第29話 蘭祭の終わりに
ドンドンドンと重厚な太鼓の音が鳴ると、辺りから一斉に歓声が上がった。夕焼けの空と提灯の明かりが、蘭城の隣にある湖に映ると幻想的な色を見せる。
城を背に建てられた舞台の上では、白服で袖を捲り上げて粋に着こなした男たちが太鼓のバチを振り回して声を上げている。蘭祭の目玉である催し物、そして終わりを告げる演奏の始まりであった。
汗を流して揚々と踊る演者たちの姿。
躍りは計算されたように正確で、様々な形を作ると観客たちを大きく沸かせている。演奏の音にも負けない力強い躍りは人間の生命力を感じさせた。
亜羽流は、その迫力に圧倒されていた。それは山の上から見るものとはまるで別物だった。演奏や躍りだけではない。人々が見せる笑顔、笑い声、人間はこんなにも楽しそうに音を奏でるのか。
孤独に音と触れてきた亜羽流には知らない世界であった。人々の感情たちが波となって亜羽流に押し寄せる。
千里は、目を丸くして舞台に釘付けになる亜羽流を見ると嬉しそうに微笑んだ。そして舞台へと視線を戻すと口を開く。
「……私ね、あの戦さがあった後に亜羽流がどうなったのかずっと心配だったの。でも良かった──」
千里はそう言って話を続けた。亜羽流と会った時の山の話。蘭国で起こった戦さの中で両親が亡くなってしまったと言う現実。そして生活の事。それは、両親や仲間のいない亜羽流にはよくわからないものだった。だが、辛そうに話す千里の表情からはそれが悲しい事であるとわかる。
「──でもね、こうして亜羽流とまた会えて嬉しい。こうして、亜羽流と一緒に祭りを見れる事が嬉しい。それとね……」
亜羽流を見る千里の眼には涙が溢れると、それは頬を伝って流れ落ちる。そして言った。
「ありがとう」
「──」
亜羽流は、千里のその言葉に胸が締めつけられた。
何かが身体に触れた訳ではなく、何か行動を起こした訳でもない。それなのに、痺れるような衝撃が亜羽流の全身を走り抜けた。ありがとう。その言葉の持つ力と意味を初めて知る事が出来た。
「あはっ……本当は最初に言いたかった言葉なんだ。亜羽流が居なかったら……亜羽流が山の中で助けてくれなかったら、こうして祭りを見る事も出来なかったと思うから」
千里は涙を拭いとると笑った。
亜羽流は、そんな千里の表情を見つめながら話を聞いていたが、スッと視線を外すと話を変えた。
「……千里」
「えっ?」
「その石は──」
「えっ……」
千里は、亜羽流が向ける視線の先に気付くと、それが自分の首にかかった飾りである事がわかる。
「あっ、これ?」
千里は、首の飾りを持ち上げて見せる。そこに付いた石を見て頷いた亜羽流に千里は言った。
この石は騎助がくれた物で大事なものであると。そうやって嬉しそうに話す千里の笑顔を見ると、亜羽流は言えなくなってしまった。その石を貰いたい──と。
「ん? これがどうかしたの?」
不思議そうな顔をする千里に亜羽流は首を振った。その様子を見た千里が更に聞こうとすると──舞台で行われていた演奏が終わって歓声が上がった。
その歓声が静まるの待ったように時間を置くと、舞台には演者の中の一人が姿を見せる。
「さあっ! 蘭国の皆さま! ここからは飛び入りの参加が出来ますよ! この中で演奏に自信のある方は居ませんか!? 自薦や推薦は問いません。腕に覚えのある方はぜひご参加下さいっ!」
それを聞いた観客たちはザワザワと騒ぎ始めた。
演者は話を続けるとそれを更に煽る。
「さあっ! 普段から母さまや我が子たちに敷いたげられて立場のない旦那さまっ! ここで一つ、良いところを見せてやりませんか!?」
その言葉に笑い声が上がると、中には「行けよ、嫌だ」と押し問答をする者も見える。すると、一人の子供が手を上げて大きな声を出した。
「はい、はい、はいっ! 出るよ、出るっ!」
騎助であった。
そんな騎助の姿を見た千里は驚いた表情を見せる。
「ちょっ──騎助っ!」
