第42話 次梟と霧島

 喃国が蘭国を攻めてから随分と時間が経っている。

 次梟と霧島の戦いは、腕を競い合うように続いていた。互いの表情には時折笑みが浮かぶと、まるで子供が遊んでいるようである。

 しかし、実際は生と死の駆け引きである。そして長丁場の戦いで、さすがの二人も息が上がり始めていた。

「──シィッ!」

 次梟が小さく息を吐くと、霧島の喉に向かって刀を突き出した。

 霧島は、それを軽く左へと移動しながら交わすと同時、持っている刀の刃に左の手を添える。優しく全身の力を抜くと次梟の切り返す追撃へと備えた。刀を盾のように使う霧島の技術であった。

「ちッ……」

 次梟は、それを面倒だと言わんばかりに舌打ちをする。

 霧島のその動作は自然だった。

 次梟が攻撃をすると、霧島は必ずと言って良いほど次の狙いの場所に刀を位置づけている。

 迫り合いや刀を弾く時以外は全てだった。その動きは守るのには強固だった。しかしその分、次に攻める為の手を遅らせるものである。だがそれは普通の者であったならば──。

 次梟は、右の手首を返すと突き出した刀の軌道を変えた。そして隙のある霧島の右足を斬ろうとする。

 だが次の瞬間、霧島の刀が凄い速さで次梟の首元へと襲いかかった。

「──ッ!」

 次梟は、咄嗟に上体を後ろへと反り返すとそれを交わす。

 シュッ──鋭い風切り音が耳に届いた。

 次梟の身体は無理に反った事で不自然になると、霧島の右足を狙ったはずの刀は寸で届かなかった。

 互いに傷が付かない状態の後、次梟はすっとわずかに後ろへと退いて距離を空ける。

 そして、刀を肩にトンと乗せると言った。

「……相変わらず厄介な技だな」

「ふふっ、次梟さんの刀を一撃でももらっちゃうと、命取りになりますから」

 刀を盾のように使う霧島、その動きは普通の者であれば次の手が遅れるもの。だが霧島のそれは速い。まるで次梟が攻撃を仕掛けた後の隙を狙ってたように飛んだ。その速さは次梟の上をいくものだった。次梟が攻撃の力に優るなら、霧島は防御をする力に強い。その相性は良くて最悪である。仲間であるなら相棒になるが、敵になれば長期戦となる。しかもその力量からも次梟とは拮抗する形となっていた。

 それにあまり時間をかけたくない次梟とは違い、霧島は戦いを楽しむかのように落ち着いている。

 その動き方も対照的だった。だが、そんな二人にも一つだけ同じものがある。

 霧島は、それを知ってますよと嬉しそうに笑った。

「それにしても見事なじゅうですよね」

 柔──。

 それは流派とも言える動きの型であった。

 その型は人に寄って異なる。柔は無駄のない動きを心掛けると相手の手を誘って受け流す。そしてその隙を付いて仕留めようとするのが基本であった。

 主に身体の線が細い者が使う事が多く、速さと防御を得意とする霧島には向いている型である。

 その逆に体格が良い者は、相手の持つ技術を力でねじ伏せるように攻めていくと、多少の傷をものともしない手を取った。それがごうである。刀を扱う者たちは、大抵がこの二つに分類されている。それは剣術に限った事だけではなく、あらゆる事柄に精通する基本の流れでもあった。

 そして刀を豪快に振るう次梟。

 一見するとその動きは剛である。だが次梟の型は柔であった。大きく隙のある動きに見えて無駄がなく、水のように流れると攻撃の手も速い。半端な者であれば、その型を見抜けず次梟を力で伏せようとして、一瞬で意識を失っている。

 次梟と霧島は、互いに柔を型とした使い手だった。

 そうなると、勝敗を大きく左右するのに欠かせない要素は技術だけでなく速さである。技術では互角でも速さに勝る霧島に対して、次梟は後手に回っている。

 それは身体にかすり傷が付いた次梟と、そうでない霧島の姿を見ても明らかだった。

 霧島の言葉は、次梟の型を見抜くとそれが自分と同じものであると伝えていた。

 次梟は、ばつが悪そうな表情を見せた。

「……ああ、似合わなくて悪かったな」

「ふふっ、でもそれだけじゃないですよね?」

「……まあな。さてと、本当にこれ以上お前と遊んでる暇はなさそうだ」

 次梟はジリジリと足を動かす。そして体勢を更に低くすると、刀を前へと突き出して構え直した。その表情から柔らかさが消えると、眼光は獣のように鋭くなった。今までとは違って明らかに本気である。

 時間が過ぎる毎に、次梟の頭には余計な考えが過るようになっていた。先に通してしまった清次郎から来る不安であった。次梟は、それが自分の動きを鈍らせる前に一気に勝負に出ようとする。

「──」

 霧島は、そんな次梟の姿を見て頬を赤らめると、ブルブルと武者震いを起こす。興奮から来るものであった。笑顔を浮かべながらも何処か掴み所がない霧島の表情に、初めて感情らしいものが浮かんだ。その仕草は霧島の身体を痺れさせると、快感を伴っているように見えた。

