第45話 灯馬の意地
門の前では大勢の兵士たちが変わらず戦っていた。
「がっ、はぁっ……」
灯馬は呻き声をあげた。
その右腕は刀で貫かれると、次には右の脇腹を斬られた。身体に続けて激痛が走ると、灯馬は自分の意思に反して思わず膝をつく。
それを馬上から見下ろす清次郎の瞳。
清次郎の姿は初めとは違って、灯馬の攻撃で多数の傷が付けられている。だがその傷は軽いもので、灯馬の状態とは比べものにならない。
清次郎の動きは、戦い始めた時とは別物であった。
「くっ……」
灯馬は、身体に痛みを慣れさせると攻撃に移るよう肉体に指令を送る。一番に反応するのは刀を持つ右手である。地についた刀の刃を上げるように、柄を強く握り締めて持ち上げた。次は、それを動かす為の腕と肩、相手へと向かう足である。
だが灯馬の身体はガクガクと震えると、自分のものではないほど重くなっていた。灯馬は、身体の痛みを消すように気合いを入れると、再び清次郎へと向かった。
「はああぁっ……!」
出した刀の突きは、清次郎の右脇腹を狙う。それは奇を狙ったものではなく、何の捻りもない基本の突きであった。それは新米の修行兵のようである。
攻撃する速度は随分と落ちていた。単純な攻め手だった。しかしその突きは清次郎の身体に当たる。当たっている。
だが──。
「がああぁっ……!」
灯馬が叫び声を上げた。そして刀を突き出した右腕の肩から大量の血が吹き上がった。肩には清次郎が降り下ろした刀があると、灯馬の腕を飛ばそうと言うほどに深く残っている。
清次郎は、灯馬の突きをわずかに身体を捻って交わすと、最小限の間合いで避けた。それと同時、灯馬の肩へと刀を落としていた。だが清次郎も灯馬の突きを完全に避けていた訳ではない。その刀は清次郎の腹に刺さっている。
しかし、それは致命傷と言うには軽いもので、灯馬の受けた傷とは比べものにならなかった。
清次郎は、最小の傷で受けて灯馬に大きな傷を負わせていた。
灯馬が初めに傷を与えてから、清次郎の戦い方は明らかに変わった。少しの傷を負う事になっても、確実に灯馬の身体にそれ以上の傷を残していく。
その手から上手く逃れていた灯馬だったが、それは徐々に体力を奪い失わせていくと、肉体を弱らせていた。
灯馬は、肩に残された刀をそのままに、鋭く清次郎を睨みつけた。
「てっ、てめぇ……」
だが次には全身から力が抜けた。持っていた刀を手離してしまう。突き出していた腕はブラリと垂れ下がると、清次郎の腹にわずかに刺さった刀は、操る主を失ってポロリと傾いて宙を舞う。刀は、刃の重みに耐えられず振られると、くるくると少し回って地面へと落ちた。
──カチャッ、リ。
灯馬にその音は、大声が飛び交う戦いの場でもハッキリと聞こえていた。そしてその音が合図だったかのように、灯馬はガックリと両膝をつく。
「クッ……」
薄れる意識の中、灯馬の頭には前の男を称賛する言葉が並んでいた。「つ、強い……」そして思う。ここまで圧倒的な敗北感を味わった相手は、いつ以来なのだろうかと。鬼のような化け物を除けば、次梟以外に思い当たらなかった。
もしかすると次梟よりも強い、灯馬にそんな考えが過った時である。
「……始めに会った男とよく似てると思ったがな」
清次郎が馬の上から見下ろすと、戦意を失わせようとしている灯馬に向かって言った。
「──!」
灯馬の目が開く。
清次郎の言葉は、灯馬が次梟とそう変わらない力の者ではないかと言う期待でもあったが、その裏は期待外れだと言っていた。
それを聞いた灯馬は、ある日の事を思い出す。
それは蘭祭ではなく、城主である狢伝の趣向で行われる違う催しものだった──。
七色の木が春の花を咲かせると、風に吹かれて花びらをキラキラと輝かせて舞い落ちている。
『蘭国の武道会』であった。
それは主に鍛練の成果を競う大会だったが、民が日頃抱えた鬱憤を発散させる為の場でもあった。大会は侍や武士などの身分を問わずに参加出来ると、力自慢の農民などの姿も多くあった。蘭国が年に一度行う、蘭祭ではない名物である。
そしてその大会の優勝者は、毎年変わらず次梟であった。
灯馬は、毎年一回戦で敗退をしていた。その理由は、必ず一回戦で次梟と当たっていたからである。それはくじ運ではない。
