第20話

 教員たちを伴い二手に分かれ、サーキスは男子寮に、女子寮へと向かったラビ。

 彼女たちが女子寮の門を抜け、階段を駆け上がるのとガラスの割れる音が聞こえてきたのは同時だった。


「まずは生徒の無事の確認。外に出ている生徒たちは部屋に戻して。腕に覚えがある先生はわたしについてきて」


 生徒会役員とはいえ、一生徒であるラビの言葉だが、教員たちは戸惑いながらも指示に従った。

 国によって教員として選ばれた彼らだが、こういった不測の事態に慣れた者はこの場には誰一人としていない。大多数の生徒同様、戸惑っているのは彼らも同じなのだ。だから顔色一つ変えないラビの指示に従う、従ってしまう。

 教育者として、大人として情けない話ではあるが、ラビにとっては余計な真似をされるよりありがたかった。


「大丈夫? 何があった?」


 音の聞こえた三階へ急ぐと、そこには割れた窓と扉の残骸、そして顔を青くして座り込む数人の生徒たちの姿。

 ラビはその中の一人、ミーシャに事の次第を訪ねた。


「へ、平民が襲われて、窓から……」


 ミーシャの指さす壊れた窓へと近づき、下の中庭を覗き込み、暗闇に目を凝らす。だが窓枠が無残な姿で転がっているだけで人影は見えない。


「落ちた生徒の名前は。何処から来た、何に襲われたの?」

「平民の名前なんて覚えていませんわ……あの大きな杖を持ち歩いている平民です。突然、獣の叫びが聞こえて、驚いて外に出たらあそこの部屋の扉が吹き飛んで、制服を着た獣人が飛び出してきましたの……」

「あそこは誰の部屋?」

「襲われたのとは別の平民の部屋ですわ。いいえ、平民なんかじゃありませんわっ、あんなの化け物じゃありませんか! どうしてあんな獣が学院に紛れ込んでいますの!?」


 この場から危険は去り、癇癪を起こしたミーシャからこれ以上有益な情報を聞き出すのは不可能だと判断したラビは教員の一人にミーシャを任せ、残った教員に声をかけた。


「あの部屋を誰が使っていたか分かる?」


 ラビの問いにバツが悪そうに首を振る。大勢の生徒が住む寮、それも女子寮の部屋割りなど男性である彼が知るはずもなかった。もっとも、男子寮であっても把握しているというわけではなかったが。


「あなたたちは門の前で警戒。目的も正体も判然としないけど、此処に戻って来ないとも限らない。生徒を守るのもあなたたちの仕事でしょ。わたしは会長に報告しに戻りながら、守衛たちを呼んでくる」


 ミーシャ同様、こちらも当てにならないと見切りをつけたラビは口を挟ませる暇もなく早口で告げると踵を返して、講堂へと向かった。




 ◇◆◇◆




 酔いに苦しむ呻き声が安らかな寝息に変わる頃、寮へと向かっていたサーキス様とラビ様がお戻りになった。

 アルベルト様と何かを話し合っているようだけれど、二人の顔は険しい。解決した、というわけではなさそうだ。


「何が起きてるんだろう……寮の方は大丈夫かな」

「大丈夫ですよ、きっと」


 呑気に眠る彼に呆れていたフェリアだけど、ふと不安そうな表情でそう零した。

 他の生徒たちもサーキス様たちの様子に息を潜めていた不安感がまた蘇っている。

 かくいう私だってそうだ。今もまだ、ゲーム感覚でいられたのなら、この不安も抱かずに済んだのかもしれない。根拠もなく能天気に大丈夫だと笑ってみせれたのかもしれない。

 でも、そんなのは嫌だな。たとえ不安を感じずに済むのだとしても、そんな風に生きるくらいならこの怖さを抱いていたい。不安を抱えたまま、それでもフェリアやみんなと寄り添って、乗り越えたい。


