Story Ⅴ
「犯人は君だ、羽都君」
広間に集まった参加者たちの前で、皇さんは僕が犯人である証拠を突きつけた。
二つの事件と比べて、僕の犯行は雑すぎたのだからすぐに僕の犯行が露見するのは分かっていた。そもそも所長を殺害した今朝、望月さん以外の参加者は広間に居て、望月さんが逢の部屋の前で座り込んでいたのは皆が見ている、つまりアリバイがないのは僕と所長だけなのだから誰が犯人なのかは一目瞭然だ。
そしてこれで、僕の犯人役はお終い。ようやく僕は助手に戻れる。
「はい。所長を殺害したのは僕です」
「――だが」
「明月さんと逢を殺害したのは僕じゃない」
「というのが彼の言い分だ」
愉快そうに皇さんが皆に言う。夏葵さんと望月さんを除く皆の顔にも笑みが浮かんでいた。
「聞こうじゃねえか、少年。動かぬ証拠を突きつけられた犯人がどう弁明するのかを」
「僕も僕がどうやって二人を殺害したのか、教えてほしいですよ」
けれどそれは出来ない――犯人の、真犯人の自白も禁じられている。
「それに真相を語るのは僕の役目ではなく、探偵。そして『推理ゲーム』の参加者である望月さんです」
「……」
望月さんが顔を上げる。疲れ切った表情から彼の心情が嫌でも伝わってくる。それでも此処に来たのは、真実を知る為だろう。
「――いや、それは君が語ってくれ。君と望月さんの手で、この事件を終わらせるべきだ」
整ったかに見えた場を乱したのは、所長だった。
「それは探偵の仕事、なんだろう?」
「……所長」
「探偵ごっこはもう終わりだよ、荘司君。時宮探偵事務所の所長として、探偵である君への命令だ。従ってくれるね」
何を考えているのか分からない。けれどまた彼女が馬鹿な考えをしているというのは分かる。まさか罪悪感なんて感じているんじゃないでしょうね。そんなものをあなたが抱える必要はない。あなたは悪くないんですよ? 所長……。
「……分かりました。それでは僕たちの推理を披露させていただきます」
望月さんに目配せしてから、僕は口を開く。
「まず第一の事件、皆さんの予想通り明月さんは逢の協力者です。あの夜、本来なら犯人である僕に明月さんから連絡があるはずでした。しかしそれはなく、けれど事件は起きた」
「『U.N.オーエン』の手によって、かい?」
「名前に意味はありませんよ。ですが犯人を仮に『U.N.オーエン』としましょう――彼の、或いは彼女の狙いは探偵、僕か所長のどちらかに真犯人を推理させることだった……正確に言えば、推理の果てに間違った真相に辿り着かせることです」
白々しく言う皇さん。だが犯人というのも通りが悪いので、敢えてそう呼称する。
『U.N.オーエン』は僕に明月さんの死体を見せ、参加者の異常性を見せつけ、ゲームではないということを僕に思い知らせた。
「その思惑通り僕はゲーム上ではない、現実に存在する殺人犯を推理し始めた。けれどわざわざ明月さんの身体能力の高さを僕に見せたにも関わらず、僕がそれを判断材料には入れなかったことで犯人の予想と少しズレが生じた」
明月さんも参加者と同じような異常性を持っていると、僕は考えなかった――僕を過大評価しすぎたことが犯人の間違いだ。
「オーエンは恐らく一番体格の良い亞傘さんを犯人だと思わせたかったんでしょう。彼のあの性格も皆さんの豹変を見た後では当然疑ってしまいますから」
「豹変って……酷い言い草だなあ」
佐藤さんが苦笑して頭を掻く。……皇さんが嘘吐きと評した彼の本当の性格がどんなものなのかは未だ見当もつかない。
「そして僕の推理は行き詰ったまま、二日目の夜を迎え、第二の事件が起きた」
望月さんの表情が歪む。それを僕は無視して、話を続けた。
「重要な要素はまず、消えた八本のナイフ。これはゲームのルール上、ナイフがなければゲームを進めることができないからです。最初に消えたナイフを含めた九本は海に投げ捨てたのかもしれないし、まだこの屋敷の何処かにあるのかもしれません。次に追加されたルール。これは考えるまでもなく主催者である逢がリタイアした以上、ゲームを続けるにはルールを変える必要があったからでしょう」
「ナイフが消えたっていうのは初耳だな。俺はてっきり犯人の少年が全部持ってるんだと思ってたぜ――だがルールの追加については此処に居る全員が分かってることだ。わざわざ言うまでもないだろ?」
