第44話 城門前にて
喃国から来た兵士が、清次郎に状況を伝えようと馬を走らせてから少し経った頃──。
その後を追うように馬に乗った次梟が、森を抜けようと蘭国へと向かっていた。後ろに座っているのは次梟の袴を羽織る霧島である。
「──俺を清次郎さんの所に連れて行ってくれませんか?」
霧島のその表情には、戦った時とはまた違う覚悟が垣間見えた。
「……行ってどうするつもりだ?」
次梟は、願いの意味を聞いた。
「ふふっ……ら、蘭国を攻めようって気はも、もうないですよ。ただ……どうしても話したいのです」
「ちっ……」
次梟は舌打ちをすると、その返答に納得しなかったが蘭国の兵士たちに向き直ると言った。
「おいっ! 誰か馬を貸せっ!」
次梟は、馬に乗ってやって来た兵士の一人から馬を譲り受けると、ここでの戦闘は中止だと改めて説いた。そして、自分の着ていた袴を脱ぐと霧島へと投げる。
袴は霧島の肩にバサリと被さった。
「──!?」
「……貸しな?」
「え……? あ、はい……」
ぽかんとした霧島を気にもせず、次梟はそのまま馬に股がるとすっと手を差し伸べる。
「えっ……」
「……行くんだろ?」
「はっ、はい! ありがとうございます」
霧島は、満面の笑みを見せると次梟の手を握った。そして馬に乗った次梟の後ろへと座る。
次梟の背中は、袴を脱いだ事で裸体になると傷だらけであった。だがそれはたくましく、今の霧島には他の誰よりも頼もしく見えた。
次梟は、すぐ蘭国へと向かわずに馬を反転させると、喃国の兵士たちが集まっている場所へと走る。
その行動に霧島が「えっ……」と声を上げた。
「……面倒は御免だからな。お前から改めて兵士たちに戦いを辞めるようにと念を推しといてくれるか?」
「あっ……は、い」
霧島は次梟の行動を理解した。
そして次梟の馬が喃国の兵士たちの前まで来ると、困惑した表情を浮かべている兵士たちに向かって、霧島が言う。
「せ……戦闘は中止しろ。こ、この場所だけではない……これ以上の蘭国への攻撃はやめだ」
その霧島の言葉を聞いた喃兵たちは、まだやれるとした顔を浮かべる者も多かったが、目の前に居る霧島の姿に反論する者はいなかった。だが、霧島が次に話した言葉には、兵士たちから声が上がった。
「お、お前たちはこのまま蘭国に投降しろ……喃国へは帰るな」
喃国の兵士たちがザワザワと騒ぎ出す。
「きっ、霧島さん……そ、それは一体──?」
「な……喃国が落ちた」
「──!」
「は……反乱だ」
霧島は、兵士たちにはあえて破土螺たち鬼の存在を隠した。反乱を起こした者が鬼である事。その事は兵士たちもいずれ知る。だが今は混乱を招くだけだと霧島はそう思った。
「なっ……馬鹿なっ」
兵士たちに動揺が走った。喃国に居る兵士の気性の荒らさがあるとは言え、反乱を起こすような馬鹿な真似をするとは思えなかったからだ。
騒ぎ出した兵士たちに向かって、霧島は声を振り絞ると張った。
「良いかっ! 戦闘は中止だ! お前たちは一旦、蘭国に投降するとそこで指示を待てっ! これは命令だ! 投降後の皆の命は……保証する!」
そして、次梟に向かって囁くように聞いた。
「でっ……ですよね?」
「ちっ……都合の良い話だな」
次梟はそう言うと、今度は霧島に変わって喃国の兵士たちに言った。
「……ここでの戦闘はこれ以上、何の意味もないだろう。まあ投降するかはお前らの自由だ。別に強制しやしねえよ。意地を張ってここで無駄に野たれ死ぬか、それとも先の行く末を自分たちの目で確認するかだ。だが……投降するってんなら、お前たちの命は俺が保証する。好きに決めるんだな」
