Story ⅠⅠⅠⅠ 

 主催者、望月逢の死により『推理ゲーム』は勝者を出さないまま、終了した――はずもなく。

 新たに犯人によって用意されたルールの下でゲームは進んでいった。

 一日目。第一の事件、被害者 メイド:明月くるみ。

 二日目。第二の事件、被害者 主催者:望月逢。

 三日目。第三の事件、被害者 探偵:時宮時子。


 ルール上、殺害されるのは最悪でも一日一人。よって犯行時刻は分からないが、二日目に第二の事件が起きた以上、明月さんが殺害されたのは初日の夜ということになる。

 つまり犯人はゲームの開始から一度も殺害を失敗することなく最悪の手際で、謎を生み出しながら着々と勝利へと近づいて行った。


 参加者が勝利する為に解かなければならない問題は大きく分けて三つ。

 現場に残されたメッセージ、U.N.known。

 犯人――『U.N.オーエン』の正体。

 そして三つの殺人事件。


 これらを解き、犯人に認めさせれば参加者の勝利となり、この狂ったゲームはとりあえずの終焉を迎える。


「――というわけです」

 僕は出来るだけ分かりやすく簡潔にまとめた、このゲームの状況の説明を終えた。

「……それで、君は何か私に言う事はないのか? うん? 荘司くん?」

 しかし所長の表情は困惑でも納得でもなく、怒りのまま固定されていた。

「朝いきなりやって来たと思えば、いきなり私の胸にナイフを突き立てて、しかも私にこんな恰好をさせて、何か言う事はないのか? と訊いているんだが」

 胸の下で腕を組みながら僕を睨み付ける所長は、白と黒のシックな色合いの服、過剰にならない程度のスカートのフリル、頭には白いカチューシャ――所謂メイド服という物に身を包んでいた。

「しかも顎で使ってくださいなんて言った、助手だなんだと言った、そんな君は私の「君は犯人ではないんだね?」という質問に果たして何と答えたんだった?」

「いや……はい、その、すいません」

 とりあえず土下座しておいた。現代社会において成人した一般人男性の土下座というのは中々に堪えるものがある。

「うん、実に綺麗な土下座だ。きっと私からは見えない君の顔は、申し訳なさでいっぱいの表情をしているんだろうね。ほら、顔を上げたまえ」

「……」

「その無表情はあれだね。君は形だけ謝っておけば私が許してくれると思っているんだね? つまり君はまっっったく、反省していないわけだ」

「……いえ、その、これは、こういう顔なもので」


 そんなゲームの真っ最中でありながら、僕は所長に説教をいただいていた。こんなことをしている場合ではないということを教えたくて説明したのだが、効果は得られなかったらしい。

 メイド所長のお言葉に耳を傾けながら、僕も改めて状況を整理する。

 ……昨夜、逢の死体が発見したのは兄である望月さんだった。「兄さん、私と一緒に引きこもっていては犯人と疑われてしまいますよ?」という逢の言葉に、ゲームの勝利の為、逢の為に僕たちを雇いまでしていた望月さんは断腸の思いで夕食の席に現れた。そしてその後、僕たちは望月さんの叫びを聞き、嫌な予感がした僕は所長を「僕らを一か所に集めるのが犯人の狙いかもしれません」などと言って部屋に留め、逢の部屋に向かった。

 そこで見たのはその日の朝と同じ赤い血潮と胸に突き刺さったナイフ、U.N.knownの血文字。そしてルールの追加を示す紙と、逢を抱きかかえる望月さんの姿だった。

 ――逢は、死んでいた。しっかりと確かめたわけではない。だが僕には明月さんと同じく、どう見ても彼女が死んでいるようにしか見えなかった。それは望月さんにとっても同じことで、半ば狂乱しながら彼女の名前を呼んでいた。

 今は皇さんたちによって落ち着きを取り戻している――僕にしたような、ゲームだという説明を受けたのだろう。逢のことを溺愛していたであろう望月さんはそれを信じることで、心の平静を保っていた。だがそれもいつまた壊れるか分からない。唯一の家族を失った衝撃は、他人の言葉では偽れない。逢が生き返って「ゲームですよ。騙されましたか?」とでも言わない限り、望月さんの真の回復は望めないだろう。