灯馬は、ある時からその組合せを不審に思い調べて回ると、それが次梟に寄って仕組まれていたのだと確信する。
城主の狢伝、その取り巻きが大家の縁側へ座ると、その大会は行われた。その他、大勢の見物客が居る中で灯馬は次梟と向き合っていた。
「まっ、またあんたかよ……」
「ふ……少しは腕を磨いたんだろうな?」
そうやって笑う次梟は、憎らしいほど強い覇気を放っている。普通の者なら、その覇気に飲まれて足がすくんでいるのだろう。ましてや、先手を取る気にはならないのである。だが灯馬は先に仕掛けた。
「ああ、去年のようには行かないぜっ!」
灯馬は、勢い良く走ると次梟へと向かっていった。
しかし少し後には、地にうずくまっている灯馬の姿があった。
「うっ……く、くそっ! なんで勝てねえんだ!」
「お前……何でヒョウを使わねえんだ?」
「──ッ!」
次梟の言う『ヒョウ』それは、忍びが得意とする手裏剣であった。投げるそれは十字形の物だけとは限らない。灯馬ほどの実力ならば、棒や短剣を投げて相手に致命傷を与える事も可能だった。それは誰でも簡単に扱えるものではなく、高度な技術や命中の質が必要となる。
その技術は、ただ侍と言う事だけではなく、次梟にも使えるものではない。しかし、灯馬の元々は忍びである。使えるのが当然。にも関わらず、それを全く使おうとしない灯馬を見た次梟はそう聞いた。
「……」
何も言わずに伏せたままの灯馬を見下ろすと、次梟は更に続ける。
「……そんな技は姑息だと思うか?」
「──」
それは図星だった。灯馬は、その類いの技を好まなかった。その技術は、主に暗殺をする為や相手の意表をつく技であると、本当の実力とは言い難い禁じ手であると思っていたからである。
「……卑怯でも何でもねえよ。そんなものは負けた奴の言い訳だ。せっかく使えるものを使わないでどうする? お前は自分が負けた時、そう言い訳をすんのか? 俺は『ヒョウ』を使わなかったとな」
「……ッ!」
「それが甘えって言ってんだよ。これが実戦ならどうする? 力を出し切らずに負けたと。民たちにそう言って謝るのか?」
「……」
「……まあ身体能力だけで言えば、俺よりも上なんじゃねえか? 良いもの持ってると思うぜ。だが俺は侍。お前は忍びだ。わざわざ自分から進んで、不利な土俵に上がる必要はねえんじゃねえか?」
次梟の言葉は的を得ていた。
灯馬は、その勝ち気な性格から相手の土俵に合わせて戦う癖があった。それは灯馬の実力を無意識に出せずにさせていた。灯馬自身、薄々とわかっていた事でもある。だが──。
「まあ、それでも俺に勝つのは死ぬまで無理だけどな。はっはっはっはっ──」
灯馬は、そうやって高笑いする次梟に、段々と腹を立てるとボソリと呟いた。
「えっ、偉そうに……講釈垂れてんじゃ──」
そして、懐に忍ばせていたヒョウを投げようと手を差し入れて顔色が変わった。そこに仕込んでいたはずのヒョウが、一本もなかったからである。
「……ッ!」
何かを察知した灯馬は、わなわなと身体を震わせる。
その様子に気付いた次梟が言った。
「んあ? ああ一応な。お前の装束に仕込んであった飛び道具は、隊の者に全部取らせておいた。ありゃあ危険だからな」
次梟の言う者とは鳳歌の事であった。
「──ッ! こ、姑息っ……」
「……だからそれが甘えって言ってんだ」
次梟はそう言うと、灯馬に向かって刀を振り上げる。刃は向いてないものの、次梟のその顔は明らかに本気だった。
次梟の影が、灯馬の姿を覆い隠した。
「ちょっ、次梟さん、まっ……てぇッ!」
────。
「──勝負ありっ!」
灯馬は、意識を失う直前に審判の声を聞いた。
判定を出すのが遅えよ……。灯馬は、そう思いながら眠りについた。
『──蘭国を狙う賊どもがっ!』
灯馬の耳に、周りで戦っている蘭国の兵士たちの声が戻って来る。初めの頃には気付けなかった息遣いや足の音までが、今では繊細に届くようである。
清次郎は、突然わなわなと身体を震わせ始めた灯馬の姿を不思議そうに見ていたが、何も変わらない事を知ると言った。
「よくわからぬが……今ならまだ間に合うぞ。変な意地を張らずに諦めるんだな。お前では、俺には勝てない」
「……」
