第24話 風に吹かれて
鬱蒼と生える木々の山へと登る小道──。
そうやって変わらない風景は、千里にはもう見飽きたものだった。それでもこうして足を運ぶのは、亜羽流が姿を現すのではないか? と言う期待である。希望と言っても良いもの。それだけであった。
亜羽流が山に居ると言う確証はなかったが、それでも千里にはこの場所以外に思いつかなかった。
陰陽師の術で消えてしまった亜羽流は何処へ行ってしまったのか? それを聞いても術者たちはわからないとだけ答えた。ただ帰って来た者は居ないと。
だが、千里には亜羽流が助かっていると言う気がしてならなかった。亜羽流が黒鬼と戦って消える前の時であった。優しい光が亜羽流を守るように包み込んでいたのが千里には見えていた。
その光は、千里が着ける石の首飾りから放たれていた。騎助が千里の誕生日にくれた物である。実際は悪ふざけをした騎助が、港で拾ったヒトデの死骸であったが、千里はそこに付いていた綺麗な石だけを拾うと持ち帰っていた。
その石は、白とも銀とも言えない不思議な輝きを放つと宝石のように見えた。千里にその石は初めて騎助から貰った大事な物だったが、それが原因で山の鬼から狙われている事にもなっている。千里だけでなく、亜羽流もまた、その石の力が守ってくれたとは知らないでいた。
蘭国の祭りから聞こえてくる演奏の音たち──。
それは千里の意識を現実へと引き戻す。
千里たちに向けられる嫌がらせは日増しに強くなっていた。大人たちが話す中傷の言葉。向けられる冷やかな視線。それには千里は耐えられる。しかし、子供たちは残酷であった。まだあどけない笑顔を浮かべると何処からか拾った石や木の枝を次々と家へと投げつけていた。そうやって破けた障子や荒らされた畑は、千里と騎助の二人では修復が間に合わない程である。
狢伝から与えられた家は荒れて、既に当初の姿が想像がつかない状態であった。時には、それを直そうと灯馬や次梟たちが手伝いに訪れたが、千里にはそれも申し訳ないと言う気持ちで重荷になっている。
何よりもその事が原因で、騎助に友達が出来ない事が心配であった。
それもこれも、山に入ってしまった事がいけなかったのだと、千里は自分を追い込んでいった。
さわさわと風が草木たちを揺らした。
耳を澄ませると鳥のさえずりが聞こえた。千里から見る山は美しく、とても鬼の住む山には見えなかった。
灯馬から逃れた野兎は、無事に巣へと帰れたのだろうか? 千里は、ぼんやりとそんな事を考えていた。その時であった。
風が強く吹いて千里の髪が乱れた。髪の毛は千里の目にかかると視界を遮る。千里は、その髪を右の手でかきあげると、ひらけた視界の先に映る風景に身体を痺れさせた。見飽きたはずの景色に変化が起きていた。時が止まったような時間──。千里は、自分の焦がれた想像の幻だと思う。
「あ……あ──」
思うように声が出せなかった。何を思っているのかすらわからないでいた。言葉にしようとするも口に出て来ない。身体も動かなかった。
揺れる山の草木たちの中に、突然現れた青年の姿。それは青の髪を風に靡かせて千里を見ている。千里もそれをただ見ている。
千里は、震えた足を少しずつ動かすと青年へと歩いた。はっきりと見える。近づく距離は幻ではない。それでも千里には信じられなかった。そして山に入る一歩手前で千里は立ち止まった。確認するように声を出す。
「あ、亜羽流──?」
自分に聞いたようであった。
千里の問いに、亜羽流は微笑むと少しだけ頷いて見せた。その微笑みは寂しく、哀しそうである。だが優しかった。それは、千里が知る亜羽流の表情で、亜羽流の笑顔であった。
「あ──」
千里の目に涙が溢れると、その表情はみるみるうちに変わっていく。激しく鳴る鼓動が、聞こえて来るようであった。息は詰まると呼吸も儘ならないでいる。手を伸ばせば触れる距離。千里は、亜羽流に触れようとして手を伸ばす──。
「来るなっ!」
亜羽流が叫んだ。
千里が聞いた事のない激しい声であった。千里の手が止まった。何故──? 千里は訳もわからずに驚いてその場に佇んだ。そして、改めて亜羽流の姿を見ると表情を変えた。
白に見えたはずの袴は、赤く血に染まるとひどく破けてボロボロであった。美しく見えたはずの顔には、数多くの傷があると血が垂れる。吐く息は荒く、亜羽流は今にも倒れそうな姿であった。
千里に見えていた亜羽流の姿。それは、千里の思う亜羽流の幻の姿であった。
千里は、驚きの表情を一瞬だけ浮かべたが、それもやがて穏やかなものへと変わっていく。そして来るなと怒鳴った亜羽流の言葉を無視すると歩いた。
亜羽流は、それを見て目を開いている。
千里は、何かを知っていた訳ではない。ただ、亜羽流を傷付けた原因が自分であるとわかる。千里は、山の中へと足を踏み入れた。そして亜羽流の顔にそっと手を伸ばすと言った。
「……ごめんね」
千里の頬に涙がこぼれ落ちる。
その表情、その言葉を聞いた亜羽流は、ガクンと何かが抜けたように意識を失うと目を閉じる。そして母に甘える子供のように安心した表情を浮かべ、千里の肩にもたれ掛かった。
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