Story Ⅲ
「まず最初のターゲットはくるみよ」
僕は結局、逢に協力することを選んだ。他の参加者ならともかく、依頼主である望月さんの妹なら多少は気が楽だったというのもある。それに望月さんなら逢が望めば承諾していただろう。何故逢がそれをせず、こんな隠れて暗躍しているのか分からない。単なる子供の見栄ではないかという考えは既に捨てた。先程の食堂での一件をこの目で見ては、それも当然だろう。
「……どうして明月さんを? 確かに君が作ったルールに犯人が参加者であると明記されていないように、殺害のターゲットとなるのが参加者のみとは書かれていなかった。けれど協力者であるくるみさんを初日にリタイアさせるのが得策とは思えない」
参加者ではない明月さんにリタイアがあるのかはルール上微妙なグレーゾーンだが、万が一にもケチが付くような勝ち方を逢が狙うとは今更考えにくい。
「それどころか参加者以外の人間が殺害されて数が減れば、せっかく皇さんが逸らした疑いがまた僕と所長に向きかねない。悪手じゃないのか?」
ヌイグルミを抱いたまま、逢は口を開かない。……てっきり僕はまた想像を超えるような策が隠れているのだと思い、一種のフリとして言ったつもりなのだが、まさか本当に……?
「――馬鹿にしないでちょうだい。私を誰だと思ってるのよ」
しかしそれは杞憂だったらしい。生意気な返事が返ってきた。
「僕は君の名前と学年、病弱で不登校らしいってことぐらいしか知らないんだけれどね」
その情報も正直後ろの方は信じられない。何処が病弱だ。むしろ性格のせいで苛められて不登校という方が……いや、そんなタマとも思えない。
「いい? 一旦あなたたちから疑いの目が逸れた今、参加者は間違いなくくるみを犯人候補筆頭と見ているわ。次に兄さんと亞傘、その次に他の参加者の誰か」
「犯人役の僕としては一気に僕たちの疑いが一番下まで下がったことに驚きだけれど、まあそれはこちらにとって得だから良しとしよう」
参加者の中でトップの容疑者が肉親である望月さんなのは当然だ。しかし僕だけでなく皇さんたち参加者も逢に対する認識を改めた以上、肉親であるというだけで望月さんと確定するのは早計だと理解しているはず――ああ、そうか。そういうことか。
「今度は逆に出端を挫く、ってことか」
「出端を挫かれた覚えはないけど? 無表情の癖に意外と小心者なのね」
ベッドで上半身を起こし、逢が得意げに笑う。
「筆頭のくるみが容疑者から外れれば少なかれあなたにも疑いの目はまた向く。けどそれは大した問題じゃない。むしろそれでステージが出来上がる」
逢の敗北条件は殺害方法、トリックの証明だ。喩えるなら金田一ではなく古畑。5Wより1H。犯人が誰かではなく、どうやってそれを実行したかに重きが置かれている。
「十人の男女が集められた孤島、となれば推理小説になんかまったく興味のない私でも知っている名犯人に登場してもらいましょ」
実際には犯人役は誰でもよかった、それこそ明月さんでも。けれど敢えて僕を選んだ理由は、偶然僕が舞台を完成させた人間だったから――
「――『U.N.オーエン』、あなたも探偵の助手なら当然知っているでしょ?」
「探偵だから推理小説を読んでいるって認識はどうかと思うよ。でも成程、そうなると疑いの目は僕よりも佐藤さんと皇さん……それと亞傘さんか、に向くね」
参加者じゃないから気に留めていなかったが、良くこうも上手く揃ったものだ。亞傘なんて名字、そうあるものじゃないだろうに。
「……?」
「……どうしてそこで首を傾げる?」
素直に関心していたのだが、逢の反応は微妙なものだった。もしかして逢にはダジャレのつもりはなかったのかもしれない。だとしたら少し気恥ずかしい。
「ごほんっ、それで? 肝心のトリックは? ……まさか本家同様、参加者全員の弱味を握っていたりするのかい?」
「あっ、それも面白そうね」
やはり恐ろしい……。が、とりあえずそうではないようだ。流石にゲームで人間関係を崩すことはないだろうし。
