第31話 戦の知らせ

 笠を取って正体を見せた灯馬たちに、千里は驚いていた。

「えっ、じ、次梟さんっ!?」

「……ああ嬢ちゃん。驚かせて悪かったな」

 次梟は、右の肩に刀を乗せると少し申し訳なさそうに言った。

「え……な、なんで」

 千里は、次梟の後に灯馬へと向き直った。

 説明を求める千里の顔に、灯馬は少し尻込みをすると気まずそうに言う。

「あ──その、まあ一応、狢伝様からの命令、任務なんだけどな」

「え……か、狢伝様の命令ってどういう事?」

「あ、いや、そいつを……別にその鬼をどうしようって訳じゃない……たぶんな」

「──!」

 千里が驚いた表情を見せた。

 灯馬は、亜羽流が鬼である事を知っている。次梟たちの顔を見るも同じだった。千里は騎助の顔を見たが首を振った。それを声には出さなかったが誰にも話してない。そう言っていた。

 千里は、問いつめるように灯馬に聞いた。

「どっ、どういう事?」

「あ……えっと──」

 灯馬は、返事に困ると助けを求めるように鳳歌の方に顔を向けた。

 鳳歌は、自分の隣で関係のないような顔をしている次梟の方を少しだけ見ると、呆れたように溜め息を一つ吐くと言った。

「……すいません。別に驚かせるつもりはなかったんです──と言っても説得力はないですが。それにその方を本当に傷つける気はないのです……と言うのも説得力に欠けてますね」

 そう言って鳳歌は苦笑すると、亜羽流に少しだけ視線を向ける。そして説明を始めた。

 狢伝の命令で自分たちは動いている。その内容は亜羽流を狢伝の前へと連れる事であると。では「顔を隠して襲ったのは?」そう千里が聞くと、鳳歌と灯馬の二人は顔を見合せた後にじとりと次梟の方を向いた。

 ぷいと顔を背ける次梟を鳳歌は逃がさなかった。

「ほら次梟さん。だから言ったじゃないですか。初めから事情を説明するべきだって」

 その鳳歌の言葉を聞いた千里が次梟に視線を向けると、次梟はチラリとだけ目を合わす。だが気まずそうにすぐに視線を外した。

 鳳歌は、それを見てまた溜め息を吐く。そして次梟の代わりとばかりに言った。

「……すいません。どうしてもこの方が戦いたいと言って聞かなかったものでして……」

「えっ……」

 本来ならば事情を話せば良かっただけである。だが次梟が「噂の鬼と戦りたい」と聞かなかった。それは次梟が全く戦う事が出来なかった黒鬼、それとまともに戦った鬼の話しを周りから聞くだけだったからだ。

 喃国との戦いの中で鬼の愚邏堂にやられて意識のなかった次梟は、亜羽流を直接見るのが初めてだった。

 その噂なる実力を実際に見たかった。それは力を試す意味もあったが、またいつ来るかも知れない襲撃の物差しにするつもりであった。あれから次梟が鍛練を怠った事はない。しかし今現在、みんなからの厳しい視線が向けられている。

「……あ、ああ悪かったよ」

 次梟は仕方なく謝った。そして話題を変えようとすぐに話しを始めた。

「まあなんだ。その……別にどうこうしようって訳じゃねえ。悪いんだが一緒に来てくれねえか? 別に嬢ちゃんたちが一緒でも構わねえと思うぜ」

 その話を聞いた千里は、戸惑う表情を見せながら亜羽流の方を向いた。それは千里だけではない。場に居る全員の視線が亜羽流へと向けられていた。

「──」

 亜羽流は悩んでいた。

 次梟たちが千里の知った人物であると言う事はわかる。しかしそれは出来ない。そう思っていた。自分が行く事で人間と深く関わりを持つ事になる。それが一国を治める立場のある者なら尚更だった。それに寄って起こるであろう問題が容易に想像出来たからだ。

 黙り込んだ亜羽流に千里が声をかける。

「あ、亜羽流……?」

 その表情は願いを聞いて欲しそうである。しかし──。

「……それは出来ない」

 亜羽流は、小さく首を振りながら断った。

 するとポツンと雨が落ちる。小雨である。

 その雨は滴と呼ぶには細いものであった。風に流されると雨は優しく静かに降り始める。そして場に居る全員を少しずつ濡らしていく。サァ──と鳴るその霧雨の音は小さく、沈黙の時を現していた。

