第四章 鬼の里にて

第46話 蘭国の鬼

 清次郎の元へと現れた兵士は、他とは少し服装が違うと身分のある者のように見えた。

 清次郎と霧島の目的は、鬼に支配された喃国を取り戻す事である。だがその計画を知る者は少なかった。それだけでなく、今の喃国に鬼が潜んでいる事すら知らない者の方が多いのが現状である。

 駆けつけた兵士は、二人の計画を知っている数少ない一人でもあった。清次郎たちが国を留守にする間に、何かあればと二人が国に残していた。幸であるか不幸であるのか、その判断が当たったのである。

 前に起こした蘭国への侵攻は、相手の兵士だけではなく、その大半の兵が愚邏堂ぐらどうの手に寄って喰われていた。その鬼の事は、箝口令かんこうれいとなって今は一部の者にしか知られていない話になっている。だが例え知らされていたとしても、兵士たちは思いもしなかっただろう。

 現在の喃国もまた、鬼の支配下にあると言う事までは──。

「ちっ……新手か」

 灯馬は、失いそうな意識の中でそう呟いた。

 清次郎の元に現れた兵士の姿を見て、他よりも随分とやり手だと感じていた。

 すると、今度は灯馬の側に蘭国の兵士たちが駆けつける。

「とっ、灯馬さん!」

 兵士たちは、屈んでいる灯馬を中心にすると左右に一人ずつ、前には二人と守るように立った。そうやって清次郎たちを牽制している。

 その様子を見た喃国の兵士が、清次郎の方へと集まって来た。灯馬を守る蘭兵と清次郎を守る喃兵が、両者の壁になって立ち塞がる形となった。

 兵士たちは、ただ二人の戦いを黙って見ていた訳ではない。自分たちの大将を信じると、その戦いの動きに注意を払っていた。それに邪魔が入った。迅速に対応したのである。こうして両国の兵士は、互いに向き合うと闘争心に火がつき、二人の合図を待たずに戦いを始めた。

「おおおおおぉっ──!」

 両方の兵士たちから雄叫びが上がると、すぐに鍔迫り音を響かせていった。飛び交う音の中──それに混じると灯馬を気遣う声が聞こえて来る。

「とっ、灯馬さんは一旦、後ろの方へ……はッ!」

 兵士の背後から喃国の兵が斬りつける。

「うああああっー!」

 叫び声が上がった。

 その戦いの様子を見る灯馬の表情は、みるみるうちに歪んでいくと言葉にならない声を出した。

「あっ、ああ……」

 自分のせいで兵士たちの命が失われていく。灯馬はそう思った。だが身体は上手く動かせずにいた。激しい痛みだけを伝えると反応しない右の腕、片膝をつく足は痙攣を起こすと立つことも儘ならなかった。既に身体は限界に達していた。

 灯馬は、目の前で傷付いていく兵士たちを眺める事しか出来なかった。

 その間、清次郎は兵士の一報を聞いて今まで見せた事のない表情を浮かべていた。その動きは完全に止まっている。その顔はまるで、敗戦を聞いた直後のように真っ青だった。

 こうして二人の戦いは両国の兵士たちに取って変わると混戦となった。辺りの状況は目まぐるしく変化すると、取り憑かれたように戦う兵士たちの姿。それはまるで何者かの手で操られているように、不気味なものへと変わった。

 灯馬たちの意思に反して、先の見えない結末へ向かおうと止められないものとなった。

 その様子を呆然と見つめる事になっている灯馬と清次郎の姿には覇気がなくなっている。

 そんな中であった──。

 側にある森の葉がザワザワと騒いだ。そして、この流れを断ち切るように、次梟の馬が勢いよく飛び出して来た。

「──!」

 次梟の馬は白く、空を舞う天馬のように高く跳んだ。それは陽に照らされると眩しく、輝いて光る。

 喃国の兵士が清次郎の元に到着してから、時間にしてわずかだった。森を抜けて来たとは思えないほど早いものである。馬の頑張りも当然ながら、それは次梟の馬術の高さであろう。

 空に舞う白馬──。

 それは場に居る全員の目を奪っていた。

 次梟の馬は、ドスンと着地をするとその勢いを殺すように少しだけ進む。そして、清次郎の居るすぐ隣まで来ると脚を止めた。

「次梟さんっ!」

 どうどうと馬を操る次梟の姿を見て、蘭国の兵士たちは声を出した。その表情は次梟の無事を知れた事の喜びが現れると明るさを取り戻している。

 しかし、喃国の兵士たちは仲間でないとわかると、声を荒げて威嚇を始めた。

「なっ、なんだあ? お前は……」

 すると、次梟の背中に座っている霧島に気付いた兵士の一人が言った。

「おっ、おい。あれ……」

「ああっ? あ……」

 次梟を威嚇しようとした兵士も、霧島の姿に気付くと驚いた顔で動きを止める。

 場の空気が張り詰めていく。

 清次郎は、隣へ来た次梟の様子を見て目を大きく開くと小さく声を出した。次梟にただ驚いたのではなく、その背中で弱っている霧島の姿を見たからである。

「きっ、霧島……」

「す、すいません……」

 霧島は消えそうな声で言った。

 その言葉は負けた事への謝罪なのか、喃国が落ちてしまった事なのか、清次郎にはどちらの事か初めはわからなかった。だがおそらくは両方を指しているのだと受け取った。

 そんな覇気の失くなった霧島を連れて来たのは、喃国の兵士ではなく最初に会った男だった。

「……」

 清次郎は、事の次第がわからずに口を閉じると、その説明を求めるように次梟の方を見る。すると次梟は、喃国から来た兵士の姿を確認すると、清次郎が聞いたであろうと判断して口を開く。