「くるみの殺害に関してはトリックは必要ないわよ。消灯時間を過ぎて、人気がなくなったらあなたの部屋の電話に連絡するように言ってあるから。それからあなたはくるみの部屋に行ってさっくりこのナイフで刺せばいい。刺さらないけどね。その時、くるみには適当なダイイング・メッセージでも書かせて。くるみは御伽さん以外のお客様の言う事は聞くからその内容はどうあれ、推理が大好きな参加者は頭を悩ませるでしょうね」
逢は枕を避け、その下に並べられていた十本のナイフの中から一本を取って、それを手で弄ぶ。
逢の言う事は『推理ゲーム』としてどうかと思うが、分かる。少なくとも今日から三日間、或いは第一の事件が起きるまで参加者は受け身になるしかない。事件が起きなければ見つかる犯人も解くべき謎もないのだから、問題は参加者にとっても僕らにとっても第一の事件の後になる。
「明月さんは自作自演みたいなものだからいいとして、その次はどうするんだい? もし第二の事件を三日以内に起こせなかったら僕が犯人だと露呈する。そうなったらトリックなんて何もない、明月さんが協力しただけだってことは簡単に想像がつく。ステージが出来上がっただけじゃまだ足りないし、それに君が勝つには参加者全員を殺害しなきゃならない。殺害すればするほど、解くべき謎は増える。けれど同時に容疑者の数は減っていくんだ。次第に強まる警戒の中を掻い潜って、どう全員を殺害する?」
「分かってるわよ。けどそれは後で説明してあげる。事件後の皆の動きを見てからね」
……本当に、不登校の小学生なのか? この島に来てから感じでいた疎外感は強まるばかりだった。
そして、その日、明月さんからの連絡は来なかった。
◆
僕は本当にどこにでもいる人間だった。ただ少しばかり同年代の人間より頭が回るぐらいで、今となってはそれもなくなったように思える。
少しばかり頭の回転が速い僕は物を探すのが得意だった。
探すのは逃げた猫だったり、クラスメイトの教科書だったり、母の手帳だったりしたけれど、物がなくなる度、僕は率先して探していた。
感謝されるのは気分が良かったし、母に褒められるのが嬉しかった。母が若くして亡くなってからはクラスメイトの物を探すのが多くなった。
今思うと、探し物を続ければいつか母に会えると思っていたのかもしれない。どんな理論だと苦笑してしまう。
けれどそんなことを続けていく内、探偵気取りだった僕はいつの間にか犯人になっていた。
勿論、僕はやってない。
でも確かにあの頃の僕の洞察力や記憶力は大したものだったと思う。物がなくなると、それを教えてもいない僕が見つけて持ってくる。
何度もそんなことが続けば、子供でなくとも僕を疑うに決まっている。
それに懲りたのか、僕の探偵気取りはなくなった。物がなくなっても僕は何も言わず、何も感じなかった――いや、内心で笑っていたのかもしれないし、苛立っていたのかもしれない。
それから季節が何度か変わった頃、僕は彼女と出会った。
◆
……そういえば良く考えると、かなりの頻度で物がなくなる学校だったなあ。
などという現実からの逃避もほどほどにして、向き合わなければならない。
「荘司くん? 誰か訪ねて来たんじゃないのかい?」
「……いえ、悪戯みたいです」
「そうか。君の部屋に悪戯するのは逢さんかな?」
「所長、僕はちょっと外の空気を吸ってくるので、時間になったら食堂に行っててください」
「わざわざ言われなくとも行くとも。君は私の保護者かっ?」
「助手ですよ、少なくとも今は」
ぷんすかという擬音が似合う怒り方をしている所長に首だけで振り返ってそう告げ、扉を閉める。
そして、何処か落ち着ける場所を目指して歩き出す。僕に縋り付く逢を伴って。
――選んだのは昨夜使ったのと同じ、逢の部屋。
「く、くるみが……」
「落ち着いて。深呼吸。……どうしたのさ、君らしくもなく」
しゃくりあげるような短い呼吸の逢の背中をさすりながら尋ねる。
朝七時過ぎ、まるで体当たりされたように揺れた部屋の扉を開けたら、逢がいきなり腰に縋り付いてきた。それに少々……いやかなり驚いて記憶の回顧に至ってしまったが、もう大丈夫。僕は落ち着いた。大丈夫じゃないのは逢の方だ。
「はっ、はっ――はぁ、はっ、うっ、く……いやっ!」
部屋に置いてある水差しを取ろうと逢から離れた途端、再び逢が僕を体当たりのような勢いで掴む。……逢の尋常ならざる様子。それほどの何かが起きたっていうのか?
