第7話 三日月の夜に
リィリィリィ、ジーと夏の虫が鳴くと静かな夜であった。灯馬は障子の横にある縁側に座ると先にある小さな畑を眺めていた。外は薄暗く作物までは確認出来ないが、千里と騎助が何かを植えてるであろう事も、その様子も想像がついた。
ふと後ろに目をやると、障子から洩れる灯りが二人の動きを影絵の様に映す。両親は居ない。喃国との戦いで失っていた。民家の中で、うつ伏せで倒れていた両親を千里は目にしたのだ。それに付き添った灯馬も、その様子は知っている。身なりから見て裕福でない事は想像出来たが、涙を流す千里に反して冷静に遺体を見つめる自分に少し嫌悪感を抱いた。そして、泣き崩れる千里にどう声をかければ良いのかわからなかった事を覚えている。
灯馬に両親は居なかった。それどころか、自分が何処から来たのかさえ覚えてはいない。気付けば、この蘭国へと流れ着いていた。暗闇に浮かぶ月を見ると、血がたぎる事に気付いたのは何歳の時だったのか? もう、わからないでいた。
ただ、何処かで人とは違う。それだけは本能的に理解出来た。そして、その力の使い方も──。今日は綺麗な三日月である。血がたぎる事もない。灯馬が人でなくなる時、それは満月の夜だけなのだから。
障子の向こうから話し声が消えた。千里が騎助を寝かしつけたのか、影は一つになると女の姿だけを映した。歳にして十六、十七の女が何故、鬼に狙われるのか。灯馬にその理由などわからなかったが、命を失う必要などない事だけは確かだとわかる。
障子越しに千里が話かけてきた。
「……灯馬? 居る?」
「……ああ」
「聞いてもいい?」
「なんだ?」
「何で護衛に来てくれたの?」
「狢伝様の命令だからだ」
「狢伝様の? そっか。狢伝様には、この家まで用意してもらって感謝しなきゃだね」
「……」
「灯馬?」
「……なんだ?」
「……ありがとうね」
「──な、なにがだ?」
「……うん。前にお父さんとお母さんが死んじゃった時。灯馬がずっと側に居てくれたから……だから」
こいつがこんな感じだと──。
「その前に散々、引っ掻かれたけどな……」
「だ、だって、灯馬。化け物だったし」
「ば、化け物じゃねえよ!」
「今日は変わらないの?」
調子が狂う──。
「ああ、俺が変われるのは満月の時だけだからな」
「──!? そ、そうなの?」
「まあな……俺も一つ聞いていいか?」
「な、なに?」
「……お前、まだ生娘?」
「ッ!! 馬鹿灯馬っ! 死ね!」
「はっ! あはははははっ!」
「な、なによ! 化け物!!」
そうこれだ。女はこれで良い。千里の奴、変に調子狂わせやがって──。
「はは……しかしまあなんだ? 実の所、お前あの鬼……亜羽流? あいつとは、どんな風に出会ったんだ?」
「どんなって……」
「まあ別にいいか。どうであれ俺は任務をこなすだけだからな」
「あ、亜羽流は……」
千里が言いかけた時であった。
灯馬の全身に悪寒が走る。その直後であった。家の反対から警笛が鳴った。それは突然に闇の夜に響き渡ると静寂を打ち破った。ただならぬ気配。
「千里! お前は絶対に家から出るな!」
「灯馬っ!」
灯馬は、腰に付けた刀を抜くとすぐに走り出した。この緊張感と空気。原因は人ではないと灯馬に悟らせるには十分であった。警笛が鳴った場所には田所が居た。灯馬は大声で叫んだ。
「田嶌! こっちは俺が向かう! お前は蓮部らと入り口の方を固めろ! いいか! 無茶はするな! 追い返すだけでいい!」
「りょ、了解した! 蓮部、行くぞっ!」
「お、おう!」
互いに姿は見えなかったが、声を張り上げると連携をとった。
灯馬たちは、家を囲む様に陣形を組んでいた。距離で言えば田嶌の方が田所に近かったが、いくら田嶌が経験豊富な兵士であると言え相手は鬼である。その恐ろしさは灯馬が身を持って知っていた。
灯馬が田所の場所までたどり着くと、そこには人の倍はあろうかと言う鬼が立っていた。月明かりに照らされると身体は赤く、一目でわかるほど強靭な肉体である。そして四本の腕を持っていた。
向こうには田所の姿が見えると丁度、灯馬と挟み撃ちになった形であった。
田所は、刀を両手に持つとガタガタと身体の震えを止める事が出来ないでいた。道場師範代。その肩書きが通用するのは人だけであろう。目の前に立つ鬼は別の存在であるのだから。ましてや、鬼を見るのが初めてならば無理もない反応である。
鬼は、灯馬に気付くと振り返った。
鋭く尖った牙がギザギザに並ぶと、ギョロリと動く目玉まで四つある。頭から大きく伸びた角は二本で、その側には小さな角が二本生えた。鬼は、灯馬を見るとニタリと笑った。それは化け物と呼ぶに相応しい恐ろしいものであった。
「……ほう。俺の姿を見て正常で居られるとは、人間にしてはやるな。少しは楽しめそうだ」
阿修羅は、そう話すと四本の腕にある指をゴキゴキと準備運動のように鳴らした。
灯馬が言った。
「……夏の虫にしちゃあ、風情のねえ汚ねえ音色だな」
持つ刀には、力が強く込められていた。
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