12. 変種

 何かと忙しい受験生なので、勝巳との待ち合わせは昼前、十一時半とした。

 もっとも、私は問題集を探したいくらいで、特段の用事は無い。午後から予備校の模試を受ける彼に合わせた形である。


 やる気の出ないままスマホをいじくり倒し、十一時を回った辺りで財布だけを持って家を出る。


 のんびり歩いても十分以上前に着く段取りだったが、勝巳は既に駅で待ち構えていた。

 駅ビルにはコーヒーショップが入っており、いつも学生や主婦で盛況だ。

 私たちもそこで話すことに決め、ウインドウに面したカウンター席に並んで座る。


 土曜でも慌ただしい駅前の雑踏を眺めながら、彼はおずおずと休みを邪魔したことを謝った。


「いいよ、別に。それより話って?」

「志望校を変えようと思う」


 県外へ出向かずに、私と同じ大学に希望を変えたいらしい。そういうことなら、私に質問があるのも頷ける。

 だけど、学部まで同じにすると聞き、自然と疑問が口をついた。


「経済をやめて、文学部? 英語が苦手なのに?」

「別に経済学部だって英語は受験科目にあるし、英文学がやりたいわけじゃない」

「だからって……」

「志望校も学部も、成績や判定結果で選んでたからさ。本当は何がやりたいのか、よくよく考えてみたんだよ」


 数学が得意なのは彼の利点であっても、理系に進めるほど出来るわけではない。

 好きかどうかで言えば、地理や政治により興味があるそうだ。

 文学部には、社会学や政治学の専攻も含まれている。なら、文学部を目指すのも悪くはないわけか。


「ふーん。好きならそれでいいんじゃ。で、何が聞きたいの?」

「文学部にしたのは、好きだからでもないんだ」

「は? どういうことよ」


 カップに刺さったストローをグリグリ回し、勝巳はしばし黙り込む。

 悩んでいるのは伝わってくるが、話の要点は見当もつかなかった。


 自分のコーヒーを飲みつつ、長い付き合いになった友人の横顔を観察する。

 紗代に余計なことを吹き込まれたせいで、変に意識してしまいそうだ。

 顔の各パーツがやや濃い勝巳は、ひと昔前なら男前と言われたのかもしれない。身長は平均くらいで、意外に肩幅がある。


 意を決したらしき勝巳が、急に顔をこちらに向けた。

 まともに彼の目を見つめるハメになり、慌てて外へ視線を逸らす。


「オレさ、自分が何をやりたいのか、まだ全然分からないんだ」

「みんなだって、そんなもんよ」

「だから大学に入ってから、それを見つけたい。細かい専攻は、三年次で決めるんだよな?」


 よく調べてるじゃん。

 自分の気持ちに従って、やりたいようにやるなら、他人がとやかく言う必要は無いのでは。

 土曜に呼び出してまで私に話すのを、やはり訝しく思い、もう一度同じ質問を繰り返した。


「でね、私に何を聞きたいわけ?」

「決め手はアヤだ。アヤと同じ大学に行きたいと思った。イヤならはっきり言ってほしい」

「なん……! はあ? どんな理由よ、それ。私!?」


 文学部なら、それも専攻を決めていないなら選択肢はそこそこ多い。

 勝巳は下宿も許されているし、選り取り見取りな中で、わざわざ私と同じ大学を狙う。ひとえに、私がいるからという理由で。

 もちろん、お互いが合格しなければ意味の無い目標だけど。


 これは変種の告白なの?