「っ、はっ……」
「……落ち着いた?」
無言でだが逢が頷く。
「何があったか、教えてくれるかい?」
「……子供、扱い、しないでちょうだい……」
汗に濡れた髪の間から覗く瞳は潤んでいるが、落ち着いたようだ。
「ならとりあえず離れてほしいな」
嫌な汗が出て来た。やはり妹は苦手だ。これ以上触れ合っていると蕁麻疹が出そう。
「……」
ゆっくりと逢が離れ、ベッドに座り込む。僕も逢から少し離れ、同じベッドに座る。
「……く、るみ、が」
「うん」
「…………殺されてたの。本当に」
「っ……」
呆けた声が出そうになった唇を噛み締め、それを抑え込む。落ち着け。他でもない僕が落ち着け。
殺された? 明月さんが? 誰に? 僕? そんなはずはない。僕の懐にはナイフがある……しかもそれは刺さりもしない玩具。それでどうやって殺すっていうんだ。
「場所は?」
「くるみの部屋……朝起きたらナイフが8本になってて、それを知らないかくるみに聞きに部屋に行ったら……」
「……分かった」
まずそこで逢を制止する。
まず所長が犯人という線はない――そんなことは分かってる! そうじゃない、そうじゃないだろう!
逢の部屋にあった十本のナイフの内、一本は今此処にある。ならそのなくなった一本を持ってる人間が犯人……落ち着け。そんな単純なわけがない。ナイフを盗んだのは僕らを撹乱するため? それとも逢のことをいつでも殺せるとでも言いたいのか? いやそもそも、明月さんと逢は鍵を掛けていたのか?
「逢、部屋の鍵は?」
「あ、え……し、してたわ」
「明月さんの部屋は、少なくとも君が行った時はされてなかった。そうだね?」
「う、うん」
……大丈夫だ。僕のように下を見て笑うことしか出来ない下衆な人間は、こんな時こそ冷静になれる。だから僕は大丈夫。
「ならまず、明月さんの部屋を教えてくれるかい? もしかしたら何かの間違いかもしれない。……もしそうでなくとも、他の人に伝えるのはそれからでも遅くない」
幸いにしてこの屋敷には元とはいえ警察に居た皇さんもいる。所長を殺人事件(と決めつけるのは早計か?)に関わらせてしまうのは不幸としか言いようがないが、起きたものは仕方がない。
……仕方がないんだ。いつだって人間の死はどうしようもなくて、仕方がないものなんだから。
「……私が案内するわ。大丈夫。ついてきて」
随分平静を取り戻した少女、逢の後に続く。もう僕は逢の言葉を疑っていなかった。もしかしたら時子さんの言うとおり、妹に対する苦手意識を克服してしまったのかもしれない。
明月さんの部屋は僕たちの部屋と同じ列の一番端にあった。扉の前で逢が立ち止まり、深く息を吸った。
「此処で大丈夫。後は僕が確認するよ」
「……いいえ。私も確認するわ。くるみは、私にとって家族も同然だから。兄さんと同じくらい大切な」
昨夜と同じ王の風格を歳不相応に精一杯纏って、逢は扉に手を掛けた。
「っ――」
僕も息を飲み、ゆっくりと開けられる扉の向こう側に目を凝らした。
「……ん? おおー。お二人さん。仲良く出勤ってことはやっぱり皇の推理は的外れで、犯人は少年ってことかあ? ――って思わせるのが嬢ちゃんの策略に思えてくるから大したもんだよ、ホント」
最初に目に入ったのは黒髪の混じった金髪――御伽さんだった。そしてその足元には、血まみれの明月さんの胸にナイフが突き立って──
「ちなみに此処を俺に教えたのは皇だが、流石にそれまでルール違反ってことはねえよなあ? もしペナルティで皇の奴にメイド服着せるってのは勘弁だぜえ……? 目の毒だ」
そう真顔で言う御伽さんは、この惨状の中でとても不釣り合いで、吐き気さえ覚えた。なんだ、何を平然としているんだ。ソレはどう見ても――
「どう見ても死んでるよなあ。しかも特殊な液体とやらも血にしか見えねえし……うえっ、朝飯食ってから見に来れば良かった。つーわけで俺は後で飯食うから残しといてくれよお……」
動けない僕の肩を気安く叩いて、御伽さんは自分の部屋に戻って行った。
「こ、れは……?」
茫然自失の僕の肩にまた誰かの手が触れる。思わず身を翻し、身構えた。
「うおっ、何だよ助手クン。そんなに嫌がれると流石に傷つくよ……?」
「佐藤、さん……」
「うわっ、血生臭っ。換気換気、と」
僕の横を通り抜け、血だまりに触れないよう飛び跳ねながら佐藤さんは部屋の窓を開けた。
「ふいー、ああ、空気がうまい! さて、おおー、真に迫ってるな、くるみさん」
腰を低くして、佐藤さんがジロジロと不躾な視線で明月さんと床を見回す。
まただ。だから、何なんですか、その態度は、その行動は……!?
