第16話
あの夜の密会から数日。
一年生の実技試験を無事終えた後でまた集まりましょう、とアルベルト様にお声がけいただき──廊下で話しかけられたので視線が痛かった──私はとりあえず意識を試験に向けて切り替え、治癒魔法の特訓に励む毎日を過ごしていた。
時折姿を消すセシルのことが気にならないと言ったら嘘になる。でも調査についていかせてくれるとは思わないし、ついていっても私に出来る事は何もない。
そんな風に自分の立場をしっかりと弁えるくらいには私も大人になれたみたい。いえ、元から大人ですけどねっ。
それからセシルが私とフェリアと一緒にご飯を食べるようになった。
フェリアは最初、普段のセシルの様子もあって警戒していたけれど、私に対するセシルの態度を見て考えを改めたのか、上手くやれているみたい。それでもやっぱり子ども扱いされているようでセシルの態度は納得できないけど。
「レイラは治癒魔法をどんどん伸ばしていってるみたいだけど、セシル、あなたはどうなの?」
「どうって、何が」
午前の授業を終え、今日も三人でお昼ごはん。
あまり喋ろうとしないセシルを他所に、取り留めのない会話をしていた私たちだけど、フェリアが少し厳しい調子でセシルに問いかけた。
「何がって、明日の試験の事よ」
「まだ一年の最初も最初だ。魔法が使えなくなって追い出されるわけじゃない」
精霊の瞳という伝説の力を持ちながら、それを封じる契約を交わしたセシル。
私たちや他の生徒たちがそうであるように、瞳の力がなくてもあの魔女の弟子なんだから当然魔法は使えるはずだ。でもセシルは相変わらず使おうとはしなかった。
瞳の事を知らなかった私は、ただ目立つのを嫌っているだけだと思っていたけど、他の魔法が使えない生徒たちも少しずつ使えるようになり、今では杖を振っているのはセシルと同じ平民のプーカさんだけになって、逆に目立ってしまっている。
「それはそうだけど……ならせめてサボったりしないでもう少し真面目に取り組んだらどう?」
「気が向いたらな」
フェリアの指摘をどこ吹く風で聞き流し、食事を終えたセシルが席を立つ。
サボってるわけじゃないってフォローしたいけど、本当の事を話すわけにもいかず、まあまあとフェリアを宥めながらそれを見送った。
でも何か、魔法を使わない別の理由があるんだろうか? 聞いてもはぐらかすばかりで教えてくれないし。
「もう……」
「本番に強いタイプかもしれないし、ね?」
「試験だけ出来てれば良いってものじゃないでしょう。ただでさえあの娘は平民だからって目を付けられてるのに」
平民の生徒たちに対する貴族の生徒たちの目は相変わらず厳しい。初日の反応からも分かり切ってたことだけど。
同じ学生であっても、まだまだ身分の差は大きいままだ。
私が同じ学生なんだからアルベルト様やエルザ様と対等に接しろ、と言われても無理なように──先輩後輩というのは抜きにしても──フェリアだって名実共に家格が低いとはいえ貴族なのに、影では平民上がりと揶揄されるのだ。普通の生徒たちにとってはやっぱり平民は平民として見られてしまう。
それを撥ね退けるようにフェリアは魔法も知識も優秀であろうと努力している。だからこそセシルの態度が許せないんだろう。
「これからきっとセシルもみんなも変わっていってくれるよ」
「……だといいんだけど」
元は平民だったフェリアの不安は分かる。
こないだみたいなクレーマー貴族もたくさんいるし、昔、私の家で開かれたお茶会に忍び込んで色々と酷い事言われたりした事もあったしなあ。そのおかげで平民と貴族のままだったとしても私とフェリアは親友と言えるぐらいに友情を深められたんだけど……やっぱりそう簡単にみんなが私たちみたいにはいかないよね。
「ほら、私たちも行こう? 試験の前なんだから早く行って練習練習っ」
「うん。そうだね」
セシルを追うように食事を終えた私とフェリアだけど、私たちよりも先にセシルを追っていた人たちがいたなんて、全然気づいていなかった。
◇◆◇◆