「……聞いたろ? これ以上、戦いを続ける意味はないと思うぜ?」

 次梟の声は、この状況に似合わないほど落ち着いたものであった。その胆の強さを表している。そしてその言葉は、直接的ではなかったが清次郎に戦闘を止めるようにと促していた。

「……」

 清次郎は何も答えなかった。鬼の反乱。それで命を失ったであろう父。霧島の敗北。その状況から形勢は圧倒的に不利である事は目に見えてわかる。それだけではない。例えこの戦闘に勝利した所で、清次郎たちにはもう帰る場所がなかった。

 しかしだからと言って、ここまで来て簡単に辞めると言う決断は難しいものがある。さいは投げられている。清次郎たちだけでなく、両国の兵士たちは互いに命を落としながら戦いを続けているのだ。

 霧島は、そんな清次郎の気持ちを察すると、痛めている身体を動かして次梟の馬からゆっくりと降りた。清次郎と次梟、二人の間に立つ。

「せ、清次郎……」

 霧島の瞳は、弱々しいものではない。清次郎に懇願しているのとも違った。そこにはまるで、清次郎の迷いを消すように強い想いが込められていた。

 これ以上は意味がない──と。

「霧島……」

 清次郎は、そんな霧島を見ると口を閉じた。そして腹を決めたとばかりにフッと口元だけ動かすと、側で戦っている兵士たちに向かって声を出した。

「戦闘は中止! 中止だっ! 喃兵は、その全員にそう伝えて回れ!」

「──ッ!?」

 清次郎の言葉を聞いた喃国の兵士たちは、その急な指令に驚くと、何故どうしたと困惑の表情を浮かべている。そして混乱が始まろうするその時であった。

 蘭国がある東の方角からドンッと炸裂音が響いた。

「──!」

 空に向かって噴煙が大きく巻いて上がると、その煙は風に流されて形を変え始める。その発生地点は、狢伝の命を狙おうと清次郎が進ませた部隊が居る場所であった。今現在、大森林を抜けた隊を阻止しようと、鳳歌たちが戦っている場所である。

「ちっ……なかなか厄介な場所を攻めてくれたな」

 次梟が言った。

 そこは城下町に近く、普通の民が多く住む区域である。千里たちが住む所ともまた近い場所であった。

「……」

 清次郎は、空に上がる煙の様子を少しだけ眺めると、何かを決断したように霧島に手を伸ばした。

「霧島っ!」

 清次郎は、馬に乗れと言っていた。それはこの場所から退避すると言う意味であった。

「えっ──」

 霧島は思わず声を出した。戦闘を止める事は考えてはいたが、その後は蘭国に投降をするつもりであったからだ。

 しかし清次郎は違っていた。父が亡くなった今、その血筋をひくのは自分であると絶やす訳にはいかない。何よりも狢伝のような者に投降する事となれば、喃国は力を落とす事になる。それは十分に考えられる話だった。今の喃国ではそれ以前の問題だったが、霧島と二人ならまた立て直せる。清次郎はそう思っていた。

 すると、その様子を見ていた次梟が口を開く。

「……まあ止めはしないがな。だが……死ぬぜ?」

「──!」

 清次郎の動きが固まった。

 次梟は、霧島に視線を向けると更に続ける。

「……そいつの傷は軽いものじゃない。それこそ今、そうやって立ってるのが不思議なくらいにな」

 その言葉は、霧島を気遣ったものだった。ここで逃げて姿を消してしまうよりも、蘭国で治療を受けるべきだとそう言っていた。

「……」

 清次郎は、手を少し震わせたがそれを戻す事はしなかった。そして、改めて強く霧島へと手を伸ばすと、今度は声を張った。

「霧島っ!!」

「あっ……」

 霧島は、清次郎の手を取るかこのまま次梟の元に残るか決断を迫られていた。

 そんな時である。

 次梟たちの場所から左翼、蘭国の右に位置している兵士たちから、ザワザワと騒ぎの声が上がった。

「なっ、なんだお前はっ……ぐわぁっ!」

 蘭国の兵士が弾き飛ばされる。

「──!?」

 次梟たちは、その全員がその方角へと視線を向けた。

 すると、兵士が飛ばされたその場所から人の影が飛んだ。その影は、蘭国を囲んでいる壁の上にフワリと乗った。壁の高さは人の倍はある。人間の跳躍力ではない。そして、煙が上がった城下町の方へ向かって走り出した。

