第13話

「落ち着きましたか?」

「はい、すいません……」


 アデル先輩が淹れてくれたココアのカップに視線を落とし、頷く。

 失礼ではあるけれど、これ以上、泣き顔をアルベルト様たちに見られたくなかった。


「レイラさん、これ以上はあなたは知らない方が良いかもしれません。優しいあなたにはあまり聞かせたくない話になります」

「……いえ、聞かせてください」


 セシルの事情を知りたい、セシルの力になりたい。その為にアルベルト様の話を聞きに来たんだ。

 今更、耳を塞ぐなんて出来ない。これ以上、そんな無責任な事したくない。


「……分かりました。ではセシル、続きはあなたの口からお願いします」

「へえ。てっきりあんたは私に口を挟ませないと思っていたけど」

「あなたが虚言を吐くなら、その時は訂正するだけです」


 顔を上げずともセシルがわざとらしく肩を竦めたのが分かった。

 グリムニルであるという疑いを掛けられているセシルはアルベルト様を嫌ってこそいても、憎んでいるようには思えない。そのアルベルト様に対する態度のわけもこれからの話で分かるはずだ。

 それに何故、グリムニルを師匠と呼ぶのか、その理由も。


「私の話を信じなくても良い。アルベルトの言葉だけを信じても、それはお前の自由だ」

「信じます」


 今夜、此処に一緒に来てくれたセシルを。

 たとえ子ども扱いされていようが、私を気遣ってくれたセシルを信じる。


「……まず五年前の事故自体は丸きり嘘ってわけじゃない。私が魔法を暴走させて怪我を負ったのは事実だ。それから私は魔力を上手く扱えなくなり、怪我こそしないまでも暴走状態が続いていた。そんな時に師匠──グリムニルが暴走の原因が精霊の瞳が開いたせいで、聞こえるようになった声が精霊の物だと教えてくれた」


 語るセシルの声は平坦だ。

 無感情に、淡々と起きた事実だけを説明してくれる。本当に何も感じていないのか、それとも隠しているのかは私には読み取れない。


「父は私が声が聞こえると訴えた時に気付いていたらしいが、アルベルトの言った通り、それを私にも隠していた。それも師匠が教えてくれた。魔女が公爵に法を説くなんて白々しい話だけど──」




