第28話 蘭祭と童羅の命令

 空は青くまだ明るさを残している。

 それでも城下町の景色は随分と暗くなると、大通りに並んだ建物の屋根には丸い提灯ちょうちんが吊られ始めた。ぽつぽつと明かりを灯すそれは、暖かい橙色で人々をぼんやりと照らしている。

 千里は、順番に灯っていく提灯を目で追いながら、その綺麗な風景に酔いしれていた。先には蘭国城が見える。城門の前では蘭祭の目玉、他国の者たちと行われる大きな演奏を見ようと人々で賑わっている。設置された舞台には、花に模した色鮮やかな飾りたちが付くと、今日の為に汗をかいたであろう大工たちの姿が目に浮かぶ。

 千里は、隣を歩いている亜羽流の袖を引っ張った。

 被った笠の下から見える亜羽流の表情は優しいものであった。そんな二人の様子を見た騎助は、ポリポリと頬を掻くと少し照れる仕草を見せる。

 亜羽流と千里、それを見守る騎助の姿は幸せそうである。しかし、亜羽流には童羅からの命令が言い渡されていた。

 祭りに来る前の事であった──。

 童羅に呼び出された亜羽流は話を聞かされる。

「女の持った石を持って帰れ」

「えっ──」

 亜羽流には意味がわからなかった。

 童羅の言う女が千里であると言う事はわかる。だが石とは──すると、童羅が言った。

「あの女は心鬼光の魔石を持っておる。その石は我ら鬼の力を強くさせるもの。だがその力は人間にも効果をもたらす事が出来る。それを狢伝のような人間に知られると厄介なものになるのだ」

「──」

 千里が何故そんな物を持っているのか──。黙り込んだ亜羽流に童羅は続ける。

「……亜羽流、東山の結界が破れようとしているのはお前も知っておるだろう」

 亜羽流はこくりと頷いた。そしてそれが何をもたらすのかもわかっていた。蘭国を襲った黒鬼、愚邏堂と戦った事でその脅威を知るには十分である。

「我らはその為に動いておる。結界が破れるのを塞ぐ為にも、あの石の力が必要なのだ。わかるな?」

「でっ、でも! ち……ど、どうして女がそんな物を!?」

 亜羽流の言葉に童羅は少し黙った。

「……わからん。だがあれは元々、我ら鬼たちの物だ」

 童羅にそう言われた亜羽流は言葉を失くした。

 結界を守る事が重要なのはわかる。しかし──そうやって迷う亜羽流に童羅が口を開く。

「別に殺せ、とは言わぬ」

「え──」

「女を殺さずともよい。ただその石を持ち帰れと、そう言っておるのだ」

「……」

「お前が出来ないと言うのなら、もう一度、阿修羅と阿徒たちに行ってもらう事になる」

「──」

 阿修羅と阿徒、その二匹が行けば千里の命など気にもしない事は想像出来る。亜羽流には童羅の命令を断る事が出来なかった。

 こうして、亜羽流は祭りに参加する事になった。

 山の下で出会った千里は、前とは違い綺麗な着物を着ると美しかった。袴を手渡したかと思えば急にバタバタと始めた。千里の首元にかかるのはキラリと輝く石の飾りである。「心鬼光の魔石」であった。

 だが千里が何故それを持っているのか? 亜羽流にはわからないでいた。

「──亜羽流! あの場所が空いてるよ!」

 そうやって袖を引っ張る千里の姿を見て、亜羽流はどう話そうかとその機会を伺っていた。

 千里は、周りに居る他の誰よりも楽しそうな笑顔を浮かべている。そして舞台の近くへと誘っていた。



 穴の中では青の篝火がゆらゆらと燃えている。

 亜羽流が出かけてから童羅は昔を思い出していた。

 千里が石を持つ理由、思い当たらない訳でもない。「石」は、亜朱の持った物だったからである。

 それは百年ほど前の話であった──。

「亜朱さま! どうか石の場所を!」

「ふふ……悪いわね童羅。私の方についたばかりに、お前までそのような……か、はッ──」

 吐血した亜朱の血は童羅の顔へとかかった。

 亜朱は、亜羽流が罰を受けた時と同じ場所に吊し上げられていた。山の掟を破っただけではない。亜朱は人間の流生と結ばれた後、鬼にとって大事な石を何処かへと隠してしまった。

