第15話

「僕たちの現状についてはご理解いただけたようですし、これからのお話をしましょうか」

「……おい」


 私が思考に埋没してしまったせいで、気まずい沈黙が降りた室内。

 その空気を払拭するようにアルベルト様は殊更に明るい口調で手を叩いた。


「これから、ですか?」

「はい。レイラさんは僕を除けば唯一、魔女の呪いを撥ね退けた方です。彼女に対する認識の違いこそあれ、出来るなら協力してもらいたいというのが本音です。それにあなたにとってもこれは無関係な話ではありませんから」

「この娘は私やあんた、そこの堅物騎士とは違う。ただの学生だ」


 顔を上げた私を庇うようにセシルは私を手で制し、アルベルト様を睨んだ。


「それが王子様のやることかよ」


 セシルは私を守ろうとしてくれている、ように思える。

 昨日まで寄せ付けようとはしていなかった私を。


「それもレイラさんに負い目を感じているからこそ、ですか」

「相変わらず盗み聞き上手だな」

「否定はなさらないんですね」

「魔女にだって常識はある」


 ……やっぱり、今のままは嫌だ。

 主人公のレイラじゃなくても、私にしか出来ない事なんてなくても、私にだって出来る事があるはずだ。

 今の私に出来る事を、今の二人にしてあげたい。

 二人の関係が私が想像していたようなものには決してならない、殺伐としたものでも、私が間に立つ事で少しは改善出来るかもしれない!

 それに私だって治癒魔法が使えるんだ。そんな私に出来る事がきっとあるはず。

 悩んで立ち止まるくらいなら、悩みながらでも前に進みたいもん!


「セシル、心配しなくても大丈夫です。確かに今の私は田舎の男爵令嬢でしかないですが、それでも何もできない子供じゃありません」

「……そういう所が子供だって言ってるんだよ」

「子供じゃないですしっ。私、生まれはアーネイアースの月ですよ! プロメス生まれのセシルよりお姉さんです!」

「だからそういう所だって」


 子供だ、子供じゃない、そんなやりとりを数度繰り返した後、呆れたのか諦めたのか、判別難しい顔でセシルは好きにしろ、と匙を投げた。


「魔女が誰かを思いやるなんて意外でした。少しだけあなたを見る目が変わりましたよ、セシル」

「言ってろ」

「ええ。……それではレイラさん、よろしいですか?」


 乱れた息を整えて、頷く。

 アルベルト様の前でついはしたない所を見せてしまった。反省しないと。


「そう身構えずとも大丈夫ですよ。口外しない事だけを誓っていただければ。あくまでこれは情報の共有ですから」

「はい。誰にも言いませんっ」

「結構。セシルには今、王都で栽培、密売されているモネの花について調べてもらっています」

「モネの花……ですか?」


 なんだろう、知識だけじゃなくて、聞き覚えはあるんだけど……。


「夏になると魔物が好む匂いを発するって理由で半年前に王宮から所持の禁止が決められた花だ。それだけじゃなく地方領主には街周辺の群生地の調査と焼却も同時に命令された」

「王都周辺は騎士団が、他の街や村は領主主導で自警団や冒険者ギルドを使って実行されたはずです。……まさかとは思いますがモンテグロンド領では行われていない、なんて事はありませんよね?」

「いえ! 滅相もございません! 父の手で恙なく速やかに実施されております!」


 あっぶない。思いだした。

 フェリアと一緒に勉強に励んでる時期だったから印象が薄かったけど、お父様が慌ただしくしていたっけ。


「なら良かった」


 笑顔が笑顔じゃないぃ……。時折垣間見えるこのサディスティックな一面にファンが付いていたけれど──ちなみに前世に限らずである──いざ自分に向けられると心臓に悪い。


「一輪一輪の効力は大したものではなく、人には直接の害はありませんが、繁殖力が凄まじく、群生地となった場所に魔物が引き寄せられ、これまでエドナ大森林から離れた場所で起きた魔物被害の原因の一つとされています。今の所、出回っているモネの花による被害は確認されていませんし、大勢の人が住む王都やこの学院にまで魔物を呼ぶほどの誘引性はないそうですが」

