第48話 角は輝きを放つ

 空は橙色に染まると日は随分と沈み始めている。

 雲の隙間から差し込む陽射しは暖かく、柔らかい色を見せると蘭国を優しく包み込んだ。陽射しは地上のどれとなく反射して光輝くと、芽吹く木々や動物たち、そこに生きる人々を照らしては幻想的な風景を作り出している。

 そんな美しい蘭国の姿を見る事はなく、気に止める者たちの姿はない。

 欲や憎しみ、悲しみと恐怖──。

 人間の持つ激しい感情が渦巻くと、兵士たちの手は赤い血で染められている。そして命の火を消した。

 蘭国と喃国の争いは、未だ止まる事なく続けられていた。

 夕焼け色が庭にある畑を染めると、何処からともなくやって来たトンボが二匹、案山子と戯れるように仲良く飛んでいる。

 トンボは、辺りの空気が変わる事を敏感に察知すると、驚いたようにピョンと跳ねて動きを変えた。

 そんな穏やかな風景に合わせるように、民家の中ではさっきまでの騒ぎが嘘のように、静寂とも言える空気が流れていた。

「あ……あうぅ」

 千里は、言葉にならない声を出すと、庭に立つ者から目が離せないでいた。その瞳からは、ポロポロと涙が溢れて流れている。その感情が一体何であるのか上手く説明が出来なかった。

 それは千里だけではない。

 喃国の兵士たちも驚いて目を開くと、室内に居る全員が金縛りにあったように動けないでいた。

 風に揺れる青い髮──。

 頭には一本の角が生えていた。その角は青や白とも言えない輝きを放つと、今この暗闇を照らそうかと光っている。

 着た袴は人間の物であると、千里の渡したものであった。

 だが、それは人ではない。

 山の鬼たちから千里を救い出すと、今度は人からも守ろうと姿を見せていた。

 人の姿であって鬼、亜羽流の姿だった。

 千里たちは、亜羽流から目を離せないでいた。

 亜羽流は、初めは迫った表情だったが、それも千里を見て安心したように少しだけ微笑んだ。

 それは精一杯に作ったような笑顔であると、どこか寂しそうである。だが、幼子を抱く母親のように優しかった。

 千里は、兵士に掴まれていた腕の痛みも忘れると、腰を抜かすようにヘタリと座り込んだ。力が抜けて崩れ落ちたようである。

「ああ……」

 息だけが洩れていた。

 千里の目の先には、倒れている茶器があると荒れた室内の出来事を語っているようだった。

 少し前の事だった──。

「……いやっ!」

 千里は、兵士の手を振り払った。

 喃国の兵士たちは、千里を手込めにしようとしていた。その抵抗と問答は隣の部屋にまで行くと、囲炉裏の上にある銀瓶を倒して、ジューと白い湯気を出した。

 千里は、逃れようと囲炉裏を挟んで兵士の向こう側へと回る。しかし、その場所は背にある壁に小さな窓があるだけで、他に逃げ場のない袋小路だった。すぐ右隣りには炊事場の網仕切りがあると、外に出れる庭とは逆方向である。引き返そうにも、兵士が逃げ道を塞いでいると、それも叶わない状況に追い込まれていた。

「ね、姉ちゃんっ! はっ……離せよっ!」

 騎助は、残っている兵士の一人に捕らえられると、身動きが取れないでいた。

 騎助を押さえつけながら、兵士は笑っている。

「おいおい、まさか初物か? これは楽しみだな」

 まるで催しを見ているようだったが、その行動は非情なものだった。

 そんな中、千里を追い詰めていた兵士は、漂う湯気を払いながら徐々に距離を詰める。

「へへっ、たまんねえな。この瞬間ってのはよ」

 その笑顔はいやらしく醜いものである。

 千里は、兵士から逃れようとして走った。兵士の右側、部屋の壁との間を抜けようとする。

「……おっ、と」

 兵士は、千里の腕をガシリと掴むと一気に押し戻して先の壁に押し付けた。ドスンと音が鳴った。

「きゃっ……」

 千里の身体に衝撃が襲った。千里は、必死に抗うもそこは男と女である。力の差には圧倒的な違いがあった。相手が兵士であれば尚更である。掴まれた腕はギリギリと痛みを増すと、残っているわずかな力さえも奪おうと締めつけられる。