「さっき御伽さんが青い顔してたのも頷けるね。獣医じゃなかったら俺もやばかったかも。それじゃ二人とも、また朝ご飯でね」
佐藤さんは爽やかに笑う。爽やか? おかしいだろう。それは!
僕は辛うじて首を動かし、逢を見た。
逢もまた僕を見ていた。きつく口を結び、耐えるような、決意するような目で。
そこでようやく、僕の身体に自由が戻る。考えるのは後だ。今は自分の目で確かめなければならない。明月さんの……死体を。
一歩、部屋に足を踏み入れる。それだけで血の匂いが一気に強まった。換気しても隠し切れない程の匂い。特殊な液体なんかじゃない、本物の血の匂い。
明月さんはまるで眠っているような体勢だった。横に倒れた彼女の胸には一本のナイフが深々と突き刺さっている。
「これは……」
僕が逢から預かった物と同じ、過度な装飾のナイフ。けれどこれは玩具じゃない。朝日に反射するその刃はプラスチックなどではなく、本物の、恐らくはハイス鋼製だ。
「違う。なくなったナイフじゃない……間違いなくくるみが用意したナイフは玩具だった」
いつの間にか僕の隣に立っていた逢が証言する。
「……」
次に目に入ったのは明月さんの右手の指先。御伽さんと佐藤さんが見ていた部分。床に触れた明月さんの指は何かを書き示していた。
U、N――
「――『U.N.オーエン』……なんで、どうして……」
逢が恐怖と驚愕が入り混じった声で言う。……出来過ぎてる。此処は現実のはずだ。なのにどうしてこんな……まるでゲームか何かじゃないか。
「……っ」
血の色と匂いが、僕の思考を乱す。駄目だ。これ以上、此処に居ても何も分からない。
「――大丈夫かい? 二人とも。確かにこれは少々刺激的過ぎる」
「……皇さん」
あなたもですか。あなたもなんですか。そんな平然と、僕らを気遣って。他に何かないんですか?
「こういう殺し方をするのは……御伽君が怪しいが、まだ判断するには足りないな。やはりターゲットにされないことを祈って次の犯行を待つしかないかな」
「皇さん!」
気付けば僕は声を荒げていた。僕らしくもない、けれど、そうでもしなければ今の状況に耐えられなかった。
「……驚いた。君でも大声を出したりするんだね。何だい?」
「どうしてそう平然としていられるんですか。……人が、明月さんが殺されたんですよ」
「……? ルールには殺害されるのは参加者である、とは書かれていなかっただろう? ならこれは予想の範囲内だよ」
皇さんは不思議そうに首を傾げ、そんなことを言い放つ。
改めて理解した。いや、思い知らされた。僕とこの人たちとでは、見る世界が違っている。
どうしてそんなことが、この惨状を、今の逢の姿を見て言える?