 ◇◆◇◆




 バァン! と扉を壊す勢いで開け放ち、何者かがセシルの部屋へと我が物顔で侵入する。

 回復に向かっているとはいえ、未だベッドに寝た切りであったセシルが飛び起きるほど、遠慮のない入室であった。


「お前が瞳を開いた娘か」

「……あなたは?」


 全身が訴える痛みに顔を歪めながら、セシルは自身の部屋に突如現れた、ボロボロのマント姿の侵入者を見つめる、というよりは睨みつけている。

 公爵令嬢となれば蝶よ花よと可愛がられて育ってきたかと思えば、そんな顔も出来るのかと内心で侵入者は感心した。


「『不老不屈』。寝物語に聞いたことはないか?」

「……?」

「聞いたことないのか……そうか……」


 自身の名が今も轟いている事を期待していた侵入者にはその反応が少しばかり残念だったらしい。

 咳払いを一つ入れ、セシルが体を起こしたベッドへと近づく。

 見知らぬ侵入者を警戒しつつ、セシルは疑問を抱く。


「どうして……」


 炎も風も起きない。人がセシルに近づく度、それを退けるように起きていた魔力の暴走が起きない。

 事故以来、聞こえるようになった、暴走の原因と思われる謎の声たちはセシルを守るの一点張りで、セシルの言う事も聞かずにこの部屋に誰も近づけようとはしなかった。

 食事せねば死んでしまうとセシルが訴え、どうにか必要最低限の世話の為に使用人の入室を許してくれたが、父や母とすらこの数日、扉越しにしか話せていない。

 その声たちはどういうわけか目の前の侵入者にはその力を使おうとはしない。


「ふっふっふっ、年季が違うということだ。如何に精霊に愛されようとお前はまだ未熟。ただ魔力を垂れ流すばかりでは本物の魔法使い、魔女には敵うはずもない」

「魔女……?」

「そう、魔女である。恐ろしいか? 震えが止まらぬか? そうであろうそうであろう!」

「あなたは……何も言わないのですね」

「当然の反応である……むっ?」


 徐々にテンションを上げ、勝手に高笑いを始めようとした魔女だったが、それはセシルの反応によって打ち切られる。


「私の醜い体を見る度、使用人たちは目を逸らして嘆いていたのに」


 衣服によって大部分が隠れているとはいえ、暴走事故で負った首元から覗く火傷は目を逸らしたくなるような痛ましさがあった。

 けれどそれを目の当たりにしても魔女はまるで気にも留めていない。


「そんなことか。不死を手にしない限り、人は皆醜く老いて死ぬ。であればどのように醜かろうとそれは遅いか早いか、長いか短いかの差でしかない」

「……不死?」


 その言葉にセシルの瞳が揺れたことを、魔女は見逃さなかった。


「ほう、不死に興味があるか? 死にかけたのであれば、それも頷ける話だ」

「あなたは不死なのですか」


 そんな荒唐無稽な発想。公爵令嬢に相応しくない思考の飛躍。

 しかし、魔女はそれを笑う事はなかった。


「いいや。不死に限りなく近づいてはいるが、まだ届いてはいない。だが諦めるつもりもない。だからお前を貰いに来たのだ」

「私を……?」

「そう。精霊に愛された娘。その若さでそれだけの魔力、お前の体であれば不死へと至れるかもしれぬ」

「不死……」

「死は恐ろしいものだったろう? もう二度とあんな目に合いたくはないだろう?」

「……」


 事故の瞬間を思い出したのか、震え出した手を手で押さえ込み、セシルは静かに頷いた。


「ならばワシの下に来い。そうすればお前にも不死を与えてやろう」

「もう……死ななくて済む」

「生きているのだからもう、というのもおかしいがな。どちらにせよ精霊たちと魔力の制御を学ばねばろくな死に方は出来んだろう」

「あなたならこの声の主たちを、精霊たちを大人しくさせられるのですか?」


 魔女は笑みを浮かべ、「無論」と力強く頷いた。

 セシルには見ず知らずの怪しい魔女の姿がどう映ったのか。

 躊躇い、それでもセシルは魔女と視線を交わし、そして──


「わかり──」

「そこまでだ!」


 扉を開け放ち、発せられた怒号にセシルの声はかき消される。

 面倒くさそうに魔女が背後を振り向けば、十数人の兵士を引き連れた公爵が顔を赤くして魔女を睨みつけている。


「来るまでに蹴散らしたつもりだったが、ご苦労な事だ」


 自身に向けられる剣も槍も意に介さず、ゆったりとした歩調で兵たちへと近づく魔女の周囲に、風が、炎が吹き荒れる。

 その光景はセシルと、公爵にも見覚えのある光景。


「まさか……」


 セシルのように暴走しているわけではない。

 しかし呪文もなく、セシル以上の魔法をいとも容易く操る少女。

 そして古ぼけた格好。見た目に則さぬ口調。

 公爵には一人、心当たりがあった。


「貴様……『不老不屈』か!?」


 ぴたり、と。

 その名を呼ばれた少女が足を止めた。

 肩を震わし、耐え切れないとばかりに笑い声を零して。


「くくくっ、はーっはっはっは!」


 完全に興味を失し、ただ無感情に蹂躙するだけだったはずの公爵に向き直り、魔女はその名を名乗る。


「いかにも! 泣く子も黙るどころか黄色い悲鳴を上げるともっぱらの噂の! そう! 我こそは魔女! 『不老不屈』の魔女! グリムニルである!」


 古めかしいローブを翻す少女の名は『不老不屈』。

 おとぎ話に語られる、人外の魔女。


「娘を誑かしに来たのか、魔女め!」

「何を言うか。ワシならばご覧のように暴走を抑える事も出来るぞ?」

「誰が魔女の手など! セシルは王国に、我が公爵家に繁栄を齎す存在だ! 貴様に利用はさせんぞ!」

「おやおや公爵殿は法をご存じないようだ。精霊の瞳を開いた者は神にその身を捧げることが定められているはずだが?」


 セシルと同様に精霊の声を聞く、精霊に愛された者は歴史にも幾度か登場する。

 聖女、聖騎士。かつては軍神、戦女神と呼ばれた彼ら彼女らは数々の武勲を打ち立て、今の王国の隆盛に大きく貢献したとされる。

 だがそれは千年以上も昔の話。王国が現在の地図の形になった後、精霊に、神に愛された者たちを人々の争いに利用する事は神に対する冒涜である、と当時の長は言った。

 神の子とも言える者たちの力で築き上げられた国は、その子らこそが治めるべきである、とも。

 結局は戦いしか知らなかった彼女たちに政治が務まるはずもなく──当人たちもそれを分かっていたのだろう──神の子に代わり、王が国を治めることとなった。そうして王冠が当時の長に、神の意思として与えられ、今の王国の原型を築いたとされている。

