第11話 警笛

 暗い細道では風が動いていた。

 灯馬の見事な体術と剣技──しかし、それを受けると交わす阿修羅の動き。

 紙一重で避ける互いの攻防は続く──かと思われた。

「かはぁっ!」

 灯馬は、咳き込むと吐血した。

 攻撃を受けた訳ではない。その逆であった。焦りからくる無理な攻め手。それは灯馬の身体を徐々に弱らせていくと、武器である足の速さまで奪う。アバラの負傷からくるものであった。吐いた血は地に点々と散ると、まるで花びらのように模様を描く。

 灯馬の肉体は急激に重くなると、意思ではその自由が利かなくなっていた。ガクンと落ちるように膝を付くと身体は悲鳴を上げる。体力の限界だった。

 そこへゆっくりと近づく阿修羅は、いつ襲いかかって来てもおかしくない気配を見せている。

 灯馬は、ガクガクと痙攣を始めた足に力を込めると、ふらつきながら立ち上がった。

 手に持った刀は情けなく垂れて地面を指すと、上がる様子はない。息はゼェゼェと荒く、視界は回るように方向を失っていた。

 だがそこに恐怖と言うものは感じられない。それどころか、その表情はどこか心地良さを味わってるようにも見えた。

「──人間。お前はよく頑張った。恥じる事なく安心して倒れるがいい。俺が残さず喰らってやろう」

 阿修羅は、唾液を垂らしながら長い舌を出すと嬉しそうに笑った。

「ちっ……」

 灯馬は、どうして立ち上がったのか。自分でもわからないでいた。もう力など残ってはいない。そして、阿修羅の頭上の先に浮かぶ三日月を眺めると思う。

 満月であれば勝てただろうか──?

 灯馬は、獣人になった自分の姿を想像していた。だがそれは未練であると思い直す。おそらくは勝てなかった。相手の方が強かった。それだけなのだと。

 もう目の前であった。

 死が迫った灯馬の頭に浮かぶもの。それは幼い頃の思い出ではなく辛かった任務でもない。それを共にした仲間たちでもなかった。久しぶりに話しただけの千里の姿である。

「……くそっ!」

 灯馬は、この状況の中で女の事を考える自分の甘さに笑いが込み上げてくる。そして、守れないであろう千里に対して「悪いな」と一言だけ謝った。

 灯馬は、とどめを刺しに来る阿修羅をキッと睨みつけた。

「へっ……汚ねえ面構えだな。食べて腹下しても知らねえぜ」

「……いい覚悟だ」

 阿修羅は、動こうとしない灯馬に向けて三本の腕を大きく広げて見せた。そして、灯馬の身体を一気に引き裂こうかとその時であった。警笛が鳴った。音は前後、左右、独特な間を空けながら次々と辺りに響き渡って行く。それは知らせと指示を出す為の、笛の技法であった。

「──」

 阿修羅は、突然の警笛に意識を奪われる。

「はっ、はははは……」

 灯馬は笑った。

 この騒ぎを起こした犯人の正体にである。こんな作戦を実行に移す人物は一人しか居なかった。

「……やってくれるぜ。これじゃあ、まだ殺られる訳にいかなくなったじゃねえか」

「お前……!?」

 阿修羅が声を上げる。

 灯馬は、自分が立ち上がった意味を思い出す。任務の為か? 違った。

 化け物の分際で人間さまを狙う鬼。それも女。そこから生まれて来る灯馬の感情。それは──気に入らねえと言うただの意地であった。灯馬の血がたぎる。満月の時と同じ血の流れである。

 きっかけは突然であった。

 ズシュリッ──

 肉を裂く音が聞こえ阿修羅の肩から血が跳ねた。その肩に乗った刀はブルブルと震えている。

 刀の持ち手は田所であった。

「キサマ……」

 阿修羅が言いかけた直後であった。

「うあああああああっ──!!」

 田所は、刀を振り切ると阿修羅の背中を斜めに切り裂いた。気合いであるはずの声は悲鳴のようだった。

「グッ……ガアァッ!!」

 阿修羅が虫けらと気にもしていなかった人間。

 田所の攻撃は、戦力と言うには頼りないものだったが、灯馬の眠っている力を起こす引き金となった。

「は……田所。や、やるじゃねえか。だよな? 諦める訳にはいかねえよな……でもその諦めの悪さが人間で……例え勝ち目がなくても、しがみついて足掻くのが俺たちの戦いってやつだよな!」

 灯馬の体内で駆け巡る血の鼓動。それは満月の夜だけだったはずである。

「うぅ、あ゛あああっ……がああっ……」

 灯馬は、苦しそうに唸り声を上げ始める。

 盛り上がると膨らんでいく筋肉。パァンッ──黒装束が破けると仕込んでいた鉄製の防具が飛んだ。

 瞳は獣のように輝くと、口元は狼のように長く伸びた。全身には毛が生えると辺りには独特な獣の臭いが漂い始める。人間にない変化。

獣人じゅうじん

 灯馬の特殊体質であった。その昔、蘭国へとたどり着いた灯馬は、この力のせいで化け物と怖れられると人々から避けられていた。ある日、狢伝にその力を買われた灯馬は、そのまま忍びの道へ進む事になる。他にする事もなかったからである。しかし、その気性の荒さから城内でもまともに話しが出来たのは、次梟ぐらいなものであった。

 変化をする度、灯馬はいつも過去を思い出す。自分が『化け物』である宿命をどこかで呪っていたのかも知れない。

 だがそれも年月と共に薄れると、少しずつだが違う事も考えるようになっていた。これは呪われた力ではなく「守れる力」なのかも知れない──と。

 そう思えるようになったのは最近で、仲間たちのおかげだった。

 灯馬の変化を初めて見た田所は、灯馬まで化け物だったのかと驚きの表情で固まると正常を保つ事が出来ないでいる。

 阿修羅も灯馬の意外な変化に目を開いていた。

「コイツは……フフフ、人間のくせに面白い。そんな力を持っているとはな。いや人間ではないのか」

「はああぁ……」

 変化を終えた灯馬の息がれる。

 阿修羅を倒して勝つ。今の灯馬にその気持ちはない。ただ次梟が居るとわかった事だけで、千里はもう大丈夫だと言う安心が冷静さを戻させた。ここは止めるだけでいい。灯馬はそれだけを考えていた。

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