「あなたには、これがゲームに見えるんですか」
「いや私も最初は絶句したとも。一瞬、本当の事件だとも思った。だが今はそんなことを考えてしまったことを恥ずかしく思っている」
「――?」
「確かにどう見てもナイフが突き刺さり、死んでいるように私には見える。けれどそれはありえない」
皇さんは真剣な表情でその理由を明かした。
「私の友人に、人を殺すような人間はいないのだから」
「……」
「と、そう怖い顔をしないでくれ。ふむ、これは私の主観でしかないが私にとっては十分、皆の無罪を証明できる証拠なんだがね。君だってまさか時子さんが犯人だなんて思ってはいないだろう? ――だが、それが気に入らないなら別な理由を述べるとしよう。――くるみさんの戦闘力は君も知ってるだろう? 誰にも気付かれず御伽君の背後に回り込み、投げ飛ばせる彼女を殺害できるとすれば、寝こみぐらいだろう。しかし彼女のベッドは使われた形跡はないし、そもそもメイド服で寝る人間はいない。どうだい?」
「……それだけで納得することは僕には出来ません。明月さんは人間で、寝こみでなくともナイフが刺されば死ぬ。ましてや犯人は間違いなくこの屋敷に居る人間です。油断もするはずだ」
「私からすれば、彼女には油断も隙もないように見えたがね。それこそ寝こみを襲っても返り討ちにされそうだ――と言っても君は納得してくれそうにないな」
当たり前だ。この眼下の光景を、そんな言葉で納得出来るわけがない。
「納得してくれないのはあなたたちの方でしょう……! どうしてこの惨状を見て、まだゲームだと思っていられるんですか……?」
「逆に尋ねたい。どうして君はこんな惨状を見て、これが現実だと思える? 何故こんなに酷いことを我々の中の誰かが引き起こしたなんて思えるんだ」
そう言う皇さんは本当に理解が出来ないようだった。……やはりあなたたちと僕とでは、何もかも違いすぎる。
「君には信じられないだろうね……けれど人を疑うことに嫌気が差して警察をやめた、愚か者の私は皆の無実を信じるよ」
暫しの沈黙の後、皇さんは小さく笑った。理屈ではないことは、僕にも分かる。僕だって皇さんの言うとおり何の根拠もなく所長を容疑者から外している。世界中でどれだけの人が死のうと、その原因に所長が関わっていることはないと僕は当たり前のように思っている。
「――さて、戯言はここまでにして、とだ。はっきりさせようじゃないか。これがゲームなのか、そうでないのか」
唐突に皇さんは笑みを深めた。
「すまないね。君とのお喋りが楽しくて、つい意地悪をしてしまった」
「……」
「私と君の意見は平行線だ。私は頑固だから意見を変えることはないし、君もそうだろう。なら主催者にどちらかの線をバッサリと切り捨ててもらえばいい。そうだろう?」
視線の先を僕から、隣で俯く逢へと変える。……そうだ。混乱していたせいで、こんな簡単なことを忘れていた。悪魔ではないかと半ば本気で疑っている僕でさえ、逢の言葉を信じている。では素直で良い子だと本気で思っているであろう皇さんなら、逢の言葉を疑うはずもない。本当、馬鹿か僕は。
「逢。教えてくれ。これは本当にゲーム……ではないのかい?」
「……」
ゆっくりと逢が顔を上げた。そして。
「……いいえ、これは私の思惑通り、犯人さんが作り上げた謎。これでようやく、本格的にゲームが始められますわ」
◇
「大丈夫ですか、所長」
「……いや、悪いね、荘司くん……ちょっとあれは、私には刺激が……強かったようだ……」
ベッドで顔を青くする所長。僕が部屋を出てすぐ、廊下が騒がしいことに気付き、明月さんの部屋に行ってしまったのだという。
「皇さんたちは皆、良くできていると感心していたが……」
眼鏡を外した顔を手で覆い、頭を横に振った。
「……荘司くん」
「何ですか?」
「…………本当にあれは、ゲームなんだろうか……?」
「っ……」
僕を見る所長の目は今すぐにでも泣き出しそうに見えた。
「……ゲームですよ。悪趣味ですけど、逢がそう言っていたんですから」
慣れないながらも、笑顔を作ってみせた。それに安心したのか、所長も少しだけ笑った。
「荘司くん、君はもう少し笑う練習をした方がいい」
