第22話 動く心
阿修羅、阿杜の二匹が千里を襲った翌日の事である。
亜羽流の元に数匹の鬼を連れた童羅が訪れた。
童羅の出した罰は、止められる事もなく続けられると亜羽流の体力を奪っていた。既に意識を失わせると嶄鬼の鞭にも声を上げる事はない。
嶄鬼は、姿を見せた童羅に気付くと手を止めて、その場から少し距離を置いた。すると、童羅は
「……もうよい」
「えっ……」
少なくても、まだ一日は罰を行うはずである。
嶄鬼は、突然出された中止の指示に驚くも、それに異義を唱えた。
「しっ、しかし! まだ、罰が終わって──」
言いかけた嶄鬼の言葉を、童羅の鋭い瞳が遮った。
「あ……わ、わかりました」
嶄鬼がそう返事をすると、童羅の周りに付いていた鬼たちが、亜羽流を縛る糸を外し始める。
童羅がその様子を黙って見ている中で、
嶄鬼が、容赦なく鞭を打ったであろう事が容易に想像出来るものだった。
「……治療をしてやれ」
童羅は、鬼たちにそう言うと嶄鬼に「もういいぞ」とそれだけを言って戻って行く。
童羅の連れて来た鬼たちは、目的を知っていたのだろう。用意された薬草を持つと、亜羽流の治療を始めている。
嶄鬼は、不満そうな表情を浮かべながらも、その様子を黙って見ている事しか出来なかった。
それから少し後の事である。
童羅たちは、家の中で集まると想像以上に苦戦を強いられる狢伝の護衛を、どうするかと言う話し合いをしていた。
「変に遠慮する事はねえっ! 早いところ人間なんぞ始末すればいいだろ!」
興奮気味に声を荒げるのは阿修羅である。
上右腕の負傷。何よりも角を折られたと言う屈辱は、噛まれたと言うには被害が大きいものだった。そうやって沸き上がる怒りは、蘭国そのものを潰しかねないほどの勢いである。
そして、それは恐らく実現可能であった。山の鬼を何匹か連れて行けば蘭国を滅ぼす事は出来る。人間と鬼ではそれぐらい力の差がある。灯馬や次梟のような人間はそう多くはないのだ。
しかし、それは童羅が許さなかった。その理由は狢伝との密約ではない。そもそもが人間との約束事など鬼たちに取っては対した効力を持たないからだ。それを守るのはそれが鬼たちに取っても都合が良いからである。狢伝は国を守る為に。鬼たちは餌の確保である。互いの思惑だった。
元々、鬼たちに餓死と言う心配はなく、人間のように食べる必要はない。食べるのは人間が美味と言う事だけでなく本能であった。それは人間である必要性もなければ同種族でも良い。だが、それでは自分たちの身も滅ぼす。共食いを避ける為であった。
人間を滅ぼす事は自分たちを滅ぼす事にも繋がる。鬼たちは、それを知っている為に見境なく人間を襲う事はしなかった。人間の抵抗は、どこで手を焼くのかわからないものもある。それは、阿修羅たちも身をもって知った事である。狢伝の条件は、童羅たちに取っても意味のある話だった。
だが、それを破ろうとする鬼が東の地から再び姿を見せようとしている。兆候は現れていた。蘭国を襲った一匹の黒鬼、『
山の鬼をも襲う黒い鬼たちの存在は、童羅たちにも脅威であった。
封じ込めたはずの結界は、また破れようとしている。
童羅たちには千里の持つ石が必要だった。
それは昔、亜朱が持った石である。石は、鬼の力を増幅させる力があると、それは人間にも影響を及ぼした。
『
童羅は、その石を使い結界だけでなく黒鬼たちへの対抗手段として考えている。その一方で、人間に持たれると厄介な物でもあると懸念していた。特に、狢伝のような人間であるならば尚更であった。
童羅は、しばらく考える様子を見せると言った。
「……亜羽流に行かせるか」
石の存在を狢伝に知られる前にと考える童羅の案であった。
阿修羅や他の鬼たちは、童羅のその言葉に不服そうな表情を浮かべた。
童羅たちが話している家の外では、岩山にもたれて座る亜羽流の姿があった。恐ろしい鬼たちが溢れる中でその姿は人間が一人紛れ込んでいるように見える。
治療をされたとは言え、亜羽流の身体は激しく傷んでいた。その様子を心配する者など居るはずもなく、声をかける鬼の姿もない。周りには徒党を組むと話をしている鬼たちが居る中で、亜羽流は明らかに浮いている存在のようだった。
鬼たちに仲間意識と言うものがあるなら、亜羽流は孤独である。側を通る鬼たちの目は亜羽流を見下している。
亜羽流にはそれが普通の事であった。動じる事もない。傷んだ身体を休めると千里の事を考えていた。
「──私、千里って言うの。あなたは?」
そうやって名前を初めて知った。千里は、亜羽流の奏でる笛の音色を喜んで聞いた。愚邏堂との戦いの後にどうなったのか? 亜羽流は、千里の事が気になっていた。すると、前を通る鬼たちから話し声が聞こえて来る。
「……だろ。あれじゃあ、目の前にご馳走が置いてあるようなものだぜ」
「後少しでも山に入ってしまえば喰えるんだけどな」
「引っ張り込んじまうか? 人間の女なんて、どれくらい喰ってないだろうな。想像するだけでもたまらねえな」
「──!」
鬼たちの会話を聞き流していた亜羽流だったが、その言葉に勢いよく立ち上がった。その瞬間、激しい痛みが全身を襲う。
「がぁッ──」
突然、立ち上がって呻き声を上げた亜羽流に鬼たちが言った。
「はっ……ざまはねえな亜羽流。童羅さまに少し目をかけられてるからって調子に……ッ!」
「その女はどこに!?」
亜羽流が詰め寄った。
「ああん? そうか。お前、人間の女を助けたんだってな? 山の下にある小道の側。そこにいつも女が居るらしいぜ。まあ山に入って来る様子はないみたいだがな」
それを聞いた亜羽流は、カッと目を開くと表情を変えて走った。山を降りる為であった。
身体は動かす程にキシんで、傷を広げていった。
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