「そんなものが王都で……でも何の目的で?」


 その程度の効果しかないなら王都に魔物を呼び込んで国家転覆、みたいな大それた目的があるというわけではないんだろう。

 麻薬のような中毒性や害がないなら、悪い人は欲しがるかもしれないけどわざわざ王都で栽培するのはリスクが高すぎる気がする。


「魔物被害に見せかけた暗殺目的っていうのが一番あり得そうな話だ」

「暗殺……ってどうやって? 堂々と禁制品の花束でも贈るんですか?」


 それを受け取って、しかも王都の外に出ないと魔物は寄って来ない。素人の私でも不可能だと分かる話だ。


「花として売ってるんじゃない。モネの花から作った香水として売ってるんだ。魔物が好む成分を抽出してな。濃縮したそれなら夏でなくとも効果は見込める」

「香水……っ」


 繋がった。繋がってしまった。

 私は昨日、そこでセシルと会ったばかりなんだから。


「あのお店が……?」

「ああ。ゼスリンクス公爵家の元使用人がやってるあの店だ」

「私とフェリア、エルザ様も三人で持ってますよ!?」


 その調査でセシルはあのお店に来てたんだ。

 女の子らしい一面も残っていると思っていたのに、まるで色気のない真面目な仕事だったなんて。それじゃああの時の格好もその一環だったのかな? 怪しまれないようにするだけなら別に制服でも良いような気がするけど……?


「これからも使わなければいいだけだ。心配なら預かってやる。それに店に並んでるのは確認したが、全部の香水に使われているわけじゃない」

「それはそうかもしれませんけど……」

「まあ、生徒の中には既に使っている奴らが何人か居たからあんまり意味はないけどな」

「大変じゃないですか! それに学院内には昨日の授業で使ったスライムだっているんですよ!?」

「スライムに嗅覚はない」


 あ、そっか……いやでも危ない事には変わりはない。

 どうしてそこまで掴んでいるのにまだ捕まえていないんだろうか。


「これまでもより凶悪な、中毒性のある禁制品を高値で売り捌く者を発見、速やかに騎士団の手で摘発してきました。そのほとんどが何者かによる手引きで犯罪に手を染めており、そこに流れていた違法売買で得た金銭の行方を追いきれませんでした。モネの香水の密売は明らかに資金以外の目的。詳しい手掛かりが掴めるかもしれない。裏で手を引き、何事かを企てているであろう貴族、或いは王国に反旗を翻そうという組織を見つけたいのです」


 その為にあえて泳がせているというわけですか。不安は拭えないけれど、これも国の為なら……。


「非情に思うかもしれませんが、今彼女を捕らえた所で大本を叩かなければいたちごっこを続けるだけです。今回のモネの香水ならば王都の外に出なければ被害は出ません。それに香水の香りを王都の門を守る衛兵たちに覚えさせ、通ろうとする使用者は王都に留めるよう命じています」


 アルベルト様も出来る限り国民を危険に晒さないようにしていらっしゃるんだ。私のせいでこれ以上、心を痛めてほしくはない。


「アルベルト様が仰る事なら不安はありません」


 それにセシルもついているんだ。二人を信じよう。


「ありがとうございます。彼女個人の、何らかの私怨による犯行の可能性も考えられます。もし尻尾を掴めないまま香水の広がりが無視できないほどに広がるようならば、すぐにでも騎士団を派遣するつもりです」

「あの店が客以外に裏で香水を売っている痕跡はなかった。公爵家に恨みがあるにしても昨日エルザに薦めていた香水もモネの花を使ったものじゃない。エルザを使って貴族の令嬢たちに名前を売って、集まった客の中に運び屋を紛れさせたい、って考えた方が納得できる」

