第10話

 混むのが嫌だからと毎朝早い時間に訪れる食堂。

 今日の朝食はお気に入りとなったフレンチトースト。

 だけれどそれを前にして、私の手は中々動いてはくれなかった。


「はぁ……」

「もう、それじゃああたし、先に行くからね?」


 既に他の生徒たちも多くが席に着き、食事を始めて賑やかになってしまい、私はまだ授業以外で貴族に混ざる事に抵抗感があるフェリアを先に送り出した。

 私に付き合わせるのも悪いし、今のぐったりとだらけた顔をいつまでも突き合わせる事にも申し訳なさがあったから。


「うん……また後でね」


 フェリアを見送り、最低限のマナーだけは守った、だらだら、もっさりとした緩慢な動きでトーストを口に運ぶ。

 まだ飽きるほどの頻度で食べているわけでもなく、味は変わらず甘くて美味しい。

 食欲がないわけじゃない。ただ集中できてないだけだ。


「どーしてあんな情けない事しちゃったかなぁ……うーっ」


 現在、私の心を占めるのは昨日のセシルと交わした情けない会話と行動の数々。

 私のこれまでの言動に問題があったのは反省した。猛省した。

 分かっていたつもりでも認識が甘かったのだと打ちのめされた。

 でもそれはこれから治せばいい。セシルも許してくれたし、むしろこれからの長い人生をこの世界で生きていくのだ。今の内に改められて良かったと思うべきだ。

 問題はその後。

 良い歳してあんな子供みたいに泣いて縋って、自分が情けない。

 変わったつもりだった。変われたつもりだった。

 だというのに、あのセシルがあんな態度を取るぐらい、私は幼稚だった事がショックで仕方ない。

 ……別に大人ぶるつもりはない。今までもフェリアや他の子たちとの間に年齢差を感じた事もなかった。私の意識はこの世界の、レイラの年相応程度の年齢でしかないのだと分かっていた。

