第40話 動乱の中に

 清次郎には、霧島が本当は自分よりも強いのではないかと言う思いがある。それは今でも消える事なく頭の片隅に残り続けていた。幼い頃に見た霧島の剣術──それはまさに天性のものであった。

 それに何一つとして勝てなかった時の記憶が、清次郎の持つ霧島の印象を変わらせていない。その衝撃は、自分が天才でないと知らされる宣告だった。

 普通の者であるなら、そこで自分の限界を知って諦めたのだろう。だが清次郎はそうならなかった。天才と手合わせ出来る事が幸運なのだと技を盗み、その一つ一つを吸収しながら独自に鍛錬を積んだ。そしてある時、仕合をした霧島から一本を取る事が出来た。

 それからと言うもの、その力の差は五分であった。

 だが清次郎は思っている。それは霧島の性格がそうさせるのであって、本来の実力ではないのだろうと。

 霧島は無意識に手を抜いている。だからなのだ──と。

 清次郎は、未だ鍛錬を欠かさない。霧島に嫉妬がない訳ではなく、その才の差に嘆かなかった訳でもない。だが凡人が天才に勝つのならば鍛錬と言う基本、それを抜いて願いが叶おう筈がない事を知っていた。

 だがそれも、霧島から見ればまた少し違っている。

「……」

 清次郎の目の前で、兵士たちが縦横無尽に乱れる中、視界の中心には片膝を着いた灯馬の姿がある。

 その空間だけが、ぽっかりと浮き上がるように静寂を漂わせている。

 息を荒くしている灯馬が、馬から自分を見下ろす清次郎に向かって言った。

「ばっ、化け物か……」

 少し前の事であった──。

 灯馬は、清次郎が大将だと確認をすると勝負を挑んでいた。

「お前が大将だろ? これ以上は進ませる訳にはいかねえな。悪いがもうここで止まってもらうぜ」

「……」

 清次郎は、そう話す灯馬の姿を見ると思った。

 少し前に会った男と似ている──と。風貌ではない。勝ち気な態度から発せられるものとはまた違う、穏やかでいて激しく燃えるような覇気である。

 その瞬間、灯馬は清次郎の間合いに素早く詰め寄ると馬の脚を狙う。清次郎の歩みを止める為であった。そしてそれに寄って体勢を崩す清次郎を、更に狙おうとする。

 会話もろくにしないまま、それは始まっていた。

 馬の脚を狙った灯馬の攻撃は、その左脚を斬り飛ばさずに体勢を崩させる程度のつもりだった。しかし、清次郎の馬はその刀を、まるで自分の意思で動かしたように脚を上げて交わした。灯馬は目を開いて驚いた。加減は間違ったとしても交わされる事など頭になかったからである。もちろんそれは、清次郎が手綱で操っていたが、馬は驚くほど自然な動きの流れを見せた。

 だが灯馬は、そのまま手を休める事なく、馬に股がっている清次郎の左足を狙う。その刀が清次郎に届こうとした時、清次郎の刀がそれを止めた。

 ぶつかった刀が擦れ合いながら綺麗な音を出した。

 直後、灯馬は素早く馬体の下を滑り込むと逆へと回った。そして今度は清次郎の右脇腹を目掛けて刀を振るう。障害物のない水の流れのように、淀みがない滑らかな動きであった。

 しかし、それでも出てくる音は硬質なものである。

 清次郎は、灯馬のそれも簡単に止めた。

 奇襲に近かった灯馬の攻撃は、読まれていたように全て弾かれると、清次郎の体勢を崩させる事も出来なかった。

「くっ……」

 灯馬は、息を洩らすと今度はその息を止めた。

 呼吸をしないほど間のない攻撃を連続で仕掛けると、清次郎に刀を振っていった。

 お互いの刀が跳ねるように踊ると、競り合いの音だけが激しく響いていく。

 灯馬の攻撃は全て防がれていた。

 驚くのは、それを清次郎が馬から降りる事もなく、刀を持つ腕一本でやってのけたと言う点であった。

「──ッ」

 息が続かなくなった灯馬は、一旦後ろへと下がると間を置いた。そして一呼吸だけ身体に補給すると、すぐに清次郎へと向かう。だが次の瞬間、清次郎からの殺気が急激に高まったのを感じて足が止まった。

 清次郎から振られる刀の軌道──。

「──!」

 灯馬は、それを見て咄嗟に右へと飛び込んだ。

 受け身を取ってゴロリとひと回転すると、そのまますくっと立ち上がる。だがその全身から嫌な汗が一気に吹き出した。灯馬は、ほっと胸を落ち着かせながら冷静に清次郎へと向き直った。

「ふぅー……ちょっとヤバかったぜ。無表情を決めてやがるからやる気がないかと思えば突然これかよ。まあ、少しはやる気になってくれた方がこっちとしても殺りやすいけどな」

「……似ているが違うな」

「ああーん? なにが──ッ!?」

 そう言いかけた時、灯馬の背中から血が吹いた。

「がっ、あぁッ……」

 灯馬は、その場に崩れるように膝を着いた。出ていた汗は一気に脂汗に変わった。斬られていたのがまるでわからなかった。背中と言う事は、受け身を取った時にしか考えられなかった。だが灯馬は、清次郎の刀の軌道を読んでから受け身を取った。その直後に刀を返す事、そして当てる事は普通では考えられないものである。

 初めから清次郎の攻撃手などなかった──。

 それは残像、清次郎の殺気から来る幻であった。

「……まだ隙が多いな。だが面白い。蘭国には良い兵士が居るのだな」

 膝をついた灯馬を見下ろす清次郎は、まさに王者であった。清次郎自身も気付いていないその強さは、霧島を越えていた。

 王者の風格と貫禄──。

 そしてその実力は、霧島が清次郎に嫉妬すると感じていた、清次郎の生まれ持った性質である。

 灯馬にはかつてない強敵だった。

 王者を前にした灯馬は、次の攻め手をどうするかと頭を悩ませていた。それはどうすれば良いのかわからないと言う迷い、実力の違いを知らされる思考だった。

「くっ……」

 灯馬は、言葉にならない声を出す。

 清次郎は、そんな灯馬にゆっくりと近づいた。

「……鬼は出さないのか?」

「──!? ああ? 何の話しだ?」

「……蘭国にも居るのだろう? 鬼が。それも人間の味方をするものがな」

「──!」

 灯馬は、亜羽流の姿を思い浮かべる。

 そして清次郎の目的が、国だけでなく鬼に関係する事なのだと知る。だが何故──?

 灯馬は少し考えてそう思ったが、清次郎に言った。

「……ああ、お前たちが連れて来るような悪い鬼とは違ってな」

 それは灯馬の軽い皮肉だったが、清次郎のそれに触れるものだった。

「……」

 清次郎の目にグッと力が込もると、それは明らかに本気のものに変わっていた。


 灯馬は清次郎、次梟は霧島と。

 鳳歌は、城下町の侵入する者を防ごうと、蘭国と喃国の兵士たちは各々に戦っている。

 だがそれも人間だけではなかった。

「……どこへ行くつもりだ?」

「──」

 亜羽流もまた、衝突をしようとしていた。

 それは山の鬼、童羅に次ぐ実力者で次の長になるであろう、青い鬼の護羅无であった。

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