第6話

 生徒会室に押しかけてから早四日。

 原作とはまるで違うけど、いよいよ明日はアルベルト様との出会いイベントである。

 もっとも、今はそれよりもセシルとアルベルト様の今後だ。アルベルト様ならセシルの事を分かってくれるはず。

 原作のような恋心を抱いていなくとも、セシルもアルベルト様に何かしら思うところはある様子だった。

 そして、あれから私なりにセシルの言葉の意味を考えてみた。

 魔女グリムニルが関係しているだろう五年前の。誰もセシルがセシルリアとは気づかない理由。原作のグリムニルに乗っ取られた後に酷似した今の姿。原作のセシルリアともグリムニルとも違う性格。誰にも解けないという呪い。

 それはグリムニルがセシルリアに掛けた呪いなのかもしれない、と。

 グリムニルはセシルリアを次の器として目をつけていた。それがいつ頃からなのか明かされていなかったが、学院に入学する前、もっと幼い頃からセシルリアを次の器として考えていたのなら。

 原作ではレイラと出会う事で嫉妬の炎を燃やすことになり、グリムニルの器に相応しい負の感情を抱いてしまったセシルリアだけど、この世界ではレイラとの出会いを待たずして、グリムニルはセシルリアを器とするべく動いたんじゃないだろうか。

 物語上、レイラとの出会いは必然だけれど、現実では偶然でしかない。その偶然を待つのではなく、自ら器を育てようとした……十分にあり得そうな話だと思う。

 グリムニルは設定上、多くの魔法や呪いに精通し、風化してしまったとはいえおとぎ話として語られる伝説の魔女。

 お姫様や王子様が呪いで姿を変えられてしまう、なんて良くある話だ。

 今のセシルの姿はその呪いのせいなんじゃないか。ただ姿を変えるだけじゃなく、公爵令嬢としてのセシルリアを殺す呪い。

 蝶よ花よと大事に育てられてきたセシルリアに呪いを掛け、平民に落とすことで自身の不幸を呪わせる、そんな『不老不屈』の魔女の策略。

 そうだとしたら、それは順調に進んでいる。

 原作のまだ可愛げもあったツンデレな性格と違い、今のセシルは擦れ切っている。表情豊かだったはずの原作とは違いいつも無表情で、情熱を間違えたとはいえキラキラとした瞳は冷めて、アルベルト様を決して諦めようとしなかったセシルリアと、まるで現状を諦観してしまっているようにも見える今のセシル。

 ……飛躍した妄想かもしれない。だけど、今のセシルが誰にとって都合が良いかを考えるとどうしてもグリムニルしか考えられないんだ。

 もし私の考えがただの妄想で終わらなかったとしたら、どのルートでも変わらないグリムニルの結末が変わってしまうとしたら、それは原作にはない世界の危機に繋がってしまうかもしれない。

 それを回避するためには、セシルには原作のような高飛車で傲慢で悪役令嬢なセシルリアに戻ってもらわないと! ……いや悪役令嬢である必要はないな。私にも優しくしてくれる、そんな女の子になってほしい!

 きっとアルベルト様ならあのセシルの凍てついた心を溶かしてくれるはず……! 恋のキューピッドを気取るつもりはないけれど、幸せになってほしい。グリムニルの企みを二人で打ち砕いてほしい。

 ……でも、だけど。

 セシルの言う呪いがグリムニルの呪いだとして、前世の知識を持つ私にはそれが通じていなかったとしたら、だったら何故、セシルは今も諦めてしまったままなんだろう。やっぱりアルベルト様じゃないと、私の存在だけではセシルの諦観を破れないから、なのだろうか。


 ……さて、原作とは違う、二人が結ばれる未来に思いを馳せつつも。

 今日は待ちに待った──というほど、学業に退屈や嫌気を感じてはいないけれど──休日だ。

 学院から王都までは馬車で一時間足らず、辺鄙な土地に住んでいて、数える程しか王都を訪れた事のない私は、お上りさんらしく出かけることにした。

 モンテグロンド家は貧乏とまではいかずとも決して裕福ではないが、週に一度の休日に遊びに出かけるぐらいのお金はあるのだ。えへん。

 服はいつもと同じ制服にマント姿。休日の着用を義務付けられているわけではないけれど、この制服に袖を通す事は名誉であるとされているので、ほとんどの生徒は休日でも制服姿なので、それに倣っている。

