第17話 亜羽流との出会い
静まり返る室内の中、千里は誰と目を合わす事もなく語り始めた。
「……父から遊郭で働くように迫られていたんです。私はそれが嫌で、蘭国を飛び出すとそのまま鬼木の山に入ってしまったんです──」
「お嬢ちゃん、こおんな所で何してるんだい?」
粘りのある声であった。
千里の前に突如現れた鬼は、人間の倍はある赤い鬼で頭には数本の角が生えていた。
声を出す事も儘ならない千里に、鬼は醜い顔を見せて笑った。
ガクンと腰を抜かした千里は、尻餅を付いてその場にへたり込んだ。身体は震え上がると悲鳴すら出せないでいた。すると、今度は宙から別の笑い声が降って来る。
千里は、恐る恐る上を見上げた。
木の枝には、目の前のそれと変わらない化け物が立っていた。その鬼は嬉しそうに言った。
「こいつは、儲けものだったな。まさか、こんなところにご馳走があるとはよ」
瞳はカッと開くと鋭い牙が剥き出しになる。
直後、千里は這いながら身体を必死に動かして立ち上がると、もつれる足で力の限りに走った。
動けた事が自身でも信じられなかった。
「……ほぅ」
それを見た鬼たちは、にやりと笑みを浮かべると奇声を発しながら千里を追った。
木から木へ飛び移ると、まるで獲物を狩るように楽しそうに──。
どのくらい走ったのだろう──?
千里にはもうわからなかった。ただ「止まれば、死ぬ」それだけは確かだとわかる。
でも、もう駄目だ。これ以上、走る事は出来ない。私は死ぬのだ。手足を取られて腹を裂かれると、頭は噛られる。それも生きたままで──。
諦める直前であった。先に山の際が見えると、わずかに青い空が見える。後少しだった。千里は、そこに着く前に力なく崩れ落ちる。例えたどり着けても、飛び降りれる高さでもない事はわかっていた。
千里は、這った状態から後ろへ振り返った。
ジワリジワリと歩み寄る鬼たちから「おしまい」と言う言葉が聞こえるようであった。
「いやあああぁっ──!」
千里は、空まで届きそうな悲鳴を上げる。出来るだけの抵抗であった。もちろん効くはずなんてない。
鬼たちは、まるで良い音色だと言わんばかりに醜い笑みを浮かべると、千里の頭を掴もうと手を伸ばす。
その時であった──。
何処からともなく聞こえる美しい音色。
鬼たちは千里から距離を取ると、辺りを見渡して警戒を始めた。
「……亜羽流かっ!?」
鬼たちの声は、千里の腹の中から響くように山の中で
自分に関心を示さなくなった鬼を見て、千里は流れる音色に耳を澄ませると聞いた──それはすぐ後ろ、山の際の辺りから流れていた。千里は視線を向けた。
そこには木に寄り添って座る青年の姿があった。
さらりと風に
やがて止まる音色──。青年は笛を降ろすと、すっと千里の方を向いた。その瞳は大きく、青く輝きを放つと吸い込まれそうである。寂しさの混じるその眼差しは
亜羽流はゆっくりと立ち上がった。
そして、ふわりと千里の側へと来ると言った。
「もう大丈夫だから──」
微笑む表情もどこか寂しそうである。
そして、亜羽流はゆっくりと歩を進めると千里の前へ立って鬼たちに向かって言った。
「……里に戻れ」
蘭国の人なのだろうか。千里がそう考えていると、距離を保ちながら警戒する鬼たちが言った。
「亜羽流! 我らに楯突いて、どうなるかわかってるのか?」
「我らは今、童羅様の命を受けている途中だ! その気になれば、お前ごときどうにでもなるのだぞ!」
鬼たちは「グゥルルル」と威嚇するように唸る。
「……女は、山を降りる」
それを聞いた鬼たちは、カッと更に恐ろしい表情を浮かべた。「ふっ、ふざけるな!」そう叫ぶと、千里を追った時とは比べものにならない速さで飛びかかった。
亜羽流との体格差はまるで合わない。
殺される──千里がそう思った時である。
すっと、横笛で描かれたαは淡い青炎となって現れる。
「
発せられた言葉と共に閃光が走ると、ゴロゴロとした轟きの音が鳴って、辺りに激しい風が巻き起こる。亜羽流の髪が騒がしく揺れた。
瞬間、落ちる雷に撃たれた鬼たちは声を上げる。
「ウガアアアアッ──!」
バリバリと震えて痙攣する肉体は、煙を出すと完全に動きを止める。辺りには焦げついた匂いが漂った。
雷のような閃光──。
千里は一度、見た事がある。昔、国の城に侵入者が入ったと騒ぎになった事がある。その侵入者は、相当の手練れで城主の狢伝を狙う暗殺者であった。
蘭国の護衛たちは、それを城門外の手前まで追い詰めると取り囲んだ。すると、何処からか普段は姿を見る事のない陰陽師が現れると、術を唱えて暗殺者を焦がしてしまった。その時の閃光とよく似ている。
千里は小さい頃、それを遠くから見た事があった。
大人たちが陰陽師を見れた事に興奮して騒いでいた事を覚えている。術者とは、それほど珍しいものだったからだ。
だが、そんなものではない。
その時の術が雷とすれば、亜羽流の落としたそれはまるで天から落ちた裁きのようである。
塵になる──筈だった。
「あア゛ッ……ア、亜羽流るうぅ-!」
「ぎざまああぁッ──!」
鬼たちは絶えなかった。それどころか、致命傷を追った様子もない。ただ表情だけ険しく変わると憎悪を膨らませる鬼であった。そして、その肉体は更に大きくなると四肢は太くなった。
「覚悟しろよおっ!」
鬼の二匹は突進する。
まるで空間を越えるように進む動きは、詰まる距離の速さに比べて遅いようにも見える。しかし一瞬であった。
ジリッと身構えた亜羽流と二匹はすぐに戦いとなる。
鬼の太い腕から放たれる拳。亜羽流はそれを横笛で受け止めると弾く。見た目からは想像出来ない力である。亜羽流はそこから左の足を蹴り出すと、鬼は避ける事もせず首で受けた。ガシリッと掴まれた亜羽流の足──身体ごと放り投げられる。
そこにもう一匹の鬼が飛びかかると、亜羽流に向かって腕を振った。宙で捻りながら交わす亜羽流。
そうやって跳ねて飛び回る戦いは人ではなく、魅入られるほどの美しさがあった。
千里が戦いに目を奪われていると、突然、背筋が凍るような気配が襲いかかる。慌てて振り向こうとした千里の肩にドシリと重いものが乗った。
青い手であった。その指からは鋭い爪が生える。人ではない。
千里は縛られて動けなくなると、ガタガタと身体を震わせ始める。そこから大きな声が飛んだ。
「そこまでだっ!!」
「──」
声に気を取られた亜羽流は、相手の拳を避けきれずに弾き飛ばされる。
突然、千里の後ろから現れた鬼の姿──。
それは、二匹の鬼たちよりも随分と大きく、太い角を生やした青鬼であった。
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