第36話 新たなる敵
森近くの荒野では、駆け付けた次梟たちの反撃が開始されていた。
「あっ、
慌てた喃国の兵士が駆けつけると、指示を求めるように言った。
「……っ!」
馬に乗っていた安羅馬は、わなわなと身体を震えさせると、その表情には怒りと少しの怯えが混じっている。
「あっ、安羅馬さまっ……!?」
「うっ、うるさい! わ、わかっておる! さっさと別の隊を送れ! 全隊出撃だっ!」
耳に障る独特な高い声は、自国の兵士さえ駒のように使う、残虐で冷酷な性格に合っている。安羅馬は、自分の周りに居る護衛だけを残すと、温存させていた他の兵士たちを惜しみなく出すように言った。そして次梟たちを始末するようにと指示を出すと、それらを送った後にポツリと呟いた。
「まっ、またあの男か。まさか生きているとは……」
次梟は、前の戦さで安羅馬の邪魔をすると鬼と戦っていた。愚邏堂の尻尾で飛ばされて致命傷を負ったはずである。だが生きていた。そして前と同じように、安羅馬の前へと立ち塞がっている。
安羅馬が兵士を温存させていたのには訳がある。戦略的なものより我が身を守る為であった。
安羅馬は、身分のある家元の一人息子として生まれた。親に期待されると幼い頃から剣術、戦術を教え込まれたが才能は皆無であった。
安羅馬自身、手を抜いていた訳ではなかったが、親は他の者たちに次々と抜かれていく息子に呆れた。そして愛情を注がなくなっていった。落ちこぼれとして扱われると、親だけでなく女にも相手にされなかった。
だがその家の敷居から、なまじ半端な力を持っていた為、扱いにくい邪魔者として友人が出来なかった。
安羅馬は歪みながら成長していった。そしていつからか、自分の為だけにその力を振るうようになっていった。
安羅馬たちの戦力は、前に比べると多くはない。
鬼が居ない事もある。前の戦いで愚羅堂が姿を消してからは、喃国に居る鬼たちは結界を破ろうとする事だけに集中していた。蘭国を攻める事に関しては、安羅馬たちに投げている。ただの手駒だった。だがそれは安羅馬には、どうでもいい事であった。鬼の力と言う絶対的な支配。それこそが全てだった。力こそ全て、それに逆らう事の方が可笑しいのだ。安羅馬は、蘭国を落とす事が、自分の保身であると信じて疑わなかった。
しかし、今はその力も安羅馬を守る事は出来ないでいた。連れてきた喃兵たちは、蘭国の兵士たちに寄って次々と斬り伏せられている。
「おおぉッ!」
蘭国の兵が、気合いを発しながら刀を振るうと、喃国の兵士は叫び声と血を吹きながら崩れ落ちた。
「これより先は通さんっ──ッ!?」
蘭兵は、背後から襲う殺気を察知すると、振り返ろうとして体勢を崩した。
「しまっ……」
刀を振り下ろそうとする喃兵に斬られようとしたその時であった。森の方から一本の矢が飛ぶと、それは喃兵の首にグサリと刺さる。喃兵は「うっ……」と一言だけ発するとドサリと倒れて生き絶えた。
「お、おぉっ……」
蘭兵は、助かったとばかりに声を出して森の方を見ると大きく声を出した。
「
そうやって体勢を崩した状態で手を上げる男は、
矢を放った蓮部は、森の中にある木の上に登ると後方支援に回っていた。風太を救った矢を飛ばしたのも蓮部であった。田嶌の言葉を聞いた蓮部は鼻を掻くと軽く笑って見せる。
「へへっ……」
鬼の時と比べると大したことではない。蓮部は、前の戦いで成長していた。元々、弓の腕は確かだった。蓮部は、今度はそれを存分に発揮すると向かって来る喃兵たちを次々と射抜いていった。
「遅い! 遅い! それじゃあ、ただの的だぜ!」
その姿は、元農民の面影はなく立派な兵士そのものであった。
こうして蘭国の兵士たちは、喃国の攻撃を押し返していった。
飛び交う兵士たちの声も数を減らしている。
次梟たちの登場で、形勢は一気に逆転すると辺りからは喃兵たちの動く姿が段々と見えなくなっていた。
安羅馬の連れて来た兵士たちは、もうわずかに残るだけである。
「あ、あ……」
静かになっていく戦場の様子を呆然と見ていた安羅馬の前に、次梟が姿を見せた。
「──!」
驚愕の表情を見せる安羅馬に、次梟はゆっくりと歩きながら近づくと言った。
「……またお前か。前の時は世話になったな。おぉん? 今日は鉄砲隊は連れてねえのか? まあその方がこっちとしても助かるんだがな」
次梟は、前の戦さで安羅馬にいきなり鉄砲を浴びせられた事を思い出す。
そうやって近づいて来る次梟に、安羅馬は怯えると護衛に残していた周りの屈強な兵士たちに言った。
「おっ、お前ら! あいつをっ……あの男を始末しろっ!!」
それを聞いた喃兵たちは、ニタリと笑みを浮かべるとやっと出番かと言わんばかりに馬を動かせた。
その兵士たちの様子は余裕を伺わせている。体格の良い喃兵たちから見ると、次梟はただの痩せた男にしか見えていなかった。
しかし、兵士たちはすぐにそれが間違いであった事に気付く事になる。
「そおらぁっ! 行けっ!」
掛け声を出して勢い良く馬を走らせた喃兵たちの数は四つ。馬は、瞬く間に次梟の近くへとたどり着くと、その周りをグルグルと回り始める。次梟に的を絞らせない為であった。しばらくすると、その中の一人が次梟の背後から近寄ると刀を振る。
「おらっ! 真っ二つになりやがれっ!」
