第12話

 人気の感じられない夜の校舎を進み、辿り着いた生徒会室。

 これからアルベルト様にお会いすると思うとやっぱり緊張する。息を吸って吐いてを何度か繰り返した後。ノックしようと手を上げたけど、扉が叩くよりも先に内へ開いた。

 部屋の中を見やると正面の席に座り、微笑むアルベルト様と、扉を開けてくれたアデル先輩の姿。


「こんな時間に女性をお呼び立てしてしまい、申し訳ありません。レイラ・モンテグロンドさん」

「い、いえっ。貴重なお時間を割いていただきありがとうございます! お会いできて光栄ですっ」


 入学式の大講堂とは違い、こんなにもアルベルト様が近くに居る。ちょっぴりの感動とそれを打ち消すくらいの緊張で上手く口が回らない。


「そんな畏まらずとも大丈夫ですよ。僕は生徒会長ですから、悩みのある生徒の相談を聞くのは当然の事です」


 立ち上がったアルベルト様に促され、応接用のソファへと腰掛ける。

 対面にアルベルト様が座り、アデル先輩はその後ろで立って控えた。二人の風格は生徒会長というより、やはり王族と騎士のそれだ。


「さて、アデルから話は聞いています。それに、そこのセシルリアからも」

「……え?」


 あっさりと、アルベルト様はセシルをセシルリアと呼んだ。

 私に合わせて、なんてはずがない。

 アルベルト様が確信もなく平民のセシルをその名で呼ぶなんて、そんな私みたいな軽率な真似をするはずがない。


「思ってもいない呼び方で呼ぶなよ、性悪王子」

「こうした方が話しやすいと思っただけですよ、魔女」


 上手く状況を飲み込めない。

 それに魔女って、それはグリムニルのことじゃ……。


「アルベルト様は知っていたんですか……? セシルのことを」

「ええ。けれど僕とレイラさんとでは彼女への認識に違いがあります」

「違い……?」


 何らかの事情で平民へと貶められた公爵令嬢。それ以外に何があるの?

 たとえ私の知るセシルリアと違い、グリムニルを師匠と呼んでいても、そのことに違いはないはずだ。


「でもセシルのことを知っていたなら、どうしてそれを明かさないんですかっ? どうして平民のままにしておくんですかっ」

「僕は彼女を、僕の婚約者となるはずだったセシルリアとは認めていません」


 婚約者、やっぱりセシルリアは幼い頃にアルベルト様と婚姻の約束を交わしていたんだ。

 だけど、それならなおさらっ。


「どうしてっ? ただ髪の色が変わったくらいで、セシルは……」


 アルベルト様がセシルを知っていながら、何も行動していないということ。

 セシルをセシルリアであると認めていないこと。

 そのどちらもが私の想像もしていなかった事態で、言いようのない不安と焦りが襲ってくる。


「レイラさん、あなたは『不老不屈』の魔女という伝説を知っていますか? 今となってはおとぎ話としてしか語られませんが」

「は、はい」

「おや、僕たちの年代ではあまり馴染みがないと思っていましたが、それなら話が早い」


 良く知っている。

 脅かしとして祖父母たちの代で語られていたというおとぎ話も。

 セシルリアの肉体に宿り、最後には愛に破れる物語も。

 そのどちらも私は知っている。


「彼女こそ、セシルリアに憑りつき、現代に蘇った最後の魔女。『不老不屈』のグリムニルなのです」

「そ、れは……」


 そんなはずがない。

 私の知るグリムニルは、セシルのような性格じゃない。

 私を絞め落とすような肉体派でもないし、大人しく学校生活を送るなんて出来るはずもない。

 確かにセシルはセシルリアとも違うのかもしれない。だけど、私の涙を拭う、そんな優しさも彼女はどこかに持っていたはずだ。それをレイラに見せることがなかっただけで。


「セシルリアは魔法の練習中の事故で怪我を負い、その影響で今も静養中──公爵家は表向きはそう言っていますが、真実は違います。五年前、セシルリアは伝説の魔女に攫われていたんです」

「でもセシルは此処に居ます。グリムニルを師匠と呼んでいても、セシルリア様には変わりないはずです……」


 五年前の事故なんて最初から起きていない。それは受け入れられる。

 グリムニルが関係していることも、十分予想出来ていた。

 だけどそれはセシルをセシルリアと認めないことにはならないじゃないか。


「グリムニルは歴史上、最も不老不死に近づいた存在です。不老を手にし、限りなく不死に近い存在となりながらも尚、完全な不老不死を手にしようとした魔女。その為の手段がセシルリアの肉体でした」


 隣に座るセシルは何も言わない。瞼を閉ざし、ただ耳を傾けているだけ。


「僕が真実に気付いたのは偶然からでした。エドナ大森林を切り拓いた隣国へと繋がる道に森の奥地から魔物が姿を現すようになり、討伐の任に就いた騎士団とそれに同行した僕とアデルは森の中に館、魔女の拠点を発見し、攻撃してきた魔女──当時は魔女だとは分かりませんでしたが──と戦闘、討伐した。これが一年前の事です」

「グリムニルを倒したのですかっ!?」

「不老とはいえ古き肉体で力が衰えていたのでしょう。騎士団たちはまるで苦戦しなかった」


 そんな根底から前提が崩れていたのだ、私の知識が当てにならないはずだ。

 あるいは私の知っているグリムニルよりもさらに衰えていたのかもしれない。それがセシルリアの誘拐に繋がった……という事だろうか。


「戦闘で屋敷は燃え、最期に呪詛を残して、魔女は炎の中に消えていった。その焼け跡から意識を失いながらも無傷で発見されたのが彼女です。静養しているはずのセシルリアが何故、此処に? 疑問に思いながらも彼女を保護し、そして気付いた。僕以外の誰も、彼女をセシルリアと認識できていない事に」


