第二章 蘭祭の中で
第19話 祭りの幕開け
城下町は、活気で溢れると賑わいを見せていた。半年に一度行われる蘭国の祭りが、三日後に迫っていたからだ。
城へと続く大通りの脇には、商いをしようとする人々が集まると店の準備でごった返すと、先にある城門の前では、船で渡って来た他国の者たちが珍しい服装で小屋を組み立てていた。
千里の心は躍ると高鳴った。
『
決して優しいとは言えない両親だったが、それを恨む事はなかった。家族と一緒に過ごす日々が、とても幸せであると感じられたからだ。だがそれも、もう叶わぬ願いである。
隣に居たはずの騎助は、はしゃぎながら道に並んだ店を見て回ると、出されている品物を手に取った。それは蘭国でも普通に売られている簡単な横笛だった。
騎助は、前に起きた喃国との戦いの際、恐怖で怯えると声も出せず抜け殻となった。そんな中で見て聞いたものは、黒い鬼と戦った青年の姿である。騎助は何時からか憧れを抱くようになっていた。それが横笛を好む理由である。騎助が千里に言った。
「なあ、千里! これ買ってくれよ!」
表情は昔と変わらない無邪気なものであった。同じ歳の子が刀を模した玩具に興味を持つのに対して、騎助は笛を見せた。
「うん、それぐらいなら……」
千里が小銭を渡すと、騎助は嬉しそうに店へと戻っていった。千里はそれを見送ると、ふと周りから視線を感じて辺りを見渡した。そこには表情を曇らせると、ヒソヒソと話しをする人々の姿がある。
慣れたとは言え、千里に取っては辛いものであった。自分が化け物の女。そう言われ疎まれている事は知っている。違うとわかってはいても、それは千里の心を酷く苦しめた。人知れず涙を流した事も少なくない。しかし、その度に騎助の事を思い、涙を流さぬように努めていた。
そして、亜羽流の事を思い出した。千里は、灯馬たちに話してない事がある。隠すつもりだった訳ではなく、話す必要がなかったからだ。
千里が山を降りる前の事だった──。
「……帰りたくない」
千里はそう言って、亜羽流に延々と話し続けた。他愛もない生活の話。両親の事、弟の事、そして自分の話。
亜羽流は、それをただ黙って聞いているだけであった。そして、千里の話しが区切りを迎えると子供を諭すように言った。
「……でも、帰った方がいい」
その言葉の意味は千里にもわかる。また化け物たちが現れたらと思うと、ガタガタと身体が震え始めるのを止められなかった。
それでも、千里は亜羽流の持つ笛を見ると言った。
「聞かせて?」
「えっ──」
「さっきの曲っ!」
蘭国でも聞いた事のない美しい音色。千里は、どうしてもそれをもう一度、聞きたかった。
亜羽流は、お願いと懇願する千里の目に圧されると、そっと笛を口に当てて吹き始める。
流れる旋律──。
それは山の中を駆けると、動物たちの息づかいが聞こえ、草木たちは生命に満ち溢れる。
山から見下ろせる城下町まで聞こえそうに響き渡ると、広大な空まで包むように優しく、心が穏やかになっていくようであった。どこか切なく、懐かしさを覚えるものがある。
千里の頬に涙が溢れ落ちた。
「──」
亜羽流は、演奏を止めたが「……続けて」と言った千里の言葉を聞くと、また音色を奏で続ける。
千里は、それを身体全体に染み込ませるように、ただ最後まで聞き入っていた──。
亜羽流は、千里が山を抜ける安全な場所まで送ると優しく微笑んで姿を消した。亜羽流は、千里の側にいる人間の誰よりも優しかった。
その後、喃国が侵攻してきた時に再び姿を見せた亜羽流は、黒鬼と戦って消える。陰陽師の術が原因であった。黒鬼を止める為のものだったが、それに巻き込まれたのだ。
千里は思う。もう一度会いたい。会って、お礼を言いたい。そして、亜羽流の奏でる音色をもう一度聞きたい──と。
城門の前では、芸者たちが祭りで披露するであろう劇や演奏の練習を行うと、それを見ようとする人たちが集まって活気を見せている。
ジジジ──近くで蝉が鳴いた。あんなに楽しみにしていたはずの蘭祭も、今の千里には少しだけ色褪せて見えた。居ない家族、会えない亜羽流を思う寂しさから来るものだったのかも知れない。
「騎助! あんまり離れないで!」
千里は、今にも見失ってしまいそうな騎助に声をかけると、笑顔を見せて大通りを歩く。
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