第8話

「あ、ありがとうございました……すっかり良くなりましたわ……」

「…………どういたしまして」


 未だに頬を赤らめたままのエルザ様と、燃え尽きた灰のようなどんよりとしたオーラを出して項垂れる私。

 再び入室したフェリアとロイ君が見たのはそんな私たちだった。


「レイラ!? 一体何があったの!? ううん、一体何をしたの!?」

「分からない、分からないんだよフェリア……私じゃない私が私の中から私を動かしたんだよ……」


 本当に何をしていたんだ私は……!

 我に返った時には遅すぎた。

 幸いなのはエルザ様のご機嫌を損ねるようなことにはならなかったことか。

 むしろまんざらでもないような……いいや考えるな私! 忘れろ私! 恥を知れ私ぃ!


「お気になさらないで。なんでもありませんから」

「エルザ様、ですけど……」

「なにもありませんでしたから。ね、レイラさん?」

「ハイ」


 ち、治療は無事終わったんだから良しとしよう。そうしよう。

 とりあえず疑いの目を向けてくるフェリアから逃げるために話題を変えることにする。


「それにしてもエルザ様に来ていただけるなんてすごい光栄だね、フェリア」

「う、うん。それは本当にありがたいことだけど」

わたくし、もう学院に通って三年になるのに実家の執事に認められたお店にしか入れないんですのよ。それも数が少なくて飽きていたところにこのお店を紹介されましたの。セバスに認められるお店ですもの、自信を持ってくださいな」


 公爵家の執事に認められるお店になって私も鼻が高い。

 それにしても流石は公爵令嬢。学院に在籍している間は自主性を高めるとかなんとかの理由で、長期休暇を除いて侍従の付き添いが禁止されているとはいえ、外出先のチェックが入るんだ。


「初めてですので、せっかくだから一人でのんびりしたいと思って今日は寄らせていただきましたの。フェリアさんはお店の視察で?」

「いえ、そんな大層なものじゃ……」

「今まで王都に来る機会がほとんどなかったのでフェリアを誘ってさっそく来てみたんです」


 恐縮しきりのフェリアだけど、エルザ様はとても話しやすい方だし、そこまで緊張しなくても良いんじゃないかな。

 雲の上みたいな方だけど、エルザ様の言った通り、今は学院の先輩と後輩でもあるんだから。


「そうでしたの。でしたらこの後、ご一緒してもよろしいかしら」

「エ、エルザ様がですかっ?」

「ええ。限られているとはいえ、案内できるお店はそれなりに知っていますのよ?」

「是非お願いします!」


 当然、私には断る理由はない。

 恐れ多くて断れないってのもあるけど、エルザ様との繋がりは魅力的だ。

 私は勿論、成り上がりのフェリアにとって学院内での強力な後ろ盾になってくれる。今回の一件が知れて、フェリアが他の生徒から反感を買わないとも限らないし。


「ちょっとレイラ!」

「先輩の言うことは聞くものだって言われたでしょ? それに予定もなかったしありがたいお申し出でしょ」

「もう……貴族だからと思ってたけど、その度胸は天性ね……」


 向けられる視線は果たして呆れか尊敬か。

 どちらでも構わない。原作でのフェリアはレイラの一番の親友。どのルート、どの結末であっても。

 苦労して手に入れた貴族の位を手放してしまうくらい、私に良くしてくれた。

 そのどれとも違う道を行くと決めたのだ。万が一にもフェリアが私に付き合って貧乏くじを引かないようにしてみせる。


「それじゃあ行きましょうか」


 じゃれあう私たちにエルザ様は微笑み、ロイ君が扉を開けて一礼する。

 正真正銘のご令嬢に成り上がりの平民貴族、異物交じりの似非貴族。冗談みたいなご一行だけれど、楽しい休日になりそうだ。


「いってらっしゃいませ、お嬢様」


 本物に負けないように胸を張って、貴族のお嬢様らしく肩で風を切って参りましょうっ。


「先生もお気をつけて」


 お嬢様らしくっ、参りましょう!