 進学先って、こんな恋愛絡みの理由で選ぶもんだっけ。


 どの大学も、学ぶ内容も、勝巳には一長一短に思えたようだ。

 それなら、と判断材料にしたのが、私と共に通いたいという気持ちだったとか。

 勝巳の言い分も分からなくはないが、先にもっと言うべきことがありそうなもんだ。


 悪い気はしない。

 イマイチ頼りないけれども、私だって偉そうに言う資格は無い。

 自分が本当は何をしたいのか、昨晩からずっと迷い続けているのだから。


「アヤは立派だと思う」

「そんなことない」

「カウンセラーって夢があるのは羨ましいよ」

「ん……」

「オレにも応援させてほしい。紗代から聞いたよ、オヤジさんの影響なんだって? 凄いお父さんだったん――」

「もうやめてっ」


 キツい語勢に、言った自分でもびっくりした。

 勝巳にすれば不運としか言いようがないが、最も触れてほしくない部分に、土足で踏み入ってしまったのと同じだ。

 悪感情が私を覆う。


 勝巳は優柔不断なだけなのでは。

 自分では決められず、私へ丸投げしたダメな男に思えてくる。

 デリカシーにも欠け、上っ面で適当に喋り、今もこうやって私の傷に塩を摩り込んできた。


 二人とも合格したら、こんな関係をさらに四年は続けることになろう。

 昨日までは、話しやすく好ましい友人だと感じていた。いざ決断を迫られると、それが正しいのか自信を持てない。


 そもそも、私はカウンセラーになりたいのか。

 いっそ進学を機に全部一新して、やり直したっていい。

 リセット願望――やけっぱちな、しかし暗い魅力を感じる誘惑が首をもたげる。


「勝巳の好きにすれば」

「じゃあ!」

「私は私。もうカウンセラーなんて――ぎいぃっ!?」


 すねを襲う痛撃に、周りが振り返るほどの悲鳴を上げた。

 今回は一発のみ。

 だけどその一発を、ミャアは渾身の力で放った。


 足元を睨みつけると、ファイトポーズのカワウソと目が合う。

 シャドーボクシングの如く前脚を交互に繰り出し、なんならもう数発お見舞いしてやろうという勢いだ。


 力を篭めすぎだろう。痣になったらどうするのよ、この馬鹿ウソ!


「アヤ?」

「足がった」

「そりゃまた……、大丈夫?」


 当座凌ぎの言い訳でも、勝巳は疑いもせずに私を心配した。

 裏表が無く、何だって信じる。それを浅はかと取るか、正直者と取るかは、私次第ってこと。


 あまりの痛さに、ほんの少し頭のモヤが晴れた。


「前よりボーダーラインは上がるよ?」

「覚悟の上だ。ここから二月まで、英語を三十点は上乗せしてやる」

「四十点ね。古文も」

「こ、古文かあ。いいや、オレはやる。見とけよ、土壇場の逆転劇を」

「はいはい」


 別れ際には私も微笑む余裕が生まれ、一時いっときの黒い感情は心の奥底に仕舞われた。

 店の前で「また月曜日」と手を振る私を、勝巳はまだ帰らないでくれと呼び止める。

 口をパクパクさせる様子のおかしさは、先ほどの比ではない。

 これはいよいよアレか? と、期待と動揺をないまぜにして、彼の言葉を待った。


 もう少し雰囲気のある場所がよかったけれど、贅沢は言うまい。

 勝巳だもの。


「アヤ、あのっ」


 ほら、早く言いなさいよ。それが最優先の用件でしょ?


「えーっと。ごめん、なんか緊張しちゃって……」


 こっちが緊張するわ。

 駅を行き交う人が、チラチラ私たちを見て行くのが恥ずかしい。大して気に留めていないのだろうが、針のムシロに乗せられた気分だ。


「アヤ」


 おうっ。


「メリークリスマス!」

「はあぁっ?」


 決め台詞と同時にバッグから小さな箱を出し、私へと差し出した。何を喜ぶか分からなくて、ガラスのペーパーウエイトにしたとか。

 アーリー・クリスマスに間に合ってよかった、とも言っていた。


 手を振って去っていく勝巳を見送りながら、虚無感で力が抜けていく。

 どうしてくれよう、この男を。


 まあ、先は長いのか……。

 リボンの付いた箱を片手に、私はスーパーへと歩き始めた。

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