食堂を出て、フェリアに小言を言われはしたが、午後の講義に出るつもりはなく、セシルは寮の自室に向かっていた。
しかしアルベルトから命じられた仕事があるのかといえばそうではない。
モネの花の香水の出所を見つけた時点でセシルの役目は終わっていた。そう間を置かず次の仕事が待っているのだろうが、ここ数日は待機に徹している。
では授業に出ずに何をするのかと言えば、研究である。
レイラやアルベルトに語った不老不死という目標に嘘はない。師匠が没した今となってはより遠く険しい道となっていても、諦めるつもりはまるでなかった。
住む家も身分も過去も全て失ったセシルにとって、学院は学生という立場を得る為の場所に過ぎない。
アルベルトの後ろ盾がある以上、その立場は簡単に失われるものではない。だから授業も重要になるだろう試験にだけ顔を出していればそれで構わないのだ。アルベルトは何も言ってこないが、アデルがフェリア同様にセシルの態度に小言を漏らし、レイラが寂しそうに見つめて来るので仕方なしに普段の授業にも時折出ているだけ。それがなければ今更学院で学ぶ事などない。
本来ならレイラのことも気に掛ける必要はない。
グリムニルの魔法を破った事以外、当てにならない知識を持っているだけの男爵令嬢。彼女に構ったところで得られるものなどない──分かっていながらも、あの日以来、セシルは食事にだけは欠かさず顔を出していた。
どうしてもほうっておけない、妹のような彼女を思い出すセシルは無表情だったが、心は穏やかだった。
「あなた、少しよろしいかしら?」
だから余計に、女子寮へと続く、人気のない通路で自身を呼び止めた声の主を面倒だと思った。
「……何か?」
彼女が誰かは知らない。けれど生徒のほとんどが貴族である以上、彼女もそうなのだろうと口調を整えた。
影で何を言われようと興味はないが、貴族を相手に機嫌を損ねれば延々と面倒な事になると分かっていたからだ。
「先ほどの食堂での態度、見ていましたわよ」
取り巻きもいない、家格で言えば低い位の男爵家と成り上がりの準男爵家の二人相手ならば早々咎める者はいないと思っていたが、認識が甘かったか、と嘆息する。
「平民であるあなたを思いやる貴族に対して、あのような態度は無礼だとは思いませんの?」
生徒の顔など覚えていないつもりだったが、その勝ち気な生意気そうな貴族の顔には見覚えがあった。
ミーシャ・コンスロート子爵令嬢。かつて、まだセシルがセシルリアだった時代に何度かお茶会で顔を合わせたことがある。
以前はセシルリアに取り入ろうと太鼓を持っていたが、立場が変われば随分変わるものだ。
けれど子爵家ならば平民のセシルを捕まえるのではなく、セシルの態度を許す男爵家のレイラたち相手に物言いそうなもの。まさか本当に素行を注意したいだけではないだろう。
そこまで考えて、ああ、そういえば、と合点がいく。
あの香水店で鉢合わせる前にひと悶着あったとレイラから聞いていた。聞き流していたがその相手が彼女なのだろう。
セシルと違い今も現役の公爵令嬢であるエルザとレイラたちの繋がりを知っているのは彼女たちだけ。それを知っていればレイラたちに難癖をつけられるはずもない。
「……申し訳ありません」
ただでさえ公爵令嬢にお茶をぶっかけ、火傷まで負わせたのだ。これ以上何かをやらかせばただではすまない。しかしレイラたちの事は気に入らない。
だからせめてレイラたちと共に居た平民のセシルで留飲を下げよう、そんなところかとセシルはミーシャの目的を推察する。
であれば取るべき対応も見えてくる。頭を下げ、とりあえず謝っておけば彼女の小さなプライドも満足するだろう。
「聞けばあなた、満足に魔法も使えないのにこの学院に入学してきたそうね? しかもそんなこれみよがしな杖なんて持って。一体どんないんちきをしたのかしら?」
入学試験において魔法の実力は加点対象ではあるが減点対象ではない。
平民の入学が許可されていない、彼女が一年の時にもまだ魔法が使えない生徒はいただろうに、セシルはそう思いつつも口答えすれば面倒になると頭を下げたまま沈黙した。