所長が僕の頬をぐにぐにと引っ張る。……僕の笑顔がぎこちないのは、所長と出会ってから笑えないことばかりだったからなのだが。今回もだし、今までも犬を助ける為に十トントラックに轢かれかけたり(犬はトラックを華麗に避けていた)、川に流されていた猫を助けに入って溺れたり(所長は知らないが、その時の人工呼吸が僕の初めてである)、万引きを捕まえようとして商品を持って追いかけて逆に万引き扱いされたり(ちなみに万引き犯は善良な一般市民が捕まえた)。本当、笑えない思い出が多い。
「……けど、そうか。君がそう言うなら、そうなんだろう。なら良いんだ」
「良くないです。探偵がそれじゃ、望月さんに申し訳が立ちません」
「心配しなくてもすぐに良くなるさ。望月さんに勝利をプレゼントする為にも、頑張ろう」
青い顔のまま、所長は笑う。……安心したのは僕の方だった。
「はい――じゃあ僕は一足先に調査してみます。所長も無理はしないでください」
「ああ、ありがとう。でも大丈夫。助手にばかり良い所を取られるのは情けないからね」
所長は手を振って僕を見送る。僕は後ろ髪を引かれる思いで所長の部屋を跡にした。
広い通路を歩きながら、脳裏に過ぎる逢との会話。
「どういうつもりか、教えてほしい」
「……」
「まさか本当に、ゲームだったって言うのか?」
「……違うっ! くるみは、くるみは本当に……殺されたの」
「ならどうしてゲームだなんて嘘を……」
「……ダイイング・メッセージを見たでしょ? U・N・K・N・O・W・N――『U.N.オーエン』。くるみがあんな回りくどいものを残すはずがない。あれはきっと……犯人が書いたのよ。くるみの血を使って、くるみの手でっ」
「確かにあれは出来過ぎてるとは思う。だからってどうして……」
「……犯人は本当にゲームのつもりなのよ。もしゲームを中断したらどうするか分からないじゃない……だからああ言うしかなかった。ゲームを続けるしかっ」
逢はあれから、部屋に籠っている。出来ることなら玩具のナイフを預かりたかったが、今の逢は何を言っても返事をしてくれなかった。危険だとは思うが、一度侵入を許した以上、その危険性は変わらない。
今は望月さんが一緒に居るが、どうしているのかは分からない。兄にも嘘を吐いたのだろうか。それとも、もう本当にただ一人の家族になった兄にだけは、真実を話したのか。
「早く、見つけないと」
ゲームを続ければ最悪、一日一人、最低でも三日に一人。残る玩具のナイフの数は盗まれた一本と僕の持つ一本を除く、八本。
ゲームをやめれば一日で皆殺しかもしれない。助けを呼ぶこともしない方がいいと逢は言っていた。
これで僕たちは本当に、閉じ込められてしまったらしい。犯人――『U.N.オーエン』に。
「……狂ってるよ。犯人も、参加者も」
自然と悪態が口を吐いて出た。ゲーム感覚で人を殺す犯人だけじゃない。ゲームだと信じて疑わない参加者も、皆、壊れてる。
こんな所にこれ以上居たくはない。だから一刻も早く、犯人を捜し出す。
しかし問題は山積みだ。何より、ゲーム感覚なのは犯人だけではないということ。
「……僕が望月さんの協力者という立場である以上、情報を引き出すことは出来ない」
禁止されているのは参加者同士の協力だけだが、わざわざ僕、そのバックの望月さんに協力をしようというプレイヤーは居ないだろう。
「ならまずは、亞傘さんか」
一度も姿を見ていないこの屋敷の料理人、亞傘大吾。彼から少しでも情報が出れば良いけれど。
「……厨房、行くの?」
厨房に足を向けた途端、僕の手が後ろから引かれた。僕は驚いたが、すぐにその手を振りほどいてその手から離れた。
「……ごめん、なさい」
「……夏葵、さん」
夏葵円。彼女もやはりゲーム感覚か。でなければこうも落ち着き払ってはいまい。
「……驚かせるつもりは、なかった」
「いえ。僕こそすいません。背後に立たれるとつい、反射的に」
「……じゃあ、これからは気を付ける。お互いに」
「え、あ、はい」
皇さんがマイペースと評した通り、彼女の考えは読めない……尤も、この島に来てから考えを読めたことなど一度もないが。
「……それで厨房、行くの?」
「はい」
「……私も、行く。私もお腹、空いたから」
理由を話さなかったからだろうか、夏葵さんは僕の目的を勘違いしているようだ。決して僕がいつでも腹ペコな人間だと思われているわけではあるまい。
「……同い年」
「え?」
「……君と私」
「ああ……そうですね。夏葵さんは確か、二年生でしたっけ」
「……いやん」
「すいません。その反応の意味が分かりません」
彼女は何故か煽情的に腰をくねらせていた。僕は困惑するばかりである。