「そうですね。それは誰にでも分かる。けれど、それに違う意味を見出してしまうのは犯人役であり、探偵でもある僕だけです。自分の的外れな考えを披露するのは少し恥ずかしいですが、必要なことなのでお話します」
嘘じゃない。所長を殺害するところまで、僕はほとんど犯人の思惑通りに動いていたのだから。
「僕が逢から受け取っていたナイフは一本。今言った通り残る九本のナイフの内、一本は明月さんが殺害される前に消えていて、それを知っていたのは僕と逢だけです。この時点で僕はオーエンがゲームのルールに従っていると考えました。だからこそ逢の死体が発見され、ナイフが消え、さらにゲームが続くという事実を知り、オーエンが使用した二本と僕が持つ一本を除いた七本、つまりゲームのルールに則り、後七人を殺害する手段がオーエンに渡ったと考えた僕に焦りと恐怖が生まれた」
「そしてその焦りと恐怖から君は時子さんを殺害した。彼女をオーエンから守る為に」
僕の言葉の後に皇さんが続けた。……僕が最も恥ずべきだと思っているのはそれだ。依頼主である望月さんではなく所長を守ろうとしたこと、後先考えず実行に移したこと。愚かだと呆れると同時に、それが堪らなく恥ずかしい。所長には力が必要だから伝えた、それは事実だ。けれど所長を殺害するその瞬間まで僕はそんなことを考えてもいなかった。……ただ所長を殺されたくなかっただけだ。
きっとこれからしばらくは所長にいじられ続ける。
「この時点で初めに生じたズレはほとんど修正されました。――そして、僕が所長を殺害した時点でオーエンの仕事は終わった。僕の愚かな推理に反して、オーエンはこれ以上誰も殺す気はなかった」
僕が所長の殺害に踏み切らなければ話は違っていただろうが、オーエンのターゲットは最初から明月くるみと望月逢の二人だけだ。
「その理由は望月さんにあります」
「へえ?」
皆の視線が望月さんに集まる。そんな中、ただ前を見据える所長、とそしてまだ僕を見つめ続ける夏葵さん。
「……」
「……いえい」
ピースされた。この人は一体何を考えているのだろう。どう反応して良いのかも分からないので、結果的に無視してしまう。
「望月さん、あなたたちの両親がなくなってから逢の様子はどうでしたか?」
「……そんなの決まってる。落ち込んでたさ。俺以外の人間は誰も近づけずにずっと部屋に籠っていた。俺も出来るだけ傍に居るようにしたし、外にも連れ出したっ! けど逢は落ち込んだままだった……」
「僕の知る逢からは想像出来ない姿です。それに逢の部屋にあった写真は暗い表情も多かったけれど、ある時からまた笑顔が戻っていた」
「……くるみのおかげだよ。あの人が逢の心を癒してくれたんだ」
「俺には出来なかった」暗にそう言って、望月さんはまた俯く。
「それは違います。あなたが傍に居れない時、常に傍に居た明月さんの存在は確かに大きかったでしょう。でもそれだけじゃない。そうですよね」
僕の問い掛けに皆が頷く。
「逢は唯一の家族になった君を本当に好いていた。両親を亡くしてからは君だけが心の支えだった。それは間違いない。君がくるみさんのおかげだと思ったのも恐らくは――」
「あなたの負担になりたくなかったからです。自分の為に一から会社を興し、働き続けていたあなたに、唯一の家族になったあなたに、迷惑を掛けたくなかったんですよ」
……僕の知る逢からは想像もつかないけれど。これは事実のはずなんだ。だって逢は望月さんが好きだからこそ、愛しているからこそ――。
「望月さんが子供の頃から屋敷に居たという明月さんに懐いたのは偶然ではないでしょう。あなたが信頼している明月さんなら、逢も信じていいと思った」
そして信じたことは間違いではなかった。写真には笑顔が戻り、明月さんを家族とまで僕に言ったのだから。逢にとって明月さんは本当に家族も同然だった。望月さんと同じくらい、深く愛していた。
「最後の質問です。あなたが『推理ゲーム』に参加するようになったのはいつからですか?」
「……逢が笑うようになってから、今から三年ぐらい前だよ」
やはり、と望月さんの言葉に僕の推理が繋がったことを確信する。
「望月さん、あなたは逢の最期の言葉の意味を間違えて捉えてしまったんです。この事件を解く鍵は、そこにある」
