第16話 夜明け前

 襲撃の騒ぎが嘘のように静まると、城下町の一角は日常を取り戻していた。

 もう朝日が昇ろうかと言う時間である。民家の中は怪我をした兵士たちで溢れ返ると、室内は暗く、重たい空気が流れていた。部屋に入りきれない兵士たちは、入口側の空いた場所に力なく座り込むと、中には倒れて横になる者も見える。休息、でもない。それぞれが物静かに傷んだ身体を気遣っている。

 阿修羅、阿徒に寄る襲撃──。

 それは相当な被害をもたらした。が、幸いにも死者は一人も出ていなかった。しかし、その負傷者の数は多く、中でも重症だったのは田嶌である。

 阿徒の爪で裂かれた身体の傷は内臓にまで達すると、腐敗を始めた足は既に色を変えようとしている。無駄に声を上げない田嶌はさすがであった。

 応急処置だけを済まされた田嶌は、治療を行う為に隊の一人に背負われると城内へと運ばれて行く。

 その際、見守っていた蓮部に言った言葉は「……悪いな」それだけであった。先に現場を離れる事への謝罪である。

 だが、蓮部にその一言は罵られるよりも胸に刺さるものであった。あの時の田嶌の覚悟に比べると、蓮部のそれは非難をされてもおかしくない行動であった。

「いや……」

 蓮部はそれ以上、何も言えなかった。

 その気持ちを察してか、田嶌は気にするなとばかりに少しだけ笑った。

 命に別状はない。しかし、足が元の状態に戻る可能性は素人目にも低いと思われた。

 それを見送る仲間の表情は暗いものであったが、この結果は灯馬たちに取って勝利と呼んでも良い内容である。犠牲者を出す事もなく、鬼を追い払う事が出来たからである。千里の無事も確認できていた。

 ちゃぷりと水が動いた。

 千里は、桶の水に手を入れて布を洗い、負傷した兵士たちの手当てをしている。額にはたくさんの汗を流すと、眉間には険しくシワを寄せた。難しい表情を浮かべるのは、この現状に至る原因が自分のせいであると言う思いから来るものである。

 そんな千里の様子を襖の側で見ていた灯馬に、鳳歌が声をかけた。

「灯馬さん、本当に戻らなくて良いんですか?」

 灯馬の傷も相当なものである。鳳歌は灯馬にも治療の為に城に戻るようにと声をかけたが、灯馬は「大丈夫だ」そう言って断った。

「でも……」

「本当に大丈夫だ。もちろん痛みはあるけどな」

 灯馬は裸同然であった。着ていた黒装束は化けた時に破けると、腰に布切れを巻くだけである。

 そんな灯馬を気遣う鳳歌の表情を見ると灯馬は思う。これは鳳歌の癖なのだろう。悪い奴ではないと。

 すると、その癖を作らせた当の本人が横になったまま声をかける。

「それぐらいの傷で泣き言を上げるわけはねえよな。なあ? 灯馬」

 胸に巻かれた包帯には大量の血が滲むと、水溜まりのように形を作っている。今にもポタリと落ちそうであった。その姿を見て言葉を返す者など居る筈もない。

 次梟の言うそれぐらいとは、一体どのくらいの傷を指すのだろうか。おそらくは意識を失うまでなのだろうと灯馬は思った。

 次梟の助けがなければ千里を守る事は出来なかったはずである。本当なら礼を言うべきなのだろう。

 灯馬は、それをわかってはいたが、この件の大将がまるで自分であるかのように振る舞う次梟に素直になれずにいた。そんな気持ちなど知らずに眠そうにあくびをする次梟も、恩を着せる様な言葉は一つも出てこなかった。当たり前過ぎて微塵も考えてはいないのだろう。変わらず次梟であった。

 手拭いが桶の中へ浸かった。

 兵士たちの治療が一通り終わった千里は、額の汗を拭いとった。そして大きくため息をつく。

 灯馬は、少し落ち着いたその時を待つと千里に聞いた。

「……なあ、千里。お前、本当に狙われる理由はわかんねえのか?」

 灯馬の質問に顔を上げる千里。

 全員がその答えに耳を傾けている。

 灯馬は、千里が何か隠しているのではないか? と言う考えは持ってはいなかった。ただ、こうまで執拗に狙われる理由は、千里にもわからない何かがあるのだとそれを探る。

 千里は首を振った。

「……俺と戦った奴も言ってやがったな。女を守っても俺たちにも得はない……だったか? 嘘を言ってるようには見えなかったがな」

 次梟が口を挟んだ。

「……」

 千里は、皆から求められるように向けられる視線と、その重圧に耐えられなくなったのか、下を向くと黙り込んだ。わからないものを答えようがないのだ。

 沈黙を破るように騎助が声を上げる。

「ねっ、姉ちゃんのせいじゃねえよ! 悪いのは鬼たち……あの化け物だろ!? なあ、灯馬っ!」

「……ああ、騎助わかってる。大丈夫だ。姉ちゃんのせいじゃねえよ。ただこの襲撃は異常だ。このままだと千里だけじゃなく、蘭国全体にまで被害が及びかねないからな。そうなる前に、この原因を知りたいだけだ」

 興奮する騎助を落ち着かせるように、灯馬の言葉は穏やかだった。

 騎助は返す言葉がなくなった。

 灯馬は騎助の頭をポンッと叩くと、改めて千里に聞いた。

「……千里、亜羽流って鬼とは、どう会ったのか教えてくれるか?」

 灯馬のそれは、聞くつもりのない話だったが、初めから知る必要があると感じていた。

 蘭国で噂となった青髪の鬼──。

 千里は小さく頷くと、出会った時の話を始めた。

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