであった。

 そんな舞いをお膳立てしているのが兵士である。その様子はまるで、主演の舞いを引き立たせる為のようであった。兵士は完全に脇役となっている。

 兵士は、そうやって当たらない攻撃に苛立ちを見せると声を出して刀を振った。

「くそがあっ!」

 それはこれまでよりも気合いの入ったものだった。その速さ、込めた力具合も渾身の一撃である。

 だが亜羽流は兵士の前から忽然と消えた。

「──ッ!」

 兵士は体勢を崩すと、亜羽流を見失った。そしてすぐに自分に降る影に気付いて、空を見上げると驚きの声を上げる。

「なっ……」

 兵士の遥か頭上だった。

 民家の屋根に届こうかと高く飛んだ亜羽流の姿が、そこにあった。

「こっ、こいつ……本当に人間か!?」

「なっ、なあ、おい……あの角ってまさか……」

 足を止めていた兵士が言った。

「……!?」

 仲間にそう言われた兵士は、改めて宙に浮かんだ亜羽流の姿を見上げた。

 そこには紅くなった空と雲──。

 それを背にすると、凧のようにフワリと宙を舞う亜羽流の姿がある。袖を靡かせると、着地をしようとゆっくりと降りている。頭にある角は輝くと、それは天から注ぐ太陽のように眩しく、見上げる兵士たちの目を眩ませた。

 ──本物。

 その瞬間、兵士の背中に冷たいものが走った。

 角だけではなく宙を舞うと未だ降りて来ない亜羽流の姿が、人ではないものと言う確信に変わったからだ。

 兵士の身体中から一気に汗が噴き出すと、頭の中は混乱と恐怖の感情で支配されていた。

「……」

 亜羽流は、そんな兵士たちを見下ろしながら別の事を考えていた。それは護羅无の言葉だった。

『……どうしてだ? 何故、あの女を助けようとする? 人間たちの争いなど今に限った事ではあるまい』

 それを思い出すとその答えを考えていた。

 亜羽流に人間を食べると言う欲求はない。それどころか様々な楽器を使って音を奏でると、それを楽しそうに聞く人間が羨ましかった。それは好意である。亜羽流は人間が好きだった。だがそれは山を降りる理由にはならなかった。

 人間の争いはこれまでも何度とあった。

 そして、その争いに山の鬼が手を貸すと言う事が、どんな事態を引き起こすのか、その重大性もわかってはいた。

 亜羽流は、人の争いが起こる度に山の上から笛を吹いた。それは消えてゆく魂を癒すように優しく、そして悲しい音色だった。だが今は違っている。山を降りると人間の争いに紛れている。

 ただそれが何故、どうしてなのか? その理由がわからないでいた。

 千里が笛を嬉しそうに聞くからだろうか?

 いや時には涙を見せた。だが千里は、それは悲しい事ではなく、素敵な事であると笑った。涙を流しながらその表情は明るく、側で優しい風が泳ぐのを亜羽流は感じる事が出来た。

 その笑顔は、他の誰よりも眩しいものだった。

 ──だからか?

 それもある。だがそれだけではない。

 千里だけが『特別』だった。

 それは亜羽流が、山の中で千里と出会った時から感じていた事だった。

 その表情その仕草、どこか懐かしいものだった。

 ただそれが何故なのか、身体を突き動かすものがなんであるのか。亜羽流自身、わからないでいた。

「──ッ」

 亜羽流の身体に空の風に当たると、全身に痛みが走り抜ける。着ている袴から血がジワリと滲み出すと、それは侵食するよう広がって赤く、深い色合いで染められていった。

 兵士たちに付けられた傷ではない。それは本来なら仲間でもある同族、護羅无から受けた傷であった。

 喃国が蘭国へ攻撃を始めてから少し経った頃、亜羽流は護羅无と戦う事になった。山を降りようとする亜羽流に、それを止めようとする護羅无。

 その戦いは長引くと山の大地を揺らした。

 土を巻き上げて草木を倒すと、動物たちは怯えて姿を消していく。山の形を変えるそれは、まるで天災であった。

 その戦いの果て──亜羽流は負けた。

 亜羽流は、護羅无に敗れていた。

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