第43話 凶報
「き、霧島さんっ……!」
霧島が倒れた事で喃国の兵士たちは動揺した。
その思いは戦いの場に瞬く間に広がると、兵士たちの戦意を失わせていった。
そして今である──。
両国の兵士たちは、次梟と霧島の二人から距離を取って離れると一列に並んでいた。
その光景は少し変わっていた。
少し前の事である。
次梟は、蘭国の仲間たちの前に立つと、ガリガリと刀で地面に一本の横線を引いていた。そして引き終わると言った。
「……おう。ここから先は入るんじゃねえぞ」
「あ……はっ、はい」
次梟の前に居た兵士の一人が、戸惑いの表情で返事をする。
次梟は、そうやって蘭国の兵たちの足を止めると、今度はそれを喃国の兵士たちの前でもしたのである。
その時の喃国の兵士たちは、今にも次梟に飛びかかりそうだった。その中に居る内の一人は先程、次梟に刀を向けた兵士である。
「てっ、てめえ……」
兵士は、目の前で悠々と線を引く次梟の姿を見てボソリと声を出す。
だが次梟は、そんな兵士の言葉を気にする事もなく線を引いていった。
霧島が次梟に倒されると、その近くに居た喃国の兵士たちが一斉に霧島の元に駆け寄った。男たちの顔には今ではない古傷がある者も多く、その風貌からも長年の経験がある強者である事が伺える。
霧島の身体は、そんな男たちに囲まれるとずっと細いものであった。
「き、霧島さん! 霧島さんっ!」
賊のような男たちの口から情けない声が上がると、その表情は哀しみで歪んでいる。そこから読み取れるのは、喃国で霧島と言う人物が愛されていると言う事である。
霧島は、その一人に上体を起こされると言った。
「あ……わ、悪いな。み、みんな……まっ、負けちゃったよ……ふふ」
その唇からは血が流れると、全身は更に赤く染まっている。表情からはすっかり男らしさが消えると、随分と弱々しいものである。
「き、霧島さ……」
兵士たちは、そんな霧島の姿を見ると持っていた刀を強く握り締める。そして、それを勢いよく次梟へと向けた。
「お前だけは生かしては帰さんっ!」
その言葉を聞いた次梟の身体がピクリと反応する。
「や、やめ……」
霧島が声を振り絞る。だが思うように声を出せないでいた。諦めた霧島は次梟を睨んだ。それはまるで懇願するようであった。
兵士たちを殺さないでくれ──と。
そんな霧島の様子を見る次梟。頭の中には、霧島が女である事の驚きが未だに消えないでいた。そして思う。ここに居る兵士たちは、霧島が女である事を知っているのだろうか──?
だがそれとは別に次梟には気になる事があった。それは霧島が戦う前に言った言葉である。
『やらなきゃならない事がある』
霧島は確かにそう言った。それだけではない。敵である次梟を喃国へ来ないかと誘ったのだ。他国の者を誘う事は珍しい事ではなかったが、それは今である必要はない。それこそ文の一つで済む話であった。
次梟は、こんな戦況化の中で混乱を招くような真似をする霧島の意図がわからなかった。
刀を向けている喃国の兵士たち。それを心配そうに見る霧島の姿。
「……」
次梟は、ため息を一つ吐くと持っていた刀をスッと降ろす。
「……そのおん……男を助けたいなら早く手当てにかかるんだな」
「──ッ!」
「まあ助かる保証はないがな……それでも、お前らがここでただくたばるよりも、ずっと意味があるんじゃねえか?」
次梟は、戦う意思を見せなかった。
「……」
霧島は、安堵したような笑みを浮かべる。
次梟の言葉に目を丸くしていた兵士たちは、冷静さを取り戻したように霧島へと駆け寄ると、一人が大きく声を出した。
「き、救急班を呼べっ! 戦闘を停止しろ!!」
