第20話 千里の想い
「暗くなったら帰るのよ」
騎助は、それを聞いて返事をすると人混みの中へ消えて行った。
騎助を見送った千里は、来た道を引き返すと門へと足を進める。千里には喃国との戦いの後から、毎日欠かさない行動の一つがある。それは蘭国の外へと出かける事であった。
大通りを抜けて門に着くと、千里は門番の兵たちに挨拶をした。すると、兵士たちはいつものように門を開けると千里を国の外へと送り出す。外には別の番が二人立つと、その一人である灯馬が千里に声をかけた。
「……よう」
「うん……」
二人はそれだけ声を交わすと何も言わなかった。
灯馬は、いつものように歩く千里の後ろ姿を黙って見送っていた。
吹き抜ける風が千里の髪を泳がせている。
国を囲い守る城壁の側を伝いながら、下を向いて歩く千里に段々と鬼木の山が見えて来た。千里は、今度は山を見上げながら先へ進んだ。そしていつもの場所に辿り着くと山の上へと続く道を眺めた。鬱蒼と生える山の木々の中で、ひっそりと一本だけ伸びる小道。それは千里の記憶に今も鮮明に残る場所であった。
亜羽流が千里を見送って姿を消した場所──。千里は何度か振り返ったが、再び亜羽流の姿を見る事は出来なかった。今も同じである。千里は、山の奥まで見ようと目を凝らすと、その頂上へと続く道を目で辿り最後は山の全体を眺めた。
「この山の何処かに亜羽流は居るのだろうか──」
時間だけが過ぎていった。
千里は何度、山へ足を踏み入れそうになったのかわからないでいた。しかし「絶対に山には入らない事」国を出る条件としてそう狢伝に言われた事が、千里の足を止めている。こうして蘭国の外へと出ると、ここまでやって来れる事、それ自体が異例の事であった。感謝こそすれ、それを裏切る事などあってはならないのは、重々わかっているつもりだった。
それはわかっている。だけど会いたい──。もう一度、亜羽流と会いたい。その気持ちだけは止める事が出来なかった。
変わらない風景を座って眺める事、どれくらいたったのだろうか? 日が沈みかけると辺りは随分と暗くなり始めた。千里は、騎助が帰る頃だろうと思い、ようやく諦めると腰を上げる。そして、蘭国へ戻ろうとしたその時であった。
ガサリと動く音が聞こえた。「亜羽流!?」千里はすぐに山へと視線を戻した。気配の正体は、野兎であった。
千里の気持ちなど知らない兎は、耳と鼻をヒクヒクと動かして辺りを見渡すと、そのまま山の中へと戻って行く。巣に帰ろうとして迷ったのだろうか? それは何かを探しているようで、怯えた子供のようにも見えた。千里は、まるで自分のようだと兎を見つめ続けていた。
辺りは随分と暗くなっていた。
国へと戻る千里の目には涙が溢れ出すと、それは頬を伝って落ちる。それが、辛い現実から来たものなのか亜羽流と会えなかった寂しさから来るものなのか、千里にはよくわからないでいた。
やがて門兵たちが見えて来ると、千里はすぐに涙を拭いとった。そこには灯馬ともう一人、蘭国を出る前に居た兵士とは違う別の者が立っていた。一人は交替をしたのであろう。それを見た千里にはいつも不思議に思う事がある。
千里が戻る頃には、一人は交替をしている事がほとんどであるにも関わらず、灯馬は交替をしている事がなかったからだ。
初めはそういう任務なのだろうと思っていた千里だったが、全く交替をしないのは不自然だった。
千里の姿に気付いた灯馬が空を見上げると言った。
「あー……どうりで暗くなって来たと思ったら千里、やっぱりお前か」
日が落ちたのは、千里のせいだと言わんばかりだった。
「な、なによ! 私のせいみたいじゃない」
「違うのか?」
「違うわよ」
千里は、自分でも少し大人しくなったと思ってはいたが、灯馬と話す時はいつもこうであった。それは灯馬が千里を煽るからである。それでも、蘭国に戻る前にこうして普段の姿に戻れるのは灯馬のお陰であると思っていた。そして、それに感謝もしている。
「……で、居たのか?」
灯馬が聞いた。
「ううん……」
千里は首を振ってそう答える。
「そうか……」
灯馬は、それ以上は何も言わなかった。それもいつもの事であった。
そんな灯馬が背負う門の中からは、シャンシャンドンドンと陽気な音色たちが漏れ聞こえて来る。祭りの練習であろう。しかし、千里の頭には何故、亜羽流が姿を見せないのだろうか? と言う気持ち。亜羽流はどうなったのか? 無事なのだろうか? と言う想いだけが日増しに強くなっていた。
灯馬は、そんないつもより暗い千里の表情を見てフッと視線を外すと言った。
「……祭りには来るんじゃねえか?」
「え……?」
「笛……吹くんだろ? 今度の祭りは演奏する催しが多いみたいだからな」
灯馬は少しだけ笑った。
その言葉の意味は、亜羽流が祭りに現れるのではないか? と言う根拠のない話だったが、それでも千里を元気づけようとする灯馬の不器用な優しさが、千里には嬉しかった。
「……うん」
千里の表情に少し明るさが戻った。そして、二人は微笑むと少し笑う。すると、近くでガサリと音が鳴った。野兎であった。灯馬は「おっ! 飯だ」と嬉しそうにそれを追った。
「あ……その兎は駄目っ!」
千里はそう叫んだが灯馬の耳に届く事はない。兎を捕まえようとする灯馬と、逃げようとする兎を応援する千里の姿はいつもの二人であった。
そんなやり取りに、千里は明日もまたここに来ようと元気づいていた。
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