騎助が演奏など出来るはずもない。千里のそんな心配をよそに、騎助は亜羽流の側まで来るとその手を掴んで持ち上げて見せた。
「なあ亜羽流! もう一回、あの笛を聴かせてくれよ? 亜羽流なら出来るよな?」
囁くように言った騎助。
人々は一見、武士のようにも見える亜羽流の姿に注目すると、今度はその側に立つ千里へと視線を向けた。
千里は、その重圧に耐えられずに困る仕草を見せる。
「ちょっ、騎助っ!」
「なあ、亜羽流っ! 頼むよ!」
言葉を聞かない騎助に、千里が困りながら亜羽流の方を見ると、亜羽流は少しだけ微笑んで舞台へと歩いて行った。
周りから上がった歓声に混じると「やった!」と騎助が喜んで声を出す。
「おおっと! お侍さんの登場だ! こいつは珍しい! ええっと……楽器は何を?」
舞台に上がって来た亜羽流に、演者は置かれている数種類の楽器を見せる。
すると亜羽流は、ひととおり眺めた後に箱の中に立てられていた横笛を選んで手に取った。
それを確認した演者が「じゃあこちらの……」と他の演奏者たちと音を合わせる為の説明しようとした、その時であった──。
亜羽流が笛を吹き始めた。
「ちょっ、お侍さん──」
それを止めようとする演者の姿に、観客から笑い声が上がった。だが、その音色が聞こえ始めると人々の声が一つ、また一つと少しずつ消えていく。
そして声はやがて消えた──。
大通りに居る人たちだけではない。港の方から聞こえていた漁師たちの雑踏、城や民家の中から洩れ聞こえるはずの物音。周りからは音と言う名の音が消え去った。静寂の世界──。
流れたのは笛の音色だけであった。
その音色は、風のように流れて蘭国中に響き渡ると人々の動きを止める。まるで幻術にかけられたようであった。
亜羽流の後ろに建つ蘭国城、その両隣に並ぶと水の溜まった小さな池が二つ。上空に見える夕焼け空も亜羽流の姿を包み込むと、全てが作り出された幻想の景色のようだった。それを見て聴くと涙を流す者たちの姿もある。しかし──亜羽流は突然、ぴたりと演奏を止めた。
「──」
時が動き出したように表情を変える人々。
すると亜羽流はくるっと振り返った。どうして他のみんなは演奏をしないのだろう──である。
「あっ、あ──おっ、お侍さん。やっ、やりますねえー!」
思い出したように喋る演者の声は驚き、ひどく裏返っていた。その瞬間、歓声が上がった。
「──」
その声に亜羽流が驚いた様子を見せる。
すると、演者はもう説明はいらないとばかりに、他の奏者たちに手で指示を出した。
そして始まる演奏──。
亜羽流は、その演奏に合わせるとまた笛を吹いた。
たくさんの楽器から流れる音色の中でも、亜羽流の笛の音だけは浮いたように独立すると、その音色は人々の記憶と身体の中に染み込んでいくようであった。
狢伝もまた、その様子を城の最上部にある広間から見ていた──。
辺りは随分と暗くなっていた。
祭りでの演奏が終わってから、千里と騎助、亜羽流たちは大通りを歩きながら家に向かっている。
蘭祭の終わりももう間近であった。
千里と騎助は、亜羽流が演奏をして盛り上がった時の様子を興奮気味に話しながら振り返っている。
しかし、亜羽流だけは気付いていた。あの後から、自分たちの後をつけて来る気配である。一人ではない。
そしてその気配たちは、千里の家の近くになると遂に動き始める。辺りに他の人々が居なくなった時であった。
亜羽流は、千里たちの身体を押すようにして道の端に寄せた。
「……えっ、亜羽流?」
「あっ、亜羽流、急になんだよ?」
二人が驚いた。その時であった。
「──っ!」
千里たちの前に、編み笠を深く被った者たちが姿を見せる。それは刀を持つと千里たちを取り囲んだ。一人が刀を向けると言った。
「……そこの笛の男に用がある」
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