 ◇◆◇◆




 パリス・トウェルタを紹介されたと言っていたからそこまで心配はしていなかったけれど、エルザ様が案内してくれたのは貴族御用達のお店ばかりではなく、庶民的なお店も含まれていた。

 製菓店に雑貨店、裁縫店に書店。勿論、中には私では手が届かないようなお値段の品ばかりが並ぶ宝石店なんかも含まれていたけれど、十二分に楽しめるお店ばかり。

 エルザ様はエンディングによってはセシルリアの代わりにアルベルト様の婚約者になられる方。私の知る限り、今のアルベルト様に婚約者はいない。過去に婚約したという話もない。私はてっきり内々にセシルリアとの婚約が内定しているだけだと思っていたけれど……正直、原作と比べる限りだとセシルリアに勝ち目がないくらい素晴らしい方だ……。

 見た目は金髪ドリルで高飛車な感じなのに、性格はそんなこともなく接しやすく、ユーモアだって解する。パリス・トウェルタの一件で公爵令嬢らしく気高く強い一面を持っていることは疑いようもないけれど。これはセシルにとってかなりの強敵なのでは。


「今日案内できるのは此処が最後になるかしら。でも一番のおすすめ……いえ、一番の楽しみでもありますわ」

「ええと、此処は……」


 セシルの強力なライバル出現に二人の恋路がどうなるのかと一人ハラハラしていると、エルザ様が立ち止まったのは──香水店?

 吹き抜けた風が店先の私たちに甘い香りを運んでくる。確かに淑女の嗜みとして香水、化粧は外せない。


「学院では常に制服姿とはいえ、着飾る事が嫌いな女性はいないでしょう?」


 そう言って微笑むエルザ様。ずるいなあ。こんな普通の女の子の顔も出来るなんて。

 隣を見れば、フェリアもその笑顔に見惚れているようだった。


「貴女たち、同じ香水をつけていますわね? 落ち着く香りだけれど、貴女たちにそれぞれ合った物があると思いますわ」


 たしかにフェリアが貴族になれると決まった時にプレゼントして以来、私たちはずっと同じ香水を使っている。

 一応、他の香水も持ってはいるのだけれど、他の香水は匂いが強い物が多いので素朴で落ち着いた香りの今の物ばかりになっているのだ。


「この機会に変えてみようよ、フェリア」

「うん。レイラがくれたこの香りも好きだけど、いつまでも同じのだけってわけにはいかないものね」

「来週末には一年生の実技試験が行われるはずです。その後には歓迎も兼ねた記念の夜会を生徒会で開催するのが伝統になっていますわ。その時にお披露目してはいかがかしら?」


 ああ、そういうイベントもあったなあ。

 その時点で好感度の高いキャラの正装姿が見れて、好感度が稼げるイベントだから一週目ならほぼそのシーンを見たキャラでルートが確定したようなものだったはず。

 そのキャラや着飾ったセシルリアを見て、レイラはまだまだ学院に通う貴族に相応しくない田舎者だと卑下して、より一層自分を磨こうとやる気を出すんだった。

 夜会にはお母様が用意してくれて、学院に持ち込んでいたドレスで臨むんだけど、そのドレスがちょっと特殊でお母様が独特のセンスを持つ人だ、というのがプレイヤーに判明するイベントでもあった。

 勿論、正真正銘のレイラとして生きてきた記憶のある私はお母様のセンスも知っているけど。完全な善意で用意してくれたものだから結局断れなかったんだよなあ。まあ着るのは少し恥ずかしいけれど、あれはあれで可愛いとプレイヤーからは好評だったしね。


「そうですね。エルザ様のお墨付きのお店なら、きっと良い物が見つかるはずですし!」

「ええ。保証いたしますわ。此処も出来たばかりなのですけれど、素晴らしい品揃えだそうですわよ」


 意気揚々と店内に入れば、お洒落な内装に、眺めているだけで楽しくなってくるように香水が綺麗に並べられている。

 ただ、意外にもお客さんの数はまばらだ。出来たばかりでも素敵な外観だし、すぐに人が集まりそうなものなのに。ゆっくりと見れるのはありがたいけれど……と思っていたら、エルザ様が本来は予約制で入れる人数が限られているという事を教えてくれた。なお当然のようにエルザ様は顔パスである。


「いらっしゃいませ。ご来店いただけて光栄です、エルザ様」

「ご無沙汰しておりますわね、ルーナ」


 明るい緑の髪が印象的な女性がエルザ様を歓迎する。他に従業員らしき人は見当たらない、一人でやっているのだとしたら整理券式というのも頷ける。

 エルザ様に話したい事もあるから先に見て回っていてちょうだい、と促される。こっそりと物珍し気に眺めていたのを気取られてしまったようだ。ちょっと恥ずかしい。

 でも私だけでなくフェリアは落ち着いて見えるけど、女の子らしく宝石のようにキラキラとした瓶に入った香水たちに目を奪われているようだった。こういうお店、領地にはなかったもんね。


