第2話 次梟の警告

 陽は随分と落ちると城下町が夕焼け色に染まった。

 蘭国城から伸びた一本の大通りは思った以上に賑やかである。建物の修復に取りかかる人々でごった返すのには理由があった。

 半年に一度行われる蘭国の祭りが数日後に迫ると、それまでに間に合わそうと、民だけでなく兵士たちも作業に手を貸していたからだ。

 壊滅的な被害を受けていた蘭国に、狢伝の迅速かつ的確な先導が民衆を奮い立たせると、国は本来の活気を取り戻そうとしていた。

 そんな中を護衛へと向かう灯馬の団体に一人の侍が声をかける。

「おぉ、灯馬じゃねえか。門番、首になったのか?」

 上半身は裸で肩に木材を抱えると、民と混じって大工の仕事を率先してやってるようである。まくられた袴は、狢伝の側近にしか与えられない貴重な代物であった。

次梟じきょうさん違いますよ。次梟さんこそ、ここで何してるんですか?」

「お? そりゃあ、お前、修理に決まってんだろ。なにせ人手が足りないからな」

 そう話す次梟の袴は泥と汗にまみれ、民たちの着物よりも汚れている。剥き出しにされた立派な上半身に残って見える傷痕は痛々しい。

 次梟は、前の戦いで黒の大鬼に立ち向かうと、死んでもおかしくないほどの深手を負っていた。しかし、死のふちから生還すると、その数月後には退屈な寝床から抜け出して、城下町で謳歌おうかを始めたのである。次梟も中々の化け物であった。

「いや、そうじゃなくて傷は大丈夫なんですか? それにその袴……ボロボロですよ?」

 灯馬は次梟の袴に目をやった。すると次梟は自分の足元へと垂れる袴を見ながら笑う。

「おお、灯馬。後でこれ洗っとけよ」

「なんで俺が!  自分でやって下さい!」

 人付き合いが苦手な灯馬に、頭が上がらない人物が蘭国には二人いる。それは城主の狢伝と、その側近の次梟だった。灯馬は元々、蘭国の出身ではなかった。幼い頃、何処からともなく現れると、蘭国の兵士たちに保護されていた。

 その時の灯馬は野性そのもので気性は荒く、民からも避けられて孤独だった。しかし、ある日に狢伝に召し抱えられると、忍びの道へと進む事になる。今の灯馬があるのは、狢伝のお陰であった。

 次梟は、近くに居た男に木材を手渡すと、灯馬に近づいてガシリと首に手を回した。

「お、灯馬。最近、言うじゃねえか。昔は、もっと素直だったろ?」

「いだだだっ……!  次梟さん、痛いって!」

 素直だった訳でない。圧倒的な力に従うしかなかっただけである。言うなれば屈辱的屈伏であった。灯馬は、保護された際に兵士の数人を倒して暴れていた。それを抑え込んだのも次梟であった。

 その後の使われ方は地獄である。使い走りは当然。任務の押し付け、炊事、洗濯、時には民の依頼をそのまま灯馬へと投げる事もあった。

 中でも苦痛だったのは、次梟が囲う女たちへの言い訳である。その日の気分で遊ぶ女を変える次梟に、女たちの苦情が多く向けられた。

 灯馬に取っては、思い出したくない話の一つである。

「……で、護衛か?」

 次梟は聞いた。その声からは砕けた感じが消えていた。実力に相応しい風格のある声である。その質問に、灯馬も今度は真面目に答えてみせる。

「そうです。狢伝様から、あの女を護衛する様にと命を受けました。昨日の件があったからでしょう」

「……」

 次梟は少し黙った。

「……?  どうかしましたか?」

「まあ、それだけなら良いけどな──」

 次梟は、女の住む民家の方へと目をやった。

「どういう事です?」

「……お前、何であの女が狙われると思う?」

「えっ……」

 灯馬にその理由はわからなかった。考える事がないのだ。城内や城下町で流れる噂など、灯馬に取ってはどうでもいい事である。ただ命令を遂行する。それが灯馬の仕事である。

 噂に流されるなど二流。だが、流されている話が真実でないと言う事は、灯馬も次梟も知っていた。

 ただ、一つだけ真実はある。

「鬼を呼ぶ女」と言う話であった。

 あの日、確かに女は鬼を呼んだ。それは、噂された鬼ではなく、人の姿をした鬼であった。

 長袴をまとうと、青い髪をなびかせて人間の味方をした鬼。手に笛を持つと、曲を奏で雷を落とした。蘭国を襲った大鬼と戦ったのである。

 それを呼んだのが女であった。

 考えを聞かれた灯馬は、思いつくままに言った。

「……あの鬼と敵対する鬼たちに狙われてるって所ですかね?」

「そう単純なら良いんだけどな……」

 次梟は、何か意味ありそうに呟いた。そして、灯馬に労いの言葉をかける。

「まあ、気をつけろよ。狢伝さんに言われるって事は何かあると思っていい」

 側近とは言え、城主に向かって「さん」付けで呼ぶのは次梟ぐらいであろう。

 灯馬は「わかりました」とだけ答えると、思った以上に厄介な任務になるかも知れないと考えを改めて、女の住む家へと足を進める。その後ろには数人の兵士たちが続いた。

 見送る次梟が、灯馬の背中に向かって頼んだ。

「……帰ったら、洗濯頼むわ」

「──嫌です」

 灯馬の様子は、声の調子よりも少し緊張を帯びていた。

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