「いずれバレる事なのだから、これ以上恥を晒す前に自分から退学を申し出てはいかがかしら? あなたみたいな平民をいつまでも在籍させていたのでは学院の品位が疑われるわ」
「申し訳ありません」
頷くのは簡単だがアルベルトがそれを許しはしない。授業態度の悪さぐらいでは、もっと大きな問題でも起こさない限りもみ消されるのがオチだ。
しかし首を横に振ろうにも、退学を拒絶する理由が思い浮かばない。まさかレイラを見守りたいから、なんて理由を話すわけにもいかないし、そもそもこういう相手には何を言っても無駄なのだ。
よってまた沈黙、した後で怯えたフリでもした方が話が早く終わりそうだったと後悔する。
「黙っていないで何とか言ったらどうなの?」
「も、申し訳──」
今からでも遅くはないかと努めて声を震わせる。似合わないと思いながらも、今も昔もしたことがない真似を上手く出来たと内心で自賛していた。
「そこで何をしている」
だが、その演技も無駄に終わる。
セシルを叱責するミーシャの背後に立つ、仏頂面の男によって。
「あ、アデル様っ!?」
「何か問題があったのか?」
「い、いえっ。少し一年生とお話をしていただけですっ」
ミーシャ・コンスロートというのはつくづく間の悪い星に生まれているのか、こうも立て続けに人に居合わせられ続けるとはあまりに災難である。
セシルは愛想笑いでアデルに応対するミーシャに僅かばかり同情し、それ以外には何も思う事なく逃げるように去っていく彼女を見送った。
「そこで何をしている、ねえ。女子寮のそばをうろつくあんたに言えた台詞か?」
「お前の監視も俺の仕事だ」
「そうかい。呪いの契約がある以上、滅多なことは出来ないっていうのに」
セシルはアルベルトの事は嫌っているが──というより腹黒さが透けて見えて気に入らないだけだが──アデルの事は苦手としていた。
セシルの無表情はそう強固なものではない。レイラたちと話している時には薄く笑みを浮かべることもあるし、それ以外は基本一人でいるから表情を変える理由がないだけだが、アデルの場合はセシルの数倍は表情金が強固だ。セシルは一度だってその仏頂面が崩れたのを見た事がないし、話せば皮肉交じりの冗談が飛び出るセシルと違い、そういった遊びがまるでない。
そういう面白みがないところが話していて苦手だった。
「生徒の素行を正すのも生徒会の仕事だ」
「またお小言かよ。あんたの主人の言う所の魔女に説教が意味あるとでも?」
「魔女だろうと平民だろうと貴族だろうと、生徒である以上、授業には出るべきだろう。殿下と違い、お前は今、仕事がないのだから」
「奴に命じられた仕事がないなら、私は学生じゃなく魔女の本分を果たすさ」
それに午前の授業には出たんだ、それで十分だろ、とセシルは踵を返し、女子寮の入り口へと向かおうとしたが、それをアデルが腕を掴み、阻んだ。
今日は随分としつこいと思いつつ、セシルがその腕を払う。
「明日の試験、どうするつもりだ」
「別にどうも。顔は出すさ」
「何故、実力を隠す。何かを企んでいるのか」
「何も企んじゃいないよ。研究以外で魔力を使うのが勿体ないだけだ」
セシルが魔法を使わない理由は単純なものだった。
それをレイラに知られて、自分の研究に興味を持たれて部屋に押しかけられるような事になるのを面倒に思っていたから誤魔化していただけだ。
「学生として他の生徒たちと共に励むべきだ」
「魔女が学生に混じって教え合いっこでもしろって? 私を危険視しているわりには随分と甘い事を言うんだな」
「だが彼女たちとは親しくしているだろう。彼女たちと食事を共にするのは魔女に必要なことか?」
「……あの娘には負い目がある。魔女とか学生とか関係なしの、私の個人的な負い目だ」
言葉に詰まり、観念したようにセシルが答える。
レイラを泣かせた負い目、それに最初に実力行使に出てしまった事も今となっては罪悪感を覚えていた。泣かせた理由まではアデルたちも把握していないだろうし明かすつもりもないが、それでもこうして口に出さなければならないのは気分が良くなかった。