「ねえレイラ、あなたの香水、あたしに選ばせてくれない?」

「いいよ。じゃあ私はフェリアの分を選ぶね」


 香水を選んで贈り合うなんて、男女だったら意味深な感じだけど私とフェリアの仲なら今更だ。

 ふふふ、私好みの匂いをぷんぷんさせてあげるわ! なんて冗談半分に思いながら、フェリアとは反対の棚から物色していく。

 こんなにたくさんあると、一つ一つ嗅いでいったら最後には匂いも分からなくなっちゃいそうだから、選りすぐらないと。幸いにも匂いの雰囲気なんかも一つ一つに書かれているから、そこからフェリアに合った物を選んでいこう。

 情熱。秘めてはいるけど匂わすものではないかな。純朴。これだと今までとあまり変わらないな。凄艶。学生には合わないけど気になる。

 普段聞かないような言葉も多くあって、どんな匂いなのか興味が惹かれるけど、あまり冒険しすぎてもいけない。こうやって迷う時間も楽しいものだけどね。

 そうして夢中になりすぎていたのがいけなかったんだろう。それなりに広い店内でお客さんは少ないのにぶつかってしまった。


「あっ、ごめんなさいっ」

「……いや」


 慌てて頭を下げると、ぶっきらぼうな声。……ん? この声って、


「セシルっ!?」

「やかましいな、騒ぐなよ」

「ご、ごめんなさい。でもびっくりしちゃって……それにその格好」


 顔を上げれば相変わらず無表情だけど、少し不機嫌そうに眉を顰めるセシルの姿。

 まさかこんな所で会うなんて、エルザ様の事といい、学院に入学して原作のレイラらしいエンカウント力が私にもついてきたのかもしれない。

 でも制服姿の生徒はパリス・トウェルタでも、道中でも多く見かけたからセシルと会うのもそこまで不思議じゃない。

 それよりも今のセシルの格好だ。学院で見るボロボロのマントこそ変わらないが、あのやけに大きな杖を持ち歩いておらず、中に着こんでいるのは制服じゃない。上質な布を使っているのが一目で分かるワンピース。公爵令嬢が身に着けるものとしてはシンプルすぎるけど、それでも間違いなく平民には見えないぐらいに綺麗だった。

 お洒落になんて興味がないと思っていた。セシルリアだと思えばお洒落に気を使うのは当然だし、こういうお店に居る事にも違和感なんてないんだけど。


「ふふーん? やっぱりセシルも女の子でお洒落さんなんだねー」


 原作らしい、セシルリアらしさの片鱗が見えて嬉しくなる。

 まるで違うように見えても、やっぱりセシルはセシルリアなんだ。高飛車で傲慢で意地悪で、絵に描いたような悪役令嬢で、でもその結末を思うと憎み切れない、そんな私の記憶にあるセシルリア様だ。


「そんなんじゃない」

「いやいや、このお店だってわざわざ予約してたんでしょう? 隠さなくてもいいじゃないですか」

「用があっただけだ」


 香水店に香水を買う以外の用なんてないだろうに、誤魔化し方が下手すぎるでしょう。

 普段が普段だから、恥ずかしがっているのかもしれない。


「まあまあ。何か気に入った香りはありました? 種類が多すぎて困っていたところなので教えてくださいよ」

「……あんたに此処の香水は合わないよ」

「わ、私だって少し場違いかなとは思いましたけどそんなはっきり言わなくても……」


 田舎の男爵令嬢としても、前世の一般市民としても、こういう専門店に気後れしていたのは事実だけど、こうもばっさり言い捨てられると照れ隠しにしても傷つきますよ。


「ですけどせっかくエルザ様に紹介してもらったんですから、私にもフェリアにもぴったりの物を見つけてみせますっ」

「……エルザ?」


 おや、エルザ様の名前を聞いて、セシルの眉が僅かに動く。

 ってそうか、同じ公爵家同士、繋がりがあっても不思議じゃない。アルベルト様のお帰りを待たずとも、エルザ様なら過去のセシルリアを知っているかもしれない、セシルとセシルリアを結び付けられるかもしれないんだ。


「そうですっ。エルザ様が案内して下さって、一緒に来てるんですっ」

「レイラさん、お呼びになりまして?」


 もしそうならエルザ様は呪いを解く、強力な助っ人だ。

 どうしてすぐに思い至らなかったのかと慌ててエルザ様をお呼びしようとして、私たちの会話が聞こえていたのか、呼ぶまでもなくご本人がいらっしゃった。


「エルザ様、彼女は──」

「……セシルリア?」

「!」


 セシルリア。今、確かにエルザ様はセシルを見て、その名前を口にした。

 やはりそうだ、彼女ならグリムニルの呪いなんてものに誤魔化されず、本当のセシルを、セシルリアを見てくれる。

 私にはなれなかった、セシルの諦観を崩す希望になってくれる……!

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