所長から聞いた、逢が最期に望月さんに遺した言葉。それは逢の心からの言葉だったのだろう。
その意味を理解できなかったことを責めることは出来ない。彼はずっと自分を責め続け、逢にとって自分の存在がどれ程大切なものなのか、分からなかったのだから。
それに何より、逢の強さを彼は知らなかった。僕とは違い、妹を守る立場に居た望月さんには気付けなくて当然なんだ。
「「昔に戻りたい」、逢はそう言った」
「……ああ。父さんと母さんが居た、あの頃に戻りたいって逢はずっと思っていたんだ」
「いいえ――逢はもう、両親のことは割り切っていた。死んだ人間は戻って来ないなんてことは、とっくに理解して、納得していた」
所長なら、自分が口にして良いのかと悩んでいたのだろうか。だが僕は迷うことなく、探偵として、そう望月さんに告げた。
「ッ――――!!」
望月さんは立ち上がり、僕を強く睨み付けた。
「僕程度に語られたくない気持ちは分かります。けれどこれは事実です」
昔に――望月さんと明月さんと3人で居た頃に、戻りたい。
それが、逢の願いだ。
「ようやく逢に笑顔が戻った頃、あなたは『推理ゲーム』に参加した。舞台がこの屋敷と初めて決まった時は逢にも確認したでしょう。そして逢は承諾した」
自分の為にと頑張る望月さんの為に、静かで幸せな時間を逢は手放した。
「……」
僕の言葉の通りなのだろう、望月さんは視線を僕から外しはしないが、何も言わない。何も言えない。
「それどころかついには自分も参加したい、と言い出した逢を見て、あなたは嬉しかったでしょう。でも逢の本心は――」
「もういい……」
「あなたを安心させたかった、」
「もういいって言ってるだろうっ!」
僕の胸元を掴み上げ、望月さんが叫ぶ。
「あなたに遠くに行ってほしくなかった、」
「もうやめろ! 喋るな!」
これ以上口を開けば僕を殴ってしまいそうな望月さんを見て尚、僕は止めない。
「逢はただ、あなたの少しでも傍に居たかったんです」
「――荘司くんっ!」
……僕を止めたのは望月さんの叫びでも拳でもなく、所長の手だった。
僕の手を両手で掴み、首を横に振る。
「……もういいだろう。そんなのは探偵の仕事じゃない」
「……分かりました」
僕が頷くと同時に望月さんが床に力なく膝を着く。
「……それじゃあ、逢は、まさか……」
「……君が私に前もって話さなかったのは、この為か……逢さんは殺されたのではなく――――自殺だからなのか……?」
「――はい」
違う。あなたなら僕が全てを話す前に止めてくれると思っていたから。なんて、言えるはずがない。
「…………くるみも、なのか」
「……はい」
まるで「嘘だと言ってくれ」とでも言いたげに、哀願するように僕を見上げた望月さんに、僕は冷酷に告げた。
「――これが、僕の推理です」
そして望月さんの姿が痛々しい程に正しさを証明する、事実。
「……すいません。一人にしてもらえますか……」
ようやく絞り出した声で紡いだ望月の言葉に従い、僕たちは無言で広間を跡にした。
そして翌朝。
屋敷の外に一足早く出ていた僕に、皇さんから皮肉にしか聞こえない賛辞が送られた。
「改めて、昨夜のは素晴らしい推理だったよ」
「……ありがとうございます」
「船はもうすぐ来るそうだ」
「そうですか」
終わったんだ。『推理ゲーム』も事件も全て。僕が終わらせた。
「本当に見事な推理だった――時子さんの助手である君なら違った結末を選択するとは思っていたがね」
「所長は関係ありません。それに、僕はこれで構わないと思いましたから」
所長の助手かどうかなんて関係なく、僕はこの結末を選ぶつもりだった――はずだ。だって僕には理由がない。全てを語る理由は何処にもないはずなんだ。なのに、僕はあの時、所長が止めてくれなければ全てを話してしまっていた――話さずにはいられなかった。
「探偵は警察じゃありません。真実が望まれないものなら、それを明かさずとも誰に責められることもない」
「そうだね。責めるのは自分の良心ぐらいなものだ。或いはこれが君の良心かい?」
「――少年! どうやらお前んとこの所長はまだやる気みたいだぜえ!」
皇さんと被さるようにして、屋敷の窓から御伽さんが大声で僕に伝える。
「分かりません。はっきり分かるのは、やっぱりウチの所長は探偵には向いていないってことですよ」
