第22話
骨折しているかの判断がつかないから、単なる打撲と仮定して治癒をイメージする。
それはアデル先輩の傷よりも簡単だ。切り傷よりも打撲の方が日常的に起こり得るものだし、私も自分自身の打撲を治癒した経験がある。
イメージするのは氷嚢だ。熱を帯びる痛みを冷やし、癒すイメージを持って魔力を手の平に集中させ、腫れたセシルのお腹に触れる。
全力で治癒しているけれど、縫合するわけではないから集中力はそれほど必要としない。だからセシルのお腹を見つめつつ、口を開いた。
「さっきのセシル、格好良かったです」
「なんだ、いきなり」
「魔法使うところ、初めて見ましたから。疑っていたわけじゃないですけど、本当に魔女の、グリムニルさんの弟子なんですね」
炎を携えたその姿は、私の
赤と黒の髪は原作ではセシルリアの死の証だったけれど、今のセシルの髪はグリムニルさんの弟子の証なんだ。
「私は何もしてない。仕留めたのはあいつらだ」
「そうなるようにプーカさんを止めてくれたのはセシルじゃないですか」
もしあのままセシルが炎を振るっていたら、大怪我じゃ済まなかったはずだ。その方が簡単だったはずなのに、セシルはそうしなかった。
「……別にどう受け取ろうとお前の自由だけどさ」
「はい」
だから私はセシルが助けてくれたんだと思う事にする。
「これから、プーカさんはどうなるんでしょうか。それに元の姿に戻れるんですか……?」
「見ろ」
セシルが顎で拘束されたプーカさんの方を指す。
見れば、アルベルト様が魔法でプーカさんを眠らせていた。
対象を眠らせる催眠魔法は水属性でもかなり難易度が高いとされている魔法だ。
アルベルト様が得意とするのは原作と変わらず、地属性の魔法なのに水属性にもかなりの適性があるみたいだ。
暫く唸り声を上げていたプーカさんだったが、やがて意識が遠退き、眠りに落ちるとゆっくりと元の人の姿を取り戻して安らかな寝息を立てているようだった。
「話を訊く必要もあるし、悪いようにはならないだろう。学院には戻れないだろうがな」
目撃者が多すぎる、と興味なさげにセシルは言うけれど、私の胸は痛む。
プーカさんとは友人と呼べるほど親しい仲ではなかった。でも同じ新入生同士で、仲間だったんだ。
それにきっと、今回の事でまた貴族の生徒たちの平民に対する差別の意識は強くなる。セシルは勿論、平民上がりのフェリアに対しても厳しいものになるかもしれない。
「強引にでも取り上げるべきだった」
「え?」
「お前から香水を預かっていれば、巻き込むことも、そんな顔をさせることもなかったのに」
もう一度見上げれば、セシルは言葉通りの罪悪感を覚え、後悔しているようだった。
また胸がちくりと痛んだ。さっきとは違う痛みだった。
「……やっぱり、私は邪魔でしたか?」
子ども扱いしないで、とは言えなかった。
精神はともかく、こういう荒事では私とセシルの魔法の実力は大人と子供以上の差。それがよく分かったから。
「そうだ、と言えれば楽なんだけどな」
躊躇いがちにセシルは首を横に振った。私に気を遣った嘘を言っているようには見えなかった。
「こうしてすぐに傷を治せるのはお前が居たからだ。治癒魔法の恩恵に預かっている今、そんなもしもは願えない」
願っちゃいけないんだ、そう語るセシルの表情は苦し気だった。
患部の痛みにではなく、ジレンマに耐えているような口調だった。
治癒魔法では古傷は治せない。死んだ人は生き返らない。心の傷も癒せない。
けれど見過ごせなくて、私は尋ねた。
「セシル、どうしてあなたは私をそんなに気遣ってくれるんですか?」
ずっと気になっていて、でもあの優しい眼差しを見ると何も言えなくて、ずっと気にかかっていて、でもあの羨望の眼差しを思い出すと、何故か怖くなって訊けなかった。
「負い目があるんだ」
「私が泣いちゃったことですか? あれは、その、私もわけわからなくなっちゃっただけです。たった一回の泣き顔でこんな風に態度を一変されると、それはそれで寂しいんですよ?」
仲良くなれるのは嬉しい。だけどそれが私を泣かせた後ろめたさから来る関係なら、悲しいじゃないですか。
私が思う友達は、私が憧れた友達っていうのは、一緒に泣いたり笑ったり、泣かせたり笑わせたり、そういう関係なんだ。私とフェリアがそうであるように、セシルともそうなりたい。
「それもある。でも違うんだ。私はね、レイラ──」
「会長、大変だ!」
初めてちゃんと私の名前を呼んだセシルの声が講堂の方角から聞こえた大声に掻き消される。
そちらに目を向けると、二階の窓からサーキス様が顔を出し、アルベルト様を呼んでいた。
「こちらは解決したところですが、何事ですか?」
裂けてしまったアデル先輩の制服を利用して作った、肩を吊るサポーターを先輩に着けていたアルベルト様が応え、サーキス様が叫ぶ。
「王都の騎士団を呼びに行った教師が逃げ帰ってきた! 魔物の群れが学院に向かってる!」
「……!」
その知らせに私だけでなく、アルベルト様とアデル先輩も驚愕に目を見開く。
これもモネの香水のせい? でも人気が集まる場所にまで呼び寄せる効果はないはずじゃ……。
セシルが言いかけた言葉の続きは気になるけれど、そんなことを気にしてる場合じゃない。
「……もういい。十分治った」
