第14話

 グリムニルとの出会いを語り終えたセシル。

 地位も名も、幼き彼女にとっては全てと言ってもいいだろう物を失いながら、表情に悲愴感はない。

 大切な思い出を語るような、そんな優しい語り口だった。


「まあ、呪いの話は嘘っぱちだったけどな。いくら魔女と言っても一方的に口外したら死ぬ、なんて呪いは掛けられない。ただの脅し文句だ。だけどそれを信じ切っていた父が真実を語ったのなら、家族の情も残ってはいたんだろう」


 無関心で無感情で他人事。公爵様に対しても負の感情を抱いているようには思えなかった。

 傷つくよりは良いのかもしれない。でも父としてセシルを想う気持ちが残っているのなら、また家族に戻れる日が来れば良い、そう思う。


「どうやって王子様が聞き出したのかは知らないがな」

「人聞きの悪い。僕はただ、目を見て尋ねただけです。権力を振るったわけでも脅したわけでもありませんよ」

「あはは……」


 アルベルト様に問い詰められて隠し事が出来る人がこの国にどれだけいるんだろう。

 私だって前世の記憶の事は話すつもりはないけれど、尋ねられたら隠し通せる気がしない。

 私が持つ程度の知識じゃ、想像以上に発展しているこの世界で隠す意味がどれだけあるのかは分からないけど、私の存在が死した魂は天に召される、というヴァルキュリエ教の教えに反するので、宗教的に問題になりそうなのでやっぱり隠しておきたい。それに私に残った当てにならない未来の知識だけでは証明する手立てなんてないのだから。


「そして、それから四年間、私は師匠の下で弟子として生活していた」

「……不老不死を目指して、ですか?」


 セシルの口から語られた、セシルの目的、目標。

 グリムニルと同じ──不老不死。

 セシルリアとしての人生を諦めた事はないと言っていたけれど、そんなものを目指していたなんて、まるで思わなかった。


「軽蔑したか? 私は魔女の被害者でも何でもない。私は私の意志で、魔女の弟子になったんだ」

「いえ、ただ少し意外で」


 暴走事故によって植え付けられた死の恐怖がセシルを変えてしまうのも無理はない、と思う。

 流石に不老不死になりたいとまでは思わないけど、死にたくないという気持ちは痛いほどに分かる。


「順当に不老不死を求める奴はいないだろ」

「それはそう、ですけど」


 セシルが死に怯えて、不老不死なんて極端に走るのが想像つかなかった。

 これも私のイメージを押し付けているだけ、なのだろうか。


「僕もレイラさんに同感です。僕の知るセシルリアは不老不死などという邪法に縋るような人じゃない。そんなものを本気で目指そうなどと考えるのはこの世でただ一人、魔女だけだ」

「だから私が師匠、『不老不屈』の魔女本人だと? 私の知る限り、セシルリア・ルノア・センティリアって人間を語れるほどの仲じゃなかっただろう」

「元は彼女は僕の婚約者となるはずだった人です。そこに政治が絡んでいたとしても、決してそれだけではなかった。あなたは僕の知る彼女とは違う。であれば、彼女の肉体を奪った魔女と考えるのが自然でしょう」


 アルベルト様は変わらず笑みを浮かべているけれど、セシルに向ける瞳は冷ややかだ。

 事故とグリムニルの誘拐がなければ、この世界でも二人は婚約に至っていたんだ。


「僕は決して、あなたがセシルリアだとは認めない」

「好きにしろ。それに今の私はセシルだ。一度だってあんたにセシルリアと名乗った覚えはない」


 アルベルト様がセシルに疑いの目を向ける理由も納得出来た。

 魔女の下で四年間を過ごし、再会した時には不老不死を目指し、人が変わったような立ち振る舞い。疑って当然だ。

 でも、何故だろう。

 もうこれは何の根拠のない、ただの直感でしかない。

 私の持つ知識が当てにならないとは分かっている。アルベルト様の言う通り、グリムニルがセシルに乗り移っている可能性だって今となっては十分に考えられるのに、私はまだそうは思えない。

 ……セシルが二度見せた、私に向けたあの羨望混じりの悲痛な表情が心に残って離れない。


「ではいい加減認めたらどうです? 自分が魔女であると」

「私は弟子であって師匠本人じゃない。何度も言わせるな」


 きっと二人はこの一年間、平行線のやり取りを繰り返してきたんだろう。

 セシルがアルベルト様を嫌っていた理由が分かった。


「その、アルベルト様。アルベルト様と私にあるセシルに対する認識の違いについては分かりました」

「ええ、それは何よりです。とはいえ、認識を改めるとまではならなかったようですね」

「それは……」

「いえ、セシルリアと親交がなかったレイラさんでは無理もありません。判別の着けようがないのですから。それにこの魔女に操られたり、利用されているわけではない、ということは分かりました。あなたはご自身の意思で、ご自身の見聞きしたことを判断できているようだ」


 アルベルト様からすれば私は突如現れた怪しさ満点の危険人物だ。私自身の潔白を証明できるものは何もないけれど、とりあえず疑いは晴れたようで良かった。


「けれどセシルを疑っているのならどうして、この学院に?」


 私が現れるまで、呪いによってセシルをセシルリアと認識出来る者はいなかったのだ。

 身分もなく、身元を証明出来る者は誰一人いない。考えるのも恐ろしいが、セシルを疑うアルベルト様ならばこの一年の間に彼女をどうにでも出来たはずなのに。

 今も二人は険悪さを隠そうともしないが、一触即発というわけでもない。アデル先輩も無言で控え続けている。

 アルベルト様の心情を思うとあまりに奇妙な関係だ。


「彼女と取引をしたんですよ」


 額を押さえ、溜息を零してアルベルト様は少しばかり自嘲するような表情を見せた。

 セシルと取引……?