 僕が所長の殺害を決断したのは、そんな彼の姿を見てしまったからだろう。彼のあんな姿を見る前、僕は躊躇っていた。僕が犯人役として誰かを殺害すれば、その誰かの安全は保障されるのではないか、という予想はすぐに建てられた。この屋敷に居る人間と現場に残されたメッセージから考えれば、犯人がゲーム感覚で殺人を行っているのは簡単に想像がつく。だから逆にゲームのルールを破りはしない、と。

 ……僕は望月さんのようにはなりたくなかったのだ。僕と望月さんの持つ感情は全く違うし、その重さは彼の方が何倍も大きいだろう。けれど、それでも。僕はあんな風に所長の死を嘆くようなことだけはしたくなかった。所長を、殺されたくなかった。


「荘司くん! 聞いているのかいっ?」

「はい。本当に申し訳ないと思っています。所長に迷惑を掛けてしまったことは深く反省しています」

「……逆だ! 私に迷惑を掛けまいと黙っていたことに怒っているんだ! 探偵を頼らない助手が何処にいる!? 君はっ、少なくとも今は時宮探偵事務所の探偵ではなく、探偵である私の、時宮時子の助手だろう!」

「……はい。仰る通りです」

 本当にその通りだ。迷惑を掛けたくないなんて、余計な心配をさせたくないなんて意地を張った結果がこれだ。

 皇さんたちと同じ舞台で戦って、勝とうなんて思い上がった結果がこれだ。

 僕には彼女たちと渡り合う力なんてない。そんなことにも此処に来たばかりの僕は気付かなかった。

 だから。僕はもうそんな身の程知らずな考えは捨てる。僕みたいな矮小な人間が一人で何かを成そうなんてくだらない幻想は抱かない。

 もう僕の弱さは隠すことは出来ないくらいに露呈してしまっているんだから。

「本当にすいませんでした。だからお願いです。僕に力を貸してください。あなたの力が必要なんです」






 ◆






 忘れもしない、あの日。

 僕は彼女と出会った。

 最早恒例行事のように誰かの物がなくなった。確か買ったばかりだという小さなキーホルダーだったはずだ。

 外で砂遊びをしていた少女が気付かないまま自分で埋めてしまったそれがないと泣き叫んでいた。

 僕はやっぱりそれを教えようとはしなくて、少女やその友達も僕に助けを求めることもなくて。ただ言わなかっただけで、きっとあの少女は今でも僕が犯人だと思い続けて――はいないだろう。きっともう、忘れてしまっている。

 見るからに安っぽくて、子供のお小遣いでも十分買えるような物だった。少女も日が暮れる頃にはすっかり諦めて、家に帰って行った。

 なのに、たまたま居合わせただけの彼女は夕暮れの公園で一人、それを探し続けていた。

「見つからないものだなあ。まさか私の推理が間違っているとでも言うのか!?」

 物を探すのに推理も何もないだろうに、そんなことを一人呟く彼女。

「……諦めたら? どうせ一週間もすれば忘れて、新しいのを買ってくるから」

 そんな彼女を見ていると何故か苛々した。立ち去らなかったのは、彼女が諦める姿を見たかったから。

 けれど彼女はいつまで経っても諦めなくて、僕はそう口にした。

「そんなことはないぞ。あれが命よりも大切な物だとあの子は言っていたからな。もし見つからなかったら彼女はこれから先一生、常にあのキーホルダーを探して生きていくことになってしまうだろう!」