「お、おいあれ……」

「あ……ああ」

 二人の様子を見た両国の兵士たちが言った。

 兵士たちの姿は、血と汗にまみれると原型を留めていなかった。互いの命を奪おうとする戦いは、今にも命の火が消えそうなほど酷い状態である。

 だが次梟から放たれた覇気は、霧島の足だけでなくそんな兵士たちの動きも止めた。霧島から発せられる覇気と混じると、辺りの空気を飲み込んでいく。

 兵士たちは、その手と足を止め始めていた。

 自分たちの大将を気遣うと目を奪われている。その結末を逃すまいと、徐々に戦闘は停滞していった。

 そんな中、次梟と霧島が思う事は同じである。

 それはこの戦いに勝った方が場を制すると言う事。

 大将の不在と言うだけではない。それに寄って起こる士気の低下、戦況は勝利した側に傾く事は目に見えてわかる。

 その後を気にした霧島が言った。

「……もし俺が負けてもここの兵士たちは見逃してもらえますか?」

「ふっ、いいぜ。まあここに居る奴らがこれ以上、抵抗する真似を見せなければな」

 次梟の言葉を聞いた霧島はニコリと笑う。

「俺も、そうしますね」

「……ああ、宜しく頼むぜ」

 そして二人の表情は変わった。

 既に刀を構えている次梟に対して、霧島は刀をゆっくりと鞘に納めた。居合いのような構えだった。

 霧島は、自分の剣の速さと駿足を活かした攻撃で、次梟を狙おうとしている。

 辺りの空気が集まるように静寂となっていく。

「……」

 次梟の剣術の秘密──。

 それは攻撃の後に出来るわずかな隙を埋めるように、軌道の修正が可能だった。交わされた後の動きである。それは初手よりもずっと速い。ただでさえ速い次梟の攻撃を交わした瞬間、思ってもいない角度から刀の刃が飛ぶのだから、並みの者ではそれを見る事すら困難である。気付いた時には意識を失った。

 しかしその技は、次梟自身もはっきりとわかっている訳ではなかった。

 ──ある時、次梟が敵とやり合っていた時の話である。その相手は結構な強者で、次梟の刀を交わすとその隙を付いて反撃を試みる。

「──ッ」

 次梟がまずいと思ったその時であった。持っていた刀が意思を持ったように動いた。

 それは次梟の見る相手の隙、自分が狙おうとしていた場所へと勝手に向かっていった。

 刀を動かそうとする次梟の意識よりも先に、相手に向かったのである。それは考えてから行動するよりも速く、相手の命を奪う事に迷いのない妖刀のようだった。

「──」

 次梟は、それが自分の意思なのか判断が出来なかった。だが深く考えるのを辞めると、本能の従うままそれを操って相手を斬り伏せる。

 それは力強く剛のような型であったが、次梟自身は柔の使い手である。次梟は、柔を基本とする剛の使い手でもあった。それが千里を襲った鬼の阿徒をも驚かせた技の真相である。

 それを前の戦いで手を合わせて知っている霧島は、それでもこう考えていた。

 それでも自分の方が速いはずだ──と。

 初手を外してからも軌道を変えて来る次梟の刀は、霧島に反撃の隙を与えず更に狙ってくる。

 しかし、一回──。

 初めの攻撃を交わして、軌道を変えて次に来る刀の刃さえ避ける事が出来れば、次の瞬間には自分の刀が先に刺さる。霧島はそう考えていた。

 風がピタリと止んだ。

 辺りには戦場とは思えない静けさが漂うと、次梟と霧島の間合いでは知れないはずであろう、互いの息遣いが聞こえるようである。

 そして、とある兵士の額からツゥ──と、一滴の汗が地へ落ちようとするその時であった。

 霧島の瞳に、ゆらりと次梟の身体が動いたように見える。

 次の瞬間、次梟は霧島の前まで詰めた。

 勝敗は一瞬で決まった。が、二人にその時間はゆっくりと感じられていた。

 次梟から出された刀の突きが霧島の喉を狙った。

 風を裂く音が霧島の耳へ届いた。

 霧島は、上体を左へと振ると首の皮一枚で交わしている。居合いの形をしたまま崩さず、防御する姿勢を見せないでいる。次梟の命を取る為であった。

 すると、交わしたはずの次梟の刀は軌道を変えて、霧島の首を目掛けて追う。次梟がその為に手首を返したようには見えなかった。突きの直後にも関わらず勢いは更に増した。まさに今振ったかのように霧島の急所を的確に狙っている。

 次梟の刀が直前まで迫る。

「クッ……」

 霧島は息を漏らした。迫る刀からは視線を外さない。そして身体を右へと振った。屈みながら体勢を落とすと次梟の刀から背を向ける。そうして刀の刃を交わしながらくるりと回ると、その勢いのまま次梟に向かって刀を抜くつもりだった。