「……どうして、知ってるの?」
「皇さんが再来年卒業だと言ってましたから」
「……なる、ほど」
間延びする話し方もだが、話し方に特徴のある人だ。頭の回転が遅いわけではないのは、昨夜の一件から分かるが。
「……どうして、大学辞めたの?」
「大学に入った理由が就職の為でしたから。たまたま今の仕事に就けたので、辞めただけです」
僕は高校も中退しているので、最終学歴は中卒だったりする。学歴社会と言われる世の中では少々肩身が狭い。職場が職場なので、余計に。
ちなみに所長は大学卒。大学自体は普通レベルだが、高校はとてつもないお嬢様学校に通っていて、「お姉さま」なんて呼ばれていたらしい。想像できない。
「夏葵さんは普通の大学生なんですよね?」
「……いえい」
そこでピースされても。「花の大学生でぇす」とでも言いたいのだろうか。
「どうして、『推理ゲーム』に?」
というより、どうやって、か。
「……さあ?」
小首を傾げる夏葵さんからは僕と同い年と思えない幼さを感じる。
「いえ、話したくないなら構いません。ただの素朴な疑問ですから。僕が大学に居た頃はこんなゲームに関わる機会なんて絶対にありませんでしたし」
そもそもこの推理ゲームを最初に主催したのは誰なんだ? 賭博師の御伽さんだろうか。それとも実はかなり昔から行われていたのだろうか。
「……話したくない、わけじゃ、ない」
夏葵さんに少し変化を感じた。悲しそうというか、辛そうというか、良くは分からないけれど。
「……覚えて、ないだけ」
それ以上の追及を僕はせずに、「そうですか」とだけ返す。
「夏葵さんは誰が犯人だと思いますか?」
ただその代わりに無駄とは知りつつもそう尋ねた。
「……さんは、いらない」
「ああ、すいません。癖なんです」
案の定返ってきたのは答えではなく、このタイミングで言う必要があるのか分からないお願いだった。
余程歳が離れていない相手には敬語を使っているので、癖というのも本当だが正直犯人かもしれない人間を気安く呼ぶのが嫌だった。
「……そう。じゃあ、羽都」
「……なんですか、夏葵さん」
こっちの気も知らず、いきなり気安くされた。
「……犯人は、羽都」
心臓が跳ねた。
「どうして僕だと思うんですか?」
「……女の、勘?」
また夏葵さんが小首を傾げる。鎌を掛けられたのか?
「……羽都は、嘘を吐く時、右の眉が上がる」
「そんな癖はありません」
あったなら僕の右眉は常に上がりっぱなしだろう、なんて。
「……羽都」
「その呼び方でいくんですか……別に良いですけど」
「……お仕事、頑張って」
「はあ……? いや、はい。どうも」
突然の激励に、戸惑いつつも頷く。本当にマイペースな人だ。その言葉に含む物を感じないではないが……。
「すいません。亞傘さんですか?」
厨房に辿り着いた今は、そちらを優先する。奥に佇む影に警戒しつつも声を掛けた。
「ひっ……? は、はい。わ、私が亞傘ですが……ええと、夏葵様と、あなたは……?」
先程の僕よりも体を跳ねさせつつ、亞傘大吾は振り返った。
第一印象は大木。身長は190センチ程だろうか、しかし細くはなく、むしろこの屋敷の誰よりも太く、がっしりとした体格をしていた。しかしそれに反し、彼の声は震え、表情には怯えがある。
「望月暁氏に雇われた探偵、時宮所長の助手、羽都です」
簡潔に答えると亞傘さんの警戒心は少し薄れたようだ。
「あ、ああ……はい、はい。旦那様から聞いております。現在この屋敷の厨房を取り仕切っている
コック帽を取って丁寧にお辞儀をする彼は、どうやら見た目に似合わず小心であるようだ。そういえば皇さんは昨日、彼が怯えるからと佐藤さんを止めていた。
「どういったご用件でしょうか?」
「ええとお、お腹が空いちゃってえ……」
打って変わって間延びした口調で夏葵さんが亞傘さんに伝える。
「ああっ! 申し訳ありません……朝食ではご満足いただけなかったようで……」
「す、すぐに何かお作りしますね」
「いえ、僕は別件なんです」
朝食もろくに食べてはいなかったが、少なくとも今は何かを口にする気にはなれなかった。
「では、何を……?」
「少しお話をお伺いしたくて。料理が終わってからで構いませんから」
「い、いえ。今は本当に簡単なものしか用意できませんので、ど、どうぞ何なりとお聞きください」