 フェリアを誘い、二つ返事で承諾を得て、学院の外、街道に向かう。一部の貴族は実家から馬と馬車を持ち込んでいるけれど、大抵の生徒は王都の御者が駆る馬車を利用する。

 休日の度に多くの生徒が王都に向かう為、学院の外には前もって呼ばずとも馬車が常に待機しているのだ。整列する馬車はさながら駅前のタクシー乗り場みたい。

 私たちが着いた時も、数台の馬車が王都に向けて走り出したところだった。それを見送り、空いた分を詰めて私たちの前に停まった馬車に乗り込む。


「セシルさん、見つからなかったね」

「あはは、誘っても来なさそうだけどね。というか絶対に来ないよ」


 せっかくだから、とセシルも誘おうと思ったのだけどフェリアの言葉通り、セシルは見つからなかった。部屋自体は偶然にも私とフェリアの間の部屋だと分かっているんだけど、部屋を訪ねても返事はなかった。まあ居留守の可能性も十二分にあるけども。


「授業もよく抜け出してるみたいだし、大丈夫なのかな」

「試験で結果さえ出せば退学にはならないだろうし、大丈夫だとは思うよ」


 セシルに関しては何の進展もない。見かける度に話しかけるようにはしてるけど、あしらわれるばかりだ。

 それぐらいでへこたれていても仕方ない。原作ではもっと攻撃的だったし。いや、最初のエンカウントでは圧倒的に今のセシルの方が攻撃的だったけども。

 そんなこんなでセシルの事以外にも久しぶりにフェリアとの会話に時間を忘れて花を咲かせつつ、王都に到着。

 ずっと話していたから着く頃には喉はカラカラ。まずはちょっと遅めの朝ごはんも兼ねて喫茶店に入る事にした。何処に行くかも全然決めてなかったけど、此処に来る事だけは決めてたしね。


「おかえりなさいませ、お嬢様」


 王都の大通りから一本外れて、ドアベルの着いた扉を開けて入店するとすぐに執事服姿のイケメン男性が出迎えてくれる。

 店内には彼の他にも執事さんとメイドさんが複数。その立ち振る舞いは大貴族の従者にも劣らない優雅なものだけど、彼らは本業の従者というわけではなく、あくまで店員だ。

 その証拠に執事服はフォーマルな感じであまり違和感がないけれど、メイド服は本物と比べるとフリルが多くて機能性を突き詰めたものではない。


「あたしの事はお嬢様って呼ばないでって言ったじゃない」

「まあまあ、そういうコンセプトのお店なんだから。それにフェリアがお嬢様なのは事実なんだし」


 喫茶店、パリス・トウェルタ。言ってしまえば此処はメイド&執事喫茶で、ウェルスベリー商会、フェリアの実家が王都で経営するお店だった。

 未だに平民感覚が抜けないのと、執事さんたちが此処で働く前からの知り合いのフェリアは居心地が悪そうにしているけれど、店内は大盛況。

 元々は平民向けのお店として設計していたが、本物の貴族のお嬢様らしきお客さんの姿も多くあり、中には私たちと同じ制服姿のお客さんもいる。


「はい。先生の仰る通りです。いらっしゃるお嬢様はみな、私共にとってお嬢様ですので」

「ほらほら、フェリア。視察のつもりで歓迎されようよ」

「はあ。分かったわよ……」

「お嬢様と先生にも満足いただけるよう、務めさせていただきます」

「えー、私もお嬢様扱いしてよー」


 私がお店に来るのは開店したばかりの時に招待された一度きりだけど、お店の人たちは皆、私を先生と呼ぶ。

 その理由はお店が始まるまでの間、モンテグロンド家で研修という形で働いてもらったからなんだけど……それなら私もお嬢様でいいじゃん、と思うのだが、そもそもこのお店のコンセプトも私が提案したもので、成功させるために指導に熱が入りすぎて先生呼びされるようになってしまった。嫌じゃないけど、私もお嬢様扱いされたかったなー。

