第4話 二つの鼓動

 どうして鬼に襲われるのか。

 灯馬の質問に皆の手が止まった。その疑問は灯馬だけでなく、ここに居る兵士の全員が思っている事であった。噂をするだけの者たちと違って、命を懸ける任務である。答えを知りたいのは当然であった。

 噂通りに千里が鬼を呼ぶだけの災いであるならば、蘭国にとっても守る意味は何もない。灯馬の言葉は、任務をする為の大義を確認していた。

 沈黙が流れる。千里は落とすように目をつぶると軽く首を振った。「わからない」と言う答えだった。

「お前、前に言ったよな?  アイツ……あの鬼を知ってるって……山で命を救われた。そう言ったよな?」

 灯馬の言葉に千里は小さく頷いた。


『鬼木の山』

 蘭国の南西には入ってはならない山があった。そこは昔からあやかしが出るとされ、たくさんの人が行方知れずとなっている。帰って来ない事からその真実を知る者は少ない。ただ、いつからか嘘か本当かわからない話が真実味を帯びて広がっていった。千里は、数月前にその山から帰って来たのだ。


「……山で救われた。じゃあ、なんで命を狙われてる?」

 灯馬が話を続けると千里はまた首を振った。灯馬は「ちっ!」と舌打ちをして顔を背けた。

「ただ……」

 千里が口を開く。

「今の鬼たちと亜羽流あうるは違うものだと思う……」

 亜羽流。それは黒鬼と戦った鬼の名前であった。その鬼は、頭に一本の角を生やすと青い髪をなびかせていた。手には笛を持つと、曲を奏でて雷を落とした。そうしてその鬼は、黒鬼との戦いの果てに狢伝の抱える術者たちの手に寄って黒鬼と共にどこかへと姿を消す。兵士たちの間では今でも語り草となって残っている。

 その戦いを直接見ていた灯馬にもわかる事がある。それは確かに黒鬼とは違うものであった。姿ではない。そこには人と同じ感情があった。

 だが──。だからと言って千里を襲っている鬼が、違うものであると言う事にはならなかった。鬼に変わりはないのだから。

 灯馬は、腕を組み直すと考えていた。



 蘭国から少し離れた場所にそびえ立つ山──。

 鬼木の山である。

 その山の中には、千里たちの居る世界とはまた違う独立した空間があった。里と呼ばれるその場所には藁屋わらやのような家があると、鬼たちが多く生息している。四肢を揃えると、人間のような姿から蜘蛛のように異なる姿まで様々であった。

 それらを童羅どうらと言う赤鬼が束ねると他よりも一際、大きな家に住んでいた。しかし、童羅は他の屈強な鬼たちと違って衰えが見え始めている様子である。

 里の中が急に騒がしくなると、童羅の元へ数匹の鬼が一人の青年を連れてやって来た。

 青年は、突き出されるように童羅の前へ放り投げられると「う……」と呻き声を上げる。柔らかな髪は青く、頭には一本の角が生えた。白を基調とした長袴はひどく破けると、傷を負い雑巾のようにボロボロであった。

「童羅様、コイツ山の中で倒れておりました」

 鬼の一匹がそう話すと、様子を見ようと集まって来る鬼たちで、家の中はすぐにいっぱいとなった。

 童羅は、鬼たちを静ませるように手を振りおろすと口を開く。

「……亜羽流よ。お前は掟を破った。許可なく人間に荷担する事は禁じておる。何か申したい事はあるか?」

「……」

 亜羽流は何も答えなかった。

 その様子に、少しの間を置くと童羅は質問を変える。

「ここ数月、姿を見せずに何をしていた?」

「……」

 亜羽流は、狢伝の術者たちに掛けられた術に寄って、別の空間へと飛ばされていた。

 そこは光のない暗黒が果てしなく続き、抜け出す事が困難であった。黒の大鬼との戦いで力を消耗していた亜羽流に脱出は難しいとさえ思えた。

 だが、突然にそれは起こった。亜羽流の身体から光の玉が抜け出すと、まるで道案内をするかのように進み始めて外の世界へと導いた。亜羽流は、残った力を振り絞って術を解くと、鬼木の山へと戻ってきたのだ。何故、そのような事が起こったのか、亜羽流自身にもよくわからない事であった。

 何も答えない亜羽流に、鬼たちは大きく叫び出す。

「血の滝!  血の滝!!」

 鬼の中で行われる刑である。三日三晩、針の付いた鞭で打つと、肉は裂け、身体から滝のように血を流す。その痛みは想像を絶するほどで、屈強な鬼さえも悲鳴を上げて許しを乞うほどの罰であった。

「俺は童羅様に血のしずくを求める!」

 鬼たちの一匹がそう叫ぶと周りはざわついた。

 血の滴。滝以上に過酷な刑である。最後には血の滴すら落ちなくなると、絶える鬼がほとんどであり、滅の宣告と同じようなものであった。

 鬼は絶えても生まれ変わる。とは言え、絶えると言う意味は人とは少し異なるが魂はある。

 そんな刑を求める鬼に童羅は聞いた。

阿杜あと、何故だ?」

「亜羽流は、童羅様の命を受けた我らの邪魔をしました。東山とうざんの結界を探り戻る際、この山へ入った人間の女を助けました。山へ入った人間は我らの自由にして良いのが決まりでしょう」

「ふむ……」

 童羅は少し黙ると「これが最後だ」と言って、亜羽流に申したい事があるかと改めて聞いた。だが、亜羽流は何も答えなかった。それを見た童羅は、息を一つ吐くと宣告する事となった。

「亜羽流を血の滝とする」

「童羅様、何で!?」

 阿杜が不満を口に出した。

「ふむ……阿杜よ。確かに山の中に入った人間は自由にしても良いのが決まりだ。だがそれは、亜羽流にも当てはまる事である。喰らうも助けるも自由だ。互いの意見が割れたら、各々が戦って決めるのが決まりであろう?」

「くっ……」

 阿杜は、童羅から逃げるように視線を逸らした。

「では、亜羽流を血の滝に!」

 童羅の指示に、鬼たちは亜羽流の腕を掴むと外へと連れ出していく。その光景は、恐ろしい鬼たちの中に混じって人間が一人、どこかへと連れ去られるようであった。

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