「そんなことはないよ。命より大切な物なんて、みんながみんな持ってるものじゃないから」

 ましてやそれがあんな安物のキーホルダーのわけがない。

「うーん。そうだとしても、物がなくなるのは嫌だろう?」

「それは……そうだけど」

「なら同じことだ。一生だろうと一瞬だろうと、何かを失った悲しみは変わらない」

「でも、あんたが探す必要はないじゃないか」

「私がしたいからしているだけだよ。私もよく物をなくすから、あの子の気持ちはよーく分かる。それにこれも夢の為の一歩だと思えば!」

「夢?」

 待ってましたと言わんばかりに彼女の目は輝き、胸を張った。

「私の夢はすっごい探偵になること! これを私が解決した最初の事件にするんだ!」

 僕よりも年上の彼女は、僕よりも子供らしく夢を語っていた。そして今も、その夢を追い続けている。






 ◆






「結局、今まで解決した事件は一つもないけれど」

「ん? 何か言ったかい、荘司くん?」

 しかもメイド服を着て夢を追っているけれど。

「いいえ。それでどうですか。何か手がかりになりそうなものは見つかりましたか?」

 扉を隔てた向こう――本当の逢の部屋を所長が捜索していた。

 やはり昨夜まで逢が使っていた部屋は彼女が普段使っている部屋ではなく、僕たちと同じく移動した仮の部屋だった。物が少なすぎるから、そうではないかと思っていたが……全ての部屋を調べ、ようやく本当の逢の部屋に行きついた。

「いい加減、僕も入りたいんですが」

「待ちたまえよ荘司くん。君は女の子の部屋に問答無用で上がりこむ気かい?」

「これは仕事ですよ?」

「だから、こうして探偵である私自ら捜査しているんじゃないか」

「助手の僕もそれに参加するべきだと思います」

「……君も案外女の子の部屋に興味津々だったりするのか?」

「所長、女探偵モードが長くて大変だったのは分かりますが、真面目にやってください」

「モードとか言うんじゃない! あれは私の真の姿のようなものなんだよ! それに真面目にやってるさっ」

 怒る所長の声からは殺人犯と同じ屋敷に居るという恐怖は感じられない。

「……怖く、ないんですか、所長」

 僕は……殺されるのは嫌だ。犯人も参加者たちも僕には理解できなくて、恐ろしい。所長もきっと、そのはずなのに。僕は尋ねずにはいられなかった。

「怖いとも。けど私が理想とする探偵は、私が夢見る女探偵はこんなことで怖気づいたりはしないし、助手を不安にさせるようなことはしないさ」

「また理想で、夢ですか。相変わらずですね――でも所長らしいです」

「そうだろうそうだろう――よし、入りたまえ」

「失礼します」と所長と、逢に向けて挨拶しながら僕は部屋に踏み入れた。

「これは……」

 逢の部屋は、僕の想像していたよりもずっと女の子らしい部屋だった。あの部屋に持ち込んでいたヌイグルミもこの中の一つだったのだろう、ピンク色のベッドと棚には数多くのヌイグルミが並べられている。そのヌイグルミと同じ棚に写真が何枚も丁寧に飾られていた。だがその中の何枚かは伏せられている。

 両親と兄、それに明月さんを始めとした使用人に囲まれた写真が一番大きな額に入れられていた。しかし他の写真には両親の姿はなく、伏せられた写真を見ると逢からも笑顔が消えている。そして月日を重ねる毎に使用人の数が減っていた。それ以外の伏せられていない写真には望月さんと明月さん、そして逢の3人だけ。

 けれど3人は本当の家族のように笑いあい、肩を並べている。写真の中の逢は初めて会った時と同じようなワンピースを着て、無垢な笑顔をカメラに向けている……本当、僕の目も洞察力も信用ならない。何が悪魔のような女だ――こんな顔も出来るんじゃないか。

「本当に仲が良かったんだね」

「ええ。望月さんが可愛がるのも分かる気がします。病弱だっていうのはやっぱり納得できないですけど」

 だってこんな幸せそうな表情をする人間が、病弱だなんて……思えない。それどころかもうこの世に居ないなんてことは、それ以上に信じられなかった。

「……っは」

 口から溜め息のような声が漏れた。何だ、僕はそれなりの好意を逢に持っていたんじゃないか。妹なんてどこも同じだと思っていたのに。僕の苦手意識はたった数日でなくなってしまうようなものだったのか。

