第8話 意外性
城下町の一角である。
この一帯は、民家が集まる場所であった。そこにある細道が決戦の場となった。近くには簡単な囲いで仕切られた家があると、寝静まっていた民は田所の警笛で目を覚ましたかも知れない。ここ最近、
灯馬は、そう考えるとその心配を捨てた。
張り詰める空気の中、阿修羅が先に声を出した。
「……なるほど。阿徒の言う事もあながち間違ってはないようだ」
「あと?」
灯馬は、それを聞いてすぐに他の仲間がいるのだと察知する。周囲に目を配ると更に強く周りの警戒を始めた。
「ふふふ、そう心配をするな。お前の相手はこの俺がしてやる」
余裕が油断から来るものではない事は、対峙する灯馬には十分にわかる。目の前の鬼を観察すると武器は持っていない。お世辞にも耐久があるとは言えない布キレを腰に巻いただけである。だがその肉体、腕の太さから見ても、素手で人間をねじ切る事ぐらいたやすいであろう事は見てとれる。
田所はと言うと、刀を構えてはいるがそれは精一杯の虚勢だった。今の状態では使い物にならない事は明らかである。狙われたら終わりであろう。しかし灯馬はその心配も捨てた。今はもう、人の心配をする余裕などない。自分を守る事すら危うい状況である。それに田所は仮にも武士である。自分の身は自分で守らなければいずれ死ぬ。その覚悟は出来ている筈で、出来てなければならなかった。
灯馬が到着してから消えない緊迫感が続く。
「ふふふ、どうした? やるのだろう? それともこっちの人間からか?」
阿修羅は田所に目を向けた。
「ひっ……」
田所は情けなく声を出すと、その顔は汗にまみれ袴の奥底まで濡らしているようであった。
阿修羅が、灯馬を誘っているのは明らかであった。灯馬の本能が仕掛けるのは危険だと知らせている。しかし──。
「ああ、やるに決まってんだろ」
待つのは柄じゃない。それも灯馬の本能である。それに蘭国を襲った黒鬼に比べると、とんでもない化け物と言う訳ではない。戦える。灯馬はすっと上体を落とした。
灯馬は、呼吸で仕掛けを図った。鼻から息を吸うと口からゆっくりと吐く。そして、今度は大きく息を吸い込んで止めた。
「ふッ!」
酸素を少しだけ吐き出して走ると、阿修羅までの距離を一気に詰める。刀で斬れる間合い。灯馬は、阿修羅の胴体を目掛けて斬り上げる様に右へ振った。その位置は人間に比べると少し高い。
しかし半歩──。
阿修羅は、わずかに後ろに下がると灯馬の刀が触れないギリギリの間合いで避ける。そして次の瞬間、阿修羅の上左腕が灯馬の顔へと放たれた。
避けられた刀をそのままに、灯馬はそれを残る左手で受け止めるか? 顔を逸らすか? 瞬時の選択を迫られた。
ベゴン──と、重い鉄が曲がるように鈍い音が鳴った。
灯馬は、阿修羅のそれを受けた。それは急所を狙われた時、人が本能的に見せる自然な行動でもある。しかし次の瞬間には灯馬の顔が歪むと、すぐに苦悶の表情へと変わった。
「ぐはあっ……!」
灯馬の右腹には、阿修羅の下左手の拳が入っていた。灯馬の口から唾が伸びて飛ぶと、弾かれた左手が先に動き、それを追うように身体が後ろへと下げられる。灯馬は、その流れに逆らう様に一歩、二歩と下がる足で身体を支えながら耐えた。
二本だった。
左腕とは言え、阿修羅には二本ある。右腕を合わせると四本。灯馬は、一本目の左拳は受けたが、同時に放たれた下の拳は無防備な腹に命中させてしまった。
だが──。
灯馬は、呻き声や痛みを味わうよりも先に攻撃へと転じた。追撃されるよりも追撃である。
「ううん?」
その行動を見た阿修羅は不思議そうに唸った。
手加減した訳ではない。普通の人間なら、もう終わりだと。そう思ったのだ。しかし阿修羅にも原因を考えている暇などない。初手の斬撃でわかる。灯馬の動きは思った以上に速いものであった。
阿修羅は、四つの目で灯馬の肉体から繰り出されるであろう、攻撃の
一番速く反応があるのは右足の
「──!?」
阿修羅の目に映る灯馬。
それは上体と顔、左腕のみであった。先程より低く構えた灯馬の右腕と両足は、丸まった上体に隠されると阿修羅の目から消える。
灯馬のそれは、背中を見せる程に丸く地面に擦りそうなほど低い体勢であった。
四肢を見極める阿修羅の目から灯馬は逃れた。
先読みを得意とする阿修羅の盲点。
それは意外性──。
灯馬は、阿修羅の目を掻い潜ると上右腕を斬った。高く上がった血しぶきは夜空に散ると、色はハッキリとは見えなかった。が、その血は灯馬の顔や黒装束に垂れると確かに赤く染めた。
「グッ、ガアアッ──!!」
阿修羅が叫び声を上げた。
油断ではなく読めると言う過信。阿修羅は、自分の力を過信するとその力に頼り過ぎていた。
灯馬の攻撃は一刀報いる形となったが、その代償もまた大きかった。口からは血を流すと、ズキズキと痛みを訴えるアバラの主張を、灯馬は今になってようやく聞いた。額から一気に溢れ出る汗の多さが、その状態の辛さを教えるようであった。汗は、すぐに流れると灯馬の足元へとポタリと落ちた。
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