 ……やっぱり最初からアルベルト様は気付いていたのか。

 アルベルト様ならきっと、私の身勝手な信頼にアルベルト様は応えてくれていた。でも、だけど。それならどうして。


「城に戻り、保護した彼女の意識が戻るまでの間に僕は書庫で魔女の伝説を知り、その特徴から戦ったのが魔女グリムニルであり、そして『不老不屈』の所以とセシルリアに掛けられた魔法、呪いを知ったのです」

「その呪いが……」

「人間の認識を歪める呪い。グリムニルは過去にもその呪いともう一つ、人から人へと魂を移す魔法を使い、依り代を変えて生き延びて来たのだと。周囲に己の存在を知られる事なく、力を蓄えて何度も復活してきた」


 やっぱりセシルに掛けられた呪いはグリムニルによるものだった。私の記憶にはない呪いだけど、グリムニルという魔女を思えばその呪いは理に適っているのだろう。

 アルベルト様がセシルをグリムニルだと考える理由にも納得出来た。そう考えても無理はない話だと思う。

 でも、それでも私はセシルがグリムニルだとは思えない。もうほとんど当てにならない記憶だとしても、そうは思えない。

 それにどうしてアルベルト様には呪いが効かなかったのか。どうしてセシルはそんな呪いを掛けたグリムニルを師匠と呼ぶのかもまだ、分かっていない。


「何故、僕にだけ呪いの効果がなかったのかは分かりません。アデルからあなたの事を聞いて驚きました。力の衰えによって呪いが不完全だったのか、それとも他の要因があるのかはまだ分かりませんがね」

「ではセシルリア様のご両親は……家族である公爵様たちにも呪いが? いえ、だとしても娘が誘拐されたという事実に違いはないはずですっ」

「当時の僕はまだ魔女の存在に半信半疑でした。だからまず公爵家へと連絡を取り、セシルリアが静養しているという事の真偽を確かめた。その結果、僕は魔女の実在を確信しました」


 公爵が誘拐を隠す理由も分からない。

 アルベルト様たちが見つけるまでの間、何故隠し続ける必要があったのか。娘を奪われ、そのままグリムニルの好きにさせておく理由があるとは思えないのに。


「精霊の瞳、という言葉はご存知ですか?」

「私たちの目には見えない精霊を見て、呪文で語り掛けることしか出来ない私たちと違い、精霊と語り合える力である、と」


 それはグリムニルの持つ特別な力だ。

 不老でありながらもその力は時を経る毎に弱まっていき、それを防ぐためにセシルリアの肉体を奪ったのだから。

 でも、それがどうして誘拐を隠すことになる?


「その精霊の瞳の力にセシルリアが目覚めた事を公爵は隠していたのです」

「……セシルリア様が?」


 ……私の知る記憶にはない。でも、繋がってきた。

 セシルが精霊の瞳を開き、公爵家はそれを隠し、誘拐の事実すらなかったことにした。だけど、それは、


「精霊の瞳は精霊だけでなく、神の姿を見、声を聞けるとされ、かつてその瞳を開いた者は国教であるヴァルキュリエ教の成り立ちと同時に王家にも大きく関わっています」


 今でこそ王の座は世襲制だけれど、元はその王冠は神より賜ったものとされている。

 精霊の瞳を持つ者が神の声を聞き、その王冠を神が選んだ者に与える──王権神授の伝説だ。


「それ故に数百年の間、瞳を持つ者は現れていませんが、現れたその時は争いに利用されないよう、ヴァルキュリエ教にその身を置く事を法によって定められている」


 そして数百年前に現れた精霊の瞳を持つ者こそが魔女となる前のグリムニルだと、私の記憶ではそう語られている。

 その力を神に捧げるのではなく、自らの不老不死という欲望の為に使う事を選んだ反逆者、それが『不老不屈』の魔女、グリムニル。


「魔女はセシルリアに瞳が開いた事を察し、その瞳の力を己の物とする為にセシルリアをかどわかした。公爵は法を破った事を知られぬよう、セシルリアを諦め、事実を隠匿していた。それが五年前の真実です」

「……公爵様は何故、法を破り、セシルリア様に精霊の瞳が開いたことを隠されていたのでしょうか」

「それは……」


 俯き尋ねる私の心情を慮ってくれているのか、アルベルト様は言葉を詰まらせた。

 分かってはいるんだ。ここまで言われて、察せないはずがない。


「私欲の為に決まってるだろ。元々、公爵家の娘なんてのは政略の為に使われる運命。それにもう一つ政略的価値が増えただけの事。神に捧げるのではなく、手元に置く事を選んだだけだ」


 決して口を開く事をしなかったセシルが淡々と告げる。

 単純で、あまりにも救われない事実。

 私の知るセシルリアは両親を誇りに思っていた。そんなセシルリアが精霊の瞳なんてものを開いてしまったばかりに、両親にまで裏切られるのか。それとも或いは、私の知るセシルリアも、知らず裏切られていたのだろうか。

 もしそうだとしたら、私は大馬鹿だ。

 セシルリアの死さえ回避できれば全てが上手くいくなんて、救う事が出来るなんて、思い上がりも甚だしい。


「お前が心を痛める話でも、涙を流すような話でもない」


 また、私は泣いているのか。

 でもこれは、セシルを想っての涙だろうか。


「あなたは優しい方ですね、レイラさん。彼女の為に泣けるのですから」


 それとも、愚かな自分の軽率さと惨めさに流れる涙だろうか。

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