Ed

 新幹線がホームに滑り込む。

 扉が開くや否や駆け出すように飛び降りると風がさあっと吹き抜けた。

 大きな荷物を抱えたまま、いつもの喫茶店へ向かう。

 旧い木のドアを開けるとドアベルが軽快な音を立てた。

 通路から一直線の席にお目当ての人物が座っている。息が震えた。

「あれ、もう帰ってきたん?」

 鼎さんは立ち尽くす私を手招きし、席に着くよう促す。

 他にも椅子は空いているのに、と少し不思議に思いながら彼の前へ腰掛けた。

「おかえり」

「……はい」

 鼎さんを前にして、急に気持ちが萎んでいくのがわかった。

 言いたいことは山ほどあったのに、ただ自分を肯定されたいだけのような気がしてきた。感情を吐露するには、私達はまだ遠すぎる。

「何かあったん」

 言うてみ、と鼎さんが言った。

 秋の風のようなとても優しい声だった。

 言いあぐねていると彼の目が、どうぞ、とでも言うようにゆっくりまばたいた。

「泣けなかったんです、葬儀中。一度も」

 鼎さんの表情は変わらない。

「おかしいって思っても全然悲しくなくて、他の親戚が泣いてる中貰い泣きもできなくて。どこで間違ったらこうなるんだろう、何が間違いだったんだろうってずっと考えてしまって」

 ぼんやりした空虚は口にした途端その様相を顕にした。

 ことばにすると陳腐で自分でも何が言いたいのか、その芯が分からなくなっていく。混乱。それが本性だった。

「まぁ、間違まちごうとんのは確かやね」

 淡々と鼎さんは口を開く。

「ちゃうねん、トーコさんの感覚が間違うとるんやなくて、それで自分を責めるのはちょっと違うんやないかなって」

 わかる? 鼎さんの問いに私は首を振る。

「感じたことや感じひんかったことを否定したらあかんよ、いうことやね」

「でも、」

「うん。言いたいことはわかんで。せやけど、別にお父さんのこと嫌いになったわけやないんやろ?」

 それはない。親子として平均的なレベルではあるが、愛している。

「やったらそっちの気持ちのほうが大事やって。トーコさんが、お父さんに対して抱いとる気持ち。あとは確かに受け継いどるもんとか」

「受け継いだものなんて」

「あると思うよ。その時計の軸受けみたいに普段誰の目にも映らん、自分でさえ認識してへんもんが、カチッと嵌って作用しとる――パッとは思い浮かばへんかもしれんけど」

 私はムーブメントに埋め込まれた赤い石を思い浮かべた。

「トーコさんの中にあるもんは、トーコさんが自分の手で得たもんもあるやろうけど、そうやない――お父さんからもろうたもんもあるはずやって。それが石みたく体か心のどっかに嵌って、トーコさんを動かす部品の一つになっとんのちゃうかな」

 鼎さんはしばし口元をもごもごと動かしてから水を飲んだ。

「それがあんねんから、泣けんくてもええと思うで」

「……そうですかね」

「うん。トーコさんの中で生きてんねんから、絶対悲しまなあかんてことはないと、僕は思う」

 鼎さんは言い切って、照れくさそうに鼻の頭を掻いた。

「自分でも気付かない貰い物、か」

「『大切なものは目に見えへん』て言うやん」

「ミヒャエル・エンデの『モモ』ですね」

「そう」

 にこりと鼎さんは口角を上げる。

「あと、トーコさん単に疲れとるんやと思うで。冠婚葬祭ってただでさえ気ぃ遣うやん。こっち帰ってすぐようこんなとこ出てこよ思ったな、えらいわ」

 指摘というには少し辛口の文句が細胞を揺り動かしたのか、急に体が重たくなった気がした。ほっとしたのかもしれない。

 私は椅子に深く腰掛けなおすと、そのまま背もたれに体を預けた。目の前で小さく笑う声がする。

「お話は終わりましたか?」

 タイミングを見計らったように、おもむろにマスターがこちらへ歩み寄ってくる。

 私は慌ててメニューを覗き込み、サンドイッチとケーキセットを注文した。

「そんだけ食欲があるんやったら、もう大丈夫やな」

 鼎さんは今日一番の笑みを浮かべて、僕もケーキください、と厨房へ去るマスターの背中に言った。

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