「いっ……やだ……」

 千里の表情は、苦痛と泣き顔で歪んでいく。

「へへ、いい加減諦めな。誰も来やしねえよ。おとなしくしてれば、優しく可愛がってやるからよ……」

 兵士は、千里に顔をぐっと近づけると囁くように話した。その生暖かい息が千里の頬に触れる。

「や……だ……」

 千里は、泣きながら顔を背けた。掴まれた腕は、段々と抵抗する力を失わせると、先に訪れるであろう自分の姿が頭の片隅に浮かんだ。

 千里は、その恐怖に涙すると大きく叫び声を上げた。

「いっ、いやああああああぁっ──!!」

 それは意味あるものではなく、誰かに助けを求めた訳でもない。ただこの現実から逃れようと叫んだに過ぎなかった。

 千里の声は、室内を虚しく響き渡るだけであった。

 だが、その時である。声に反応するようにある現象が一つ起きた。突然の風であった。その風は、倒れている茶器から出る湯気を、ヒュウッと外へとさらった。

「──!」

 湯気の動きは、まるで吸い込まれたように不自然であると、全員の目を奪って動きを止めさせる。

 そして湯気は、庭に立っていた者の存在を教えるとフワリと煙を巻いて消えた。

 千里は、驚いた表情を浮かべていたがそれもすぐに崩れると言葉にならない声を出した。

「あ……あぁ、あうぅ……」

 まるで呻き声である。名前を呼ぼうとしても上手く出て来なかった。出るのは溢れる涙だけだった。

 亜羽流は、そんな千里の姿を見ると少しだけ微笑んで見せる。そして言った。

「……もう大丈夫だから」

 その言葉は小さくて自信のないように聞こえた。だが穏やかであると、包むように優しく綺麗な声であった。

 その声は、千里の身体を震わせると壊れそうなほど痺れさせた。それはまるで、雷に打たれたような衝撃だった──。

 風が室内を抜けた。

 千里は、脱け殻のように座り込んでいる。

 そんな様子の千里の代わりとばかりに、騎助が沈黙を破って名前を呼んだ。

「亜羽流っ!」

 表情は明るいものである。

 兵士は、そうやって動こうとする騎助を力で抑え込むと眉を潜めた。

「ああ? あうる?」

 庭にあった案山子と同じ名前だと思い出す。

 すると、千里を捕まえていた兵士は手を離して、亜羽流の方へと向き直った。明らかに不機嫌な表情だった。

「ああ? なんだあ? お前は……いつからそこにいやがった?」

 兵士は、そうやって亜羽流の姿を舐めるように見ると更に続けた。

「……変な頭しやがって。なんだお前、今頃になって祭りにでも来たのか? はは、残念だったな。祭りはもうやってねえよ。今だけじゃなく、この先もずっとな。何故か? それは今日で蘭国はなくなっちまうからだよ! ははははは!」

 兵士は、亜羽流の姿を仮装だと思っていた。そしてやがて笑うのを止めると、仲間に向かって「おいっ」と声をかける。

 仲間の兵士は「ちっ……」と声を出すと、捕まえていた騎助の肩から手を離した。

「──」

 急に解放されて身体が軽くなった騎助は、すぐ千里の元へと駆け寄ると、それを守るように寄り添った。

 離した兵士は、その様子を口惜しそうに見送ると、ゆっくりと立ち上がる。

「……仕方ねえな。せっかく良いところだったってのによ」

 兵士は、すらりと腰の刀を抜いて亜羽流へと構えた。

 戦闘の体勢を取った喃国の兵士たちと、亜羽流との間にピリピリとした空気が張り詰めていく。

「……」

 亜羽流は、すっと右腕を振り下ろした。

 袖からストンと横笛が落ちるとそれを握る。そしてそれをゆっくりと顎先まで運ぶと、ピタリと動きを止めた。それは扇子を持つような構えだった。風が纏わりつくように流れると青い髪は優しく揺れる。

「──」

 兵士たちは、刀ではなく笛を構える亜羽流の姿を見ると、ぽかんとした表情を浮かべる。だがそれもすぐに鋭い顔つきに変わると声を荒げて襲いかかった。

「──ッ馬鹿がっ!」

「ふざけやがって!」

 変わり者だとかかった兵士たちは、すぐに気付く事になる。それがただの人ではなく、変わった鬼であると言う事に──。

 こうして、亜羽流と兵士たちの間合いは一気に詰まると戦いが始まる。

 千里と騎助は、その戦いが目の前で行われていると言う事を未だ信じられないでいた。そして気付いていない。

 千里の首にかかる飾りが光を放つと、それは着物の上からもわかるほどの輝きを放っていた事に──。

『心鬼光の魔石』

 それは亜羽流の角、感情に共鳴するように輝いて色を変えると、不思議な光を放っていた。

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