 でも成功してくれてよかった。原作ではもっと普通の喫茶店だったけど、あまりお客さんが入っていない描写がされてたから。

 コンセプトだけでなくメニューも監修させてもらったので、このお店はほとんど意味がなかった私の前世の知識が一番活かされた場所だ。

 狙ったわけじゃなく、たまたま口を出したことが採用されてしまっただけだけど、結果オーライだよね。

 席に着いたら私はパンケーキの、フェリアがサンドイッチのセットを頼んで美味しく頂く。

 高価な物には敵わないかもしれないけど、同じ価格帯なら他に負けない味だ。

 ちなみに入会費のみで入れる会員になると特別メニューも頼めるようになるんだけど、私たちは入っていない。フェリアに怖い顔をして止められた。私も執事さんにあーんとかメイドさんに美味しくなる魔法をかけてもらいたかったな……。

 フェリア曰く、頼むならあたしのいない所で頼んで、とのことである。

 特別メニューを頼む多くのお客さんたちとそれを実施する店員さんたちの姿にフェリアは複雑そうだったけれど、ウェルスベリー商会の大事なお客様なので感謝こそすれ、文句は言えない。

 とはいえ、居心地の悪そうなフェリアをいつまでも此処に置いておくのは忍びない。ささっとお会計を済ませて、腹ごなしに王都を散策しよう。

 そう思って伝票片手に手を上げた、その時だった。


「ありえないわ!」


 耳鳴りがしてしまいそうな、甲高い声と乱暴にカップを置く音が店内に響いた。

 突然だったから思わず肩をビクリと震わせ、上げかけた手を下げて、声の主を探す。

 窓際の四人掛けの席に座る、三人の女性客。私たちと同じ魔法学院の制服を着た上級生らしい。声を上げたのはその中の一人だったようだけど、残る二人も不満気な表情を浮かべている。

 ガールズトークに盛り上がりすぎた、という風ではない。とするとクレームか。

 既に私たちを案内してくれた執事のロイ君が何があったのかを尋ねに駆け寄っていた。

 私とフェリアも心配そうにそれを見守りながら、聞き耳を立てたがそうするまでもなく、彼女たちは店内中に聞こえるような大声で罵倒を始める。


「上質な使用人が揃っていると聞いて来てみればなんなの、この紅茶は! 平民が飲むようなものと大差ないじゃない!」

「こんなものを貴族相手に売りに出そうなんて恥知らずよ!」

「それにこんな雑多な中じゃ、とても落ち着いて食事なんてできないわ」


 あ、悪質ぅ……。

 そもそもコンセプト的に貴族をターゲットをしたお店ではない。価格設定だって平民のちょっとした贅沢ぐらいに押さえているのに。けれど良すぎる評判がああいう勘違いをしたお客さんを呼ぶ原因になってしまったらしい。


「お口に合わず申し訳ありません。お代は結構ですので……」

「そんなことは当然よ! こんなものを口にさせた責任を取れと言っているの!」


 悪質なクレーマー相手に下手に出れば勘違いして付け上がってしまうのはこの世界でも共通か。

 ただゴネるだけじゃなく、貴族という元々我儘が通ってしまう立場だからこそ、その要求はより過激なものになってしまう。

 申し訳ありません、返金します、だけでは済まなそうだ。

 うーん、どうしたものか。

 貴族の常連さんも多いからこの場さえ収めてしまえば権力に物を言わせてお店を潰されたり、なんて事にはならないと思うけど、私が出て行った所で場を収める自信はない。

 学院の制服を着てる時点であの三人の実家が男爵以下の可能性は著しく低い。私やフェリアみたいにお家が男爵以下の位で学院に入学してる生徒ってかなり少ないから。

 それでもどうにかしたい、そう思って握りしめていた手がフェリアに掴まれる。


「お願いだから大人しくしてて。お店の事でレイラに迷惑はかけられない」


 首を横に振って、縋るような目で言われてしまうと私も動くに動けない。

 フェリアもこの場さえやり過ごせば大きな問題にはならないと分かっているからだろう。

 もどかしいけど、私みたいな男爵令嬢が一人出て行っても火に油を注ぐだけになりかねない。今は耐えてもらう他ないんだ。


「あなたじゃ話にならないわ。このお店の責任者は何処?」

「申し訳ありません。執事長は今出ておりまして……」

「執事長ですって? こんな店の癖にあなたの格好といい、見た目と肩書だけは立派なものね。私の家ではフットマンも任せられない程度の能力しかないくせに」


 私も他のお客さんも分かってて通ってるんだから、店員と本物の執事と一緒にしないで!