「た、確かに公爵令嬢であらせられるエルザ様の影響力は計り知れないですもんね……」


 他の令嬢ならいざしらず、エルザ様があのお店の香水を使っていると知ったらすぐにでも大流行するだろう。

 予約が毎日いっぱいになって、誰が利用しても不思議じゃなくなる。


「あの店の店主、ルーナは幼い頃のエルザ嬢付きのメイドでした。エルザ嬢が学院に入ったのを機に退職し、かねてから夢と語っていた香水店を開く為に奔走し、この春に開店。レイラさんはその目で見られたと思いますが、二人の仲は良好。メイドとしても優秀で公爵も彼女の退職を惜しんでいたそうです。そういう意味でもこの一件が彼女個人によるものではないと思いたい」


 昨日見た二人は親し気な様子だった。

 私はただ見ているだけだったけれど、ルーナさんが悪い人とは思いたくない。きっと何か事情があるんだと信じたい。


「だけど流石です。被害が出る前にここまで調べる事が出来るなんて」


 私には分からないけど、モネの花特有の香りがあるんだろうか?

 でも匂いで簡単に分かるようなら流行して人が増えたら誰かに怪しまれそうなものだけど。


「禁止される以前よりモネの花の香りは香水には適さないとされていました。悪臭とまではいきませんが、好みが分かれる香りですから」

「え、でもそんな特徴的な香りは昨日嗅いだ中にはなかったような……?」

「公にはされていませんが特別な方法で抽出する事で香りが変化する事が分かっています。人にとっても好ましいそれを、恐らく魔物は花の状態でも嗅ぎ取り、引き寄せられるのでしょう」

「へえ……それじゃあルーナさんは独力でその事を突き止めたんでしょうか? 公になっていないモネの花の事を知っている誰かが入れ知恵をしたという事は?」


 モネの花が禁制品になる前から研究をしていて見つけた可能性も勿論あるけど、花の特性を知っていた誰かがルーナさんに作らせてる可能性も十分考えられるんじゃないだろうか?


「それはありえません。なにせその事を知っているのは僕ら四人だけですから」

「え?」

「モネの花の香りを魔物が好むという周知となった事実も元はセシルの持っていた知識です。流石は魔女と言ったところですね」


 そんな大発見をセシルが……。不老不死を目指していると言ってもそれ以外も物知りなんだ。

 尊敬の目でセシルを見るけれど、そっぽを向かれてしまう。恥ずかしがらなくても良いのに。


「セシル曰く、魔女の屋敷を見つける事になった魔物が現れたのも繁殖し、街道にまで侵食したモネの花に引き寄せられたのが原因でした。その事を僕の口からそれとなく研究者たちに告げて、彼らが調べ、判明した特性を理由に禁制品としたんです」

「いつだったか師匠から聞いた話を、知ってたんだからさっさと燃やしてればこいつらに見つかる事もなかったってぼやいたのを聞かれただけだ」


 セシルを通して魔女グリムニルの知識が王国を生きる人たちの為に使われている。

 私はまだ私に残った記憶の中のグリムニルしか知らない。セシルの師匠であるグリムニルがどんな人だったのか、それはセシルが語ってくれた話から想像するしかできない。

 グリムニルを討った国に利用される事はセシルにとって不本意なことなのかもしれない。たとえ悪と呼ばれた魔女でも精霊の瞳を開いたセシルの唯一の理解者で、四年間を共に過ごした師匠だったのだから。

 師匠との出会いを語るセシルは私の知るセシルの中で一番穏やかで、そんな顔をさせられるこの世界のグリムニルのこと、セシル自身のことをもっと知りたい、と思う。

 アルベルト様の手前、今それを訊くことは出来ない。だからせめて、


「セシルの師匠は……グリムニルさんは本当にすごい魔女だったんですね。流石は伝説になって、おとぎ話にまでなった『不老不屈』の魔女です」


 私の記憶や知識だけで判断するのはやめよう。

 一人きりの辛さは知っているから。セシルを一人ぼっちにしないでくれた魔女さんに、感謝しよう。


「何を期待してるのか知らないけど、多分お前がイメージしているような大鍋は使わないぞ。絵本じゃないんだから」

「だーかーらー! 子ども扱いしないでくださいっ! 誰もそんな想像してませんってば!」


 人の気も知らないでまたそういう事言うんですから!