 白と黒の色合いをした袴を着ると、人のようにも見える。だが風に青い髪を靡かせると、頭には一本の角が生えていた。その正体は、祭りの後から姿を眩ませていた亜羽流だった。

 突然の奇襲に慌てた蘭国の兵士たちは、走る亜羽流に向かって弓を構えると言った。

「なっ、なんだお前はっ……その先は通さんぞ!」

「おっ、おい待て……あれって」

「あ、ああ……あの髪の色は」

 青い髪の青年は、蘭国では国を救った者として語られている伝説の鬼だった。

「お、おいっ! 撃ち方やめ──」

 それに気付いた兵の隊長が、弓の攻撃を止めさせようと叫んだ。しかし、その声は間に合わなかった。

 バシュリと放たれた数の矢は、壁の上を走る亜羽流に向かって飛んだ。

 矢は風を裂いて、亜羽流の目前まで迫る。その足場は狭く、交わす事も難しい場であると矢はそのまま刺さると思われた。

 ──亜羽流は、両腕を振って舞うように回転した。それは傾いたコマのようで勢いがあると、矢を叩いて落としていく。回転で振られて踊る袖を、まるで自分の腕のように使うと、向かって来た矢を全て落とした。

「──ッ!」

 兵士たちの表情は驚愕に変わった。

 亜羽流の動きはまるで風車だった。その姿からは想像出来ない速さである。

 亜羽流は、そうやって矢を跳ね返すと、放った者たちを気にする事もなく、真っ直ぐと城下町を目指していた。

 それを壁の上で守っていた兵士が、止めようとして立ち塞がる。

「おっ、お前っ……!」

 兵士は、向かって来る亜羽流に刀を降り下ろす。

 だがその刀の刃は空を斬ると、亜羽流の姿は兵士の前から忽然と消える。

「──ッ!」

 兵士は驚いて辺りを見渡した。そして、自分の後方で随分と距離の開いた亜羽流の姿に気づいて声を出す。

「なっ……」

 亜羽流は、走っていた勢いをそのままに、兵士の刀を避けて先へ進んでいた。城門を守っていた兵士たちに亜羽流を止める事は出来なかった。

 それを遠くから見ていた次梟たちの中から、霧島がぽつりと呟いた。

「あ、あの鬼は……」

 霧島は、前の戦いで亜羽流を見た事があった。

「──!」

 清次郎の顔つきが変わった。走り去っていく亜羽流の姿を食い入るように見つめる。そして、それをしばらく眺めるとすっと表情を戻した。

「……そうか。あれが蘭国の鬼か……まるで人間のようだな」

 喃国に居る鬼たちとは、全く異なる姿であると思った清次郎の言葉だった。清次郎は、そのまま少し亜羽流の姿を見ると、霧島に再び手を伸ばす。

「……霧島」

 その表情は穏やかだった。その落ち着いた声も、いつもの清次郎である。

「せっ、清次郎……」

 霧島は、清次郎の手を握った。そして清次郎の背中、馬へと乗った。

 それを見ていた次梟が口を挟む。

「……いいのか?」

 次梟は、霧島に死ぬ事になるかも知れないぞとそう言っていた。

 霧島は、それを聞いてくすりと笑った。

「……じ、次梟さん、すいません。お世話になりました。そ、それと……お借りします」

「──!? ああ、別にお前が良ければそれでいいがな……」

 二人の間に少しの沈黙が流れた。

「……次梟、とか言ったな。悪いが……後はよろしく頼む」

 清次郎の頼みは、この先に扱う事になるであろう喃国の兵士たちの事である。

「……ああ、雑用ぐらいは出来るんだろ?」

 その言葉に清次郎は少し笑った。

 そして、清次郎は大きく声を発すると馬を走らせて次梟たちを後にしていく。向かった方角は、喃国ではなく蘭国でもない。

 東にある大森林であった。その先は、荒れ地が広がると高い山に囲まれた大地だけがある。

 喃国からやって来た兵士は、それを追うように馬を走らせていった。

「……」

 次梟は、清次郎たちを見送ると辺りを見渡した。そして、未だに戦いを続けている兵士たちに、やれやれと言った仕草を見せると、近くでボロボロになっている灯馬に言った。

「……おい灯馬。こいつらを止めるぞっ!」

「えっ……」

 立つ事も儘ならない状態の灯馬に、次梟の言葉は鬼であった。だが灯馬も負けまいと口に出す。

「じ……次梟さん、着ていた袴は?」

「──ッ!」

 次梟の袴は、安い代物ではなく狢伝から与えられる貴重な物であった。それを毎度のように汚して紛失する次梟は、狢伝から叱責を食らうと減俸を告げられる事もあった。

「……」

 次梟は、最後に霧島の「お借りします」と言った言葉を思い出すと、その意味を知って今になって止めるべきだったと後悔をする。

 こうして、次梟の八つ当たりを受ける両国の兵士たちは、戦いを更に痛い形で終える事になる。

 その原因が霧島である事は、誰も知る事はない。

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