 亜羽流の返事を聞いた次梟たちは、お互いに顔を見合わせると少し困った表情を浮かべている。

 次梟たちにもこれは狢伝の命令であると、遂行しなければならない任務でもあるからだ。

 一番に次梟が口を開いた。

「……だとよ。どうする? 夜鳥」

「えっ──」

 笠を付けたまま一人残る夜鳥は、突然の次梟の問いかけに慌てると頭の笠をポロリと落とす。

 見せた素顔は、騎助とそう変わらない少年のようであった。夜鳥の聞いた狢伝からの言葉は、亜羽流を連れて来る事、そしてそれを次梟たちに伝える事である。

「……おい、本当はお前が説明しなきゃなんねえ話だろう。ぼうっと見てんじゃねえよ」

「たはははは、いやあでも命令ですからね。連れて行かないとまずいです」

 そうやって高い声で笑う夜鳥の口には八重歯がある。

「……っとは言ってもなあ」

 そう言って頭を掻きながら次梟が亜羽流を見ると、それに乗っかるように鳳歌が続けた。

「……ですね。ちょっと命を懸ける事になっちゃいますね」

「……だな」

 次梟たちは、先程の手合わせだけで亜羽流を無理に連れて行く事が難しいと知った。それは命懸けである。国を襲う鬼ならばともかく、まだ何もしていない相手に突っかかった挙げ句、命を失うほどに不名誉な事はない。そんな次梟たちの様子を見る千里が不安そうに声を出す。

「とっ、灯馬……?」

「……」

 灯馬は、その千里の言葉に返事をしなかったが、次梟たちはこれ以上の任務を続ける気はなかった。

 ただ一人、夜鳥だけを除いて──。

 再び沈黙が流れると、亜羽流は自分の笠を手に取ってそれを千里の頭へと乗せる。降る雨から千里を守る為であった。亜羽流の青い髪がはっきりと見える。

 次梟たちは、その頭に生える角を黙視していた。

「あ、亜羽流……?」

 千里は乗せられた笠を触ると言った。

 亜羽流の髪は雨で濡れると美しく、海のように輝いて見えた。

 亜羽流は、事情はどうあれこれ以上、自分が蘭国に居るのは良くないとそう思っていた。それに次梟たちとは違って夜鳥に残っている殺気を感じていた。

 夜鳥は、狢伝に多少の無理は構わないと指示を受けている。

「──」

 亜羽流は、不安そうな千里に少しだけ微笑んで見せた。それはここでお別れだと告げている。

「あ──」

 千里が声を出そうとしたその時であった。

 夜鳥が懐の中に忍ばせていた煙幕の弾を地面へと投げつける。

 その行動に亜羽流が素早く動くと、次梟たちも声を上げる。

「──おいっ夜鳥! ちょっと待てっ!」

 だが夜鳥の投げた弾は地面に当たって弾けると、バチンと音を出した。その瞬間、辺りは一気に煙に包まれる。

 その煙は、赤や青色などの様々な色を発すると、独特な匂いを漂わせた。

「いまだっ! あいつを!」

 夜鳥は、次梟たちに仕掛けるように言った。

 しかし次梟たちは動かなかった。それどころか煙から流れる香りに鼻をつまむと悪態をつく。

「うおぉいっ、くっせえっ! 夜鳥お前ッ!」

「え──?」

 匂いに悶絶をする姿は千里たちも同じであった。

 夜鳥の煙玉は、悪臭を出す事で有名であった。色のつく煙も、漂う匂いにも意味がある訳ではない。それはただ夜鳥の趣味であった。緊急の時ならばともかく、戦う意志のない次梟たちには夜鳥のそれは悪手でしかない。

 全員の呻き声が響き渡ってからしばらくすると、煙が少しずつ消えて視界が開けてくる。そして見える風景にみんなが目を開いた。

「──!」

 その場には亜羽流の姿がない。

 次梟たちが辺りを探ると亜羽流は居た。

 民家の仕切り壁である。足を乗せるのが難しいほどの狭い幅の上に、亜羽流は立っていた。重さを感じさせないその姿で全員を見下ろしている。

「あっ、亜羽流……?」

 問いかけるように千里が声を出すと、亜羽流は千里の方を少しだけ見て後ろへと跳躍した。そして民家の屋根にストンと乗ると、青の髪をふわりと落としてそのまま別の家屋根へと移りながら姿を消していった。

 祭りの後から突然の別れであった。

 次梟たちは亜羽流を逃していた。

 一方、その頃──。

 狢伝の元には一報が入っていた。

 兵士の一人が駆けつけていた。兵士は、喃国との国境を守る警備兵で、南にある森の中を抜けて戻ると息を切らしている。そして狢伝に言った。

「……なっ、喃国の侵攻が始まりました!」

「──!」

 山の鬼たちに頭を悩ませていた狢伝に、また別の問題が起ころうとしている。

 戦さが始まろうとしていた──。

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