 もうっ、次の目標はセシルにちゃんと一人の淑女レディとして扱ってもらうことに決めましたっ。


「ふふっ、魔女の呪いの例外があなたでよかった。さて、随分と話し込んでしまいましたね。まだ聞き足りない事もあるでしょうが、今夜はこの辺りにしておきましょう」


 アルベルト様の言葉に壁掛け時計を見れば、時刻は十一時を回ろうかというところ。

 時間を認識すると思い出したように体が休息を求めるようにダルさを訴えてくる。

 今までは気を張っていたけれど、昼間の治癒魔法特訓の疲れはまだまだ抜けていない。


「アデル。寮まで二人をお送りしてください」

「分かりました」


 ここまでココアを淹れてくださった時もずっと無言で控えていたアデル先輩が今夜初めて口を開いた。

 アデル先輩も呪いの影響でセシルの事はセシルリアとは分からないんだよね。だけど、きっとこの人はアルベルト様の言葉を微塵も疑っていない。そんな何処までも実直な未来の騎士団長にはアルベルト様とは違う目でセシルを見ている私がどう映っているのだろうか。



「必要ないよ。どうせ部屋はすぐそばだ。私が送っていく」


 ……これも淑女扱いじゃなくて子ども扱いだよね。

 アデル先輩に送ってもらうのも申し訳ないし、言わないけども。


「はい。私は大丈夫ですから。アルベルト様、アデル様、今夜はありがとうございました。もし私に出来る事があれば遠慮せずに言ってくださいっ」


 ソファから立ち上がり、精一杯感謝の気持ちを込めて、頭を下げる。

 顔を上げると既にセシルは挨拶もなしに背を向けて歩き出していた。それを追って、私も扉の方に向かうと、意外な事にアデル先輩に呼び止められた。


「その、すまなかった。殿下に報告する必要があったとはいえ、俺は君に相談を受けた時、事実を知っていながらそれを隠してしまった」


 どうしたのかと思ったら、そんなことを深刻そうに謝られて慌ててしまう。


「いえそんなっ。私みたいなどこの馬の骨とも知れない生徒が急に押しかけたんですからっ、アルベルト様の命令がなくとも話せなくて当然ですっ」

「レイラ嬢……」

「セシルからも話を通してくれたとはいえ、この時間を作ってくれたのはアデル様ですからっ」


 たとえどう思われていても、私にとって頼れる先輩には変わりない。出来るならこれからも秘密の共有者というだけでなく、普通の先輩後輩らしくあれたらいいな。


「突然押しかけた私の方が謝らないといけないぐらいですっ。それにお礼を言わせてください。私の話を聞いてくださった事。こうしてアルベルト様とお話させていただく機会を作ってくださった事。本当にありがとうございました」

「……いや。それが俺の仕事だ」

「だとしても、ですっ」


 顔を背けてお礼を受け取ってくれないアデル様に回り込むと、観念したようにああ、と受け取ってくれた。ふふんっ。

 アデル様、ううん、アデル先輩が怖そうに見えてその実すっごく良い人、っていう記憶は疑わなくても良いかな。


「それではおやすみなさい、アルベルト様、アデル先輩っ」


 扉を出る前にもう一度、今度は淑女らしく優雅に礼をして、私とセシルは生徒会室を後にした。




「次からは僕も先輩って呼んでもらおうかと思うんだが、どうだろう?」

「……彼女には酷ですから、やめてあげるべきかと」

「アデル専用というわけだ」

「……ご容赦ください」

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