「荘司くん……」

「本当、僕は馬鹿だ」

 怒りさえ湧いてくる。この怒りは犯人にぶつけなければ――まずはこのゲームを終わらせよう。

 その為に必要な情報の一つは逢とこの部屋が教えてくれた。

 残りの情報は――

「所長、本は読みますよね。事務所にも洋書が結構置いてありますし」

「……それなりに読むけど、何故だい?」

「一応確認しておきたいんです。僕が勘違いしているとも限りませんから」

「そうか。私からも確認なんだが漫画ぐらいしか読まない私でも力になれるかな?」

「……あれもキャラ作りの一環ですか」

「ち、違う! あれはその……辞書を買ってから読もうと」

 所長が教えてくれる、とはいかなかった。

 犯人かもしれない人に尋ねるというのも間抜けなものだ。ならせめて、一番犯人の可能性が低い人に訊いてみよう。

「所長」

「な、何だい?」

「この仕事が終わったら、辞書をプレゼントしますね」

「それは……どうもありがとう……」

 所長に食堂で待ってもらって、僕が一人で訪れたのは厨房だった。彼にこれ以上の迷惑を掛けるのは気が引けたが、仕方ない。

「亞傘さん」

「は、はいっ? ――ああ、羽都様。おはようございます」

「と言ってももうお昼ですけれどね」

「どのようなご用件でしょうか……? もしかして昼食に何か……?」

「いえ。とても美味しかったです」

 亞傘さんは「ありがとうございますっ」と恐縮そうに頭を下げた。昨日よりは警戒心を持たれていないらしい。

「実はその……亞傘さんに尋ねるというのもおかしな話なんですが――」

 以外にも、亞傘さんは饒舌に僕の問いに答えてくれた。名前の関係か、良く読むのだという。

「――ありがとうございます。これでまた一歩真実に近づけました」

「い、いえ。こんなことで良ければ……」

「僕なんかよりも亞傘さんの方がこのゲームに向いているかもしれませんよ」

「はははっ、私はただのコックですので……『推理ゲーム』に参加する皆様に料理を振る舞えるだけで良いんです」

 初めて笑顔を見せて、亞傘さんは「ゲームが続く限り、料理を振る舞わせていただきます」とまた頭を下げた。

「はい。今夜も楽しみにしています」

 ――今夜が亞傘さんの料理をいただく、きっと最後の機会になるだろうから。






 ◇






 次に向かったのは、逢が殺害された部屋。今更彼女の死体を調べまわそうというわけではない。ただ望月さんに会っておく必要がある。この部屋に来たのは、彼はずっと部屋の前で座り込んでいたからだ。