ぎこちないであろう笑みを浮かべてそう答え、僕は再び屋敷に足を向けた。
◆
「ふむ、はとそうじ君……か」
彼女が探偵事務所を開いたと知ったのは偶然だった。たまたま通りかかった時、窓際に座る彼女の姿が見えただけ。
たったそれだけで、事務所の規模も実績も調べず、僕は事務所の扉を叩いた。久しぶりの依頼人かと目を輝かせていた彼女にここで働きたいと頭を下げると、その瞳はより一層輝いた。
「羽都(わと)荘司です」
「え、ああっ、失礼。それで羽都君。何故我が時宮探偵事務所で働きたいと?」
「……ある人の影響です」
正直、それも嘘だった。他人の言葉で何かが変わるほど、僕は素直じゃない。10年以上経っていたのに彼女の顔を見て、そうだと分かったのも奇跡だった。
「探偵の知り合いでも居るのかい?」
「いえ。探偵に憧れてた人を知っていただけです」
「私と同じだね。私も探偵に憧れて、今も目指している」
理想を語る彼女の姿は薄れた記憶の中の彼女よりも大人びていたけれど、あの時の彼女がそのまま、其処にはいた。
「ちょうど人手が欲しいと思っていたところだ。歓迎するよ、羽都君」
「……いいんですか?」
「ああ。目を見れば分かるさ。君なら問題ない――ようこそ、時宮探偵事務所へ。所長の時宮時子だ。よろしく頼むよ』
その台詞を言いたいが為に僕を雇ったのではないかと、今でも時々思う。
「はい――よろしくお願いします、所長」
所長と呼ばれた彼女は嬉しそうに、そして何処かむず痒そうに笑った。
彼女の凛とした雰囲気に見惚れたのはそれが最初で最後だ。
それから大学を辞めた僕を待っていたのは、凛とした雰囲気などなく、己の語る理想とは程遠い彼女と……手取り十万ばかりの給料だった。
◇
「俺たちも外に出ようかって時に、いきなり書斎に向かった」
御伽さんに教えられ、僕は一人所長の後を追って、書斎にやって来た。ノックもせずに扉を開けると半ば予想していた光景が広がっていた。
天井から下がるロープとそれに首を掛けようとする望月さん。そしてそれを必死に制止する所長。
「馬鹿な真似はやめるんだっ!」
「離してくださいっ! 依頼はもう終わったんだっ!」
僕はそれを少しの間眺めてから静かに口を開いた。
「所長」
「っ、羽都くんっ! 君も手伝ってくれ!」
「望月さんの言う通り、僕たちの仕事はもう終わりました」
「終わりっ? 終わりだって!? 私の仕事はまだ終わってない!」
ロープから望月さんを何とか引き離し、所長は当然のように言う。
「はぁ、はあっ……ゲームはもう終わりました。もう、僕に構わないでください。金ならいくらでも払いますから! 僕を死なせてください!」
「だ、そうです」
「ふざけるな! あなたがそんなことでどうするっ!? ……二人が死んだのはそれを止められなかった私の責任でもある! けど、だからこそあなたまで死なせるわけにはいかない! それが今私に出来る仕事だっ!」
望月さんの肩を掴み、目を見て、叫ぶ。
「くるみさんも逢さんも、あなたのそんな姿を望んではいない!」
拳を握りしめ、唇を噛み締め、言う。
「所長」
「っ、はあっはあっ……なん、だい」
「探偵の、僕たちの仕事は依頼人の望みを叶えることです」
「いいや……違うよ。私はただ、一人の人間として言っているだけだ。偽善かもしれないが、目の前で死のうとしている人間を止めもせずに見ていたら、私の理想も憧れも、二度と届かなくなってしまう……意味がなくなってしまう」
「……そうですか」
それが所長の考えなら、僕がすべきことは。
「僕はもう止めません。そして、制止も後悔も聞きません」
ゲームは終わった。事件は終わった。後に残ったのは終わることのない現実だけだ。これ以上の言葉も行動も無意味なものになる。なのにどうして――。
「……君はまだ、私に隠していることがあると、そういうことかい……?」
「はい。僕が今から話そうとしていることは探偵の仕事ではありません。これを話しても誰も幸せにならないと、僕は思います。それでも、構わないんですか」
「…………」
僕の言葉に所長が苦悩し、押し黙った。
僕の言葉に偽りはない。誰もこの真実が明かされることを望んではいない。
だから僕はこのまま島を去るつもりでいたし、所長も何も知らないまま、日常に戻ることが最良だと思っている。