「皆さん! 学院内に何者かが侵入しました。魔物なのか、賊なのかはまだ分かりませんが、女子寮にその痕跡があったそうです」


 話を聞き終えたアルベルト様が通る声で告げる。

 女子寮……セシルは無事だろうか? 魔物だったならセシルが負ける光景なんて思い浮かばないけど、もし相手が人だったら、魔法を使えばセシルが死んでしまう。

 一層強くなった不安感に、知らず私は胸で両手を強く握りしめていた。


「これから僕とアデルは教員たちと対応に向かいます。皆さんは此処から動かないようにお願いします。此処の守りはサーキスとラビが、知っている方も多いでしょう、二人とも優秀な魔法使い、安全は保障できます」

「不安がらなくても大丈夫だって。会長に華を持たせてやろうっていう臣下の粋な計らいだ。パーティーはお開きだが、埋め合わせもねだっておくからさ」


 おどけた調子で笑うサーキス様に、周囲から僅かだけの笑い声が漏れる。アルベルト様もだけれど、生徒会の方々は人を安心させるのが上手い。多分それはみんながまだ身に危険が及んでいる具体的な実感が湧いていないということもあるのだろうけど。

 私はそういうこともある、と知識として知っているから余計に不安に駆られてしまうだけで、魔法学院の学生といってもそんな大きな危険に晒された経験があるわけじゃないし、早々あるものじゃない。

 私の不安もただの杞憂で終わるはず。この言いようのない不安と焦燥は、今まで罰当たりに、失礼に生きてきた自分への罰だと思って受け入れて耐えよう。


「レイラさん、負傷者が出ているかもしれません、あなたの治癒魔法の力を貸していただけますか?」


 そんな私を、アルベルト様が呼んだ。

 意外だった。私もセシルに関する秘密を共有する協力者で共犯者とはいえ、それはあくまで私に呪いが効かなかったからというだけ。秘密を守るためだけの協力関係だと思っていたから。こうして表立って私の力を借りたいと言われるとは思っていなかった。

 当然、返答は決まっている。


「はいっ。わ、私に出来ることなら!」


 心配そうに私を見つめるフェリアに大丈夫だからともう一度告げて、同じように私を見つめていたエルザ様に微笑んで、アデル先輩が警戒を続けている正面の入口へと向かうアルベルト様に追従する。

 残された生徒たちは田舎の男爵令嬢である私がアルベルト様に名指しされたことにざわついていたけれど、サーキス様たちがすぐに諫めてくれていた。


「アデル、聞こえていたね?」

「はっ」


 先輩はアルベルト様の後ろについた私を一瞬だけ見たが、何も言う事はなかった。

 剣に手を置き、警戒したままのアデル先輩が先導する形で向かうのは女子寮の方角のようだった。

 アルベルト様は表情こそ涼し気だが、歩む足は速い。


「ただの学生のあなたを巻き込んでしまい、申し訳ない」

「いえっ、そんな。私に役立てることがあるなら……本当はない方がいいんですけど」

「ありがとうございます。……決して傷はつけさせませんから」


 正面に見える女子寮を見据えたまま、アルベルト様が口を開いた。

 気にしないでほしい。こんな私でも誰かの力になれるというのなら、いくらでも力になる。誰かが私を必要としてくれると感じて、ようやく私はこの世界で生きていていいのだと言ってもらえた気さえした。勿論、そんなものはまやかしだ。生きる権利なんて誰かに与えられるものでも、認めてもらわなきゃいけないものでもない。私だって、誰だって初めから持っているものなのだから。


「セシルが襲われました」

「……え?」

「侵入者と言いましたが、犯人は平民の生徒のようです」

「ちょっ、ちょっと待ってくださいっ」


 襲われた? セシルが? 同じ平民の生徒に?