どうやら一刻も早く終わらせてしまいたいらしい。対人恐怖症……? 望月さんの人選はどうも良く分からない。勿論彼が一流の料理人であることは疑いようもないのだが……。
「な、夏葵様はどちらでお召し上がりになりますか? 何でしたらお部屋にお持ちいたしますが……」
「……じゃあ、お願いしますう」
「かしこまりました」
夏葵さんは僕を見て少し迷ったようだったが、亞傘さんの申し出を受け入れ、部屋に向かった。二人きりという状況は彼が犯人でないなら好都合。仮に犯人なのだとしたら……夏葵さんを巻き込まずに済んでよかった、と思っておこう。どんな人間であれ、迷惑は掛けたくはない。
「亞傘さんはいつからこの屋敷に勤めているんですか?」
「あ、い、いえ。私は旦那様の屋敷でゲームが行われる時にだけ、雇われているので……この屋敷で働くのはまだ三回目になります。ふ、普段は私ではなく他の方が……」
「……成程」
つまり彼もまた、この島に呼び寄せられた十人の男女の一人ということになるわけだ。ますます出来過ぎている。しかし犯人が仕組んだことなのか、そうでないのかは分からない。
「明月さんの話はお聞きになりましたか?」
「は、はい。先程旦那様から電話でお聞きしました」
「……いったい何と?」
「は、はあ……? 明月さんがゲームの方に参加しているが、普段通り仕事をしてくれ、と……私は常に厨房に居ますので、明月さんともこの屋敷に入る時と出る時ぐらいしか顔を合わせませんから、特に支障はないのですが……」
逢は結局、望月さんにも真実を話さなかったのか。それとも望月さんは真実を知った上で亞傘さんにそう告げたのか。僕にはまだ分からない。やはり逢ともう一度会って話す必要がある。それに、望月さんとも。
「それじゃあ食事の配膳も亞傘さんが?」
話しながらも亞傘さんはフライパンで手早くハムと卵を焼いていく。
「は、はい。私がこういう性格ですので明月さんにお願いして……私が皆様が御集りになる少し前に食卓に並べさせていただいています」
配膳は明月さんの仕事だと思っていたが、違かったようだ。メイドの仕事をしてまで、人との関わりを彼は避けているらしい。平時であれば僕もここで引くが……今はそうはいかない。
「亞傘さんは今回のゲームについては聞いているんですか?」
「妹様から少しだけ……私がゲームに関わるようなことはないから、安心しろ、と……」
香ばしい匂いのそれを皿に移し、朝食の残りのサラダにドレッシングをかける。
彼を殺害するつもりは逢にはなかったということか。彼女の優しさか、それとも殺害失敗時の保険は必要ない、という自信なのか、今は確かめる事が出来ない。
そして本当の犯人がそれを知っているのかも分からない以上、彼もまた犯人の可能性と被害者となる可能性を僕らと等しくある。
「亞傘さん」
「は、はい」
「もしもこのゲームではなく、実際にこの屋敷で事件が起こっているとしたら、どうしますか?」
これ以上彼に話させるのも可哀想だ。だから率直にそう尋ねた。
「……わ、私はただのコックですので。身を震わせながら料理を作ることしか出来ません……そ、それに下手に騒いでも羽都様たちのお邪魔になるだけですから……」
「……分かりました。すいません、お手数をお掛けして。お仕事、頑張ってください」
「い、いえ。羽都様も」
「ありがとうございます。お礼にもなりませんが、夏葵さんの部屋へは僕が持っていきますよ」
最後に焼きあがったパンにバターを塗って出来上がった食事をトレーに載せたそれを、僕が横から掴む。
「お客様にそんな……!」
「お気になさらず。亞傘さん、昼食も楽しみにしています」
「は……はい。あ、ありがとうございますっ」
亞傘さんが再び頭を下げている間にトレーを持ち上げ、僕は夏葵さんの部屋に向かった。
◇
望月逢の死体が発見されたのはその日の夜のことだった。
「は……?」
今度こそ僕は呆けた声が出るのを抑えることは出来なかった。
逢の部屋からは残る八本のナイフ全てが消え、残されていたのはやはり本物のナイフと、明月さんと同様、血で書かれたメッセージ。そして、ルールの追加を知らせる紙。
~ルール追加~
・主催者が殺害された場合、主催者に関わるルールは全て犯人に適用される。
たった一文。
けれどそれは、今まで以上の恐怖と疑問を僕に植え付けた。
――そして翌日、僕は所長を殺害した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます