第13話 問答
松明の火がゆらゆらと揺らいでいる。
蓮部は、大量の汗を流すと防具の下にある着衣まで濡らしていた。まるで水を浴びたようである。
それは夏の暑さではなく、目の前の現実から来るものであった。
「あっ、ああああ……がああっ……」
膝をついて呻き声を上げる田嶌の姿は、想像も出来ないほどの苦痛を表していた。
それは蓮部の恐怖を一層強くさせる。
集まった護衛たちの中で、一番力がある田嶌の攻撃を一瞬で終わらせた
それは畑の前に立つと、長い爪が地面を擦りそうなほどに伸びている。その光景は民家の敷地内とは思えないほど異様なものであった。
影がゆらりと移動した。
阿杜は、何も発する事なく歩くと千里の居る民家へと向かっている。
田嶌に構う事はなく、人間が自分とは違う低俗な生き物であると警戒に値しないようだった。
蓮部は、近づいて来る鬼に対して言葉にならない声を出すだけで、逃げる足も動かせずにいる。そうやって縮まる距離は、命を落とすまでの長さだった。
やがて阿杜の影が蓮部の姿を覆い隠した。
もう爪が届く間合いである。「うあああぁっ!」動いたのは田嶌であった。田嶌は、身体ごと投げ出すと両腕で鬼の背中を抱えるように掴みにかかった。腕には大量の血が流れている。
「は、蓮部っ!!」
田嶌は、鬼気迫る表情で
蓮部は動けなかった。
「あ……あぁ……」と息を洩らすように声を出すだけで、呆然と田嶌の姿を見ている事しか出来ない。
すると、阿杜は捻るように身体を振った。
その反動で大男であるはずの田嶌が、いとも簡単に弾き飛ばされる。そして阿杜は、派手に倒れた田嶌に対して興味を示すと、邪魔をした事への返しだとばかりに向き直った。
殺される──。
田嶌だけではなく、それを見る蓮部もそう思った。
阿杜の腕がゆっくりと持ち上げられる。鋭い爪が田嶌の身体を突き刺す──その時であった。
「畑荒らしとは感心しねえな……」
場の状況に似合わない台詞が飛んだ。
声は甘くて風格を持った温かいものであった。
その声は、蓮部たちが通った道から聞こえて来ると、今度は足音だけがゆっくりと近づいてくる。
蓮部の持った火に照らされると徐々に姿を見せた。
城主、狢伝の側近を示す袴を身に纏うと、腕には紫の腕章を付ける。それは特命を受けたものや力ある者だけに許された腕章であった。
袴は、農作業をした後のように随分と薄汚れている。蘭国一の実力者「鬼の次梟」である。
呼び名は数ある中の一つに過ぎなかった。民の中には「
その反面、祭りでは達人とは思えないほど屈託な笑顔を見せて馬鹿をやる。無茶苦茶な男ではあったが、その人柄は身分を問わず愛されていた。蘭国名物のような男である。
次梟が現れると静けさが漂った。
「……」
阿徒は、騒動の仕掛人がこの次梟である事を察知すると同時、他とは違って警戒すべき人間であると瞬時に判断する。そして、田嶌の足を長い爪で貫いた。
「うあああぁっ!」
叫び声が上がった。
それを見た蓮部は怯えると、次梟は大きく目を開く。
「……てめえ」
次梟の目が怒りを帯びて一段と鋭くなった。
「うあぁあああっ……!」
爪を引き抜かれた田嶌は、もう一度大きく悲鳴を上げる。
阿徒は、ゆっくりと次梟の方に向いて体勢を整えると言った。
「……なるほど。やはり狢伝は気付いてるようだな」
「ああん?」
次梟は、何の話しだと聞き返していたが、阿徒の口から狢伝の名前が出た事に驚いてもいた。
「……人間。お前たちは何で女を守っている? その理由を知っているのか?」
「ああ? ぅんなもんは知らねえよ。こっちが聞きたいくらいだ。お前ら何で女を狙う?」
「……」
阿徒は何も答えない。しかし、それまでの落ち着きから一変したように禍々しい気配が膨れ上がった。
「そんなに死にたいのなら良いだろう。お前たち人間が力のない存在なのだと思い知るがいい……」
阿杜は、自分の爪に付いた血に気付くと、それをペロリと舐める。そして、今までとはまるで違った冷酷で恐ろしい笑みを浮かべた。
「……俺の話は無視かよ。お前たち鬼も少しは知った方が良いんじゃねえか。会話ってやつをよ」
次梟は、すっと前に刀を突き出すと身構える。一見、直立不動のようで隙はなく、その体格よりもずっと大きいものに見えた。達人だけが放つ覇気。そしてそれ以上に、次梟には王者の風格があった。
風は消えた。
辺りに霧が生まれると、漂う殺気を隠すように濃くなった。阿杜、次梟、互いの視界を悪くさせる。
仕掛けたのは次梟であった。阿徒の意識がまた田嶌に向けられる前にと言う配慮である。
「おおおぉっ!!」
次梟は、気合いを発しながら阿徒までの距離を詰めていく。
霧に包まれるように消えて行く次梟の姿は、蓮部たちには捉える事が出来なかった。しかし、鳴った音だけで読めた動きがある。
ガキンと合わさるように響いたその音は、鍔迫り合いであった。そこから聞こえて来る次梟の言葉──。
「……なげえ爪だなおい。危ねえだろ。爪ぐらい切れよな」
刀は、折れる音を出さなかった。
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