次梟は、それを振り向く事もなく上体だけを下げると交わした。馬は通り過ぎる。
「へっ……そうやっていつまでも──ッ」
喃兵が、馬を操りながら次梟へと向き直ろうとする、その時であった。
「えっ──」
喃兵の身体が馬上からズレる。
身体は乗っていた筈の馬から離れて行くと、ゆっくりと宙を舞った。喃兵は、馬上に残る自分の下半身がぐらりと倒れていく様子を見ていた。そして目を回すとそのまま意識を失わせた。
喃兵は次梟とすれ違う刹那、すでに斬られていた。
そして何が起こったのか、考える暇もなかったであろう主の手綱の指示を忠実に守った馬は、そのまま次梟へと向き直る。
馬の息だけは熱に溢れていた。
その様子を見て残っていた他の喃兵は、少し驚いた表情を見せた後に怒りを滲ませると、次梟へと一斉に襲いかかった。
「き、貴様っ!」
喃兵たちは、次梟が逃れる隙間を与えないように、三方向から同時に襲いかかった。だがその結果は同じだった。
微かに笑みを浮かべた次梟が見えたかと思えば、次の瞬間には喃兵たちは地面に転がっていた。
「なッ── くっ……」
喃兵たちは、慌てて体勢を整えようと動いたが、倒れた馬体が足に乗ると身動きが取れなかった。
輪を描くように倒れた喃兵たちの真ん中に、次梟だけが一人立っている。その状況がわからないと言った顔をしている喃兵たちに向かって、次梟は説明するかのようにゆっくりと喋る。
「……あのなぁお前ら、半端な腕の者が馬になんか乗るんじゃねえよ。ただでさえ大した事ない力が半減しちまうだろ」
馬の上での剣術は、想像以上に扱いにくいもの。出来ていると思っていても、それは力を落としているだけになる。次梟はそう言った。
「……それに動物ってのはな、強い者に従うように出来てんだよ。お前らみたいな奴らが主だとこいつらも可哀想だ」
次梟はそう言って膝をつくと、倒れて怯えている馬の頭をそっと撫でて「……なあ?」と優しく囁いた。
それを聞いた馬の瞳は、次梟に逆らう意思を見せずに絶対的な力に服従する動物そのものであった。
馬たちは、次梟に仕掛けたその直前で、発せられた覇気に怯えて急に動きを止めていた。
それに寄って、一気に振られた喃兵たちが地面へと落ちたのが原因であった。
ふらりとゆっくりと立ち上がった次梟に、身動きのとれない喃兵たちが言った。
「おっ、おい……ちょっ、ちょっと待てっ──」
「おいおい、命のやり取りにそいつはご法度だろ?」
次梟はそう言うとパスン──喃兵たちの首を一気に跳ね飛ばした。敵には容赦がない。次梟が「鬼」とも呼ばれる由縁の一つであった。兵士に痛みを感じさせなかったのが唯一の情けであろう。こうして次梟は、馬の一匹も傷付ける事なく、安羅馬の護衛たちを葬り去った。
「……さてと」
次梟は一息つくと安羅馬に視線を送った。
大将の首を取って戦いを終わらせる為である。
「ひぃっ……」
安羅馬は、大量の返り血を浴びた次梟に睨まれると馬からドサリと落ちる。そして、情けなくバタバタとして犬のように這うと、次梟から逃れようと足掻いた。
そんな安羅馬の姿を見た次梟は、少し哀れに思ったのか寂しそうな瞳を見せたが、そのままゆっくりと距離を詰めていった。そして尻餅をついたまま振り返った安羅馬に一言だけ話した。
「……退却すれば良かったな。今度はもう少し自分の仲間たちを大事にするんだな」
「あっ、あぁ……」
──シュンと、次梟から振られた刀は、安羅馬の左側から飛んだ。
「──ッ!」
剣術には才のない安羅馬だったが、相手から放たれる刀の軌道が生まれて初めて目に見えた。
だがそれでも身体が動く事はない。安羅馬の首はすぐに飛んだ。
その頭はボテボテと重たく鈍く転がっていくと、やがて次梟の足元へとコツンと当たった。
「……」
次梟は、その安羅馬の表情を見て少しだけ笑った。
「ふっ……思ったよりも気持ち良さそうな顔してるじゃねえか」
安羅馬の表情は苦痛ではなく、どこか満足そうであった。
それは才能がないと思っていた自分が、次梟と言う達人の手から放たれる刀の軌道を見る事が出来た。
その喜びが最後にあったのかも知れない。地獄があるのならば安羅馬はそこでまた刀を持つだろうか。
今度は自分の力を信じて──。
──安羅馬の死亡。
大将の死亡で終わったと思われた矢先である。突然の風が吹いて土煙を上げると、次梟たちの前に新たな部隊が姿を見せる。
その部隊に居る顔を見た次梟が言った。
「ちっ……次はちょっと簡単じゃなさそうだな」
それは清次郎と霧島を先頭にする喃国の兵士たちであった。
今の戦況を少しだけ確認した霧島が、次梟の姿を見ると言った。
「……次梟さん、お久し振りです。やっぱり生きてましたね」
そうやって屈託なく笑う霧島の様子を見た次梟は、持っていた刀を肩に置いて少しふざけてみせる。
「……ああ一応な。死ぬ時は女の胸だと決めてるからな。ただ、どの女にするのかが悩みの種だ」
その言葉を聞いた霧島は笑った。
大勢の屍たちが転がる中でも関わらず、その霧島の笑顔は妙な色気が漂うと美しく見える。
だが、その隣に居る清次郎は、見た歳に釣り合わない大きな覇気を纏うと既に王者の風格を漂わせていた。
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