「現場を目撃した生徒は平民というだけで個人の判別はついていません。ですが大きな杖を持っていたと言っていたそうなので間違いないでしょう」

「どうしてセシルが……? しかも同じ平民に……」


 貴族が相手だというなら、まだ納得が出来る、出来てしまうけれど、平民に襲われる理由なんてないじゃないか。

 思わず立ち止まりそうになって、でもそんな場合じゃないとアルベルト様の後を追う。


「どうやら相手もただの平民ではないようです。証言を信じるなら──」


 推測を口にしようとしたアルベルト様に被せて、暗がりの向こうから声が届いた。


「獣の血が混ざってる。あの力、半分は人じゃないだろうな」


 ガサガサと藪をかき分け、魔石灯の明かりの下に姿を現したのは、木の葉まみれのマントを身に着けたセシルだった。


「セシルっ!?」


 衝動的に駆け寄って、両手を取って握りしめた。

 襲われたと言っていた。怪我はないかと全身を確かめる。枝葉で切ったのか、顔や手に擦り傷が刻まれているけれど、目立った怪我はない。よかった……。


「下調べが足りてない。家柄ばかりを気にしてるから素性も確かじゃない平民が紛れ込むんだ」


 セシルは少しだけきまりが悪そうにして、手を握る私をそのままにアルベルト様を責めるように皮肉ると表情を変え、怒りを滲ませた。


「それにどうしてこの娘を連れてきた」

「誰かが怪我をしたかもしれないから私の治癒魔法を当てにしてくれたんです。セシルの怪我も今治しますから、落ち着いてくださいっ」


 セシルを宥めて、包んだ両手から全身を覆うようにイメージして、治癒魔法を発動させる。柔らかく包むような、優しい光のイメージ。これぐらいの擦り傷ならすぐに治せるだろう。

 けれど納得がいかないのか、治療を受けながらもセシルはアルベルト様を睨みつけ、言葉を続けた。


「良心につけ込む真似を。この娘をおびき寄せる餌にする為だろう」


 動揺してイメージが崩れたからか、セシルを包む光が弱まる。気にはなるけど、まずは魔法に集中する。


「人と変わらない知性を宿しているが獣人は魔物と同じ。当然、モネの花の香りにも反応するだろうさ。しかも相当鼻が利く種族だ。その香水をつけた奴が外を出歩けばすぐにでも釣れるからな」

「……否定はしません。モネの香水の使用者は寮にも講堂の中にもいる。彼女たちに引き寄せられて屋内に入られてしまっては他の者たちにまで危険が及ぶ可能性がありましたから。だから事情を知る彼女を連れ出した。それを伝えて、余計な恐怖を感じさせたくなかったから言葉にはしませんでした。ですが彼女を危険な目に合わせるつもりはありません。その為に僕とアデルが一緒にいるんです」


 目を閉じていても私越しにセシルがアルベルト様を睨みつけているのが分かる。

 痛いくらいに私の手が握り返されていた。


「はい、終わりましたよっ」


 努めて明るく、場違いになるように完治を告げた。

 二人が私の識る関係に戻ることも進むことも出来ないとしても、憎しみ合う仲になってほしくなかった。

 それにセシルが言ったようにアルベルト様が私の魔法ではなく、おびき寄せる為に利用したのだとしても、私は別に良いんだ。

 たとえ魔法で傷を癒せたとしても、これ以上誰も傷つかないのならその方が良いに決まってる。


「……ああ。ありがとう。助かった」


 無言でアルベルト様を睨み続けていたセシルだけれど、やがて視線を切ると私に柔く微笑む。

 こんな表情も出来るのだから、怒っているよりもこっちの方がずっと良い。


「いえいえっ。でもちょっと意外でした。セシルならこれぐらい唾をつけておけば治る、ぐらい言うと思ってたので」

「そんなことはないよ。……本当にありがとうな」


 似ていない声真似でおどけてみせた私を、セシルは咎めるでも笑うでもなく、真剣な目でそう言って、私の頭を撫でた。

 子供扱いしないで、と振りほどきたくなったけれど、セシルのその瞳に吸い込まれて私は何も言えず、それを受け入れた。


「レイラさん」

「私は気にしてませんから!」


 そしてアルベルト様が何かを言うより早く、私は笑ってみせる。

 本当に気にしないでほしい。事情が事情だし、最初からそう言ってくれればよかったのにと思わなくもないけど、でもアルベルト様とアデル先輩がついているのだから身の安全はこれ以上なく保証されてるのは事実。セシルが過保護すぎるだけだ。