「もし私が距離を取ったとしても、あんたたちはあの娘から目を離さないだろう。私らの事情を知ったあの娘をアルベルトは逃がさないだろう。だったらそばに居た方が安心できる。これ以上、変にあの娘を利用されたくない」
「お前とあの娘に一体何があった?」
「女の涙の理由を尋ねるなよ。しかも本人に隠れて」
アデルは口籠り、すまなかったと素直に謝罪した。
魔女相手でもそうして頭を下げられる所も、セシルは苦手だった。
「もういいか?」
「待て」
「もう小言はたくさんだ。ただでさえあのフェリアって娘も最近うるさいんだから」
「そうじゃない。先ほどの令嬢のことだ」
これ以上アデルと話すのは億劫であったが、小言じゃないと言質は取った。このままサボれるならと踵を返したまま、セシルが話だけは聞く姿勢を見せる。
「ああいった手合いに話しかけられるのは初めてじゃないだろう」
事実だった。
学院内のセシルの動向はアデルをはじめ、それ以外にも学院の使用人たちが素行不良を理由にアルベルトの命で監視をしている。今のように貴族に皮肉られるセシルの事も報告に上がっていた。
セシルの正体を知らない使用人たちは多少素行が悪かろうと、同じ平民として貴族に揶揄されているセシルを気の毒に思っていたが、立場上助け船は出せない。それでもセシルを気に掛け、アデルに相談をしたことが今回アデルがタイミング良く姿を現した理由だ。
「それが?」
そんな事は知らず、興味もないセシルの反応は冷ややかだ。それに本心からどうでもいいと思っているのだろう。
ミーシャは直接対峙する事となったが、普段は陰口が精々。気に留めるようなものではなかった。
「お前はそれでいいのか」
「王国の民を傷つけない、そういう契約だ」
「お前の実力を見せれば黙らせることも出来るだろう」
あの王子の右腕として働いていて、どうしてそうも単純で、或いは純粋でいられるのか。
セシルは呆れ混じりに溜息を吐いて、振り返る。
「この国を見てみろ。徹底した貴族主義だ。実力主義なんて謳っていようとこの学院でもそれは変わらない。貴族が上、平民は下。ただ魔法を使って見せるぐらいじゃ、ここのガキどもに正当な評価なんざ下せやしない」
「そんな事は……」
「あるんだよ。貴族同士だったら嫉妬する事もあるだろうさ。エルザ・フォン・ゼスリンクスがそうされるように、セシルリア・ルリア・センティリアがそうされたように。けど平民相手に嫉妬する貴族なんていない。それを認められる貴族なんざ、この国にはいない」
セシルの言葉に苛立ちはない。そこに個人的な感情はなく、ただ純然たる事実を述べているだけ。
だがアデル相手にらしくもなく、説教じみた事を言っているな、とそれ以上は口を噤んだ。
「それは平民となって得た知見か」
「さあ? 魔女の智慧かもだ」
「……俺は騎士として正当な評価も下されずに虐げられている者を見過ごせない」
なんとなくだが、セシルはアデルのこれまでの小言の理由には気づいていた。
騎士として魔女を庇う事など出来ない。しかしその騎士道精神が今のセシルを見ていられないと邪魔をする。柔軟さの欠片もない大した堅物ぶりだ。
「お前が落ち着かないから
成程、レイラの語った悪役令嬢セシルリアを思えば、立場は違えどその方がらしいのかもしれない。
けれどそんな事、セシルには関係ない。
「そういうわけでは……」
「魔女を悪と呼ぶのは勝手だけど、誰かにとって都合の良い悪役を演じるのは御免だね」
「……いや、すまなかった。協力体制にあるお前に対し、礼を失していた」
だからそう素直に謝らないでほしい。
やはりこいつは苦手だと肩を落とし、今度こそセシルは女子寮の門をくぐった。
そして引き留められない事を確認して、
「騎士らしいことがしたいならあの娘を守ってやってよ。私みたいに悩む必要もないくらい、あの娘はお姫様だからさ」
俯くアデルに言葉を投げて、もう振り返らなかった。
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