 王が良き王である限り、神は国の在り方に異を唱える事はない。王もまた神の力を借りる事はしない。ただ善き人々の心の拠り所としてのみ、神はある──今日まで続く政教分離の体制が整えられた、とされている。

 故に精霊の瞳を持つ者はヴァルキュリエ教に身を置き、政治にも争い事にも関与しない、そう法律によって定められている。


「魔女が法を語るか!」

「ならば魔女らしく奪っていくとしよう」


 グリムニルの言葉と共に彼女を中心に吹き荒れていた炎と風が公爵たちの間を塞ぐ壁となって床と天井を焼く。

 踏み込めば骨すら残らぬであろう熱量に兵士たちは恐れ、一歩退いた。


「そういうわけだ。答えは聞けておらぬが、お前をいただいていくとしよう。……そうじゃな、大人しく従えば他の者にワシからは手は出さぬ、とでも言えばよいか?」

「わかりました」


 魔女らしい悪辣な笑みを浮かべるグリムニルにセシルは顔色を変えず、粛々と頷く。

 その瞳には迷いも躊躇いも、恐れすら浮かんではいない。

 肝が据わっている娘だ、とグリムニルは笑みを深めた。


「セシル!」

「お父様、このまま傷物となり、魔力の制御もままならない私を抱えるよりもこの方がお家の為となりましょう」

「懸命で聡明である。悪知恵が働く御父上に良く似たようだ」


 グリムニルは手を引かれ、ベッドから立ち上がったセシルの頬を撫でた。

 その手を振り払う事もなく、セシルはただ顔を伏せる。


「ぐっ、くっ……!」

「このままこの娘を放っておけばワシがこの屋敷を焼け野原にするか、この娘がするかの違いしかないぞ、公爵殿? 瞳はそう容易く制御出来るものでもないのでな」


 グリムニルが一度腕を振るうと、その手には絵本に描かれるような魔女の杖が納まる。

 杖を床に打ち付ければ風が吹き荒れ、目を開け続けることもままならない炎の旋風となった。


「おのれっ、魔女に屈すると思うか!」

「抵抗を許そう。反抗を許そう。その全てを打ち払ってこその魔女だからな、くくくっ、はははっ、はーっはっはっは!」


 笑い声に応じるかのようにグリムニルの周囲に留まっていた旋風が公爵たちへと向かう。

 飲み込まれれば炎に焼かれ、骨も残らぬだろうという熱量。回避は不可能、防御もまた不可能。

 公爵と兵士たちの末路は一瞬で決したかに思えた。


「お待ちください」


 しかしその旋風は、セシルの静かな声で霧散する。

 セシルに開いた精霊の瞳の力、ではない。その声にグリムニルが旋風を止めたに過ぎない。

 この場を支配しているのは今もグリムニルだ。


「お父様、私はこの方と共に行きます」

「何を言う、セシルリア!? 魔女の言葉になど惑わされるなっ。確かに精霊の瞳の事を隠しはした、だがそれがなくともお前は私の愛する娘なのだ! 魔女になど渡せるはずがない!」


 公爵の言葉は本心か。

 私欲を出してしまったとしても、娘に向ける愛情に偽りはないのかもしれない。

 けれど、今のセシルにとってはその言葉が嘘であれ本当であれ、どちらでも良かった。もう既に彼女の中で答えは決まっていたのだから。


「この方ならば私の暴走を抑える事が出来る。精霊の瞳の扱い方を学ぶ事が出来ます。それがたとえ虚言であったとしても元よりこの場の誰も、この方に逆らう事など出来ません。私の為に命を無駄にしてほしくないのです」