 しかし、予想に反して部屋の前に居たのは望月さんではなく、佐藤さんだった。

「んお? おおおおっ! まさか一番レアそうな時子さんのメイド姿を見れるなんて!」

「佐藤君……少し静かにしてもらうけど、いいかな?」

 拳を握り、にじり寄る時子さんに佐藤さんが慌てて両手を上げた。

「ち、ちょっとなんでそんな攻める言葉遣いと姿勢!?」

 無言で迫る時子さんに怯え、すぐに佐藤さんは平静を装い、会話を再開した。

「し、失礼。いやでも時子さんみたいな人がまさか最初にメイド服を着るとは思ってなくて……ほ、ほら時子さんは参加者じゃないんで俺はてっきりまた――」

「また、死体が増えると思ってましたか」

「あ、ああ。何か助手クン、怒ってる?」

「そんなことないですよ?」

 今更、ゲーム気分を咎める気なんてない。そのゲームを終わらせようと僕たちはゲームのルールに則って動いているのだから。

「いやそれにしては……まあいいや。助手クンと時子さんも本腰を入れてきたみたいだし、俺も頑張らないとな」

「そうですね――でも、もう遅いかもしれません」

 僕たちは今夜、このゲームを終わらせる。そして、あの事務所に戻る。ろくな仕事がなくて、紅茶はパックしかなくて、形だけは立派な所長が居る、あの事務所に。

「へえ――随分大きくでるね、助手クン」

「当然だ。荘司君は私の助手だからね」

「時子さんも結構なビッグマウスってわけですか。真紀さんと良い勝負ですよ」

「いや、私はまだまだだよ。真紀さんには遠く及ばない」

 ニヤリと二人が笑う。僕は……笑うのはやめておいた。

「ところで、望月さんが何処に居るか分かるかい?」

「さあ……? メイドさんの部屋の方に行ったのは見たけど、それも結構前のことだしなあ」

「ありがとう。とりあえず行ってみるよ」

 佐藤さんに頭を下げ、僕らは明月さんの部屋に向かった。最後にもう一度、逢が居た部屋の扉を見つめて。

 だが案の定、明月さんの部屋に望月さんは居らず、代わりに――

「へえ、皇の奴と似たタイプだからどうかとも思ったが、案外似合ってるねえ」

「ありがとう――と言いたいところだが、犯人に殺害されるのは探偵として最悪の失態だ」

 所長が肩を竦めて、御伽さんの軽口に応える。

「いやいや、謙遜するこたあねえよ。これはあくまでゲームで、殺害されるってのは一番の身の潔白の証明になるんだからよ。なあ少年?」

「そうですね。けれど犯人も大事ですが、このゲームで重要なのはそこじゃありませんから」

「確かにな。だがこれで犯人が何を考えてるのかますます分からなくなっちまった。本気で勝ちを狙うなら暁を殺すのが定石だろうに。そうなりゃあ少年たちもお役御免だけどな」