唇に指を当て、考え込んでいたセシルは私の手を取り、捲し上げられた制服を戻すと足取りを確かにアルベルト様たちの方へと歩み寄る。私もそれを追った。
「詳しい話を聞かせてください!」
アルベルト様が叫ぶとサーキス様が二階から飛び降りて合流する。彼の顔にも焦燥に汗が滲んでいた。
原作ゲームという形でサーキス様の実力を知っている私は、その事実により深刻さを感じてしまう。
サーキス様の個別ルートではアデル先輩やアルベルト様と戦うイベント、アルベルト様の弟、クラウド様ルートではドラゴン討伐という形でその実力が描かれていたからだ。
最強の魔物と称されるドラゴンを倒すほどの実力者である彼が焦りを覚えるような事態、向かっているのは数匹程度の群れじゃないはずだ。
「ラビに遠見の魔法で確認してもらった。獣型の魔物の群れが真っすぐこっちに向かって来てる。数は三百は下らないらしい。しかもさらに合流して数を増やしてる」
「予想される到達時刻は?」
「凄まじい速さだ。十分と掛からない。ラビの話だと王都も事態に気付いて騎士団を動かしてくれてるみたいだが、どう足掻いても到着には間に合わない」
絶望的な報告にアルベルト様の顔が険しさを増す。
どうしてプーカさんだけでなく、こんな事まで起きてしまうんだ。
「対応としては門を封鎖して騎士団到着まで時間を稼ぐしかありませんが……セシル、原因に心当たりはありますか?」
「襲われたっていう生徒か? 無事だったんだな。けど一年生にそれを訊いたところで……」
魔物の群れが人の生活圏である学院にまで押し寄せるなんて普通じゃない。絶対に原因がある。それを取り除けば事態を解決出来るかもしれない、アルベルト様はそうお考えなんだろう。
そして、学院一の知恵者であるラビ様にも解明出来なかっただろうその原因を突き止められるとしたら、それは魔女の知識を持つセシルをおいて他にない。
「最初のあの遠吠え。あれしかないだろう。仲間として呼ばれたのか、それとも本能的に排除すべき敵だと認識して寄ってたかって来ているのかは知らないがな」
やはりというべきか、セシルはいとも簡単に推測を導き出していた。
さっきサーキス様の報告を聞いた時点で考え及んでいたんだと思う。でも、あの最初の雄叫びが原因なら、それを今更取り消すことは出来ない。
「……彼女を差し出したとして、魔物たちが引き返す可能性はありますか?」
「アルベルト様ッ!?」
信じられない言葉に思わず声を上げてしまう。
だけどそれは私だけ。みんな、重苦しい表情で押し黙り、セシルの言葉を待っているだけだった。
「希望的観測でしかないが、ゼロじゃない」
「セシル……」
「さあ、どうする? 血に飢えた獣に哀れな供物一人捧げてみせるか? 冷酷に、冷血に、機械的に」
そんな事をしても無意味だ、そう切り捨てて欲しかった。立ち向かうしかない、とそう言って欲しかった。
たった一人の犠牲で学院の全員を守れる可能性があるのなら、それに縋るべきだと分かっていても……分かってる。これはゲームじゃない。
先生たちと優秀だとしてもただの学生たちだけで、無事に乗り越えられる事態じゃないんだろう。
重ねて心が警鐘を鳴らす。これはゲームじゃない。現実を見ろ、現実に生きろ、と自分の咎が叫んでいる。
「会長、平民の、それも獣人混じり一人の命でどうにかなる可能性があるなら、それに賭けるべきだぜ」
「サーキス、これは会長としてではなく、この国の王子として僕が決断します」
「……過ぎた言葉でした。申し訳ございません、殿下」
冷たい声のアルベルト様はサーキス様の言葉を肯定しなかった。だけどそれは私の言葉に耳を傾けてくれる理由にはならない。
アルベルト様の顔は生徒会長としてではなく、第一王子のものに変わっていた。それは生徒たちだけでなく、この国の民全員を預かる身として、事の責任全てを負うという覚悟だ。
「教師が大声で報告してきたせいで生徒たちにも知れ渡っちまった。俺たちで宥めてはいるが、声を掛けてやってくれないか、会長として」
「……分かりました。先に行ってください。僕も事を済ましてすぐに向かいます」
私が主人公だったなら、アルベルト様を止められただろうか。
私が主人公だったなら、一人の犠牲も出すことなく、事態を解決出来る方法を持っていただろうか。
主人公になんかならなくていい、ただ平和にこの二度目の人生を生きていたいと願っていた。
そんな私が今、主人公であったならと願ってしまう。苦しい思いも痛い思いもしてもいい、だからハッピーエンドを導く力が欲しい、と身の程知らずに願っている。
「生徒会長と王子様、二足の草鞋は苦労が多いな」
くつくつとセシルは笑っていた。
こんな状況でどうしてと怒るべきなのに、私はそんなセシルに希望を見た。
「存外、履き心地は悪くないですよ」
現実はゲームのようには甘くない。思い通りには進まない。
「会長としてではなく王子として、生徒ではなく魔女たるあなたに問います」
だけど現実だって生きる人の努力によって、選択によって、未来は変わる。
「全てを救う方法を」
アルベルト様が問いかけたその先、其処には杖を持ち、マントを靡かせ、嗤い立つ、
「呪いを
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