「……ありがとうございます」


 少しだけ陰りの差した笑みで応えるアルベルト様に申し訳なさが湧いてくる。私のことなんて気にしなくていいのに。


「後程、平民も含めて新入生たちの素性は調査しましょう。それから試験を担当した教員たちも。ですが今はこの事態を収拾せねばなりません。レイラさん、セシル、協力してもらえますか?」

「勿論ですっ。ね、セシル?」


 不機嫌さを隠すことなく、でも無言で頷いたセシルにアルベルト様は言葉を続けた。


「このまま此処で獣人が釣れるのを待ちます。此処なら他の生徒たちが巻き込まれる心配はありませんから。教員たちはこのまま寮の守りについていてもらいます。呼びに行く時間はないですし、きっと足手纏いになる。今の内に情報を共有しておきたい。この騒ぎの原因である獣人の正体は分かりましたか?」

「……プーカだ」


 セシルが口にした名前に、私は驚きを隠せない。

 私のる限り、今年入学した平民の生徒は原作では名前も明らかにされないモブ役だったからだ。それがこんな事件を起こし、しかも普通の人間ですらなかったなんて。

 獣人をはじめとする異種族の存在は原作でも僅かに触れられていたけれど、本筋には関わらない設定だったのに、やっぱり私が何もしなくとも、この世界は原作通りにはもう進まない、まぎれもない現実として進んでいる。


「あいつの最近の不調も、学院内で流行し始めた香水が原因だろう。それが今夜になって爆発した。明らかに正気を失っていたからな」

「今回の件は彼女の意思によるものではないと?」

「どうだか。まさか偶然って事はないだろう。これを狙って送り込まれたのは間違いない。特定の誰かを狙ったわけでもなく、学院内で暴れさせたかったのなら目的は学院の門を平民に開いた王の権威の失墜か、引いては学園を束ねるお前への嫌がらせかもな?」

「目的は今はいいでしょう。捕らえて話を訊けばいい。大した情報を持っているとは思えませんが……彼女も生徒会長として守るべき生徒に変わりありません」


 淡々と会話を続ける二人を他所に、沈黙を保っていた先輩が私に重い口を開いた。


「すまなかった。殿下が君を連れてきた理由には察しがついていたが、口にするのは憚られた」

「いえ、そんなっ。それはアルベルト様やアデル先輩の気遣いだったと分かってますから」


 先ほどのアルベルト様以上に曇った表情で謝られ、慌てて頭を上げてもらう。

 最小限の被害で抑える為、それが私の使い道がそうであったなら、むしろ望むところなのだから。


「この身に代えても君を守るつもりだった。……だがその役目は俺ではなく、魔女に、セシルに預けるべきなのかもしれない」


 躊躇いがちに告げるアデル様にどう答えたら良いものかと悩んで、それでも私は首を横に振った。


「私にとってセシルは魔女でも何でもない、ただのセシルです。そんなセシルに守ってほしいなんて言えませんよ」

「だが俺などよりも君のことを想っているのは明白だ。君も信を置いているのだろう」

「それでもです。私はセシルに守られるだけの足手纏いになんてなりたくない。友達として、対等になりたいんです」


 先輩がどうして急にそんなことを言い出したのかは分からないけど、それに素直に頷くわけにはいかない。

 私の知るセシルと私の識るセシルリア、そのどちらともそんな関係になることを私は望んでない。

 だから、


「後輩として、頼りにしていますね、先輩」

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