「全くだ。そこは私を殺害してくれた犯人に感謝してもいいくらいだよ」

 二人はどちらからともなく笑った。

「ははっ、どうだ、ここらでこっそり犯人を俺に教えるってのは? 賭けで負けたとなったら賭博師の名折れだからよお」

「残念だが、いくら私が殺害された力なき探偵だとしても誇りと使命までなくすつもりはないよ」

「そりゃ残念だ――けどよ、俺にも賭博師としてのプライドっつーもんがある。勝ちを諦める気はないぜ?」

 御伽さんは歯をむき出しにして。それに嫌悪感を現すこともなく、所長は凛と腕を組んで立つ。

「お互い譲らないならぶつかるまでだ。勝負には負けたようなものだが、試合に負ける気はないさ」

「試合ねえ、良く言うぜ。探偵ってのはどっちかつーと俺と同じ側の人間だろう」

「さてね。それを決めるのは自分自身だ。だが私も君と私は同じ類の人間だと思っているよ」

 まったく正反対の意味を込めた言葉を捧げ合って、やはり正反対の笑みを見せた。

「しかし望月さんを探しているだけなのに、これではまるで宣誓だな」

「ああ、暁の奴なら自分の仕事部屋だろうよ。今にも死んじまいそうな面してたから、皇の奴が付き添ってるがな。俺? 俺がそばに居て慰めてやるような野郎に見えるかい?」

「聞いてないですよ。それに――」

「見えるとも、御伽君。君が友人を大切にするように、私には見える」

「だそうです」

 肩を竦めるのは今度は僕の番だった。助手と比べて、探偵はストレート過ぎる。もう少し捻くれた変化をつけても罰は当たらないだろうに。

「なら言っとくぜえ。そりゃあ勘違いだ。見る目がないんじゃねえか?」

「そうかもしれない。だが私は今まで自分の目に裏切られたことは、ない」

 僕を横目でちらりと見た後、所長はそう言い切る。……何処からそんな自信がやってくるのか訊いてみたい。

「そういうわけだから、あまり自分を卑下することはない。自分の生き方に胸を張りたまえ。私のようにね――では行くとしようか、荘司君」

「はい」

 御伽さんにも礼を言って、僕たちは今度こそ望月さんと会うべく、彼の書斎に向かった。

「――それじゃあ所長、手筈通りに」

「分かっているさ。君にばかり良い恰好をさせるのは少し納得がいかないが」

「所長はもう良い恰好をしているじゃないですか」

「誰かさんのおかげでね。……決めたよ。事務所に戻ったら、君にメイド服をプレゼントしてあげよう」

「……勘弁してください」

 僕の懇願も聞かず、所長は書斎の扉を叩いた。

「時宮です。望月さん、少しお話があります」

「……」

 扉の向こう側からの返事はない。

「……望月さん?」

 まさか、という考えが頭を過ぎる。いや、けれどそれはルールに違反するはずだ。

「……入って構わないよ。望月君は少し、疲れているようだからね」

 僕らの不安は、皇さんの声で霧散した。

「失礼します」

「やあ、時子さん、羽都君」

 明月さんがしていたように、皇さんは椅子に座り机に突っ伏す望月さんの傍に立っていた。

「……正直、私が愚かだったとしか言えないな。いくらゲームとはいえたった一人の妹の、しかも溺愛していた逢のあんな姿を見れば、望月君がどれだけショックを受けるかぐらい想像がつくというのに……」

 皇さんの表情に影が落ちる。何も言わない望月さんを見つめるその瞳には後悔が浮かんでいる――ように見える。

「真紀さん、少し席を外してもらっていいだろうか? 探偵として、依頼主に話があるのでね」

「ああ。しかし今の彼が話を聞いてくれるかどうか……」

「大丈夫です。所長に任せてください」

「……分かった。邪魔者は退散するとしよう」

「皇さん。あなたには僕から少しお話があります。もしあなたが今の状況を悔やんでいるなら、僕に協力してくれませんか?」

「――話を聞こうか」

 所長を見るとしっかりと頷いてくれた。こちらは任せろ、ということだろう。僕も僕の仕事をしなくてはならない。所長に頷き返し、皇さんを伴って書斎を出る。






 ◇






「望月さん、遅くなってしまったが、これでようやく仕事が出来ます」

「……」

 望月氏の反応はない。仕事の遅い私に怒っている、だけではないだろうね。

「私の優秀な助手のおかげで、あなたさえその気になればこの『推理ゲーム』を今夜中に終わらせることが出来るところまで来ている。参加者ではない荘司君や、殺害されてしまうような探偵の私ではゲームを終わらせることは出来ない。これは、あなたにしか出来ないことなんです」

「……ゲーム……?」

 初めて会った時とは違う、低い声が望月氏から小さく漏れる。

「ゲームだって……?」

 ゆっくりと突っ伏した体を起き上がらせた彼の瞳は暗く濁っていた。

「これがゲームだって言うのか! あんたも!」

 今にも掴みかかってきそうな剣幕に怯みそうになる。けど私は、今の私は探偵だ。誰にも屈せず、気高く冷静な理想の探偵だ。この程度で怯むような理想を私は知らない。

「あなたはこれがゲームではないと言うのか?」

「当たり前だっ! だって逢は……逢はあの時、俺に言ったんだ! 「昔に戻りたい」って! 言われた時、俺は何も言えなかった! ただ酒を飲んで逃げることしか出来なかった!」

 声を荒げて望月氏は私の問いを肯定した――荘司くんが引き出したがっていた言葉を口にしてくれた。

「あの時というのは私たちが来た日の夕食の前、だね?」

 荘司くんから頼まれたのは望月氏に二人の死をゲームではないと認めさせること。荘司くんはそれが困難であるかもしれないと考えていたようだが、それはあっさりと実現した。

 本当はこれだけで良い。頼まれたのは此処までだ。だが私は、まだ探偵であろうとした。

「ああそうだよ! もしもあの時、俺が逢に何か言ってれば……! くるみが死んでからずっと逢のそばに居てやればよかったんだ! そうすればきっと……こんな結末じゃなかったはずなんだ……」

 彼の語勢はどんどん弱まっていき、最後には俯いて聞き取れなくなった。

 ……違う。望月氏だけじゃない。私がどうにか出来たはずなんだ。私が理想の探偵であったなら。自分の目に裏切られたことがない? そうかもしれない。けど私はくるみさんの遺体を見た時、確かに死んでいると感じたはずなのに、荘司くんの言葉を鵜呑みにして、ゲームだと思い込んだ。思い込もうとした。私は現実を受け入れられなかっただけなんだ。

