第18話 亜羽流との出会い2

 ザザザ──と、山の土が動いた。

 飛ばされた亜羽流は、地面を滑りながら態勢を整えると片膝を付く。その口元には血が垂れた。そして、何も言わずにすっと立ち上がった。

「亜羽流、終わりだなっ!」

護羅无兄ごらむあにに勝てるものか! ハハハハハ」

 亜羽流は、笑う鬼たちを相手にする事もなく、千里の後ろに立つ護羅无を見ていた。

 ぶつかる互いの視線──。

 先に護羅无が口を開いた。

「亜羽流っ! この女を助けるつもりか!?」

 重く迫力のある声だった。

 それだけで、護羅无が他の二匹に比べると力のあるものなのだとわかる。

 亜羽流がこくりと頷くと、更に恐ろしい声が返ってくる。

「その姿、失ってもか?」

「……」

 亜羽流は小さく頷いた。

 それを見てジリジリと距離を詰める鬼たち。

 亜羽流は、その様子を少しだけ見たがすぐに視線を戻すと、それ以上に護羅无を警戒している。

 鬼たちの足に踏み込む力が加わると、飛びかかる直前であった。

「わかった! もういい!」

「ごっ、護羅无兄? も、もういいとは……? あ、亜羽流は──」

「そのままだ。もういい」

 護羅无は千里の肩から手を離した。

「そ、そんな! このままにするんですか? 兄なら、あんな奴……」

「我らは命を受けてる途中だ。こんな所で遊んでる場合ではない。どうしてもりたいならお前たちだけでやるんだな」

 護羅无は、ぐるりと振り返ると背を向けて歩き出す。

 鬼たちは、少し戸惑う仕草を見せると亜羽流をキッと睨み付けた。そして、千里を見て口惜しそうにすると、亜羽流に向かって言った。

「亜羽流! 童羅様には伝えておくからな! それまではせいぜい好きにしておくんだな」

 護羅无の後に付いて行く鬼たち。

 その去り際であった。護羅无が亜羽流へと向き直ると忠告をする。

「……亜羽流。あまり勝手が過ぎるとただではおかんぞ」

 ぼんやりと、護羅无たちの周りから別の景色が現れ始めた。空間の捻れであった。護羅无たちは、その中へ姿を消すと辺りの風景は元に戻る。

 草木の色、訪れる静寂と山の匂い──木の枝からはバサバサと鳥たちが羽ばたいていく。

 座り込んでいた千里は、呆然として現実を受け入れるのに時間がかかっていた。

 亜羽流が近づいて来ると言った。

「……もう大丈夫」

 差し伸べられる手──それはまともな人のものであった。

「あ……」

 千里は、ろくに声を出せないまま手を掴むと立ち上がった。そして、亜羽流を見ると「ひっ……」と悲鳴を上げて手を離す。亜羽流の頭には一本の小さな角が生えていた。

 千里は怯えると後ずさった。

 亜羽流は、少し寂しそうな表情を浮かべた。

「早く山を降りた方がいい。ここは鬼の住処すみかだから……」

「え……あ、あなたは──」

 姿も声も普通の人間、千里とそう変わらない歳に見える。しかし頭にあるそれは──。

 千里がそうやって不安そうに見ていると、亜羽流は精一杯に作ったように笑った。

「俺は鬼だから──」

 寂しそうな瞳。綺麗な青い髪と美しい容姿に千里は一瞬、目を奪われた。角さえ除けばその姿は、鬼ではなく人にはない美しさだった。

「あ……」

 千里は、亜羽流の口元から血が流れている事に気付くと、思わずその唇に流れる血を手で拭いとった。

「えっ──」

 亜羽流は、少し驚いた様子を見せたが、言葉なくただ黙って千里を見ていた。

 静けさの包む山の中で──。

 人間の千里と鬼である亜羽流の出会い。それが始まりであった。


 パチンッ──と、囲炉裏の火が弾けて鳴った。

 千里の話に静まった室内の中、灯馬が口を開いた。

「……それでその後は、喃国なんこくの攻撃か」

 千里は小さく頷いた。

 喃国の侵攻が始まった時、門兵の任をしていたのは灯馬であった。国から飛び出して山から帰って来た千里を見つけると、押し問答になっていた時にそれは起こった。

 二人はそれを思い出すと、何処となく視線を向ける。

「──にしてもには落ちねえな。嬢ちゃんが狙われる理屈としては、それだけじゃあ合わない。他に何かあるか?」

 転がって話を聞いていたはずの次梟は、いつの間にか片膝を立てて座っている。

 千里は軽く首を振った。

 それを見た次梟は「そうか」とだけ答えた。

 喃国との戦いには灯馬も次梟も防衛に当たった為、その後の内容は知っていた。灯馬は、亜羽流と大鬼との戦いを目撃していた一人でもある。

 大鬼は愚邏堂ぐらどうと名乗った。

 千里が呼んだとされる鬼。それは蘭国を襲った大鬼と戦った亜羽流で、噂されている話は事実ではない。愚邏堂は、喃国が連れてきた鬼だったからだ。その力と恐ろしさは、阿杜と戦った次梟を一撃で眠らせてしまう程であった。

 同じ鬼とは言え、その大きさと強さは別物であった。

 室内に沈黙が流れる。

 外からすずめさえずりが聞こえた。どこからか鳴いた鶏が朝の訪れを告げている。朝の光が障子から射し込んだ。古傷が疼いたのか、次梟は立ち上がった。

「……まあ、今日はもう大丈夫だろうな」

 そう言って、外の景色を見ようと次梟が障子に近づいく、その時であった。

「あ……じっ、次梟さんっ!」

 灯馬が慌てて声をかける。

「あぁ?」

 障子を開けたばかりの次梟が振り向いた時であった。

「だあああぁっ!」

 天井から叫び声と槍の刃が降りかかった。思わぬ奇襲である。

「──!」

 気配を察知した次梟は、瞬時に態勢を取ると後ろへと飛んだ。

 次梟を避けた槍はグサリと畳へ突き刺さった。間一髪である。槍を突き刺した男は痩せ細って見えると、蘭国の防具を着けていた。鬼の襲撃が始まる以前から天井裏で息を潜めると、指示された任務を忠実に守っていた中濃なかの。「障子が開いたら突き刺す」それだけである。


 中濃は見える。ぼんやりとではあったが目の前に居る者は大柄であった。これが「鬼」か。そう思い、震える身体を突き動かすと、中濃は大声を出して槍を突いた。

「だあああああっ──あ゛っ」

 槍は空振りになると、中濃の顔に次梟の足の裏が押し付けられる。ザリガニが腐ったような臭いであった。「ぐ……は、はぁっ」

「……何だ? お前は。だあああああっ。じゃねえよ」

「お、鬼が──」

 喋った。放たれる悪臭。それはザリガニが──。

「んな訳ねえだろ」

 次梟は中濃を蹴飛ばした。

「あっ……」

 中濃はそう声を洩らすと、縁側の向こう側へと落ちて行った。

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