「ぐっ、だが……っ」

「娘の方が物分かりが良いようだ。では行くとしよう」

「はい」


 セシルを引き寄せ、腰を抱いて杖を持ち上げる。

 そして振り下ろす直前、思い出したように公爵たちに再び杖を向けた。


「王宮に泣きつかれても面倒じゃからな。今日の事を口外する事を禁じる」

「……分かった」

「ああ、約束なんぞせんでいい。そういう呪いじゃから。破れば死ぬぞ」

「なんだとっ!?」

「己の命と引き換えに、ワシに兵を仕向ける気になったら破ると良い。ではな」


 杖の先端から噴き出した黒い靄が公爵たちを覆う。

 吸わぬように口元を押さえてももう遅い。靄は体内に侵入し、公爵たちは自分たちが呪いに冒されたのだと悟った。

 完全に彼らから興味を失し、グリムニルは今度こそ杖で床を叩く。

 目も開けていられぬ風が再び吹き荒れ、それが止むと既に二人の姿は忽然と消えていた。




 風が治まったのを感じ、セシルはゆっくりと瞼を開いた。が、すぐにまた閉じる。


「はーっはっはっは! 何処じゃ此処」


 遠くに公爵家の屋敷が小さく見える巨木の天辺。

 喉に負担がかかりそうな高笑いを止め、真顔でグリムニルが呟く。


「もうちっとまともな場所に飛ばしてくれれば良いものを。まあよい、精霊の気まぐれなどいつものことだ」

「はあっ!?」


 あまりの高さに目を閉じていたセシルは浮遊感、というより落下していく感覚に短い──公爵令嬢らしからぬ──悲鳴を上げたが、グリムニルは着地の瞬間に風を巻き起こして危なげなく降り立ち、抱えていたセシルを地面に放り投げた。


「ぐっ……!」

「これしきのことで騒いでいてはこの先ついてこれんぞ?」

「……あなたについていけば、本当に不死になれるのですか」


 無論、と未だ不死へと至れない魔女は自信に満ちた表情で頷く。

 セシルは暫し座り込んでいたが、やがて顔を上げ、全身を蝕む痛みに歯を食いしばって、手が汚れる事も厭わず地面に爪を立てた。

 立ち上がり、幾分かだけセシルよりも背の高いグリムニルを見上げ、そして頭を下げる。


「ほう。礼儀を知っている……いや立場を弁えていると言った方がよいか?」

「この体では社交界、貴族の世界で生きていくことは出来ません」

「如何に醜悪な傷であっても精霊に愛されているお前であれば神に身を捧げた聖女として生きる道もあるが?」

「そこに幸福はありません」


 セシルははっきりと言い切る。

 グリムニルは精霊の瞳を開いた者が公爵家の娘であると知った時、我儘三昧の小娘を想像していた。

 しかしどうやら甘やかされて育てられただけではないらしい、とセシルの部屋での短い会話の中で認識を改める。


「ヴァルキュリエの教えを否定するか」

「興味がありません。少なくとも宗教も神も私を救ってはくれない」

「故に邪法の魔女に救いを求める、と?」


 グリムニルの鋭い視線に晒され、セシルは躊躇いがちに首を横に振った。

 もう一段階、グリムニルは認識を改める。


「あなたが私をさらったのはあなた自身に利があってこそ」


 きっと、あなたも私を救ってはくれない。

 嘘は許さない。視線からそれを感じ取ったセシルははっきりとグリムニルの言葉を否定した。


「だから私はあなたの下で、私自身を救う術を見つけます。その為に必要なら不死を求めます」


 グリムニルは笑みを浮かべる。

 悪辣な魔女の笑みではなく、純粋に面白いものを見たと言うような、見目相応の少女の笑みだった。


「名を聞いていなかったな」

「センティリア公爵家が息女、セシルリア・ルノア・センティリア」


 セシルは土に汚れた手でスカートをつまみ、優雅に貴族の礼と共に名乗り上げ、そして手を離すと深々と頭を下げ直した。


「これからはただのセシルリア……いいえ、もう何者でもありません」

「肉体さえあればそれで良いと思っていたが、面白い。退屈しのぎも兼ねてもらうとしよう」


 大仰に首を横に振って、己の手が汚れることも厭わず、グリムニルはセシルの手を取る。

 魔女の手はセシルから見ても華奢で、そして温かだった。


「名前さえも捨てると言うならばこれからはセシルと名乗るが良い。ただし、ただのセシルではないぞ?」


 それが『不老不屈の魔女』グリムニルと『魔女の弟子』セシルの出会い。


「この『不老不屈』の一番弟子、魔女の弟子のセシルだ」


 セシルリアがセシルとなった日。

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