「一年前、これは彼女を見つける前の事になりますが、僕の父オズワルドがした政教分離の宣言は覚えていらっしゃいますか?」

「勿論です。平民の魔法学院への入学をお認めになられた事、真実の歴史を公開された事。国王陛下が為された二つの大きな改革の一つですから。それにアルベルト様とクラウド様の為された選択についても聞き及んでおります」


 オズワルド王の偉大な功績であると共に、第三王子であるクラウド様が王位継承権を放棄し、次期国王はアルベルト様を置いて他にはいないと示した出来事。貴族、平民を問わず、あれを知らぬ国民はいないだろう。

 オズワルド様とヴァルキュリエ教の司祭であるロイド様が明かした真実の歴史とは、数百年前に行われた魔女狩りの歴史だ。

 グリムニルが最後の魔女とも呼ばれる理由でもある。

 今でこそ魔女はおとぎ話の存在となり、グリムニルという悪の魔女を示す単語となっているが、かつては単に優秀な魔法使いを指す言葉だった。

 神の代弁者たる精霊の瞳を持たずとも優秀な彼女たちの存在を当時のヴァルキュリエ教の幹部たちは、民たちの新たな信仰の対象となることを危惧した。

 そうして行われたのが魔女狩り。

 けれど私の前世の歴史と同様、狩られたのは魔女だけではなかった。

 そして、それはヴァルキュリエ教だけによるものではなく、王の号令によって魔女狩りは行われた。

 ヴァルキュリエ教が信仰を奪われる事を危惧したように、当時の王や貴族たちも魔女たちの存在によって権威が失われるのを危惧した。

 有権者たちが自分たちよりも優秀な人材を認めようとしなかった、暗黒の時代。

 病に臥せ、出歩くことが出来ない者があれば魔女だから日の下を歩けないのだと。

 早熟な子があれば魔女の子だからその才覚を発揮しているのだと。

 或いは嵐の夜に出歩く者があれば魔女がその嵐を呼んだのだ、と。

 その愚行は秘匿され、魔女狩りは政教分離を謳っていた王族とヴァルキュリエ教が唯一共同して行った正義の執行、正当なる行いであったと数年前までの歴史書に記されていた。


「あれは元々、僕とクラウドで決めた事でした。政治家と宗教家。遥か昔から政教分離を謳い、政治と宗教を交わらぬようにしていても、そのどちらも一部に権力が集まり、腐敗している。それを正す為に今一度それを宣言する必要があったんです」


 現国王であるオズワルド様はかつての第四王子。王は前王の指名制──建前上は王権神授、神による指名となっている──であり、継承権は平等に与えられているが、王子時代のオズワルド様は秀でた才もなく、王となる見込みはないというのが当時の民衆の評判だった、らしい。

 しかし他の王子たちが病や怪我に見舞われ、結果として王位を継げるのがオズワルド様だけとなった。

 真実の歴史の告白と学院の開放は正当な継承者でありながら成り上がりと揶揄され、民衆からの支持は歴代の中でも低いオズワルド国王が行ったパフォーマンスではないかとの見方もある。

 そんな批判の声を掻き消したのが二人の王子の美談だ。

 発端は第一王子、アルベルト様。

 先祖とはいえ真実を隠したのは王家の罪。その罪を雪ぐために王子の身分を捨て、神へ、ヴァルキュリエ教へと身を捧げると発表した。

 幼いながらも優秀であると名高かった王子の発表に国王を批判していた民衆にも動揺が広がった。次代の王は誰もがアルベルトであると疑わなかったからだ。

 だが結果として王位継承権を放棄したのはアルベルト様の弟、第三王子のクラウド様だった。

 民衆の前で王位継承権を放棄すると宣言する直前、まだ十歳にも満たなかった当時のクラウド様が壇上へと乱入し、宣言した。

 王位継承権を放棄するのは兄ではなく、自分だ。

 これからの人生を神へと捧げ、信徒としてこの国の平和と繁栄を願い、支える、と。

 幼き王子の決意に民衆は心打たれ、未来の王国はこの二人の王子が支えてくれると感動に震えたそうだ。

 そしてアルベルト様もまた弟の決意に王子として、王家の一員としてこの国の繁栄を築くと民衆に宣言した。

 加えてオズワルド様もまた、自身が生きている内に来たるべき時がくれば神がアルベルト様を王として指名するだろうと自身の生前退位を匂わせた。

 今の王家の支持は二人の王子に向けられたものなのだ。

 それが国の腐敗を正す為、お二人が計画して行われていたものだと私は知識として知っていたけれど、まさかそれをアルベルト様本人の口から明かされるとは思わなかった。


「そ、それは私などが聞いてよかったのでしょうか」

「構いません。国民たちはともかく、一部の貴族たちには知られている事です。そうして僕が王となればその一部の貴族や有権者たちにとって面白くない事になる、と知らしめる事が目的ですからね。僕が王子である間に国の膿を排除する為に必要な事だった──そしてその狙いを彼女に悟られ、取引を持ち掛けられた」