「……構わない。君の言葉に嘘はないだろう。けど私にはこの結末が幸福なものだとは思えないんだ。探偵の仕事ではないのだとしても、私は真実を知りたい、そして望月さんも真実を知るべきだと私は思う……だから」
……これだけ言っても聞かないんですね、あなたは。あなたは我儘で、傲慢とさえ言える。
けれど僕があなたの愚直なまで真っ直ぐな芯に惹かれのも事実なんだ。
「ならあなたのその願いを叶えることが僕の――」
仕事、なんて言い訳を今更使う気はない。
「――僕の、やりたいことです」
だからこのどうしようもない現実を再開しよう。現実からの逃避を終わらせよう。
「望月さん。昨夜の僕の推理で明かさなかった真実をお話します。それが終われば、もうあなたを止めることはしません。だから聞いてください。あなたは真実を知るべき人間だ」
所長に言わせれば、だけれど。
「……分かりました」
気だるげに望月さんが頷いたのを見て、僕は改めて真実を明かし始める。
「両親を亡くしてから、3年前まで逢は引き籠っていた。あなたはそう言いましたね」
「……ええ、二年以上、ほとんど部屋から出ませんでした」
「そして現在まで、学校にも通っていない」
「……そうですよ」
望月さんの言葉に怒りはない、ただ億劫そうに僕の言葉を肯定する。
「僕が逢の部屋を調べた限り、小学生用の教科書等の教材は発見できませんでした。つまり逢は本当に自分の殻に籠りきりで、何かをする気力も興味も失っていた」
逢の部屋にあったのは何枚もの写真とヌイグルミの山――だけだ。
「……ええ。そうです」
「そんな人間が、いやそもそもただの小学生の少女が、初めて参加した『推理ゲーム』で勝利するなんてことが可能なんでしょうか?」
「……」
「それだけでなく、ゲームの参加者や探偵が頭を悩ませるような難解なゲームを作り上げることが出来るんでしょうか?」
――いいや、そんなはずはない。確かに僕は無知で無力な人間だけれど、そんなことが考え付く少女が居るわけがないんだ。ゲームでもフィクションでもない現実には。
「逢が何処にでもいる普通の少女であるということは兄であるあなたが一番知っているはずだ」
逢は少しだけ大人びてしまっただけの、異常性なんて何も抱えてはいないただの子供だ。
そう考えると、僕が感じていた違和感は納得に変わる。年齢に不相応な頭脳も不似合な言動も、全て。
「――血文字が示している犯人も、『推理ゲーム』の本当の主催者も、逢じゃない」
「――っ!?」
U.N.knownなんて、ゲームの参加者なら間違えるはずもないオーエンのミススペル。
完全犯罪であったこの事件の中に、まるでゲームを攻略する為に用意されたようなヒント。
それが僕を真実に辿り着かせた。
「真犯人はあなたに探偵を雇うように仕向けさせた人物。逢にこの計画を教え、唆した人物。死体の違和感に気付かれないよう僕に付いていた人物。そしてそれを黙認していた人物――」
僕は逢のように大仰に、犯人を明かす。
『――――犯人はこの中にいます』
「――――犯人は、あなたです」
いつの間にかこの書斎に存在した人物を指差し、僕は告げた。
「――御伽さん」
そして、
「皇さん、佐藤さん――夏葵さん。あなたが、あなたたちが犯人です」
二人は純粋な笑みを、一人は苦笑を、無表情を。それぞれ浮かべ、立っていた。
「――犯人、ねえ。確かに俺たちは元凶で原因だろうな」
「だが実行犯もまた、犯人と言えるんじゃないかい?」
四人の間から、新たな人影が現れる。実行犯――被害者であり、加害者。
「くるみ……? あ、い……?」
望月さんが二人の名を呼ぶ。信じられない、そんな表情で。
「――申し訳ありません、暁様」
呆然とする主の姿にメイド、明月くるみが静かに頭を下げた。
所長を見ると、浮かんだ「信じられない」という表情の中に隠し切れない安堵もまた、見えた。
U.N.オーエンなんて犯人は存在せず、誰もいなくなってはいない。
殺人は起きておらず、事件はゲームでしかなかった――それだけなら、幸福な結末に思えただろう。けれどそれは違う。
「私に出来る仕事、僕のやりたいこと、か。やれやれ。そんな理由で幸福を壊された人間は堪ったものではないな――そうだろう、逢?」
「……」
逢は何も答えない。ただ俯いている。