ぶっきらぼうに次梟がそう言った事で、少しの抵抗があると思われたが、兵士たちは歯向かう様子を見せなかった。今の次梟が、喃国の兵士たちには自分たちの
次梟は、喃国の兵士たちにその事だけを言って引き返すと、今度は蘭国の兵士たちに向かって今後の方針を伝えた。
その内容は、喃兵たちを受け入れる事とその扱いについてであった。
こうして次梟は、両国の兵士たちを戦わないように抑え込むと清次郎の居る場所へと馬を走らせた──。
森を抜ける道中、霧島が次梟に話しかけていた。
「で、でも……次梟さんがいきなり前線に出て来るとは思っていませんでした。てっきり城内の方を守っているものだと……」
「ふっ……待つのは柄じゃねえよ」
「で、でもこれだと……清次郎さんたちはもう城内の方まで入ってるかも知れませんね」
霧島のその言葉は、清次郎の力を知っていたからである。次梟以外に、蘭国で清次郎を止める事が出来る者が居るとは思えなかった。
だが、霧島の心配に次梟が言った。
「……どうかな」
「えっ……」
「蘭国の兵士たちはそんなヤワじゃねえよ……案外、手を焼いてんじゃねえか?」
「……」
二人は森を抜けている最中、そんな話を交わし合っていた。そして次梟の予想は間違ってはいなかった。
蘭国に入る為の門を破ろうと、清次郎が率いている兵士たちは激しく攻撃を仕掛けていた。
灯馬たちは、それを阻止しようと戦い続けている。
兵の数だけで言えば、圧倒的に自国である蘭国の方が有利だった。しかし、清次郎の連れて来た兵士たちは蘭国の兵士たちを押し込んでいた。その一人が名のある剣豪や武士であるように強く、蘭国の兵士では手に余る状況が続いていた。
何故ならば、その兵の一人がかつては賊を束ねた者や海賊の類いで、一癖も二癖もある者ばかりだったからだ。
過去に喃国を狙った連中などを、清次郎は全て取り込んでいた。そして自分の隊へ入れて鍛え上げると、見事にまとめている。
それは入国の拒否をしないと言う喃国の方針だけでなく、いつか来るであろう鬼との決戦に備えていたのかも知れない。事実それもある。だがそれは清次郎が持っている器量だった。いつ自分の首を狙うかわからない者を従えるのは、普通は出来ない事である。
どれくらいの時間が経ったのか。
戦況は、ジリジリと清次郎たちの方に傾いていくと、蘭国の兵士たちは徐々に数を減らしている。叫び声はまだ飛び交っている。だがその多くが蘭国の兵士のものであった。
数を減らす事で起こる急速な士気の低下。
灯馬は、それが分の時で落ちているのがわかる。それは、敗戦する側のみが感じる事の出来る兆しでもあった。
しかし、灯馬はそんな中でも兵士たちに喝の一つも入れる事も出来ないでいた。目の前に居るたった一人の男のせいで動きが取れないでいたからだ。
そしてこの男を止めない限りは、戦況を押し返す事が無理である事も知っていた。
「はっ、はぁ……」
息が上がっていた。灯馬の身体には多くの傷が付くと、額には大量の脂汗を滲ませている。
灯馬は、この状況へと追い込んだ男の正体を探るように聞いた。
「……おっ、お前、何者だ?」
「しさい……」
「──!?」
「示斎……清次郎」
「──っ!」
灯馬は、清次郎の名前を聞いて驚きの表情を浮かべた。示斎──。それは喃国の城主の名前だったからである。そして目の前に居る男は、その息子だと言っている。
「へっ……へへ、そうかよ」
灯馬は、納得と言った表情で軽く笑うと更に続けた。
「……なるほどな。そんな息子さまが、わざわざこんな前線まで出て来ると言う事は、いよいよ喃国も本気って事らしいな」
