第11話

「レイラさんのように治癒しか目立った適性がないというのは珍しい事なんですよ」


 実践の後、先週までの実習は治癒魔法の練習にはなっていなかったという事で、今日だけはリリエット先生と一対一で集中的に指導を受けることになった。


「治癒魔法の使い手は自分に適性のある属性に治癒の効果を付与するイメージで使うものですから。たとえば雷の適性がある者なら痺れるような感覚、風の適性があれば先ほどのようなそよ風として、最も多いのは水の適性ですね。医務室にも常備しているようなポーションという形で治癒が実現します」

「でも、昨日は私の手と患部が熱くなっていました」


 私の治癒魔法の結果、スライムは元通りとなり、今も檻の中でぷるぷると震えている。

 レイラがこういった指導を受けていた、という記憶はない。勿論、描写されていなかっただけで治癒魔法に覚醒した後は受けていたのだろうが、今の私にとってリリエット先生の話は新鮮だった。

 私の記憶では治したい部分に手を翳すと光と共に治癒されていたけれど、今の私の場合は話している通り、治り方は様々だ。


「患部に関しては代謝が高まった影響でしょう。けれど手が熱くなるというのは火の適性を持つ治癒魔法使いの特徴ですね。そこがレイラさんの珍しい所です。今回は私の風の魔法で刻まれたスライム、前回は火傷を負ってしまった子に治癒を使ったのでしょう?」

「はい。両方とも目の前で見ていたので、それを元に戻すイメージで魔法を使いました」

「発現の仕方にレイラさんのイメージに強く左右されているようですね。けれどそうして各属性の適性者同様に発現するのなら、治癒魔法以前にいずれかの適性に目覚めるのが早いはずなんですが……うん、本当に珍しいです」


 私の治癒魔法の実力自体はまだ目を見張るようなものではないらしかったが、私のその特性にリリエット先生は興味津々だ。

 治癒魔法だけは使えていた、という記憶が先行してあったから、その影響なのだと思う。伝える事は出来ないけど。


「でも珍しくても、魔法使いとしては微妙ですよね……」


 知識通りとはいえ、他の魔法が使えないというのはやっぱり少し悔しい。

 イメージだけなら他の魔法だって出来ているはずなんだけどな。


「そんな事ありませんよ。今後、火や風の属性の適性に芽生えていく可能性は十分にあります。それよりも先に治癒の適性に目覚めたのはレイラさんが誰かを癒したい、そういう気持ちの強い優しい子だからです」


 先生はそう言ってくれるけど、実際は記憶のおかげだ。

 レイラと私、二つの記憶があるから私は治癒魔法に目覚めた。

 レイラを知っていたから。それに治癒、治療というの言葉は私にとって何よりも身近で、遠いものだったから。

 ……いけない、いけないっ。昔の事でうだうだしてどうする私! 前を見て、今を生きなさい!


「ありがとうございますっ。ならまずは治癒魔法をもっともっと練習しないとですねっ」

「その意気ですっ。先生も協力しますから、一緒に頑張りましょうね。優秀なら治癒魔法使いなら働き口に困りませんっ。ただし仕事に夢中になりすぎて婚期を逃さないようにしましょうねっ!」

「はいっ! ……はい?」


 後半、より力が籠ってましたがそれは実体験なんでしょうか……? とは、怖くて聞けませんでした。

 い、いやいや、私は貴族でも平民でも構わないので素敵な旦那様を見つけて慎ましく暮らしてみせます!




 ◇◆◇◆




 見た目からは想像出来なかったけれど、リリエット先生は中々の熱血タイプだったようで治癒魔法の実習は初日からかなり濃密なトレーニングになった。

 元々は実家の工房で独自の研究をしつつ、貴族の子供の家庭教師を行っていたそうだが、雇われていた貴族の推薦で今年から学院に務めるようになったそうだ。学院の生徒に合わせて、猫を被っていたんですね。私としては今日の先生の方がやりやすい。

 しかし、入学前の自主練よりも圧倒的に疲れて、夕食の後はアルベルト様との約束の時間ぎりぎりまでベッドの上から動けなかった。

 セシルに遅れないように言った私が寝過ごす、なんて事にならなくてよかった。……今のセシルならそうなっても生暖かい目を向けて来そうで嫌だ。

 制服に皺がないか、寝癖はついていないか、念入りに確認して、部屋を出る。

 時刻は夜九時前。女子寮に門限はないが、それは学院の生徒が夜遊びに耽けるなんて事はないだろう、という暗黙の了解。そしてそれが守られている事を示すように外へと向かう道中はしんと静まり返っていた。

 校舎へと向かう渡り廊下には灯りが点在しているが、視線を外せば静まり返った暗闇が広がっている。

 夜の学校探索、なんてゲームや漫画でよくあるシチュエーションで憧れもあったけど、実際似たような状況に陥るとワクワク感よりも不気味さ、怖さの方が強い。

 前世の記憶のある私が幽霊を怖がるのも変な話だけど、暗闇への恐れというのは人の根源的な部分に根付いた感情だろう。……決して私が怖がりなわけじゃない、はず。


「……行きますか」


 生徒会室がある辺りを見上げれば、此処からでも部屋から漏れた明かりが窺える。私の為に時間と場所を用意してくれたのか、それとも普段から学院に居る時はこんな時間まで仕事をしているんだろうか? その辺りは私の知る記憶にはない。


「来たか」

「ふひぇあ!?」


 息を吐いて、灯りから灯りへ続く暗闇に足を踏み出し、そして跳ねた。

 な、んなっ、なにっ!?


