第26話 蘭祭の始まり

 ドンドンドンと太鼓の音が響き渡ると陽気な笛の音が家の中にまで届いた。活気に溢れて賑わう外の様子が見えるようである。人々の声は明るく、物売りたちは他の店に負けまいと叫ぶように声を上げた。

 蘭国の大通りには派手な服や奇妙な格好をする者が多く歩いている。

 蘭祭の始まりであった。

 騎助は、普段よりも明るく見える千里の様子を不思議に思っている。喃国からの攻撃があってから千里に起こる出来事は、不幸と一言で片付けるには可哀想なものであった。

 それは弟である自分よりも、ずっと辛いものだろうと言う事は、騎助にも感じれるとわかっている。

 両親が亡くなった後、その代わりをしようと懸命に明るく振る舞う千里の姿を知っていたからだ。

 騎助は、そんな千里を見るといつからか甘える事が少なくなっていた。

 千里とは違い、父と母が死んだと聞かされた時の騎助の悲しみは薄いものであった。それはその時の騎助の状態が、死人しびと同然であったからでもある。

 喃国が攻めて来た時の戦さで、初めて目の当たりにした命のやり取りに騎助の精神は崩壊した。

 直接の原因は黒い鬼の恐怖であった。

 その後、灯馬や千里たちの介抱のおかげで、騎助は以前と同じように戻れている。

 好きだったとも言えない両親の死──。

 それは悲しくなかった訳ではない。

 ただ、それを現実として受け入れるまでに時間が必要だった。突然に起こった戦さからの恐怖。それを受けた感情の反動だったのかも知れない。両親の思い出は騎助の中で過ぎてゆく時間のようにゆっくりと、静かに消化されている。

 そして騎助の中で、何時からか哀しそうに笑うようになってしまった千里を、守ろうとする気持ちが少しずつ芽生えていった。

 しかし、今朝の千里は違っている。

 ソワソワと落ち着きがなく何かを楽しみにしているような素振りである。その笑顔も、作られたものではなく、久し振りに見る千里本来の笑顔であった。

 だが、少し異常である──。

 今も箪笥たんすの中から着物を引っ張り出しては納め直し、立ち上がって部屋の中を見渡したかと思えば箪笥の角に足の小指をぶつけて呻き声を上げた。

 そして、うずくまった姿のまま「くくく……」と笑っている。それは騎助が見た事もない程の不気味な光景であった。

「ね、姉ちゃん……?」

 騎助が声をかけると千里はゆっくりと動いた。

 犬のように伏せた姿で首だけが振り返ると、その髪は無造作に乱れて表情は強張っている。狂ったような眼差しの瞳からは涙が流れていた。そして口元を動かすとニヤリと笑って見せる。

「……なあに?」

「あ、いっ、いや……」

 騎助は額に汗を流すも、千里の表情を見て何も言えなくなった。

 千里は、その後も着物を引っ張り出すと、それを鏡の前で自分の姿に合わせて「フフフフフ……」と笑っている。足元にはべに白粉おしろいなどの化粧道具で散らかると畳は色塗られた。

 千里が蘭祭が好きな事は知っていたが、あまりに変になってしまった姉の姿に不安を覚えた騎助は、灯馬に伝えなければと考えていた。



 大通りはガヤガヤと賑わっている。

 蘭国城を背に通りを歩く千里は、国の外へと出る為に門を目指していた。

 城の前で行われている演芸を見ようと向かう人たちとは逆の方向である。

 大勢の人波、祭りの影響からなのか、千里を見て表情を曇らせる者は居なかったがそれだけではない。

 千里は入口の門に着くと、いつも以上に警備にあたる兵士が多い事に気付いた。そして番をする兵士に労いの声をかける。

「ご苦労様です」

 千里はそうやって門から外へと出ようとしたが、兵士の一人に呼び止められた。

「ちょっ、ちょっとちょっと! お嬢さん、悪いんだけどな今は通行止めだ」

「えっ……」

「蘭祭の最中だからな。森から賊の輩たちが入る可能性もある。それに他の国の者を誤って外に出す訳にも行かないしな……今は狢伝様の命令で通せないんだ。悪いな」

 出入り禁止である。この状況を予想していなかった千里は困った。

 実際は狢伝から許可を貰っているので、千里に問題はなかったが門兵たちはそれを知らない。先は通さないとばかりに門を塞いでいる。許可の話自体は知ってはいたが兵士たちは気付いていなかった。

「あ……で、でも」

 千里が、許可を貰っている事を言おうかと迷っていると、側からやって来た一人の侍が助け船を出した。

「通してやれ」

 狢伝側近にしか与えられない袴を着ると、それは酷く汚れている。

 門兵たちは驚いた表情を浮かべた。

「じ、次梟さん! あっ、い、良いんですか? で、でも狢伝様の伝令では……」

「……まあ大丈夫だろうな。その嬢ちゃんは狢伝さんの許可を貰ってるだろうからな」

「──!!」

 それを聞いた兵士たちは千里に視線を戻す。

「じゃっ、じゃあ、この女が……」

「ああそうだ」

 そうやってまじまじと見る次梟たちの視線に少し戸惑いながらも照れ臭そうにする千里は、いつもの着物姿ではない。

 頭には、金の髪飾りを付けると肩まで伸びた黒い髪がさらりと落ちる。整った顔つきに薄く塗られた白粉と瑞々しく艶のある唇には紅がひいてあった。あどけなさの中に女らしい色気が漂っている。

 桃を思い出させる色合いの着物に、手には平包みをした紫の風呂敷を大事そうに持っている。

 まるで城内で過ごす身分ある者のようであった。

 しかし、千里は蘭国でもよく知られた人物──。

 通り名は「化け物の女」である。

 それを知って固まる兵士たちの姿をよそに、次梟は右手であごを擦りながら千里を観察している。そして言った。

「……ほぅ。嬢ちゃん、今日は綺麗じゃねえか。こりゃあ、城内の女たちが見たら嫉妬しかねねぇな」

 ニヤリと笑う次梟。

 すると、何処からか走って来た子供がドスン──次梟の足へとぶつかった。

「……あ?」

 次梟の袴は、子供の持っていた団子の蜜がベットリと付くと更に汚れていった。

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