 それを口実にして起こった山の乱。

 指揮をしたのが亜朱の片腕でもあった鎖阿我さあがであった。山の中でも異端の鬼であった。

 亜朱を筆頭に人間と調和を保とうする山の鬼たちと違って、鎖阿我の行動は黒鬼たちに近いものがあった。

 それでもその力から亜朱のとがめがない限りは、誰も鎖阿我を止める事は出来ないでいた。

 鎖阿我は、鬼たちの長となる亜朱の座を虎視眈々こしたんたんと狙い、その機会を伺っていたのだ。

「あ、亜朱さま! 石さえ渡せば鎖阿我も全てまで奪おうとはしないでしょう! ですからっ──!」

 叫んだ童羅の姿も傷だらけである。

「ふふふ、童羅それはどうかしら? 鎖阿我に石を渡せばそれで終わるでしょう。そうなれば、私にはもう用はないのだから」

「しかしっ──!」

「石を渡せば鎖阿我を止める事は出来なくなる……それを出来るものまで居なくなるわ。そう、私の後──それはあなたが継ぎなさい」

「──」

「今はまだ倒す事は出来ないでしょう。だけどいつの日か、お前にはその力があると思っている。ただ一つだけ──」

 亜朱はそう言うと産み落とした赤子の成長を童羅へと頼んだ。

 童羅が亜朱と話したのはそれが最後であった。

 亜朱はその翌日、鎖阿我の手に寄って処刑された。

 童羅は、亜朱が処刑された後に鎖阿我の目を盗むと、亜羽流が居るとされる場所へと向かう。それは、とある人間の民家であった。そこに住む人間の男女に抱えられた赤子には角が生えていた。人間たちは初め、童羅の姿を見て怯えていた。しかし亜朱や他の人間から何かを聞いていたのか、抵抗する事もなく童羅へと赤子を手渡した。

 その後、童羅は亜羽流の存在を隠しながら鎖阿我に服従する姿勢を見せると時を待った。そして決行する。童羅は、鎖阿我の背後からその魂を狙った。戦いは予想よりも厳しいものであった。

 死闘の末、勝敗は童羅に軍配が上がると鎖阿我は声を上げた。

「が、ああ……きっ、きさま──」

「はあ、ハァ……あ、亜朱さまからの命令なのでな」

「──!」

「お前を倒して俺が長の座に付くようにと」

「ふ、ふはははは……そ、そんな、もはや居ない鬼の命令を聞いてどうするつもりだ……? なっ、なあ童羅。お前が長になるのは認めてやってもいい。この俺を倒したのだからな。だがどうだ? 一緒に石の場所を探さないか? あの石さえあれば、俺たちでずっとこの山で……いや山だけじゃなく人間たちの住む場所まで簡単に支配出来る。悪い話ではないだろう? なあ」

 鬼が死ぬ事はない。例え消えてもその百年先には、また生まれる事が出来る。しかしその意識は別のものとなる。鎖阿我はそれが嫌なのであろう。それを石の力で止めようとしている。それは童羅も同じであった。

「……ああ、悪くない話だ」

「はっ、ははは……な、悪くないだろう? さ、さすがは童羅だ」

 童羅の足元へとすり寄る鎖阿我の姿。

 だが──。

 童羅は、鎖阿我に向かって太い腕を振り上げると、手のひらを大きく広げて見せた。

「──ッ!」

 鎖阿我の瞳に、童羅の長い爪がギラリと輝いた。

「鎖阿我、また百年後にな──」

 童羅は、そのまま腕を振り抜くと、鎖阿我の首を勢いよく跳ね飛ばした。

 ゴロゴロと転がった鎖阿我の首、その表情は黒い憎悪に満ち溢れていた。

 童羅は、こうして鬼たちを束ねる山の長となった。

 頭を下げる鬼たちの中には、成長を続ける亜羽流の姿も見える。亜朱から童羅への最後の命令、それは──「私の子供を頼むわね」それであった。

 しかし童羅にはわからない事がある。

 百年も過ぎた今、未だに亜朱が生まれない理由である。それが石の力の影響なのか、また別の何かなのか──。そして、亜朱が石の場所を示した言葉の意味。

「人間の居る、綺麗な場所に投げたわ」

 それが一体、何処なのか? 何故、捨ててしまったのか? 童羅にはもう聞く事は出来ない。しかし、その石を人間の女が持つ理由を、童羅は不思議なものだとは思わなかった。

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