挑発とも言える台詞だったが、その言葉の裏には清次郎がただの息子ではないと言う思いが隠れている。
「……」
清次郎は何も答えなかった。その事よりも現状に対して思う事があった。灯馬が並みの兵士ではない事はわかっていたが、予想をしてた以上に蘭国の兵士たちが抵抗する力を持っていたからである。時間がかかり過ぎていると思っていた。想像をしてた内容以上に苦戦を強いられている。そして、清次郎が考えるそれも灯馬と同じだった。前に居る男を倒せば流れは一気に傾く。それである。
「……殺すには惜しい。蘭国が落ちた後、俺の配下にならぬか?」
「へっ……そいつは光栄だな。だけどそうはならねえよ。何故なら──蘭国は落ちねえからなっ!」
灯馬は、清次郎に向かって斬りかかった。
ガキンと音が鳴った。
刀は、後ろへと弾かれると身体ごと大きく退けられている。
「くっ……」
灯馬と清次郎、その力の差には圧倒的な違いがあった。
これまでも灯馬は何度と攻撃を仕掛けていたが、清次郎はそれを小枝を払うように軽々しく弾き返した。そして問題は、それを馬の上でやってのけたと言う点である。
踏ん張りの効きにくい馬上では、力を逃がす傾向があるはずである。にも関わらず、清次郎の力は地上に立つ灯馬よりも強かった。
清次郎は、明らかに剛の使い手だった。そして身を守る技術も高い。現にこうして、灯馬は清次郎に傷を付けられないでいる。
「はぁっ!」
灯馬は、崩れていた体勢をすぐに立て直すと攻撃を仕掛けた。その刀は、清次郎の右肩を狙っている。
キンッ──今度は更に高い音が鳴った。
清次郎は、灯馬のそれをいとも簡単に上へと弾いてみせる。
「……ッ!」
灯馬の身体は、再び大きく後ろへとのけ反った。
隙だらけであった。
清次郎は、それを見て勝ち目のない戦いを続ける灯馬に、引導を渡そうと刀を振ろうとする──瞬間であった。
大きく後ろへとのけ反ったように見えた灯馬の姿は宙を浮くと後方へと回る。清次郎に弾かれた力の勢いを利用すると宙返りをした。そして、空中で身体を捻ると、刀を下方から清次郎に向かって振った。
「──ッ」
清次郎の目は驚きでカッと開くと、上体を後ろへと下げた。今まで灯馬の攻撃を全て弾き返してきた清次郎が、初めて見せる逃げの動作だった。
ヒュッ──と清次郎の耳に届く冷たい風の音。
灯馬の刀は、清次郎の顎先をかすめると空を斬る。
攻撃が出来ず灯馬を見送る清次郎。
灯馬は、そのまま着地すると悔しそうに「ちっ……」と声を出した。そんな軽い灯馬とは違って、清次郎の表情には驚きが消えないでいた。
灯馬の型──。
それは霧島のような柔らかさではなく、清次郎のような剛さでもない。野生のようなその動きは、剛に見えてそれともまた違う。型に分類されない予測不能な動きは言うのならば『無型』だった。型がない。
「──」
清次郎は身体を震わせていた。
それは霧島以来となる天才に出会えた事に寄るものだった。そして油断してはならないと自分を戒めると冷静さを保つ。
「……ふ、惜しかったな」
「ああ……本当にな」
「──ッ!」
ツゥ──と清次郎の顎から血が垂れた。
交わしたはずの刃は、顎をわずかに斬り裂いている。
「……面白い」
清次郎の表情に笑みが浮かんだ。
「だろ?」
一矢報いた形となった灯馬の顔に自信が戻ってくる。だが灯馬はまだ知らなかった。
清次郎がどうして、霧島と言う天才に勝てたのかと言う事──。
『肉を斬らせて骨を断つ』
それは清次郎に相応しい言葉だった。
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