 それでも私は理想を目指し続ける。探偵であろうと滑稽にメッキを塗りたくる。

「起きてしまった現実は誰にも変えることは出来ない。だがその真実を明らかにすることは出来る。それが私の、探偵の仕事です」

「……真実なんて何の意味もない。逢もくるみも死んだ。それだけでもう、何の意味もないんですよ……」

「意味ならある。隠された真実があり、それを知るべき人がいるなら、それだけで意味はあります。――望月さん、あなたは真実を知るべき人だ。くるみさんと逢さん、二人の家族であるあなたは」

 そして、私も。

 探偵を騙りながら何も出来ず、一人では真実に辿り着けない私も。真実を知らなければならない。それがどんなものであれ、私は受け止めなければならないんだ。私の罪として。

 ……もう、探偵ごっこはお終いだ。






 ◇






「聞かせてくれるかい、君の話を」

「はい。と言っても今はまだ大した話は出来ないんですが」

 真相を語るのは僕の役目じゃない。探偵である所長の助言を受け、望月さんがすべきことだ。

 所長の役目が現実にあるなら、僕の役目はゲームにある。僕の役目は舞台を整え――このゲームを第二ステージへと移行させ、そして終わらせることだ。

「まず二つの現場に残された血文字のことです。僕は最初、ダイイング・メッセージであると考えていました」

「死んでいるのではないから、ダイイングというのも可笑しな話だがね――失礼、続けてくれ」

 やはりまだゲームであるという言い分を変える気はないらしい。だがそれは予想の範疇。

「その理由は逢の言葉にあります――『U.N.オーエン』。有名過ぎる犯人の存在が僕にダイイング・メッセージだと思わせていた」

「うん? それは分からないでもないが、有名だからこそ、犯人がその名を借りたのだとは考えなかったのかい? そもそもダイイング・メッセージなんてものはこのゲームでは存在し得ないはずだろう?」

「確かにそのまま犯人の名前を書いたところで消されるのが普通でしょう。かと言ってあんなダイイング・メッセージを残したところで、他の参加者を混乱させるだけです」

「ああ。だから私を含めた参加者はあれは犯人が残したものか、或いはくるみさんは逢の、引いては犯人の協力者だと考えているだろう。私としてはその両方ではないかと睨んでいるが」

 正解だ。あれは犯人が残したもので、くるみさんは逢の協力者。真犯人に協力していたのかは分からないが。

「ええ、その考えには同意します。けれどこれがゲームであるなら」

 真犯人がゲーム気分で起こした事件なら。

「孤島というクローズド・サークルに集められた10人の男女、しかも皇さんのような元刑事や、獣医とはいえ医者である佐藤さん、それに亞傘なんて名字の人間がいるこの状況で、あんなメッセージを犯人が残すはずがないんです」

 それが僕にこの事件の真相への糸口を教えてくれた。

「残されたメッセージはU.N.known。それがU.N.オーエンのことであるというのは有名な話です。それこそ推理小説なんて読みもしない子供が知っていてもおかしくはないくらいに」

 勿論本気で言っているわけではない。そんなこと知るか、という人間だっていくらでもいるだろう。所長もその一人だ。

「けれどこのゲームが実在する小説をモチーフにしているのなら、残されるべきなのはUnknownなんかじゃない――人名、『U.N.オーエン』のスペルはU.N.Owen。そんなこと、『推理ゲーム』に参加する人間なら誰でも知っているはずなんです」

 或いは一般的な中高生程度の知識を持っているならば、その単語が人名ではない事には気付けるはずだ。

「……っふ」

 皇さんが堪え切れない笑いを零すが、僕はそれに構わず続ける。

「『U.N.オーエン』なんて犯人は存在しない」

 誂えたような舞台も、逢の言葉も、全てが仕組まれたもの。

 この『推理ゲーム』全てが真犯人によるブラフで、ヒントになっていた。

 そして、だから。

「――誰もいなくなってなんていない」

 皇さんの笑い声を塞き止めていた仮面が決壊した。

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