 知ったかぶりしないで素直に答えてたら、初めて来た時にどういうお店か説明を受けてるはずでしょ!

 くぅっ、大前提のそんなことも知らないで文句だけは一丁前に言うんだからもう……!

 私を抑えているフェリアの手にも私と同じくらい力が込められていくのが分かる。

 学院で成り上がりと揶揄されることには耐えられても、家族同然に付き合ってきた従業員をこうして馬鹿にされて腹立たしくないわけがない。


「とにかく今すぐ責任者を呼んできてちょうだい! これ以上私たちを待たせないで!」


 そして過激になっていくのは言葉だけではなかった。

 彼女は僅かに口をつけただけで、まだ大半が残っている紅茶のカップを手に取って──、

 私もフェリアも、動いたのは同時だった。

 貴族、淑女としてはまだまだ半人前の私たちは、そんな事をされて黙って見ているなんて出来なかった。それに私たちが目指す淑女というのは断じてお淑やかなだけではない。

 今更動いたところで間に合わない。こんな事なら最初から動けば良かった。後悔しながら、怪我なら今すぐ治せると言い聞かせて立ち上がる。

 けれど、彼女と比べれば私たちは遅すぎた。


「──まったく。見るに堪えない醜態ですわね」


 私たちが駆け寄るより速く、彼女はロイ君の目の前に立っていた。

 学院の制服を濡らし、押さえた手にも紅茶の熱を浴びながら、毅然と。


「貴女方に貴族の道理を説こうとは思いません。人としての道理を説くつもりもありません。けれどその制服に袖を通すのならば、その校章に相応しくあるべきですわ」


 彼女が誰であれ、今すぐに駆け寄ってその火傷を癒すべきなのに私は、ううん、フェリアや他のお客さん、怒鳴っていたあの三人組でさえ、その瞬間だけは動くことも言葉を発することも出来なかった。


「エ、エルザ、様……?」


 最初にその沈黙を破ったのは三人組の内の一人だった。

 青ざめた顔、震える声で彼女の名を呼び、恐れた。


「もっ、申し訳ありま──」

「謝罪は結構。今すぐこのお店から出てお行きなさい」

「わ、わた、私、エルザ様になんてことを……」

「聞こえなかったかしら。これ以上、わたくしを待たせないでちょうだい」


 その立ち姿は動じない。その言葉は揺るがない。

 間違いなく火傷の痛みが走っているはずなのに、そんなもので彼女は崩れない。

 私は彼女のその気高い姿に見惚れてしまっていた。

 そんな私を置いて、次に動いたのはフェリアとロイ君だった。


「シュリ! お客様をお見送りして!」


 フェリアが呆然と立ち尽くしていたメイドの一人に指示を飛ばし、すぐにシュリもそれに応えて三人組を連れ出そうとする。

 腰が抜けているのか、三人組が動けないと分かると他のメイドたちも手伝い、手を取って三人を速やかに外へとご案内していく。


「お客様、すぐに手当てをいたします。どうかこちらへ」

「あら、ありがとう。身勝手な振る舞いをしたのはわたくしも同じですのに。ふふ、その姿に違わぬジェントルマンですわね」

「申し訳ありません、エルザ様、失礼いたします」

「貴女もありがとう。ハンカチは後で新しい物を贈らせていただきますわ」


 ロイ君はすぐさま店の奥へと彼女を促し、フェリアはハンカチを彼女に滴る紅茶をふき取りながらそれに続く。他の執事たちも道を開け、すぐさま零れた紅茶の始末と他のお客様に迷惑をかけた事を詫びていった……って、私もいつまでも突っ立ってる場合じゃない! こういう時こそ私の出番でしょうが!

 治癒魔法を行使出来るように体内の魔力を意識しつつ、ようやく私もフェリアたちの後を追った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る