第21話 山に鳴る鞭

 千里が、亜羽流に会おうと山へ足を運んでいた頃である。

 亜羽流は山の中で仲間たちに吊し上げられていた。そこは千里の見る山の中にはない別の空間である。鬼たちはそこを『里』と呼んだ。里は人には見えない空間にあると鬼たちが生息する場所であった。

「しかし、お前も愚かだよなあ」

 嶄鬼ざんきは、手に持った鞭を亜羽流に見せつけるように遊ばせると強く振った。鞭はしなりながら地面にある岩に当たると、先端に付いた刃がそれを砕いた。こうして砕かれた岩はもう五つを越えている。

 場所は、岩山に囲まれた一角であった。そこにある窪みは滑らかな曲線を描くと、雨宿りが出来そうな洞穴のようになっている。前には、敷居のように二本の丸太が立てられると、その『カナガ木』から取れる特殊な成分で作られた糸が、亜羽流の両手首を縛ると身体を持ち上げて宙に浮かせていた。

 亜羽流の手首から血が垂れると、それは腕を伝って地面へと落ちる。まるで鋼鉄の糸のように鋭く、頑丈なものであった。

「う……」

 亜羽流は、微かに呻き声を上げた。

 嶄鬼の鞭で打たれた事で、服はひどく破けると身体は血で染まっている。『血の滝』と呼ばれた罰の通りに流れる血は滝のようであった。

 嶄鬼は手を止める事もなく、亜羽流を鞭で容赦なく打ちつけた。

「そうらぁっ!」

 亜羽流を弄ぶかのように鞭を振った。それは、風を切ると亜羽流の身体を引き裂いていく。

「うあああああっ──」

 叫び声は、山の中にこだまするように響いていた。それは昨晩から続く亜羽流への罰であった。

 ガクリと力なく項垂うなだれて意識を失った亜羽流を見た嶄鬼が首を傾げる。

「ううん?」

 終わらしてしまったか? そう思い嶄鬼は、亜羽流へと近づいた。

「……う」

 薄っすらと目を開けた亜羽流の意識を確認した嶄鬼は、ニタリと笑みを浮かべる。そして、亜羽流の首に流れた血をベロリと長い舌で舐めると、それを味わうように時間を置いて話し始めた。

「どうして人間なぞに手を貸すのか。やっぱり、そんな姿を持つとおかしくなるのか? それとも、おかしいから、そんな姿として生まれたのか? どっちにしろ哀れなやつだな。ふははは──」

 高笑いをする嶄鬼。

「……」

 亜羽流は、答える体力すら残ってはいなかった。

 刑が始まった時に嬉々として声を上げていた他の鬼たちも、しばらくすると飽きたのか興味をなくしたように少しずつ姿を消していった。今では、刑を行う嶄鬼とそれを手伝う数匹の鬼が残るだけであった。

「なあ? 亜羽流。人間の女を助けたんだって? そんな事をして一体、何になるんだ? どうせ今頃は阿修羅さまたちの手でとっくに虫の息さ」

「──」

 亜羽流は、嶄鬼の言葉に反応すると顔を上げてカッと目を開いた。

「うぅん? 知らなかったのか? あの女は童羅さまの命で、今は我らの重要な標的となっている」

「……な、なんで──」

「ああ? さあな? 山に入って来た者以外の人間を襲うのは今は禁じられているからな。東山の結界に関わる事なんじゃねえか?……だけどよ亜羽流、本当はお前のせいかも知れねえぜ」

「──!?」

「お前が人間の女なんぞ助けたから、その見せしめさ。その方が他のものにも示しがつくだろ? 人間なぞ助けるな──とな」

 そう言って嶄鬼はニタリと笑った。

 それを聞いた亜羽流から嶄鬼へと強い殺気が向けられた。

「ははははは。それでどうする気だ? 止めようとでも言うのか? そんな状態、そんな身体で!? ふははははは! もう遅いわ。今頃、女の身体は引き裂かれバラバラになると、その頭は喰われておるわ! ははははは──ッ!」

 その瞬間、轟き音が聞こえ嶄鬼の前に一本の閃光が走った。その閃光は嶄鬼の足元にあった岩を砕くと、シューと熱を上げて白の煙を吐いた。

 驚きの表情を見せた嶄鬼が亜羽流を見ると、精気のなかったはずの亜羽流が睨みを効かせている。

 亜羽流が落とした雷であった。

「き、きさまぁ……」

 怒りを顕にした嶄鬼が鞭を振ろうとする。その時であった。急に辺りが騒がしくなると、里の鬼たちは童羅の家の方へ集まり始める。そこには阿修羅と阿杜、帰って来た二匹の姿があった。嶄鬼が言った。

「ははははは、遅かったな亜羽流。あの女はもう生きてなどいない。阿修羅さまたちに狙われて助かる人間なんぞ居るはずもないのだからな」

 だが、その嶄鬼の笑いはすぐに止まる事になった。

 集まった鬼たちがザワザワと騒ぎ出したからだ。

「うぅん?」

 変に思った嶄鬼がその様子を伺うと、すぐにその理由がわかった。阿杜の身体には傷があると、阿修羅に至っては頭の角が一本折れている。それは普段ではない別の、見た事もない手負いの姿であった。

 そんな二匹の姿に騒ぎ出す鬼たち。

 怒りが収まらないのか、阿修羅は周りに集まる鬼たちを煩わしそうに払うと、近くに寄った鬼の一匹を殴り飛ばした。それを見た鬼たちは怯えながら距離を取り始めると、阿修羅は「ふんっ!」と鼻息を鳴らして童羅の家へと入って行った。

 阿杜は、そんな阿修羅を気にする事もなく、亜羽流の居る嶄鬼たちの方へと向かうと、周りの鬼たちは道を開けるようにして下がった。

 嶄鬼は、やって来る阿杜の姿を見て慌てる仕草を見せると、今度は媚びへつらうように口を開いた。

「あっ……あ、阿杜さま。こっちの方は何も問題はありません! 亜羽流の刑は、この私めがしっかりとやらさせていただいております」

「……」

 阿杜は、嶄鬼の言葉に返す事なく歩くと、拘束された亜羽流の前へと立った。

「──」

 阿杜と亜羽流の視線が向き合うと少しであった。阿杜が口を開く。

「……女は無事だ。今のところはな」

「──」

 阿杜は、亜羽流にそれだけを言うと背を向けて去って行った。

 その言葉を聞いた亜羽流は表情を崩すと、安心したように目を閉じる。

 だが、そのやり取りを聞いた後の嶄鬼の鞭は、更に強く亜羽流の身体を打つ。その音は長く、そして童羅の家の中にまで届いていた。

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