「無駄に命を失くす事に何の意味がある? 悪いようにはしない。このまま大人しく退くのが懸命だな」
「……ちっ、どいつもこいつも勝手な事ばかり言いやがって」
「まだ戦う気か? これ以上、何の意味がある」
清次郎は、灯馬から闘争心が戻って来る事に気づくと辞めるように言った。
「……意味? 他の兵士たちが戦ってる中で、大将の俺が真っ先に諦める訳には行かねえだろ」
灯馬のその言葉を聞いて清次郎は、残念だと言わんばかりに諦めの溜め息を一つ吐く。そして仕方ないとした表情を見せると、灯馬にとどめを刺そうと持っている刀に力を込める。
「……悪いが刀を拾う暇は与えぬぞ」
清次郎はそう言って、灯馬の首を飛ばそうと豪快に刀を振った。それは速さよりも、確実に灯馬の命を終わらせる為の力を増したものであった。清次郎は、灯馬にそれをもう交わす体力がないと踏んでいた。
灯馬に猛然と襲いかかる清次郎の刃──。
だが灯馬は、近くに落ちている自分の刀を拾おうともせず地面へとベッタリと張り付いた。蜘蛛のように伏せる。清次郎の刀は、風圧を起こしながら灯馬の背中の上を通っていく。
「──!」
清次郎は、刀を避けられた事に驚きを見せた。
灯馬は、そうやって刀をやり過ごすと、今度は横へと転がった。刀を取ろうとはしていない。それにその動きはさっきまでの灯馬とは違い、お世辞にも美しいと言えない泥臭いものだった。
ただ死にたくないと足掻く素人兵のようである。そして実際にそうであった。灯馬は、今の自分に出来る体力と動ける範囲を考えると、それをただ忠実に行っただけである。
「……」
清次郎は、そんな灯馬の姿を馬鹿にする気はない。
ただがっかりとしたのが本音だった。優秀な兵になるほど最後の時は潔い。それがこれまでの経験で共通していた点だったからである。無理に生き長らえようとする灯馬に、清次郎は哀れだと感じていた。
しかしそれは違っていた。
灯馬は、体勢を戻して膝をつくと左腕を振った。
清次郎の目に何かがキラリと光る。
「──!?」
清次郎は、灯馬の手元を確認するがそこに何も持ってはいない。
だが次の瞬間であった。
「──ッ!」
清次郎の右頬に何かが通ったと思えば、ピリついた痛みが走って血が吹き出した。
通ったそれは後方にある木へと刺さって、トスリと音を立てる。距離にして三馬身であろうか。清次郎は、その音を聞き逃さなかった。ゆっくりと振り返って木に視線を集中させると、その正体を確認する。
そこには三角推の形をした爪のような物が刺さっていた。清次郎はすぐに答えを出した。灯馬がそれを投げたのだ。そしてその正体がヒョウであると言う事。
清次郎は視線を灯馬へと戻した。そこには生きた目をギラつかせる灯馬の姿があった。清次郎は、その灯馬の様子を見て自分が勘違いをしていた事に気付くと思い直す。この男は、生き長らえようと足掻いてるのではなく、未だ自分に勝とうとしているのだと。
清次郎と灯馬、二人の間に再び緊張が戻って来る。
「はぁっ……はぁ」
灯馬は、ぼんやりとした視界で清次郎を見ると息を荒げながら別の事を考えていた。武道会の事である。次梟が、そんな俗な催しに欠かさず参加する理由の事であった。その性格から言ってもそんなものに参加するとは思えなかった灯馬は、その訳を探った事がある。
するとわかったのは、次梟が参加をする条件として一回戦で灯馬と当たる事であると言う理由だった。それは、次梟が灯馬の手解きをしようと仕組んでいたからである。次梟は、人付き合いが苦手な灯馬とその力を付けさせる為の指南役を買っていた。それは次梟なりの親心であった。
それを思い出した灯馬は少しだけ笑うと呟いた。
「はっ……ま、全く厳しい師匠を持ったものだぜ。おかげでこっちは毎年、一回戦敗退じゃねえかよ」
灯馬の意地である。そして、二人の戦いが決着を迎えようとしているその時であった。
兵士を乗せた一頭の馬が森を抜けて来ると、清次郎たちの元に到着する。
辺りを見渡していた兵士は、清次郎の姿を見つけて声を上げた。
「かっ……せ、清次郎さんっ!」
兵士は、喃国の一報を清次郎に伝えようとしていた。
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