第33話 喃国の召集

 喃国の兵士たちが蘭国の国境へ向かった頃である。

 喃城の最上部にある広間へ向かう渡り廊下を歩いていた清次郎せいじろうの後ろから、霧島きりしまが声をかけた。

「清次郎さんっ!」

 清次郎は、首だけを少し回して霧島を確認したが、そのまま足を止める事もなく歩く。

 霧島は、その清次郎に追いつこうと駆け足になると、すぐに隣へと並んだ。

 華奢で美形である霧島に対して、清次郎はがっしりとした堅い武士である。喃国の兵士たちを束ねるにふさわしい風格のある覇気を纏っていた。

 清次郎と霧島の二人は、しばらくそのまま何も語らずに歩いていたが、一向に口を開く気配のない清次郎に霧島が話を切り出した。

「……良いんですか?」

「ふ、仕方なかろう。城主の命令と言う事ならな」

「……前のようにならなきゃ良いんですけどね」

 霧島は、前の戦さで蘭国へと攻め入った中の一人である。自分たちの国の兵も鬼に喰われているのを知っていた。

「……」

 清次郎は、返事をする事はない。

 二人の間に沈黙が流れた。互いに思う事が同じだったからである。そうやってしばらく歩いて先へと進むと、カモメを模した柄の襖が見えた。

 二人は、その前まで来ると立ち止まった。

 中には国を治める示斎が居る。清次郎と霧島の二人は、蘭国の侵攻の件で召集がかかっていた。

「……清次郎さん」

 霧島は、襖を開けるのを少しためらった様子の清次郎に声をかけた。不安そうである。

「……ふ」

 清次郎は、わかっているとばかりに少しの笑みを浮かべると、ギッと目つきを変えて勢いよく襖を開けた。

 バタン──普通ならば入る前に挨拶をしない者など居ないはずである。しかし清次郎にそれは必要ないものであった。

 襖が開いた先に見えたのは、蘭国から届いたであろう文を読み上げている兵士と、それを座椅子に座って聞いている示斎の姿である。そしてその隣には、今回の侵攻を指示したであろう黒鬼がニタリといやらしい笑いを浮かべている。

 鬼の肉体は丸々として肥えると黒く、腰巻きを付けただけの姿である。その頭に二本の角が生えると、口からは漂ってくるまでもなく悪臭だとわかる白い息を吐いた。肥満した人間のようにも見える鬼であった。

 それはとある雨の日である。

 突然、現れたこの黒い鬼は破土螺はどらと名乗ると城主である示斎へと近づいた。そして言葉巧みに示斎の懐へと取り入ると、いつからかこの場所へと居座るようになった。仲間のような関係は支配。恐怖で示斎を縛ってる事は明らかであった。

 広間に姿を見せた清次郎と霧島二人を見て、安心したように笑う示斎の表情はどこか固い。

「……おっ、おぉ清次郎こっちへ来い。今回の攻めはお前にも行ってもらおうと思ってな」

 優しそうな風貌には若干の焦りが滲むと、その言葉には怯えが混じっている。隣に座る鬼がその原因であろう。

「……はい。父上」

 清次郎は、鬼の様子を少しだけ見るとすぐに示斎へと視線を戻して返事をした。清次郎は、示斎の息子であった。

 ──少し前の事である。

 喃城には石造りで出来た隠しの地下室がある。そこは薄暗く、牢屋のそれよりもジメジメとした居心地の悪いものであった。

「……」

 清次郎は、その地下にある室内の中で壁にもたれ掛かると、目の前で行われている光景を黙って見ていた。

 国の中から集められた陰陽師や術を扱う者たちが陣を組んで座ると、用意された蝋燭ろうそく等を囲んでいる。

「──オンキリキリッ! オンキリキリ!」

 危機迫った表情の額に汗を流す。更にその周りには手の上に乗りそうなほど小さな黒の小鬼たちが騒ぎ立てると、術者たちを煽っている。

「ギャッギャッ!  急げっ!  休むな!  喰らってやるぞッ!」

 それは、地獄の中に居る気にさせるほどの異様な光景であった。暗い部屋の中で行われているそれは、東山に張られた結界を破ろうとする儀式である。破土螺の指示であった。

 山の鬼である童羅たちが探っている結界が急激に弱くなった原因の一つである。

 喃国の加担──。だがそれは本意ではない。

 示斎は、鬼の破土螺たちが現れた時にある契約を交わした。が、正確には交わされていた。

 それは東山の結界を破る事。

 喃国がそれを手伝う代わりに、蘭国への侵攻に鬼が手を貸すと言ったものである。そうする事で蘭国の領土を手に入れる事が出来る。だがそれはある意味、蘭国ではなく喃国を襲っても構わないと言う一方的なものであった。

 鬼からの一方的な契約──。

 清次郎は、その契約が何の意味も持たないであろう事はわかっていた。蘭国を滅ぼして、結界が破られた後に待っている結末は喃国の滅亡である。喃国だけでなく、被害は島全体だけで済むのかも怪しかった。

 だが──どうしろと言うのだ?

 喃国に鬼と戦う力などない。相手はこの世のものではないのだ。そして、その契約をしてしまった父を責める気もなかった。何も出来ない自分も父と同じであると清次郎はそう考えていた。

 破土螺が提示した契約は、本来ならば蘭国か喃国どちらでも良かったのだろう。この契約が蘭国になれば立場は逆になっていた筈である。

 清次郎は自分の国を滅ぼす訳にはいかなかった。従うしかない。止める力を持たないのだ、今は──。

 喃国が力を貸さずとも鬼が結界を破るのは、時間の問題である。現に結界の裂け目から破土螺たちが姿を見せ始めたのだ。

 清次郎は、術を唱える陰陽師たちに向かって視線を向けると、小さく頷いて合図を送った。

 それに反応をした陰陽師の一人、その仕草に気付いた小鬼の一匹が叫んだ。

「ギャッギャッ!  お前たち本気でやってるのか? 急げッ!  さもなくば喰らってヤるぞッ!」

 身体の大きさからは噛みつくと言った程度のものであったが、小鬼たちは事あるごとにそう叫んでいる。

「──ッ、オンキリキリ」

 陰陽師たちは、更に強い言葉で術を唱えた。

 結界の破壊行為──。それは喃国の地下にある暗い室内の中で、日夜絶えず行われていた。

「……」

 清次郎は、破土螺たちに気付かれないように、術者に術を加減するようにと話をしていた。

 それは時間稼ぎであった。清次郎には思惑がある。鬼たちを何とか出来ないか、現状を変える為の方法を探っている。

 それは清次郎だけでなく、喃国の先を思う陰陽師や術者たちも同じであった。それだけが今、清次郎たちが出来る唯一の抵抗であった。

 ──まだバレてはいない。

 清次郎は、その様子を確認し終えると地下室を後にして示斎の居る広間へと向かう。

 その道中、清次郎は自分の不甲斐なさを痛感すると同時、この先どうすれば喃国を守れるのか。それだけを考えていた。

 この事は、示斎にも話してはいない。知っているのは霧島と、信頼する兵の数人だけであった。


 鬼が巣食う国──。

 それが現在の喃国の姿だった。

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