「ふむ――君はどう思う? 羽都君」
「……」
「どうも思わないだろうね。君はただ謎を解き明かし、それを述べたかったんだ。探偵気質と言えば聞こえはいいがその実、自分の推理を披露したかっただけ。得たばかりの知識を得意げに語る子供と大差ない――君に良心はなかったようだ」
ああ、と納得する。そうか、僕が話さずにいられなかった理由は、それか。
この人たちの掌の上で踊る事に耐えられず、彼女たちが整えた舞台を壊してしまいたかった。ただそれだけ。
「――違う。荘司君が話してくれた理由はそんなものじゃない」
「ほう?」
「荘司君は真実が闇に葬られることを良しとしなかっただけだ。あなたたちがしたことを見過ごせなかった。彼は探偵の鑑だよ」
「成程。ではあなたはどうなんだい? 時子さん。あなたの言うところの探偵の鑑である彼が探偵としての使命と誇りを捨ててまで、守ろうとした幸福をあなたは壊した。彼がさんざん忠告したのにも関わらず、だ」
「……私は、」
「あなたが大人しく船を待っていれば、彼の忠告を受け入れていれば、こんなことにはならなかった。『推理ゲーム』は二度と開かれなかっただろうし、望月君の自殺未遂は逢とくるみさんが止め、私たちが去れば逢の願った通りの邪魔者も誰もいない、三人だけの幸福な日常に回帰出来たというのに」
「わ、私にはそれが……」
「まさかそれが幸福だとは思えない、なんて言葉を口にする気ではないだろうね? 幸福を決めるのは個人だ。誰にもその幸福を否定する権利はない」
所長の言葉に先んじ、皇さんが責めるように言った。
「……」
探偵に追いつめられる犯人のように、警察に尋問される容疑者のように。二人の立場は逆転していた。
「それともあなたの語る理想は、憧れは、個人の幸福を否定する権利があるのかな?」
所長は皇さんの言葉を否定できない。ただ唇を噛み締め、耐えることしかできなかった。そんな彼女をこれ以上、僕は見ていられなかった。
「――時子さん」
だから僕は彼女の名前を呼んだ。所長という役職ではなく、メッキを剥がした彼女の名を。
「良いですよ、構いません。此処には時子さんのメッキに騙される人はいないですから。あなたが思うことを、思うように、時子さんの言葉で言ってください」
「……そう、か」
時子さんから完全にメッキが剥がれ落ちる。
「分かったよ」
そうして剥がれ落ちた後に何が見えるのか、僕は知っている。
「――確かに私にも誰にもそんな権利はない! けど子供が甘受する幸せはそんなものじゃないだろう! 家族が居て、それで終わりじゃないだろう!? 家族と一緒に出掛けたり、友達と遊んだり、もっとたくさんの幸せに子供は包まれているはずだ! 私が子供の頃は日曜日が来るだけで幸せだった! 学校に行くのも幸せだった! 夕飯が好物なだけでもう嬉しくて幸せで堪らなかった!」
辛うじて保たれていた凛とした雰囲気は霧散し、必死さが言葉から、表情から滲み出る。そうだ。これが、僕の知る所長――時宮時子。
メッキではない、彼女の本性にして本質。
「幸せを決めるのは自分だけどっ、子供には幸せになる権利があってっ、大人には幸せを与える義務――いいや! 子供を幸せにしてあげたいって思うのが当たり前だっ! 自分が思う以上に幸せなことがたくさんあるって教えるのが大人の役目だろう!? 皆がそうだったように! そうじゃなかったなら自分の分まで幸せにしてあげたいと思うことの何が悪いんだっ!」
時子さんの心からの言葉に皆が黙って耳を傾けていた。
「はっ……はあ……。これが、私の気持ちだ。言い訳で申し開きだけど、私の本心だ」
「…………でも、だって」
逢が泣きそうな表情で震える口を開いた。
「……私には分からないんだもん。パパとママが死んじゃってから、お兄ちゃんが居て、くるみお姉ちゃんが居るだけで幸せだったんだもん……。これ以上幸せなことなんて、私には分からないんだもん……」
「逢……」
「それをこれから、学んでいこう? お兄さんとお姉さんと一緒に――ね?」
今度こそ逢は涙を抑えることが出来なかった。泣きじゃくりながら何度も何度も頷いて、「ごめんなさい」と繰り返して、やがて緊張の糸が解け、眠った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます