村下春子の「あなたのネタ、買い取ります」

たまきみさえ

「あなたのネタ、形にさせていただきます」

 私は、某有名小説家の秘書。

 重要な仕事の一つに「ネタ」集めがある。


 この仕事、実はかなり厄介だ。

 たとえば街に出かけて行ったとしても、いつも何かネタに遭遇するわけではないし、誰かに訊いても「はい、これ」とすぐに差し出してもらえるものでもない。だからと言って、こうして雇われてる秘書たるもの、編集さんが出して来るアイデアに負けてばかりもいられない。


 数年前、私は別の某有名小説家のある短編集を思い出し、これだ! とひらめいた。ネタを持っている人を探せばいいのだ。

 そして、素性を隠し、ネット上にこんなサイトを開設した。


「あなたのネタ、買い取ります」


 管理人の名前は「村下春子」にした。わかる人にはわかるだろう。そこに興味を持って、コンタクトしてくれる人もいるかもしれない。


 持ち込まれたネタは私が整理し、時には本人に会って詳しく取材をする。このサイト開設のアイデアのもとになった短編集のような感じで。


 ネタの提供者には、買い取り金を支払う。その時点で、こちらにはそのネタをどう扱ってもよい権利が発生することとし、また、作品化された場合に自分がネタ元であることを公にしない旨、誓約書を書いてもらう。この”ネタ収集プロジェクト”に参加し、取り引きしたこと自体も口外しないこととする。そのかわり、こちらも個人が特定されるような使い方はしないことを約束する。

 めでたく先生によって採用された折りには、成功報酬のような形で追加の支払いをする。最初の買い取り金額も、追加の金額も、あらかじめ決められており、本の売れ行きがどうであろうと、あとからさらに加算したりはしない。

 

 当初、アクセスして来る人がどれくらいいるのか、まったく予想がつかなかった。が、やってみてわかったのは、人というのは多かれ少なかれ「聞いてほしいけど、話す機会がなかった」「ずっと誰かに話したかったけど、知人に話すとまずい」「大したことじゃないのに、気になって気になってしょうがない」というような話の一つや二つを、持っているものなのだということだ。中には、「秘密を抱えているのがつらい」という、切迫した人もいた。

 まさに、これまた件の短編集の「はじめに」にある通り。それらのネタは「話してもらいたがっている」のである。


 一方、いくら誓約書を取り付けたからと言って、こんな取り引きをしたことを誰かに話さないでいられるものなのか、私は確信が持てなかった。しかし、今のところ、このことがどこかで取沙汰されている様子もないのだ。

 提供者が一様に口にする言葉が、出任せでないことに私は感慨を覚える。


「こんなちゃんとした形で聞いてもらえて、本当にスッキリしました。あとはもう、好きにしてください」


 お会いした人は皆、長年の荷物をやっと降ろしたような、晴れやかな顔をして帰っていく。


 かくして、ぼちぼちとネタを持った人とお会いして、私はせっせとそれらを簡潔にまとめ、作家先生にお見せして説明する。どこからアイデアが広がるかわからないので、直接取材したネタを私の側でボツにすることはない。

 そして、当然のごとく、すべてが採用されるわけではない。私が自信満々でお伝えしても、ボツになってしまうネタもある。ネタを預かってきた者として、とても残念に思ってきたが、どうしようもないのがつらいところだった。


 が、先日また、私はひらめいた。それこそ、あの短編集そのものではないか!

 買い取ったネタはもうこちらのものだ。残念なボツネタたちを、私が密かに採用してあげればよいのだ。拙い私の文章力では申し訳ないが、聞いた話をなるべくそのまま形にし、語ってくれたその人自身をも記録に残すことで、少なくとも私の中ではネタを昇華させてあげたという満足感は得られるだろう。そして、その人が「話した」ということも記録という形で残る。

 もちろん、公開はしない。パソコンの中の私の”本棚”に、短編集のような形でひっそりと置かれるだけだ。これは私なりの、一種の弔いだ。


 かの短編集の作家先生も書いていた。小説に使い切れないスケッチ=ネタはのようにたまってくる、と。

 私は小説家ではないけれど、ネタを預かった者としては同じ思いなのだ。受け取った私の側でケジメをつけるために、最後まで丁重に向き合ったという形を作りたい。


 というわけで、これは永遠に採用されないだろうというボツネタを見繕って、私はしばしばそれを記録する作業に没頭した。

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