 視線を向けられたセシルはつまらなそうに鼻を鳴らし、アルベルト様に持ち掛けたという取引について教えてくれた。


「そいつに飼われてやるって言ったんだ。師匠が死んで、そいつに疑われた私には他に生きる術がなかったからな」

「信用は出来ない。しかし、魔女の持つ力は魅力的でした。王子として動いているだけではどうしても洗い出せない膿が多い。アデルは優秀な右腕ですが、彼にも立場がある。僕らとは違う立場、僕の影として裏で動いてくれる存在が必要だったのは事実。だから僕は彼女と契約したのです」

「私は精霊の瞳を閉じて協力する事と庇護されるべき民を傷つけない事を、そいつは私に危害を加えない事と私の立場を保証する事を条件に契約は結ばれた。師匠がやったようなハッタリじゃなく、互いの同意の上で呪いを掛けた」


 つまり、今の二人は互いの協力者。

 互いを敵視しつつも互いの目的の為に結んだ利害によって成り立った協力関係。

 それがセシルとアルベルト様の態度の理由。

 私の知っていた二人とはまるで違う、今の二人の関係なんだ。


「精霊の瞳という魔女の力の根源を封じる事さえ出来たなら、たとえセシルリアという新しい肉体であっても再び倒す事も可能。そして監視も容易く、身分も問わないこの学院に彼女の籍を設けたんです」

「私は不老不死の探求を続けられればそれで良い。暴走した事、父であるあの男が利用しようとした事。精霊の瞳なんてのは厄ネタにしかならない。人使いの荒い王子様に思う所は腐るほどあるがな」


 お前が知りたがってた事はこれで全部だ、とセシルは最後に結んで、ソファに背中を預けた。

 これが、私が知ろうとしていた事。これが、私が知りえなかった事。

 私の知らない、セシルのこれまでの物語。


「レイラさん」

「は、はい」


 セシルの抱えている事情は私が想像していたのとは全然違っていて、私が思っていた事は悉く的外れで、いろんなことを知って、頭がぼーっとする。


「僕は彼女をセシルリアとは認められない。あなたが望んでいた答えとは正反対でしょうが……セシルリアはもう死んだ。僕はそう思っています。たとえ彼女をセシルリアだと認める事があったとしても、もう彼女は僕にとってただの婚約者候補ではない。この考えが変わる事は決してないでしょう」


 そう、そうだ。

 私はアルベルト様にセシルの事を気付いて欲しくて、この時間を作ってもらったんだった。

 でもアルベルト様にとってセシルとセシルリア様は別人で、もう二度と私が描いていたような未来は訪れない。

 私が最良と思っていた未来は二人にとってのそれではないんだ。

 アルベルト様は王族として、セシルは魔女の弟子として、それぞれ別の未来を見ている。

 それを崩してまで私の望んだ未来を押し付けるのは、もう偽善とすら呼べないただの我儘なんだろう。


「そう、ですよね」


 じゃあ私はどうしたらいいんだろう。どうしたいんだろう。

 私がしたいと思っていた事はしちゃいけなくて、私にだから出来る事、私がすべき事なんて最初から何もなくて。

 ……今、私が感じているこれは何だろう。

 不安感、、疎外感、寂寥感、無力感。

 どれも当て嵌まるようで、どれとも違うような、切なくて心細い感覚。

 不安? 私の知識が役立たないものだったとして、グリムニルが倒され、たとえ復活したとしてもアルベルト様が現時点でその存在を認識している時点で、むしろ私の知る原作よりも備えが出来ている。

 疎外? それを感じるとするなら昨日までの話だ。セシルもアルベルト様も私に説明してくれた。情報を共有してくれたんだ。

 寂寥? 私の知っている二人とは違うから? 違う。それは二人をゲーム感覚で見ている事と同じだ。二人は二人の道を歩んでいる。それなのに、そんなものを感じるなんて失礼にも程がある。

 では無力? ……フェリアが学院に入学出来るように協力したのだって、原作をなぞっていただけ。今の私だから出来たわけじゃない。自分の無力さなんてとっくの昔から感じている。今更打ちのめされるようなものじゃない。

 自分の無力さなんて、かつて何も出来ず、何も為せないままあの無機質な病室で過ごしていた時から良く知っていたはずだ。


 レイラになる以前から、私はずっと無力だったでしょう?


 勘違いしちゃいけない。私はレイラ。主人公なんて役割のない、ただのレイラなんだから。

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