第27話 蘭祭の中で

「──亜羽流これを着て」

 千里は、風呂敷の中から袴を取り出すと、それを亜羽流に手渡した。それは亡くなった父の物であった。袴の背には輝く金の龍が刺繍してあると、他は黒く染められている。正面は白の無地、腰巻きは紫で飾られていた。

 農民であるはずの父が何故それを持っていたのか、千里にはわからなかったが、他に立派な物も見当たらなかった。それに亜羽流に似合いそうだと千里はそう思った。ただ一つ、丈が合うかが少し心配であった。

 袴を受け取った亜羽流は、千里に言われるままその場で着替え始めた。

「ちょっ──」

 突然、裸体をあらわにした亜羽流に千里は慌てる素振りを見せた。

 亜羽流は、それを気にする事もない。

 程よく盛り上がった肩と胸板、腕にはしっかりと筋肉が付いて一見、華奢に見える。だがその綺麗な顔に劣らず肉体も美しいものであった。

 しかし、身体にはまだ数多くの傷が残っている。

 千里は、その姿を見て少し悲しい表情を浮かべたが、亜羽流の裸を見ている事を思い出すと頬を赤らめて視線を外した。それから少し、着替えの終わった亜羽流が初めて千里の名前を呼んだ。

「ち……さと」

「──えっ」

 その言葉は確かめるように自信がなく、とても小さかったが、それでも千里には嬉しかった。

 着替え終わった亜羽流の姿は、立派な武士のようであった。

 ただし青い髪と生える角だけを除けば──である。

 それらを見て思い出した千里は、持って来た風呂敷の中から頭巾を取り出そうとする。そして「あ──」と声を上げた。入れ忘れであった。千里は他に代わりになる物はないかと、着物の中を手でバタバタと探り始めた。

 亜羽流は、そんな千里の姿をただ黙って見ているだけであった。

 蘭国の方角から、ひゅるりと空へと煙が上がった。

 花火が弾けるとドンっと音が鳴り響いた。



 人々で溢れる蘭国の大通りの中を三人は歩いていた。騎助は上機嫌である。

「亜羽流! 亜羽流! あれ見ようぜ!」

 亜羽流の手を掴むと露店の方へと引っ張っていく。

 店や芸者を見る度に、騎助はこうして亜羽流を連れ回した。

 亜羽流は、騎助の言われるがまま着いていくだけである。それを面白く思わないのが千里であった。

 亜羽流を騎助にずっと取られている。だがここ最近では考えられない程、喜んでいる騎助の姿を見るとそれもまた幸せだとも感じていた。困ったように微笑む亜羽流の横顔を見るだけで、辛い思いが消えて癒されるようであった。

 始まりは違っていた。千里は亜羽流と蘭国に戻る際、門兵に不振に思われないかと不安だった。だが次梟の言葉があったのだろう。兵士たちは、亜羽流を連れて来た千里に何も問う事はなく、国への入りを簡単に許した。

 問題はその後であった。

 千里が家に帰ると、騎助は初めて見る知らぬ男の存在を受け入れなかった。灯馬ならともかく、全く知らない者と祭りに参加する事を嫌がったのだ。

 騎助は、千里と二人で祭りに行くつもりであった。しかしその後、千里の説明を聞いて亜羽流が黒鬼と戦った青年だと知ると、その表情は一変する。

 亜羽流が鬼だと言う理由ではなく、自分たちを助けてくれたからと言う事でもない。騎助にとっての亜羽流は、千里の気持ちに負けないほど会いたかった人物、憧れの英雄だったからだ。

「え? あっ、あ──」

 騎助は、動揺すると言葉を詰まらせた。

 そして、恋をした少女のように静かになった。口数の減った騎助は部屋の隅に座って、ソワソワと落ち着きがなくなると、今度は急に箱の中から一本の笛を取り出した。千里に買ってもらった物である。それを亜羽流に見せるように触り始めた。