 そのおかげで孤独感を覚える事もなかったんだ。でも、フェリアたちと同じく、年相応の成長は遂げていたつもりだったのに、昨日のアレは明らかに幼すぎる。


「朝から何唸ってんの」

「そりゃ唸りたくもなりますよ……」


 時計は進んでいる、自分ではそう思っていたんですから。

 あの場所から、ベッドの上で窓の向こうを眺めていたあの時から、今も抜け出せていないようで、怖くなってしまう。


「よく分かんないけど、さっさと食べたら」

「分かってますけどぉ……って、セシルっ?」


 自然な流れでフェリアが去った対面の席に腰掛け、サンドイッチを口に運ぶセシルの存在に気付き、思わず立ち上がる。

 ガシャリと食器とセシルが机に立てかけていた大きな杖がぶつかる音がやけに響いて、集まる視線にすぐに縮こまるように着席した。


「ん」


 それは朝の挨拶のつもりなのだろうか。

 セシルは私と目を合わせるでもなく、小さく頷き、周囲や私の様子を気にする素振りも見せずに食事を続ける。


「ど、どうしたんですか、いきなり」

「目についた空いてる席が此処だっただけ」


 下手な嘘だ。人が多くなったとはいえ、空席はまばらに、そこかしこにある。

 私を見つけて、此処に座ったのだと思うのは自意識過剰ではないだろう。


「ねえ」

「は、はいっ?」

「今夜、アルベルトに会うんだろ」


 周囲に聞こえないような小声とはいえ、アルベルト様を呼び捨てにするセシルにハラハラが止まらない。


「あ、はい。アデル様を通して、都合をつけてくださったので」

「それ、私も行くから」

「え、え? セシルがですか?」

「ああ。話は通してある」


 昨日までとは全然違うセシルの態度。

 以前は好きにしろ、勝手にしろ、と私の行動に関知していなかったのに。

 それに呼び方がお前呼びに変わったのも、あまりそうとは感じないが態度の軟化を示しているんだろう。

 少し、ううん、かなり、複雑な気分だ。

 私はセシルと対等な友達になりたかったのに、今のセシルはまるで面倒見の良いお姉さん、子供相手だからと柔らかい態度で接する大人みたいだ。


「話は通してあるって……どうして、いきなり」

「別に。気まぐれだよ」

「……セシルにそんな気まぐれを起こさせるほど、私は危なっかしいですか」


 子供だと思われたくない、そう思っていても口から出る言葉は拗ねた子供そのもの。

 仲良くなりたいと思っていたセシルがこうして歩み寄ってくれているのに、これじゃあただの子供の我儘にしか聞こえない。

 違う、そんなつもりで言ってるんじゃないのに。


「それもあるな」


 柔らかい眼差し。口元にはうっすらと笑みすら浮かんでいる。

 子供を見守る母のように。妹を見守る姉のように。

 ……そんな顔が見たかったわけじゃない。私はただ、本当のセシルに、本来のセシルリアみたいな高笑いを聞きたかっただけなのに。

 ああ、でも、それも押し付けなのか。セシルが不快に感じた、ゲーム感覚の見方だ。

 停滞を続けていた思考が廻る。ぐるぐると頭の中を、胸の内を廻って、廻って、廻って……ぐちゃぐちゃになっていく。


「言っただろ。私の事情を話してやるって。それにはあいつが一緒の方が都合がいいんだ。それに、ただの自己満足だよ。お前を泣かせた負い目をなくしたいだけなんだ」

「……ありがとうございます。約束は九時に生徒会室ですから。遅れないでくださいね?」

「ああ」


 そのぐちゃぐちゃを押し込めて、笑う。

 淑女だもの、いつも笑顔で余裕を崩さず。

 ……作り笑いは前世から得意だったんだ。

 心配をかけないように、迷惑をかけないように。

 痛いのも苦しいのも怖いのも寂しいのも、全部隠して笑えてたんだから。

 そうでなくとも、もう子供じゃない。

 たとえ子供と思われていても、子供だったとしても、もう泣き顔なんて見せたりしない。

 そこから始めていこう。ここから大人になっていこう。




 ◇◆◇◆




「先週の実習の中で今の皆さんの魔法の練度は大体把握出来ましたので、今日からは練度に合わせてグループを分けて、それぞれのグループで実習に取り組んでもらう事にします──が、レイラさん」

「あ、はいっ」


 午前の講義を終え、午後の実習。

 先週は基本的な事しかやっていなかったけど、いよいよ本格的に魔法の授業が始まる。

 原作通りなら……ううん、順当にいけば私は魔法が使えない数人のグループに振り分けられるはずだった。


「休日の間に治癒魔法を使えるようになったと聞いたのですが、本当ですか?」

「はい」


 エルザ様は私が治癒魔法を隠している事を知らなかったけれど、フェリアに治癒魔法の件を知られた以上、当然のように学院側にフェリアから報告が行き、その為の実習に取り組む必要性が出てくる。

 能力の秘匿はサボりと同じ、学院側からお咎めもあり得るという理由で、私が治癒魔法を使える事をはっきりと自覚したのは昨日という事──フェリアはまだ疑っているようだけど──でフェリアが口裏を合わせてくれた。

 適性のある者がとても珍しいからか、リリエット先生の言葉に頷いた私に生徒たちがざわつくのを感じる。

 珍しいといっても学院にも使える人は何人かいるようだけど。


「まあっ。治癒魔法が使える生徒を担当するのは久しぶりなので腕が鳴りますね」

「……お若く見えますけど、リリエット先生っておいくつなんですか?」

「レイラさん?」

「なんでもないです」


 二十代前半にしか見えない容姿。ともすれば前世込みの私の年齢より低いかもしれないリリエット先生だが、治癒魔法適性者の為の実習内容を半日足らずで用意してくれていた。

 純粋に疑問を口にしたら、大きな丸眼鏡を怪しく反射させて、低い声で名前を呼ばれたのですぐさま取り消す。

 流石はエリートの魔法学院教師、オーラが違いますね……。


「良い機会ですから、今のレイラさんの治癒魔法がどの程度の物なのかの確認も兼ねて、皆さんの前で実践してもらえますか?」

「分かりました。……ええと、自分の手とか切れば良いですかね?」

「そんな事させませんよっ!?」


 すぱっと手刀で切るジェスチャーをすると、慌てた様子でリリエット先生は背後に用意されていた檻にかけられた布を取り払う。

 ずっと鉄格子が下の隙間から見えてて気になってたけど、まさか私用だったとは。


「スライムですか?」


 檻の中に入っていたのは前世で見慣れた存在。

 気泡の混じった水色の液状の体を持つ、魔物の代名詞、スライム。

 この世界の魔物のほとんどは生物が魔力によって変化した存在だと言われている。

 主に人の寄り付かない僻地にある魔力の淀み──私は前世で言う所の龍脈のようなものだと思っている──から生まれ、ベルンヘルツ王国に生息している魔物のほとんどは隣国、ソーヴィシャンを跨いで広がるエドナ大森林から発生しているとされているが、スライムはその例外の一つで、小さな物なら子供でも退治できるぐらいに脅威度は低いが、人の住む場所にも発生する魔物だ。

 世界に溢れ、循環している魔力が人が扱う過程で僅かに淀み、その僅かな淀みが形を成した物だとされている。

 もっとも、魔物が消滅すれば魔力となり世界に還る事は確認されていても、魔物が発生する瞬間は未だに一度も観測されていないので、仮説だそうだが。


「昨晩、守衛の方が見つけたのを捕獲して、私の魔力を注いでこのサイズまで大きくしておきました」


 通常、人里でよく発見されるスライムは手の平サイズ。実際にはもっと小さく指先ほどのサイズから成長するが、そのサイズだと発見される前に何かの拍子に潰されて気付かぬ内に退治されてしまうらしい。蚊か蟻みたいな扱いだ。