「セ、セシル……?」


 闇からぬうっと音もなく現れたのは、生徒会室で集合するとばかり思っていたセシルだった。

 記憶にある暗闇を照らす燃えるような赤い髪とは違う、被ったフードから覗く赤毛混じりの黒髪は闇に良く馴染むらしい。まるで気付かなかった。


「何してんの?」

「と、突然出てくるから驚いてるんですっ。一緒に行くなんて言ってなかったですもん!」

「ああ、そうだっけ。学院の中とはいえ夜道をお前一人で歩かせるのもな、って思ったから」


 悪びれもせず、気遣いもせず、ただそれが当然の務めであるかのような口調。……やっぱり落ち着かない。


「……手でも引いて連れてってくれるんですか」


 子ども扱いするな、そんな嫌味を含ませようとしても、私が言うと拗ねた子供のようで。そんな自分にまた少し嫌気が差す。

 だというのにセシルは、


「ん、そっちのがいいか?」


 何の躊躇いもなく、呆れた顔もせず、私に右手を差し出してきた。

 ……なんですか、それ。

 昨日まではあんなに邪険にしていたクセに。同じ子ども扱いでも、煙たがっていたクセに。どうして急にそんな変われるんですか。

 私が泣いたから、子供相手にムキになりすぎた、そう思ったからですか。


「いりませんっ。アルベルト様が待っています、さっさと行きましょうっ」

「そうか」


 その手を無視して先へと進む。暗闇への恐怖はそれ以上の何かで上塗りされていた。

 なんで、どうして上手くいかないんだろう。私はセシルと仲良くなりたかった、友達になりたかった、セシルを助けたかったのに。

 セシルの方から歩み寄ってきても、その手を取る気にはどうしてもなれない。

 ……友達になるのって、こんなに難しいことだったのかな。


「お前が私の──セシルリアの事をどこまで識っているのかは知らない。最初に聞いた以上の事も識っているんだろうけど、多分それは当てにならない」

「分かってます。セシルが平民になって、『不老不屈』の魔女が師匠とか、もう私にはどうしてそうなったのか想像も出来ません。だから聞かせてもらいます。これから知らせてもらいます」

「ああ。明るい話にはならない。けどそれでお前が気に病む必要はないってことは覚えておいてくれ」

「……はい」


 背後から聞こえてくる真剣な声音。

 セシルの過去に何があったのか。それがどうしてアルベルト様を同席して語られるのか。分からない事だらけだ。

 自分から知ろうと近づいておいて、知るのが怖いなんて今更だ。


「それともう一つ。お前は私に諦めるな、って言ったよな」

「……はい。何も知らないのに、勝手な事を言いました」

「いや。お前からすればそう見えて当たり前だよ」


 けど、と言葉を一度切って、私の後に続いていた足音も止まって、私も足を止めた。

 振り返ればフードの下から覗く、セシルの真剣な表情。


「私はセシルリア・ルノア・センティリアの人生を、諦めた事は一度だってない」


 それは、諦めた人には出来ない表情だ。


「この髪も、この体も、命も、未来も。全部を取り戻すために私は生きてるんだよ」


 そして、きっと私には出来ない表情だ。そんな強い意志の籠った、覚悟を秘めた表情は。

 ……私の知っていたレイラにはセシルリアが必要だった。

 彼女という犠牲を払い、レイラは自身に目覚めた治癒魔法で人々を助けたいという意志を確固たる物とする。

 どんな分岐に進んだとしても変わらない、レイラの信念として刻まれる。

 けれど今のレイラは、どうだろうか。

 セシルリアを救うには私が必要だと思っていた。彼女の避けられない運命を覆す為には今の私でなければならないと思っていた。

 でもその運命は前提から覆っている。

 セシルリアはセシルとなり、私の知る彼女とは異なる道を、確固たる意志を持って進んでいる。

 そんなセシルに、私は必要なんだろうか。

 ……セシルリアがレイラを邪魔者と疎み、不要としたように、セシルにとっても私は不要な存在。

 そこだけは私の記憶と何も変わっていない、そのままの関係性。

 変わっていないはずだ。分かっていたはずだ。それでも友達になりたいと思った。

 だけど、どうして今更になってこんなに胸の内が痛むのだろう。どうしてこんなにも寂しく、心細く感じてしまうのだろう。


「……私で力になれる事があったら、なんでも言ってくださいねっ」


 そんなありふれた言葉しか、今の私の口からは出て来なかった。

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