 急激に落ちる霧島の体勢──それに遅れると髪の毛はふわりと空へと浮き上がる。

 そこへ次梟の振った刀が通ると、霧島の髪をスッと綺麗に斬り取った。髪の毛は風に圧されて宙を舞った。

「──ッ!」

 次梟の瞳孔が大きく開いた。刀を交わされた事に対する驚きであった。

 紙一重の差である。すると霧島の動きから発せられる圧が次梟へと襲いかかる。

「──」

 次梟は、向かって来るであろう刀の刃に、思わず身体を後ろへとのけ反らせた。

 霧島は、その様子を見て自分の勝利を確信すると声を出す。

「──はあああああぁっ!」

 勢いよく振られる身体に連動すると、掴んでいる刀は次梟へと抜かれた。霧島の刀は、次梟の胴を斜め上へと突き上げると斬り裂く──はずであった。

 ガキンと音が鳴った。

「……ッ!」

 霧島の想像していなかった手応えと音であった。ビリビリと痺れた感触だけが、霧島の手から全身に伝わった。

 霧島は、抜いた刀をそのままに動きを止めている。

 何故──そう何かを考えるも頭の中は、真っ白な思考がグルグルと回るだけであった。

 霧島は、少し時間を置いた後に振った刀の先へと視線を向けた。

「あ、あぁ……」

 その表情は蒼白になっていた。さっきまでの霧島とは思えないほどに生気がない。

 抜いた刀の先にあるものは、それを止める別の刀であった。その更に奥に見える顔は、霧島の知った侍である。ここまで近くで見たのは初めてであった。

 それは霧島の位置よりも高いと、瞳は獣のようにギラギラとして雄々しい。そして何処か甘い色気を漂わせると静かに見下ろしている。

 喃国が連れて来た黒鬼にも立ち向かうと、それからも生き残って再び霧島の前へと立ちはだかっている。その全身から生命力が溢れているような男だった。

 蘭国の侍、次梟──。

「あっ……」

 霧島は、冷静でない自分の思考に息を洩らす。

「……お前のように防御に回る事も大事だと思ってな」

「──!」

 霧島は、次梟のその一言だけで全てを理解した。

 次梟の考えた事は霧島の逆であった。軌道を変えて更に追撃が来ると思っていた霧島とは違い、次梟はその軌道を追撃ではなく自分の防御へと回した。

 それは隙を見せない霧島に対して、次梟が仕掛けた罠であった。霧島を震わせて周囲にもわかるほど強烈に放った覇気は、霧島を誘い出す為の布石である。全てはこの時、この為であった。

「あ、あ……」

 次梟の仕掛けた罠に気付いた霧島だったが、それも既に遅い。隙だらけである。

 力のない霧島の姿に、次梟は少し哀しそうな目をすると言葉を告げていた。次が最後だ──と。

 その間、わずかだった。

 だが次梟を見る霧島の表情は一変する。そこからは怯えや不安と言うものが消えると、まるで懐かしい友人にあったかのようにニッコリと笑った。

『……この男に斬られるなら良いか』

 霧島はそう思った。そして自分が持っていた刀をぽいっと横へ軽く投げると、両腕を大きく広げて見せる。

「さすがです。次梟さんっ! 負けちゃいました」

 随分と明るいものであった。

「……お前も強かったぜ」

 次梟はそう言うと、霧島の左肩から腰に向かって刀を振り斬った。

 霧島の身体から大量の血が上がった。だが──。

「──っ!」

 次梟はその手応えに違和感を覚える。

 そのまま後ろへとゆっくりと倒れていく霧島を、次梟は目を開いて見ていた。そして地面へとドサリと倒れ込んだ霧島に向かって言った。

「おっ、お前──」

「はぁ、はは……ば、バレちゃいましたか? でっ、でも次梟さんも意外とあ……甘いんですね。お、俺はまだ生きてますよ」

 霧島は、地に大の字で倒れたままかすれた声を出す。

 次梟の刀は霧島の命を終わせなかった。力を抑えてしまったからである。殺すには惜しい。頭の片隅にそれがあったからだ。しかし無意識に力を抜いてしまった事に、次梟が驚いたのではない。

 倒れている霧島に次梟が聞いた。

「お、お前……女か?」

「ふっ……ふふっ……」

 霧島は、次梟の質問には答えなかったが、ニコリと笑みを浮かべた。その口元からは赤い血が垂れると、女が唇を飾る紅化粧のようにも見える。

 屈託のない笑顔とそこから漂う妖しい色気の正体のそれ。霧島は女だった。

 その事は、幼馴染みである清次郎すらも知らない事実であった。

 辺りには両国の兵士たちの屍が転がっている。

 こうして次梟と霧島、国境で起こった両国の戦いは大将の勝敗が決まった事で幕を閉じる事となる。

 蘭国側、次梟たちの勝利であった。

 両国の兵士たちから一斉に様々な声が上がった。

 だが、すぐに思いも寄らなかった一報が次梟たちの元に届く事になる。

 それは喃国から駆けつけた兵士からの一報だった──。

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