 この子は私の膝下くらいのサイズで、両手を回してどうにか抱えられるか、というほど。此処まで育つと普通の女子供では手に負えなくなってくる。


「この方法が一番危険が少ないので、このスライムで試してもらいますね。ちなみにレイラさん、スライムの対処法として間違っている物を挙げられますか?」

「見ての通り水で出来たような体なので、水やお湯を掛けても無駄です。それともっと大きなサイズのスライムの話ですが、剣で切ってもちぎれて小さくなるだけで消滅はせず、放っておくとくっついて戻ってしまうと聞いた事があります」

「正解です。剣が効かないというのは実体験としてはあまり聞きませんが、これよりかなり小さいスライムだったしても斬るだけでは消滅はせず、再びくっつきます」


 普通見かける程度のサイズだと剣を持ち出すには小さすぎるから試したという話は聞いた事なかったけど、やっぱり効かないんだ。

 スライムは斬撃無効。一応覚えておこう。RPGみたくステータスなんて見れない、知識として蓄えておくしかないんだから。


「ではプーカさん、スライムの正しい対処法は分かりますか?」


 リリエット先生が次に指したのは平民の女の子。

 褐色の肌をした、ちょうどスライムに似た水色の髪の小柄な生徒だ。先週は私やセシルと同じく、魔法を上手く使えずに一緒に杖を振り続けた仲だ。やっぱり貴族に対して苦手意識があるのか、話す機会はなかったけど。


「え、と……村で出た時は足とか手ごろな板とかで潰してた……潰してました。潰すとばちっ、ってはじけて水になるから」


 プーカさんの言った通り、スライムの体はぷよぷよとした弾力があるが、一定の負荷が掛かるとはじけて水に変わる。

 昔、フェリアが良く小さなスライムを見つけては足で潰して遊んでた覚えがある。魔物相手とはいえ子供故の残酷さだよね。

 とはいえ私がイメージしていたデフォルメチックな見た目じゃなく、でっかいアメーバみたな感じで可愛いとは思えないけど。……可哀そう、とは思う。


「はい、その通りです。というわけでレイラさんには切断したスライムに治癒魔法を掛けてもらって、その再生速度で能力を測らせてもらいます」

「分かりました」

「それでは──」


 リリエット先生が檻の中のスライムに手をかざす。途端、肌がざわつくのを感じる。

 隣に居るから良く分かる。魔法を行使するとき特有のぴりつくような、そんな感覚だ。


「刻め、風の刃」


 一瞬だった。

 風が吹き、声帯を持たないスライムでなくとも、悲鳴を上げる間もない速度でその体が分かたれる。

 魔法の行使に重要なのは精霊とのコミュニケーション。

 為したい結果をイメージし、それを呪文という言の葉に乗せて、魔力と共に精霊へと伝える。

 切断という事象は同じでも、一体何をどう切断するのか。術者のイメージを精霊に伝える事が出来なければスライムと共に檻まで斬り刻まれる。イメージが伝わらなければただ二分割にするだけで終わってしまう。

 だけど、私の目の前でスライムは数えるのも億劫な無数の飛沫へと変わり、檻の中に飛散する。

 学院に務めている以上、何かしらに秀でた高位の魔法使いであるとは知っていた。

 けれど正直、驚いた。あんな短い呪文でここまで、しかも檻の外へは散らないように。

 コミュニケーションを取りやすい属性、精霊との相性が人それぞれあり、それが適性と呼ばれる。研鑽を積めば誰でも複数の属性の魔法を使う事は出来ると聞いているが、リリエット先生は風の精霊との相性が最も良かったのだろうか? それとも他の属性の魔法も同程度に……?

 これが記憶と現実の違い。文字だけでは決して読み取れなかった、リリエット先生の魔法の実力。

 いつまでも記憶に踊らされてちゃいけない。現実を生きないと。


「さあレイラさん、杖を使ってで構いませんから、全力で治癒の魔法を。檻を包み込むようなイメージで使ってください」

「……杖はいりません。治癒だけは直接手で触れた方がやりやすかったんです」


 イメージする。

 元のスライムの形。映像を逆回しするように。飛沫同士がくっつきあって元の姿に戻っていく様子。檻の中心で、丸く、元通りに。

 目には見えなくとも世界中に存在する精霊に、今も私の身の回りを飛び交う精霊に、体内を流れる魔力を手渡しするイメージ。

 この魔力を使って、このスライムを元の姿に戻して。


「風よ、癒しを此処に」


 自然と胸の内から湧き出た言葉を声に出して、魔力と共に精霊たちに伝える。

 目の前で起きた事をやり直すだけ。元通りにするだけ。それなら長い呪文が必要とは思わなかった。

 そして風が吹いた。

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