既に兵士たちの大半が戦いを止めようとしていたが、その言葉は喃国の兵だけでなく、蘭国の兵士たちの足も少し鈍らせると警戒を解きほどしていく。
そして両国の兵士たちが、戦いをやめるようにと周りの者に伝えて回った。
やがて戦闘は完全に止まる。
喃国の救急班が霧島の元へと駆けつけた。そして霧島の姿を見て驚きの表情を浮かべると、急がせるように言った。
「はっ、袴を取れ! 止血だ!」
救急班は、霧島に包帯を巻いて治療を施そうと、袴を脱がそうとする。
「よっ……よせ」
「えっ!?」
「て、手当ては……不要だ」
「なっ、なにを!? おいっ! 急げ!」
救急の兵が、霧島の袴にガッと手をかけたその時であった。
「やめろっ!!」
霧島は、怒りをあらわにすると、自分を囲む兵士たちを押し退けた。
「きっ、霧島さん……?」
突然の霧島の反応に兵士たちは困惑する。
「お、俺は大丈夫だ……そ、それよりも……この事をせ、清次郎さんに」
「しっ、しかし!!」
そんな霧島たちのやり取りを見ていた次梟が、また一つ息を吐いた。
「あ──包帯を貸せ」
「──!」
「……それと薬もな。それからお前たちは俺らの側から離れろ」
「なっ! 何を馬鹿なっ!!」
次梟の言葉を聞いて、驚いた表情を浮かべるのは兵士たちだけではない。霧島もまた驚いていた。だが霧島は、次梟の言葉の意味をすぐに理解すると笑みを浮かべた。
「……それでいいか?」
「ええ……」
霧島は、目を閉じて笑うと次梟に返事をした。
「──」
兵士たちは、そんな二人の受け答えをただ呆然と聞いていた。
そして現在──。
次梟は、両国の兵士たちの前に線引きをして自分たちから距離を取らすと、霧島を隠すように屈んでいる。
「……脱がすぞ?」
「……はい」
力なく笑う霧島の言葉を聞いて、次梟は霧島の袴に手をかける。
「……ま、まさか、次梟さんに手当てをして……もらうとは……よ、予想もしてませんでした」
「……ああ、俺もな」
次梟はそう言うと霧島の袴をグイッと脱がした。
見えた霧島の身体にはサラシが巻いてあると、それはスッパリと破けて大量の血で赤く染まっている。
「……」
その様子を見た次梟は、霧島に改めて確認するように聞いた。
「……取るぞ?」
「ふふ……い、意外と照れ屋なんですね」
「チッ……」
次梟は、照れ臭そうに舌打ちをすると、サラシに手をかけてそれを取った。
あらわになった霧島の胸元──。そこには男にはない柔らかい弾力のものが二つある。次梟の刀は、それを上手く避けられたように間を通ると、深く傷を作っていた。だが、サラシを取った事で抑えられていた血がみるみる溢れ出すと、霧島の身体を赤く濡らした。
「これは……これを塗れば良いのか?」
次梟は、手に持った薬を見ると言った。
「はい……」
霧島の返事に、次梟は薬の蓋をパカリと開けた。
そして次梟は霧島の身体へと薬を塗っていく──。
やがて塗り終わると、次梟は包帯を巻こうとする。だがその手つきは不器用であった。
「……これは、こっちか?」
「い、いえ、一度それを左に戻して……」
霧島は、そんなモタモタとした次梟の姿を、笑顔で見つめていた。
「……なんだよ?」
「いえ……ふふっ」
「チッ……悪かったな。こういうのは他のヤツの仕事なんだよ」
次梟は鳳歌の顔を思い浮かべる。
そして霧島の身体に格好の悪い包帯を巻き終えると、やれやれと言った様子で立ち上がった。
一息をつくと霧島をジッと見下ろして言った。
「……まあ後はお前次第だな」
「あ、ありがとうございます……」
そんな二人の様子を、両国の兵士たちは離れた場所から見守っていた。