 そんな騎助の様子を見た千里はクスリと笑うと、亜羽流に向かって言った。

「ねえ亜羽流、少しだけ笛を聴かせてくれない?」

 その言葉に反応する騎助。

 千里は、騎助に笛を渡すようにと頷いた。騎助は亜羽流に笛を手渡した。

 亜羽流は、笛を受け取るとそれを少しだけ眺めて口元に当てた。そして目を閉じると笛を奏でる──。

 部屋の中に流れ始めた旋律は、一瞬で千里と騎助の心を掴むと時間を奪っていく。

 家の外から聞こえていたはずの祭りの騒ぎは嘘のように消え去った。ただの竹笛から出される音色とは思えないほどの美しい曲。

 千里と騎助は驚きとはまた違う表情を浮かべている。

 二人は、静かに笛を奏でる亜羽流の姿をただ見続けていた。まるで違う世界に連れて行かれたよう、その笛の音が終わるまでずっと──。


 その事があってからの騎助は今である。

 祭りで何をするのにも亜羽流を呼ぶと、一時も離れる事がない。

「……もうッ」

 千里はぷっくりと頬を膨らませた。

 だが、ふと道に並ぶ露店に置いてある品物が目についた。菅笠すけがさであった。特に特徴のない普通の物だったが千里はそれを手に取った。

「あ、これ……」

 亜羽流の角を隠せると思うと同時に、渡した頭巾が似合わないので取り替えられると千里は考えた。

 それでも、蘭国に入る前に比べると今はマシなものである。頭巾を忘れてしまった千里は、仕方なく亜羽流の頭に持って来た風呂敷を巻いた。

 亜羽流の姿はひょっとこのようであった。滑稽で間抜けな格好である。しかし、そんな姿でも表情を変えない亜羽流を見ると、千里は思わず吹き出してしまった。それと同様に門兵たちの表情も複雑であった。

 千里は、その時の状況を思い出してくすくすと笑うと、露店に居る商人の男に声をかけた。

「ふふ、これ貰えますか」

「はいよ!」

 元気な商人から千里が笠を受け取ると、少し離れた方から騎助の声が聞こえてくる。

「姉ちゃーん!」

 騎助の側には亜羽流の姿も見える。

 いつもより華やかで飾られた城下町に流れる音楽は、まだ止まる気配がない。

「うんっ!」

 千里は一人、大きく返事をすると騎助たちの元へと走った。千里は祭りを楽しんでいた。そして、ずっとこのまま過ごせたら良いな、そう思っていた。



 千里たちが祭りを楽しんでいるその頃──。

 蘭国城の広間から祭りの様子を眺めていた狢伝は男を呼んでいた。

 灯馬と同じ忍びである。表に出る型の灯馬の任務とは違って、男の仕事は主に裏であった。

 道具番「夜鳥やちょう」である。

 部屋の襖の奥から声が聞こえた。

「参りました」

「……入れ」

「はい」

 しかし返事の後、襖は開くが事なくガタガタと鳴っている。

 それを不振に思った狢伝が振り返った。

 すると襖の向こう側で、夜鳥がブツブツと喋る声だけが聞こえてくる。

「……ん? あれ? おかしいな」

 更に強く襖がガタガタと揺れる。

 しばらくすると襖はガタン! と勢いよく外れて、それが狢伝の方へ倒れて来る。

「──!」

 狢伝が襖を慌てて避けると「どわああぁぁっ!!」と言う声と共に、襖はドスンと倒れて埃が舞う。

 その埃と一緒に現れると座り込んだ夜鳥の姿。

 夜鳥は、頭を掻きながら言った。

「たはははは……狢伝様、すいません」

 笑う口元には八重歯が見えている。

「あ、ああ……べ、別に構わん」

 狢伝は、夜鳥に要件を頼むかを少し迷い始めていた。

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