しばらくすると、次梟は霧島に聞いた。
「……やらなきゃならない事って何だ? いや、そもそもお前たち本気で蘭国を落とすつもりか? にしちゃあ……あまりそうは見えないがな」
「……」
霧島は、微笑みだけは浮かべるものの、その次梟の質問には答えなかった。
「……まあ別に良いがな。ただ蘭国を狙おうってのなら容赦はしねぇぜ? 例えそれが鬼の類いであってもな」
次梟のその言葉を聞いた霧島は嬉しそうに、そして軽く笑った。
そうやって荒野での戦いは終結を迎えようとする──そんな中であった。
喃国のある方角から馬に乗った兵士が、慌てた様子で姿を現す。その兵士の風貌は、今居る兵士たちのそれよりも身分のある者に見えた。
その兵士は、喃兵たちの場所まで来ると、何もせず並んでる仲間たちを不振に思いながらも、近くに立って居る仲間に聞く。
「せっ、清次郎さんたちは!?」
「あ、その……」
「──ッ!」
馬に乗った兵士は、返事をする仲間の様子がおかしい事に気づくと、その先の奥に居る霧島の姿を見て表情を変えた。そして仲間たちの間を掻き分けるようにして抜けると、霧島たちが居る場所へと馬を走らせる。
「あっ、お、お前! ちょっと待て!!」
兵士たちは、それを止めようとしたが声が届く事はなかった。
そうやって喃国の兵士たちの中から、自分たちに向かって走って来る馬に気付いた次梟がボソリと呟く。
「ちっ……
カチャリと刀の柄を握る。何処かの馬鹿が我慢しきれずに飛び出して来た。次梟はそう思った。
だがそれは間違っていた。
その兵士は、次梟たちの前まで来ると手綱を引いて馬の脚を止めた。霧島の姿を見て声を詰まらせている。
霧島は「くっ……」と呻き声を上げながらも、微かに上体だけを起こした。
「……ど……うした?」
「あ、その……」
兵士は、次梟の方を見ながら言葉を濁す。
「かっ……彼なら大丈夫だ。ど、うした?」
その霧島の言葉を聞いた兵士は、ゴクリと一つだけ唾を飲み込むと言った。
「なっ……喃国が……国が乗っ取られました!!」
「──!」
霧島と次梟、二人の表情が驚いたものに変わった。
「なっ……そ、それは……どっ、どういう──」
「は、
「──っ!」
「……おいおい、こりゃあどういう事だい?」
さすがの次梟も、その内容に動揺を隠せないでいた。
意外だ、と言う話だけではない。国を攻めて来た側の国が占拠されている。しかもそれは蘭国ではない別のもの。その正体に心当たりがなかったからだ。そしてそれは、霧島にも予測外の事であった。霧島たちは、そもそもそれを阻止しようと動いていた。あまりにも早すぎる話であった。
「くっ……こ、この事を……すぐに清次郎さんに……も、森の先に居るはずだ」
霧島は、力を振り絞ると更に身体を起こそうと動く。
「き、霧島さ……」
兵士は、霧島の様子に不安そうな表情を浮かべるも、コクリとだけ頷くと森の方へと馬を走らせていった。
そこには蘭国の兵士たちが集まっている。
蘭国の兵たちは、突然向かって来た喃国の馬に戦闘の体勢を取ったが、次梟が「放っておけ!」そう叫ぶとそのまま黙って馬を見送った。
「あ、ありがとうございます……」
霧島は、次梟に礼を言うと更に続けた。
「それと……じっ、次梟さん……お、お願いがあるんですが」
「……ああん?──ッ!」
次梟が視線を向けた先の霧島、その表情には戦う前と同じように生気が戻っていた。それは、弱っている姿とは思えないほどに強く、霧島が初めて見せる鋭い覇気であった。
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